第二話「0時のアイドル、雨夜の殺人鬼」2
第二章 乙女ロードの模倣犯
翌日。 北の魔都、逝袋の空は、腐ったシロップをぶちまけたような重苦しい雲に覆われていた。そこから滴る雨は、神宿のそれとは成分が違う。鉄錆の味ではなく、脂と砂糖が焦げ付いたような、甘ったるい吐き気を催す臭気を孕んでいる。
私はビニール傘の柄を握りしめ、通称「乙女ロード」と呼ばれる通りを歩いていた。 防水スプレーをかけたマスクと、伊達眼鏡。アイドル「MIRUA」としての記号を消し去るための迷彩だ。 だが、隣を歩く相棒は、隠す気など毛頭ないらしい。
「んー、今日のタピオカ、茹で時間足りてなくない? 芯が残っててマジ萎えるんだけど」
辰巳響は、毒々しい紫色の液体が入ったカップに太いストローを突き刺し、不満げにプラスチック容器を振っていた。彼女の周囲だけ、雨粒が不可視の結界に弾かれている。 すれ違う人々――アニメショップの袋を提げた少女たちや、それを獲物として狙うスカウトマン、あるいは人間の皮を被った下級妖怪たちが、響の放つ異質なプレッシャーに気づいて道を空ける。
「……響。目立つなと言ったはずだ」
「だってさー、この街、なんかネチャネチャしてんじゃん。アタシの鱗が痒くなるんだよね」
響はカップの底に残った黒い粒を咀嚼し、ペッと道端に吐き捨てた。彼女の言う通りだ。 この街の空気は粘度が高い。 「推し」への愛憎、同人誌に綴られた妄想、ホストへの未収金、そして行き場のない承認欲求。それらが排水溝に詰まった髪の毛のように絡み合い、都市の新陳代謝を阻害している。
ショーウィンドウには、アニメキャラクターの衣装やウィッグが並んでいる。 そのガラスに、私の顔が映り込んだ。地味な私服を着た、ただの少女。 だが、その瞳の奥には、決して消えることのない氷河がある。
「ねえ、美流愛」
響がストローを咥えたまま、無神経な声を上げた。彼女の視線は、向かいのビルの大型ビジョンに向けられている。そこには、私の所属するグループ「Night☆Lily」のMVが流れていた。
「自分そっくりの偽物がファンを殺してるって、どういう気分? なんかこう、ドッペルゲンガー的な? 見たら死ぬんだっけ?」
私は歩みを止めた。ショーウィンドウの中のマネキンと目が合う。作り物の瞳。虚ろな笑顔。それは、ステージ上の私によく似ていた。
「……ムカつく」
吐き捨てるように、私は言った。 感情の温度は低い。だが、その質量は鉛のように重い。
「私のファンを殺していいのは、私だけだもん」
響が「うわ、愛が重いねー」と茶化すが、私は冗談を言ったつもりはない。 所有権の問題だ。 彼らは私の時間を買い、私は彼らの人生を吸い上げている。その歪な共犯関係において、彼らの命の使い道を決める権利は、私にだけ付与されているはずだ。 それを、どこの馬の骨とも知れない「偽物」に横取りされるなど、プロとしてのプライドが許さない。
私たちは、路地裏の雑居ビルへと入った。そこは、タナカが生前足繁く通っていたという、非合法のコンセプトカフェが入居するビルだ。狭い階段を上ると、踊り場に一人の男が蹲っていた。 薄汚れたパーカーに、無精髭。 彼は震える手でスマートフォンの画面を見つめ、ブツブツと何かを呟いている。
「……MIRUAちゃん……会いたい……会いたいよぉ……」
画面に映っているのは、私のSNSだ。 彼は、昨日タナカと一緒にライブに来ていたファンの一人、「サトウ」だった。
「ねえ」
私が声をかけると、サトウは弾かれたように顔を上げた。 焦点の定まらない瞳。 その虹彩は、白濁して揺れている。 そして、彼からもあの「甘い匂い」が漂っていた。
