第十七話「灰色の翼」3
第三章 虹色の魔眼
バサァッ!!
湿った大気を切り裂いて、私の背中から「それ」が噴き出した。 肉が裂ける痛みはなかった。 あるのは、長年背負っていた重い鎖が弾け飛び、魂が解放されるような、熱狂的な軽さだけ。
「な……なんだ、あれは!?」
天使の隊長が、悲鳴のような声を上げた。彼が見上げているのは、私だ。 地面を蹴り、宙に浮いた私の背中には、巨大な翼が広がっていた。
右には、夜の闇を凝縮したような、蝙蝠の皮膜を持つ翼。左には、朝の光を織り込んだような、鳥の羽毛を持つ翼。
だが、その色はどちらも、彼らが知る白でも黒でもなかった。
灰色。
雨空のような、路地裏のアスファルトのような、そして夜明け前の曖昧な空のような色。 美しくも不吉な、灰色の翼。
「馬鹿な……混血ごときが、翼を持っただと!?」
「ありえねえ! 穢れた血が、具現化するはずがねえ!」
悪魔たちが後退る。彼らの常識が、目の前の現実によって軋みを上げて崩壊していく。純血種にとって、混血とは「減る」ものであり、「劣化」だ。両方の特性が薄まり、弱体化した存在。 だが、今の私は違う。父から受け継いだ光も、母から受け継いだ闇も。 その両方を飲み込み、混ぜ合わせ、さらに増幅させて、新しい「私」として再構築した。
それは、かつて京帝の陰陽道が目指し、そして恐れた「混沌」の理。 相反する二律背反を、矛盾したまま内包する完全なる球体。
「……どっちでもいい」
私は、空中で呟いた。声が、ビリビリと空間を震わせる。
「光か闇か。善か悪か。……そんな二択、クソ食らえだ」
頭上に、パチパチと音を立てて光の輪が出現する。 それは天使の持つ真円のヘイローではない。 ノイズが走り、歪み、常に形を変え続ける、不安定な光輪。
私はもう、ただの天羽祈ではない。 天使でも悪魔でもない、第三の存在。 『祈りの魔天子』。
「私は、私のままで……あなたたちを否定する!」
「消えちゃえ!!」
私は杖を振り下ろした。 もはや詠唱などいらない。 私の感情そのものが、世界を書き換えるためのコマンドだ。
固有能力『楽園追放』――反転術式。
グニャリ。 空間が、極彩色に歪んだ。 私の周囲に展開されたフィールドが、爆発的に広がり、戦場全体を飲み込む。 そこは、物理法則も属性の相性も通用しない、デタラメな世界。 上も下もなく、光も影もない。 ただ、私の定義した「理」だけが支配する領域。
「撃て! 撃ち落とせ!」
天使たちが一斉に光の矢を放つ。神聖な魔力が、私を貫こうと殺到する。 だが、その光は私のフィールドに触れた瞬間、性質を変えた。
「な、なんだこの光は!?」
悲鳴が上がる。 彼らが放った光が、彼ら自身の体を焼き始めたのだ。癒やしの光が、細胞を壊死させる毒の光へと反転する。 光が強すぎて、影が濃くなるように。 純粋すぎる正義が、自らを滅ぼす刃となる。
「ぐあぁぁっ! 闇が……闇が逆流してくるッ!」
悪魔たちがのたうち回る。 彼らが纏っていた暗黒のオーラが、質量を持って彼らを押しつぶす。深すぎる闇が、重力崩壊を起こし、彼ら自身の存在を事象の地平線へと飲み込んでいく。
「属性反転……!?」
瓦礫の上で、鉄鏡花が驚愕の声を上げる。 彼女の義眼が、信じられない数値を弾き出していた。
「彼女のフィールド内では……『光』は対象を焼き、『闇』は対象を圧殺する毒となる。……純血種であればあるほど、その純度が致死毒として作用している!」
「理屈が……通じない!」
天使の隊長が、燃え上がる翼を抱えて墜落する。悪魔の団長が、自身の影に食われて消滅する。
「うわあああああん! ママぁ!」
「助けてくれ! わけがわからねえ!」
