第十四話「鋼鉄のヒポクラテス」2
第二章 悪魔の設計図
大学病院の研究棟、最上階。 夜の静寂に包まれた教授室で、私は一人、論文の査読に没頭していた。窓の外には、建設中のアシュラツリーが、未完成の鉄骨を夜空に晒している。 まだ赤い航空障害灯もなく、ただの巨大な墓標のようにそびえ立つそれを、私はいつも不吉な予感と共に見上げていた。
コンコン。
控えめだが、確かな意志を感じさせるノックの音が響いた。 アポイントメントはない。 だが、この時間にここを訪れることができるのは、特別なIDカードを持つ人間だけだ。
「どうぞ」
顔を上げると、一人の男が立っていた。 仕立ての良いダークスーツに身を包んだ、長身痩躯の青年。 年齢は私と同じくらいだろうか。 整った顔立ちをしているが、その肌は陶器のように白く、瞳は底知れない深淵の色をしていた。 怜悧な美貌。だが、それ以上に私の注意を引いたのは、彼の周囲に漂う独特の空気だった。 消毒液の匂いでも、薬品の匂いでもない。 古い紙と、お香のような香り。
「初めまして、鉄鏡花先生」
男は、優雅な所作で一礼した。
「私は烏丸保憲。内閣府・科学技術顧問を拝命しております」
烏丸。 その名を聞いた瞬間、私は眉をひそめた。 医学界の人間ではない。政府の裏側で暗躍する、特殊な部門の人間だという噂を聞いたことがある。
「内閣府の顧問が、こんな一介の外科医に何の用ですか?」
「一介の、とは謙遜が過ぎますね。『神の手』を持つ若き天才に」
烏丸は、手に持っていた革製のファイルを私のデスクに置いた。
「単刀直入に言いましょう。……君の技術を、買いたいのです」
「私の腕は安売りしていませんよ。オペの依頼なら、正規の手続きを」
「オペではありません。……開発です」
烏丸がファイルを開く。 そこには、見たこともない複雑怪奇な設計図が描かれていた。 人体の解剖図をベースにしているが、そこに重ねられているのは機械的な回路図と、梵字のような呪術的な記号だった。神経系と電子回路の融合。 骨格と強化金属の置換。 そして、脳髄に直接接続される、制御用の術式コード。
「……何ですか、これは」
私は設計図を凝視した。 それは、医療器具の図面ではない。兵器の設計図だ。
「『科学的式神』構想」
烏丸は、歌うように言った。
「古来より、この国は『異形』の脅威に晒されてきました。陰陽師や退魔師たちが結界を張り、式神を使役して守ってきましたが……もはや限界です。現代の怪異は、より複雑に、より強力に進化している」
彼は窓の外、アシュラツリーを指差した。
「人間は脆い。妖怪や呪いに抗うには、肉体を鋼鉄と術式で強化するしかない。……我々は、人間の脳で制御されながらも、人外の膂力と耐久性を持つ『新しい器』を求めているのです」
彼の瞳が、熱っぽく輝く。
「素晴らしい腕だ、鉄先生。君の精密な執刀技術があれば、生体組織と機械部品の拒絶反応を極限まで抑え、この理論を実現できる。……人類は、『器』の限界を超えられるのです」
「……そのために、生きた人間を改造しろと?」
「ええ。適性のある素体は用意します。君はただ、メスを振るえばいい」
狂気だ。 この男は、人間をただの部品としか見ていない。 医療の皮を被った、冒涜的な実験。
私は立ち上がり、設計図を乱暴に閉じた。バサリ、という音が、拒絶の意志を示す。
「お断りします」
私は冷徹に告げた。
「私は医者だ。命を救うためにメスを握っている。兵器を作るためではない」
「おや。……命を救う、ですか」
烏丸は、口元に冷ややかな笑みを浮かべた。
「君の手で救える命など、たかが知れているでしょう? 一日に数人。一生かかっても数万人。……ですが、この技術が完成すれば、数百万、数千万の市民を怪異から守ることができる。これこそが、究極の『救命』ではありませんか?」
「詭弁だ」
私は烏丸を睨みつけた。
「それは『守る』ことじゃない。『殺す』ための力を増やすことだ。……痛みを伴わない救済など、私は信じない」
烏丸の表情から、笑みが消えた。 室内の温度が、急激に下がった気がした。 彼の纏う空気が、静寂な夜の闇よりも深く、重くなる。
「……残念ですね」
彼は、ファイルをゆっくりと回収した。
「君なら、理解してくれると思ったのですが。……やはり、凡俗な倫理観に縛られた『人間』でしたか」
「帰ってください。二度と私の前に現れないで」
私はドアを指差した。烏丸は、肩をすくめて踵を返した。だが、ドアノブに手をかけたところで、彼は振り返らずに言った。
「救う? ……君は何もわかっていない」
その声は、呪いのように低く、私の鼓膜にこびりついた。
「力なき正義など、無意味だということを。……君がどれほど命を愛し、守ろうとしても、圧倒的な暴力の前では、その『神の手』も無力だ」
「……何が言いたいのですか」
「予言ですよ」
烏丸は、私の方を向いた。 その瞳は、私を見ているようでいて、私の背後にある「死」を見ているようだった。
「残念だ。君のその『神の手』も……いずれ脆く崩れ去るだろう」
ガチャリ。 ドアが閉まる。部屋には、私一人だけが残された。 だが、烏丸が残していったお香のような匂いだけが、いつまでも消えずに漂っていた。
不吉な予感。私の手を見る。震えてはいなかった。 だが、この温かい手が、いつか冷たい鉄屑に変わる未来を、私はまだ知る由もなかった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