「ひっ……!?」
「静かに。……タナカさんが死んだの、知ってる?」
私がマスクを少しだけずらし、素顔を見せると、サトウは過呼吸を起こしたように喘ぎ始めた。恐怖ではない。歓喜だ。 彼は地べたに這いつくばり、私の靴に縋り付こうとした。
「本物だ……! ああ、神様、MIRUAちゃん……!」
響がすかさず彼の首根っこを掴み、壁に押し付ける。
「触んなよ。高いんだからさ、この衣装」
「答えなさい、サトウさん」
私は冷徹に尋問を開始する。彼らの生態は熟知している。優しくする必要はない。冷たく突き放し、命令する方が、彼らは喜び、口を割る。
「タナカさん以外にも、いなくなった人はいる?」
サトウは涎を垂らしながら、虚ろな目で頷いた。
「スズキも……タカハシも……みんな、逝ったよ……」
「どこへ?」
「楽園さ……。『青い涙』を飲んで、MIRUAちゃんに迎えに来てもらったんだ……」
やはり。 共通点はドラッグ『青い涙』。 そして、彼ら全員が私への異常な執着を持つ「太客」であること。
「僕も……僕も昨日の夜、見たんだ……」
サトウが夢見心地で語り出す。
「雨の中で、MIRUAちゃんが手招きしてた……。真っ赤なドレスを着て、すごく綺麗で……。『愛してる』って、僕の名前を呼んでくれた……」
彼の首筋を見る。 まだ傷はない。だが、皮膚の下の血管が、青く脈打っているのが見える。 彼もまた、予備軍だ。 偽物の私に食い殺されるのを、列をなして待っている家畜。
「……もういい」
私は響に目配せをする。響は「はいはい」と軽い手つきでサトウの延髄に手刀を落とした。男は糸が切れたように崩れ落ち、泥のような眠りについた。 殺してはいない。だが、彼が目覚める頃には、全てが終わっているだろう。
「確定だね」
私は雨の降る通りを見下ろした。そこには、サトウと同じような目をした男たちが、何人も彷徨っている。彼らは探しているのだ。 自分を殺してくれる、理想の「私」を。
夜の帳が下りる頃、鉄鏡花からの通信が入った。私は廃ビルの屋上で、響と共にその解析結果を聞いていた。 インカム越しに聞こえる鏡花の声は、雨音よりも冷たく、そして正確だ。
『敵の正体が判明した。……予想以上に厄介な代物だぞ、美流愛』
「何なの? ドッペルゲンガー? それとも変身能力を持った妖怪?」
『いいや。もっとたちが悪い。……タルパだ』
「タルパ?」
『チベット密教の秘奥義に由来する概念だが、現代風に言えば「人工未知霊体」……あるいは「思念体」だ』
鏡花がキーボードを叩く音が響く。 彼女は、ドラッグ『青い涙』の成分解析と、被害者たちの脳波パターンから、ある恐るべき仮説を導き出していた。
『「青い涙」の主成分は、ただの幻覚剤ではない。服用者の脳波を強制的に同調させ、ネットワーク化する作用がある』
「ネットワーク化……?」
『そうだ。逝袋に巣食う数百人のファンたち。彼らは薬によって、一つの巨大な「集合的無意識」として連結された。そして、彼らは全員が同時に、同じものを強烈に渇望していた』
私は息を呑んだ。 数百人の妄想。 その対象は、一つしかない。
『彼らが望む「理想のMIRUA」。清純で、優しくて、絶対に裏切らず、そして自分たちだけを愛してくれる存在』
「でも、それはただの妄想でしょ? どうして物理的に人を殺せるのよ」
『そこが「青い涙」の真に恐ろしい点だ』
鏡花の声が、一段低くなる。
『この薬には、科学では説明のつかない「呪術的触媒」が含まれている。古代の錬金術でいうところの「賢者の石」の粗悪品のようなものだ。それが、数百人分の精神エネルギーを質量に変換し、現実空間に受肉させた』
