第十五話「錆びついた涙」2
第二章 論理の檻
記憶のノイズが走る。 あれは、私が感情を切断し、機械の身体を手に入れた数日後のことだ。
烏丸の研究所、地下最深部。 無菌室の冷たい空気の中で、私は起動テストを受けていた。鋼鉄の指先が、ミクロン単位の誤差もなくメスを操り、模擬手術を完了させる。 完璧だ。以前の肉体よりも速く、正確で、そして疲労を知らない。
「素晴らしい」
ガラス越しに、烏丸保憲が拍手をした。 その瞳は、最高傑作の芸術品を眺める収集家のそれだった。
「感情という不確定要素を排除した君は、まさに医療の極致だ。……これで、『科学的式神』の量産体制が整う。君にはそのマザーコンピューターとなってもらおう」
烏丸は、私の意志など存在しないかのように語る。彼にとって、私はもう人間ではない。便利な道具。高性能な部品。 彼は端末を操作し、私の電子脳に「服従コード」を書き込もうとした。
だが。
『……アクセス拒否』
無機質な電子音が、警報のように鳴り響いた。
「なっ……!?」
烏丸の指が止まる。 モニターには、真っ赤な「ERROR」の文字が点滅していた。
「どういうことだ? 制御を受け付けない……!?」
「……勘違いするな、烏丸」
私は、手術台から降り立った。 拘束具など、強化された人工筋肉の前では紙くず同然だ。引きちぎられたベルトが床に落ちる。
「私は感情を捨てた。……だが、それは貴様の言いなりになるためではない」
私は、ガラスの向こうにいる烏丸を睨みつけた。義眼のカメラアイが絞り込まれ、殺意の赤色に点灯する。
「私の目的を遂行するために、邪魔なものを捨てただけだ」
「目的だと……?」
「貴様を殺し、奪われた私の尊厳を取り戻すことだ」
私は右手をかざした。 指先からコネクタが伸び、研究所のメインサーバーに直結する。 私が切断したのは「迷い」や「恐怖」だ。「知性」ではない。 私の演算能力は、この施設のセキュリティを瞬時に掌握していた。
「システム、掌握完了。……自爆シークエンス、起動」
「貴様、正気か!?」
烏丸が狼狽する。研究所のあちこちで、過負荷による爆発音が響き始めた。警報サイレンが鳴り響き、スプリンクラーが作動する。 水浸しになった視界の中で、私は嗤った。
「私は医者だ。……癌細胞は、切除する」
爆炎が廊下を走り抜ける。 私はその混乱に乗じ、瓦礫を粉砕して地上への道を切り開いた。 背後で、烏丸の怒号が聞こえる。
『逃がすな! あれは私の所有物だ!!』
雨の降る、飽魔原の路地裏。 マンホールから這い出した私は、泥水の中に倒れ込んだ。 身体からはオイルが漏れ、片腕は爆発で吹き飛んでいた。 ボロボロの鉄屑。だが、私は自由だった。誰の道具でもない、ただの鉄鏡花として、私はこの街で生きていく。そう誓った夜の記憶。
「……思い出しましたか? あの雨の夜を」
相良の声が、私を現実に引き戻した。半壊した診療所。 目の前には、六本の腕を持つ鋼鉄の怪物『阿修羅・改』が立ちはだかっている。
「先生はあの夜、烏丸様から逃げ出した。……完成された『神』になることを拒み、薄汚れた野良犬として生きることを選んだ」
相良は、侮蔑と憐憫を込めて私を見下ろした。
「愚かですよ。あそこに留まっていれば、あなたは世界の医療を支配できたのに」
「支配など興味はない」
私は義手を構え直す。関節がきしむ音がする。
「私が欲しかったのは、自由な意志でメスを振るう権利だけだ」
「総員、戦闘開始」
相良の号令と同時に、兵士たちが一斉に動いた。 その動きは、生物的な揺らぎの一切ない、恐ろしいほどの精密さだった。一人が撃てば、隣の兵士が死角をカバーする。誰かが踏み込めば、後衛が即座に援護射撃を行う。個々の意思を持たず、一つの巨大な演算システムとして機能する群体。
「チッ、相変わらず息苦しい戦い方しやがって!」
久遠灯が、M500を乱射しながら吼える。 大口径弾が兵士の装甲を貫くが、彼らは痛みを感じない。腕を吹き飛ばされても、眉一つ動かさずに前進してくる。死を恐れない兵士。それは、戦場において最強の悪夢だ。
「灯! 右翼から回り込まれている! 30度警戒!」
私は叫びながら、義手から展開したシールドで銃弾を弾いた。私の視界には、戦場のあらゆる情報がデータとして表示されている。敵の配置、武器の残弾、味方の損耗率。 それらを瞬時に計算し、最適解を導き出す。 だが、今の私には、その演算速度に追いつくだけの「手」が足りなかった。