逃げ惑う純血種たち。 彼らの傲慢な常識が、音を立てて崩れ去っていく。 白と黒で綺麗に塗り分けられた彼らの世界に、私が「灰色」というノイズをぶちまけたのだ。
私は、ただのハーフではない。 矛盾を抱えたまま存在することを許された、この世界のエラーそのもの。
「これが……私たちの痛みよ!」
私は杖を薙ぎ払う。 極彩色の嵐が吹き荒れ、純血種たちの軍勢を枯葉のように吹き飛ばした。 誰も、私の領域には入れない。 ここは、はみ出し者たちだけが生きられる、優しくて残酷な地獄だ。
光と闇の嵐が収まる。 敵部隊は壊滅し、生き残った者たちは恐怖に顔を歪めて撤退していった。二度と、この浅修羅の地には足を踏み入れないだろう。
雨が、しとしとと降り始めた。 激しい雷雨ではない。 街の熱を冷ますような、静かな小雨。
私は、背中の翼を霧散させ、ゆっくりと地上に降り立った。 足が地に着いた瞬間、膝から力が抜けた。ドサリ、と泥水の中にへたり込む。 視界が霞み、手足の感覚がない。 魔力を使い果たした反動だ。
「……はぁ、はぁ……」
泥だらけの私に、小さな影が駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん!」
助かった子供たちだ。 瓦礫の陰で震えていた彼らが、泣きながら私に抱きついた。
「ありがとう……! お姉ちゃん、ありがとう……!」
「怖かったよぉ……!」
小さな手。温かい体温。 その温もりが、私の冷え切った心を溶かしていく。 守れた。全員ではないけれど。あの子の命は戻らないけれど。 それでも、この小さな命たちを、未来へ繋ぐことができた。
「……うん。よかった……」
私は、子供たちの頭を撫でた。 その手は泥と血で汚れて、震えていたけれど、もう迷いはなかった。
「派手にやったな、半端者」
頭上から声がした。久遠灯が、私の前に立っていた。彼女もまた傷だらけだが、その表情はどこか誇らしげだった。 灯は、大きな手で私の頭をポンと撫でた。 子供扱いするような、けれど信頼に満ちた手つき。
「……はい」
私は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、灯を見上げた。泣き笑いのような、不格好な顔で。
「私……半端者でよかったです。だって、両方の気持ちがわかるから」
天使の正しさも、悪魔の激しさも。 光の眩しさも、闇の安らぎも。 その全部が、私の中にある。 だから私は、誰よりも世界を深く愛せるし、誰よりも深く憎める。片方しか知らない彼らよりも、私はずっと世界を広く見ることができる。
「……綺麗だ」
白雪美流愛が、空を見上げて呟いた。辰巳響も、口を開けて見上げている。
雲の切れ間から、微かな光が差し込んでいた。そこには、虹がかかっていた。雨上がりの東帝都の空に、七色の橋が架かっている。
白でも黒でもない。 無限の色を含んだその光は、今の私の瞳と同じ色をしていた。
「……あ」
私は、ふと思い出したように呟いた。
「店長に、遅刻の連絡しなきゃ……」
その言葉に、灯たちが吹き出す。美流愛が肩をすくめ、響がケラケラと笑い、鏡花が呆れたように溜息をつく。 緊張が解け、温かい空気が流れる。
私は立ち上がった。 足元は泥だらけ。服はボロボロ。片方の靴もない。 でも、私の心はかつてないほど軽かった。
私はもう、自分の色を恥じない。 この灰色の翼で、ドブ川のようなこの空を、どこまでも飛んでいける気がした。
「行こう、みんな」
私は歩き出す。 今の私の「故郷」は、廃寺でも、コンカフェでもない。この、傷だらけの仲間たちがいる場所だ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