私は戦慄した。 オタクたちの脳内データが、薬という3Dプリンターを通して出力されたということか。
『つまり、あの偽物は……お前のファンの「愛」と「執着」を原料に産み落とされた人工精霊であり、彼らを食い殺す捕食者だ』
「捕食者……」
『ああ。タルパは精神エネルギーの塊だ。存在を維持するためには、燃料を補給し続けなければならない。その燃料こそが、創造主であるファンたちの脳内にある「MIRUAへの執着」だ』
吐き気がした。 ファンたちは、「MIRUAと一つになりたい」と願った。 その歪んだ願いが、物理的に「食べられる」という形で叶えられてしまったのだ。
『奴は、物理的な栄養摂取を必要としない。代わりに、創造主であるファンたちの脳を食らい、その中にある「MIRUAへの愛」を糧にして存在を維持・増殖させている』
「……推しに殺されるなら本望、ってこと?」
『正解だ。被害者たちに抵抗の跡がないのはそのためだ。彼らは自ら進んで首を差し出し、恍惚の中で食われた。……まさに、究極のファンサービスだな』
鏡花の皮肉に、私は唇を噛んだ。 ふざけるな。 そんなものを愛とは呼ばない。 それはただの自慰行為だ。私の形をした人形を使って、自分自身を慰めているに過ぎない。
「……場所は特定できた?」
『ああ。奴が出現するポイントには法則性がある。夜、人気のない場所、そして「雨」だ。奴は実体化したとはいえ、精神エネルギーの塊。湿度の高い場所を好む』
地図データが送られてくる。 ポイントは、逝袋西口公園。 かつては不良たちの溜まり場だったが、今は再開発で小奇麗な広場になっている場所だ。
「ありがとう、鏡花。……行ってくる」
『一人でやるつもりか? 灯も向かわせているが』
「必要ない。……これは、私の不始末だから」
通信を切る。 隣でタピオカを飲み干した響が、空になったカップを握り潰した。
「で? どうすんの。アタシが雨で溺れさせてやろっか?」
「ううん。響は周りを固めて。逃げないように」
私は立ち上がり、スカートのプリーツを直した。 雨に濡れたアスファルトが、黒い鏡のように私を映している。
「私が囮になる」
私のファンが生み出した怪物なら、一番の好物は「本物の私」のはずだ。理想と現実。 どちらが強いか、教えてあげる。
深夜0時。 逝袋西口公園は、死んだように静まり返っていた。 円形の広場の中央、野外ステージのような空間に、私は一人で立っていた。 雨脚は強まり、視界を白く煙らせている。街灯の光が、雨粒に乱反射して、世界をぼんやりとした輪郭に変えていた。
寒くはない。 血管の中を流れる殺意が、体温を沸点ギリギリまで引き上げているからだ。 私はアイドル「MIRUA」の衣装を着ていた。ただし、ライブ用の華やかなものではない。 血のような深紅のドレス。それは、これから始まる虐殺の儀式にふさわしい正装だ。
カツ、カツ、と。 雨音に混じって、ヒールの音が近づいてくる。 足音のリズムは、私と全く同じ。歩幅も、体重移動も、呼吸の間合いさえも。
闇の向こうから、その少女は現れた。私と同じ顔。私と同じ身長。 私と同じ、純白の衣装。
ただし、その白さは、もはや白ではなかった。 赤。鮮血の赤が、レースやフリルにべっとりと張り付き、酸化して黒ずんでいる。彼女の足元には、引きずられたような血の跡が続いていた。どれだけのファンを「食べた」のだろう。 彼女の満腹中枢は、おそらく壊れている。