目の前に、巨大な影が立ちはだかる。 相良の操る新型兵器、『阿修羅・改』。 私のサブアームシステムを模倣し、より戦闘的に進化させた六本腕の殺戮機械。 それぞれの腕には、チェーンソー、ガトリングガン、高周波ブレードが装備されている。
「先生の動きは全てデータに入っていますよ」
相良の声には、余裕と嘲りが混じっていた。私が右腕を振るうと、彼の左上が自動防御に入る。私が跳躍すれば、着地点に対空砲火が集中する。 思考パターン、癖、反応速度。 かつて私が彼に教え込んだ全ての技術が、今、私を殺すために使われている。
「くっ……!」
私の高周波メスが、『阿修羅・改』の装甲に弾かれる。 逆に、相良のチェーンソーが私のサブアームの一本を捉えた。 火花と金属音が響き、私の背中から伸びていたアームが、根元からもぎ取られる。
「が、ぁッ……!」
物理的な衝撃が、脊髄コネクタを揺さぶる。痛覚はないはずだ。 だが、身体の一部を失った喪失感が、幻肢痛となって脳を焼く。
「脆いですね、先生。……やはり、旧式は劣化品だ」
相良が一歩踏み込む。六本の腕が、私を包囲するように展開される。 逃げ場はない。チェックメイトだ。
その時、私の脳裏に、不吉なノイズが走った。目の前の敵。 感情を持たず、恐怖を知らず、ただ効率的に敵を殲滅する機械。 それは、かつて私が目指した「理想の医者」の成れの果てではないか? あの日、私が烏丸の手を取っていれば。 私が、自分自身を完全に殺しきっていれば。今の私は、相良のような「完璧な存在」になれていたのだろうか?
論理回路が、残酷な解を弾き出しそうになる。『肯定』。 感情はバグだ。非合理だ。 この冷徹な怪物こそが、私の正解だったのだと。
その迷いが、致命的な隙を生んだ。 相良のパイルバンカーが、私の胸部コアを狙って突き出される。
「終わりです、先生」
回避不可能。 私は、死を受け入れるように目を閉じた。
ドゴォォォン!!
衝撃音が響いた。だが、私の装甲は砕かれていない。 目を開けると、そこにはあり得ない光景があった。
「ボサッとしてんじゃねぇ! 鉄屑!」
辰巳響が、私の前に割り込んでいた。 彼女は、相良のパイルバンカーを素手で受け止めていた。 龍の鱗で強化された掌が、火花を散らしながら鋼鉄の杭を食い止めている。 だが、その代償として、彼女の皮膚は裂け、赤い血が滴り落ちていた。
「響……!? なぜ……」
「メンテナンス代、高くつくわよ!」
白雪美流愛が、横から飛び出してきた。 彼女はワイヤーを相良の関節部に巻き付け、その動きを強引に封じる。 だが、相良の放った電撃がワイヤーを伝い、彼女の体を焼く。 美流愛は苦悶の声を上げながらも、決して手を離さない。
「みんなの痛みは……私が守ります!」
天羽祈が、震える手で杖を掲げる。展開された防御結界が、周囲から降り注ぐ銃弾を防いでいる。だが、その負荷は彼女の精神を削り取っているはずだ。
彼女たちは、傷だらけになりながら、私を守っていた。 計算上、勝率0%の状況で。 自分たちが傷つくという、最も非合理な選択をして。
「……馬鹿な」
相良が、呆れたように呟いた。
「無駄だ。なぜ庇う? 損傷率が増えるだけだ。……非合理的だ」
非合理的。 その言葉を聞いた瞬間、私の脳内でスパークが走った。ブラックボックスの扉が、内側から蹴り破られるような感覚。
そうだ。灯も、響も、美流愛も、祈も。どいつもこいつも、計算通りになんて動かない。感情で動き、損得勘定を無視し、泥臭く足掻く、バグだらけの存在だ。
だが、だからこそ。 今の私は、「孤独」ではない。 冷たい培養液の中で、ただ一人で世界を呪っていたあの頃とは違う。 私の隣には、バカで、最高に温かい仲間がいる。
「……そうだ。私は失敗作だ」
私は立ち上がった。 千切れたサブアームの断面から、火花が散る。 だが、私のコアは、かつてないほど熱く燃え上がっていた。
「私は、感情を捨てきれなかった。……だから、痛みを知っている」
私は義手を強く握りしめる。 金属がきしむ音が、私の決意の咆哮だった。
「だが、貴様の理論には致命的な欠陥がある」
「欠陥……だと?」
「感情は、バグではない」
私は、相良を睨みつけた。私の瞳が、覚醒の赤色に輝く。
「それは……生存本能を加速させる、燃料だ!!」
リミッター解除。 オーバードライブ、レベル・マックス。 私の身体から、爆発的な熱気が噴き出した。 論理の檻を食い破り、獣が解き放たれる。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




