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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
千年の黄昏(ミレニアム・トワイライト)編

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第十七話「灰色の翼」1

第一章 禁忌の子


 東帝都(トウテイト)の北東部、浅修羅(アサシュラ)墨堕川(すみだがわ)の澱んだ水面が運んでくる湿気と、腐りかけの木造建築が放つカビの臭い。 この街の空気は、いつだって過去の遺物のような重たさを孕んでいる。


 路地の奥深く、忘れ去られたように佇む廃寺。朽ちかけた山門をくぐり、雨漏りのする本堂の片隅で、私は息を殺していた。


 事の始まりは、数時間前だった。 神宿(シンジュク)のコンカフェ『しゅがーぽいずん』に、治安維持部隊『ホワイト・ファング』の捜索が入ったのだ。


「不法滞在の亜人種を匿っている疑いがある」


 その一報をいち早く察知した久遠灯(くおん あかり)の手引きにより、私は店を抜け出し、路地裏を走った。


「祈! 事務所もマークされてる。……『浅修羅(アサシュラ)』へ逃げろ!」


 灯の指示は的確だった。 監視カメラの多い神宿や、検問が敷かれた主要道路を避け、地下水道と廃線を乗り継いで北東へ。その道中、私は見てしまった。私と同じように住処を追われ、逃げ惑う「混血(ハーフ)」の子供たちを。 人間社会にも、人外コミュニティにも馴染めず、隠れるように生きてきた彼らが、狩り出されようとしている。


「……おいで! こっちだよ!」


 私は彼らを見捨てられなかった。一人、また一人と手を引き、気付けば私の背中には、三人の小さな命がしがみついていた。


 行き着いた先は、東帝都の北東部、浅修羅エリア。 墨堕川(すみだがわ)の湿気に守られた、古い下町。 その路地の最奥に、朽ちかけた廃寺がある。


「……懐かしい」


 崩れかけた山門を見上げ、私は息を吐いた。 ここは、かつて両親を亡くした幼い私を拾い、育ててくれた「タヌキの住職」がいた寺だ。 住職が亡くなって以来、無人となり荒れ果てていたが、ここなら土地勘がある。それに、住職が残してくれた「人払いの結界」が、微弱だがまだ残っているはずだ。


「入って。……静かにね」


 軋む扉を開け、雨漏りのする本堂へ子供たちを招き入れる。 埃とカビの臭い。 けれど、私にとっては、高級な香水よりも安心する「実家」の匂いだった。


 しかし、安息は長くは続かなかった。


「……お姉ちゃん、怖いよ」


「僕たち……殺されちゃうの?」


 足元で、子供たちが震えている。 獣の耳を持つ少女。背中に小さな黒い翼が生えた少年。肌の一部が結晶化している幼子。彼らの恐怖が伝染し、私の心臓を冷たく鷲掴みにする。


「大丈夫。……大丈夫だよ」


 私は、震える彼らの背中を撫でた。 その言葉が、どれほど頼りない気休めかを知りながら。


 新知事・氷室(ひむろ)が掲げた「人外排斥」。 その矛先は、純血の妖怪たちだけでなく、人間社会に紛れ込んでいた私たち混血種にも向けられていた。 いや、むしろ私たちへの風当たりこそが最も強い。人間からは「穢れた血」と罵られ、純血の人外からは「出来損ない」と蔑まれる。 どっちつかずの、中途半端な存在。


「……僕たちは、生まれてきちゃいけなかったの?」


 翼を持つ少年の問いかけが、私の心臓を雑巾のように絞り上げた。その問いは、私が物心ついてから今日まで、何万回と自分自身に問い続けてきたものと同じだったからだ。


 私は無意識に、左手首に巻いたリストバンドを強く握りしめた。その下には、決して消えることのない傷跡がある。聖なる血と、魔なる血。体内で反発し合う二つの血を中和するために、自らを傷つけ、流し続けなければならなかった日々の記憶。


「……そんなこと、ないよ」


 私は、子供たちに言い聞かせるように、そして自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「誰に何を言われても……私たちは、ここにいていいんだよ」


 雨音が強くなる。 屋根を叩くその音は、まるで世界中が私たちを拒絶するノイズのように聞こえた。


 脳裏に、古い記憶がフラッシュバックする。 灰色の空。 燃え盛る家。 そして、血の海の中に倒れ伏す、二つの影。


 私の父は、天使だった。 厳格で、潔癖で、けれど私には不器用な笑顔を見せてくれる人だった。私の母は、悪魔だった。奔放で、妖艶で、私を抱きしめる手だけは誰よりも温かい人だった。


 絶対に交わってはならない二つの種族。光と闇。天と地。 その禁忌を犯して、彼らは愛し合い、そして私という「エラー(バロック)」を産み落とした。


『裏切り者だ!』 『汚らわしい!』『一族の面汚しめ!』


 罵声と共に、処刑の刃が振り下ろされる。 父は、同胞である天使の槍に貫かれた。 母は、同胞である悪魔の爪に引き裂かれた。


『祈……』


 最期に、血まみれの両親は私を抱きしめた。冷たくなっていくその腕の中で、彼らは遺言のように囁いた。


『お前は、天使でもない。悪魔でもない』 『どちらにも属さない……だからこそ、お前は誰よりも自由だ』


 自由。 幼い私にとって、その言葉は祝福などではなかった。それは、「お前には帰る場所がない」という、あまりに残酷な宣告だった。 世界中どこを探しても、私の居場所はない。私は、無限に広がる灰色の空の下へ、たった一人で放り出されたのだ。


「……ッ」


 ズキン、と左目が痛んだ。 魔眼が、接近する「色」を捉えたのだ。 純白の殺意と、漆黒の悪意。 相反するはずの二つの色が、今夜だけは手を組み、私たちを押し潰そうとしている。


「……見つけたぞ、ドブネズミども」


 本堂の扉が、音もなく開いた。 湿った夜風と共に、異様な圧力が流れ込んでくる。


 廃寺は、完全に包囲されていた。 雨の中に整列しているのは、『ホワイト・ファング』の兵士たちだけではない。 彼らはただの露払いに過ぎない。 その背後に控える、二つの異質な集団こそが、今夜の処刑人だ。


 右翼には、白銀の甲冑を纏い、背中に純白の翼を広げた一団。 天使の武装集団、『福音聖歌隊セラフィムクワイア』。 彼らは美しい顔立ちをしているが、その瞳には慈悲など欠片もない。あるのは、異端を排除しようとする狂信的な正義感だけだ。


 左翼には、黒革のボンデージやスパイク付きの鎧を身に着けた、獣のような一団。 山羊の角、蝙蝠の翼、蛇の尻尾。悪魔の傭兵団、『禍蛇旅団(ディアボロス)』。 彼らは下卑た笑みを浮かべ、獲物を品定めするように舌なめずりをしている。


「……あ、あ……」


 子供たちが悲鳴を上げて、私の後ろに隠れる。天使と悪魔。 本来なら殺し合うはずの彼らが、新知事・氷室の仲介によって手を組んだのだ。 共通の敵――「混血(雑種)」を根絶やしにするために。


「穢れた血を浄化せよ」


『福音聖歌隊』の隊長である天使が、冷徹に告げた。 彼は白銀の長剣を抜き、切っ先を私に向ける。


「神の定めた(ことわり)を乱す者。存在そのものが罪である不浄の器。……速やかに、無に還るがよい」


「ケッ、気取ってんじゃねえよ、鳥野郎」


『禍蛇旅団』の団長である上級悪魔が、巨大な戦斧を肩に担いで嗤った。


「要は、気に入らねえから殺すんだろ? ……おい、そこのガキども。半端者は、ウチの魔界生物(ペット)の餌にもなりゃしねえが、ミンチにすれば畑の肥料くらいにはなるぜ?」


 嘲笑。侮蔑。 純血種ゆえの、圧倒的な傲慢。 彼らにとって、私たちは生き物ですらない。 ただの、処理すべき汚物。


 私は震える足で立ち上がった。膝が笑う。歯の根が合わない。 怖い。逃げ出したい。 ストロングゼロを飲んで、泥酔して、何もかも忘れてしまいたい。


 でも。 私の背中には、私と同じように震えている子供たちがいる。 かつての私と同じ、行き場のない迷子たち。


「……帰ってください」


 私は、杖を構えた。 喉が干からびて、声が掠れる。


「ここは……私たちの場所です」


 かつて、両親を殺され、路頭に迷った私を拾ってくれた場所。 人間に化けた狸の住職が、不器用に育ててくれた、私の原点。 『しゅがーぽいずん』に出会う前、私が唯一「生きていていい」と言われた故郷。


「ここは……私の故郷なの! 誰にも渡さない!」


 私の叫びに、天使と悪魔は顔を見合わせ、そして嘲笑った。


「故郷? ……ゴミ溜めの間違いだろう」


「掃除の時間だ、雑種」


 光の矢と、闇の炎。 二つの処刑が、同時に放たれた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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