『偽MIRUA』は、私を見て足を止めた。 街灯の下、その顔が露わになる。 美しい笑顔だった。 私がSNSの自撮りや、物販で撮るチェキの中で見せている、加工されたように非の打ち所のない完璧な「アイドルの笑顔」。だが、その瞳孔は人間のものではなかった。爬虫類のように縦に割れ、金色の光を放っている。
「……こんばんは、MIRUA…いいえ、私」
偽物は、鈴を転がすような声で言った。その声紋さえも、私と完全に一致している。
「待ってたよ。……ずっと、あなたに会いたかった」
彼女は両手を広げ、愛おしそうに私を見つめた。 その仕草には、敵意がない。 あるのは、純度100%の、混じりけのない好意。 それが余計に、私を苛立たせた。
「あなたが偽物ね」
私は冷淡に言い放つ。 感情を殺し、仕事モードのスイッチを入れる。
「随分と派手な衣装変えじゃない。……それ、血の匂いがすごいよ」
「ああ、これ?」
偽物は、自分のドレスについた血糊を、愛おしそうに指で拭った。
「これはね、みんなの愛の色。……タナカさんも、サトウさんも、スズキさんも。みんな、私の中で一つになったの」
彼女は恍惚とした表情で、自分の胸元を抱きしめた。
「彼らは望んでたわ。『もっと近くにいたい』『僕を見て』『一つになりたい』って。……だから、叶えてあげたの。食べることで、永遠に一緒になれるでしょう?」
狂っている。 だが、その狂気はあまりに純粋で、論理的ですらあった。ファンの欲望を突き詰めれば、そこに行き着くのかもしれない。 だが、それは私が最も忌み嫌うものだ。
「……吐き気がする」
「どうして? あなただって、同じでしょう?」
偽物は小首をかしげ、一歩近づいてきた。
「あなたはファンのことなんて愛してない。ただの金蔓、ただの仕事だと思ってる。……でも私は違う。私はみんなを心から愛してる。だから、食べてあげるの。痛みも苦しみもない、永遠の楽園で抱きしめてあげるの」
彼女の瞳が、金色の光を増す。 そこには、慈愛と食欲が等価で存在していた。
「あなたは偽物よ、MIRUAちゃん。……愛を知らない、空っぽの人形」
図星だった。私は空っぽだ。 幼い頃から殺しの技術だけを詰め込まれ、心を削ぎ落とされた。アイドルをしているのも、それが組織の隠れ蓑として最適だったからに過ぎない。ファンへの笑顔は筋肉の収縮運動であり、愛の言葉は台本の読み上げだ。
でも。
「……そうね。私は空っぽよ」
私はスカートの裏に手を回し、改造ペンライトの柄を握りしめた。 冷たい金属の感触が、私の輪郭を確かめさせてくれる。
「愛なんて知らない。ファンのことも、金と承認欲求の塊にしか見えない」
ジャキッ、と音がして、ペンライトが起動する。 青白いレーザーブレードが、雨を蒸発させながら伸びた。
「でもね。……仕事には誇りを持ってるの」
偽物の笑顔が凍りつく。
「客を満足させて、金を巻き上げて、生きて家に帰す。それがアイドルの仕事でしょ? あんたみたいに、食い散らかして終わりにするのは……ただのアマチュアよ」
私は構えた。殺し屋としての、殺戮の構え。
「……寒いこと言わないで。愛してるから殺すんじゃない。邪魔だから殺すの。それがプロの流儀よ」
「……悲しい人」
偽物の口元が裂けた。 耳のあたりまで大きく裂け、その奥に並ぶ鋭利な牙が覗く。
「なら、あなたも食べてあげる。……私の一部になれば、きっと愛がわかるわ」
「お断りします」
地面を蹴る。 偽物の殺人鬼が目を覚ます。雨の西口公園。 私と私の、殺し合いのステージが幕を開けた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




