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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
千年の黄昏(ミレニアム・トワイライト)編

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第十三話「影の執行者たち」1

第一章 浅修羅の黄昏


 東帝都(トウテイト)の北東部。 墨堕川(すみだがわ)の、その名の通り墨汁を流したような濁流が大きく蛇行し、海へと注ぐその手前に、時代から取り残されたような街がある。下町エリア――浅修羅(アサシュラ)


 ここは、極彩色のネオンが網膜を焼く神宿(シンジュク)や、電子信号のノイズが降り積もる飽魔原(アキマバラ)とは、決定的に「湿度」が異なっていた。 路地裏には、戦後の闇市がそのまま化石化したような木造長屋が密集している。 軒先には色褪せた赤提灯が揺れ、どこからか三味線の乾いた音色と、重低音の電子ビートが不協和音を奏でる祭囃子が聞こえてくる。 腐りかけの木材と、安っぽい線香、そして川から漂うドブの臭いが混じり合った、懐かしくもむせ返るような生活臭。


 だが、その猥雑な下町の風景を、圧倒的な質量で圧殺している存在があった。


「……相変わらず、悪趣味な塔だ」


 久遠灯(くおん あかり)は、咥え煙草のまま空を仰いだ。 鉛色の雲を突き破り、天へと伸びる巨大な鉄の墓標。 高さ800メートルを誇る電波塔、『アシュラツリー』。


 六本の鋼鉄の支柱が、絡み合う蛇のように螺旋を描いて上昇し、その頂点は三つの突起に分かれている。 それは、街を見守る守護神のようでもあり、あるいはこの土地の心臓に突き立てられた、巨大な呪いの(パイル)のようでもあった。 塔の表面には無数の航空障害灯が点滅し、黄昏時の空を不吉な赤色で染め上げている。


 この街は、表向きは観光地であり、下町情緒を残す居住区だ。だが、その裏の顔は、古参の妖怪や、人間に化けてひっそりと暮らす異形たちが、互いに身を寄せ合って生きる「隠れ里」でもある。 法からも、光からも見放された者たちの、最後の聖域。


「灯さん。……視線を感じます」


 背後で、天羽祈(あもう いのり)が不安げに呟き、自身の肩を抱いた。 彼女のオッドアイは、路地裏の闇に潜む「彼ら」の気配を敏感に感じ取っているのだ。 マンホールの下、古井戸の底、屋根裏の隙間。無数の目が、よそ者である私たちを警戒し、そして観察している。


「気にするな。ここはそういう街だ」


 灯はコートの襟を立て、迷路のような路地を慣れた足取りで進んでいく。その背中には、いつもの飄々とした空気はなく、微かな焦燥が滲んでいた。


 目的の場所は、路地の最奥にあった。 墨堕川の土手沿いに建つ、古い木造の平屋。軒先には色褪せたガチャガチャのマシーンと、子供用の遊具が放置されている。 駄菓子屋『猫の目』。


 店主は、この街で数百年生きている猫又の老婆、「タマ婆」だ。 彼女は、ただの妖怪ではない。 浅修羅の裏社会における情報の結節点(ハブ)であり、灯にとっては、1000年の孤独の中で数少ない「昔話」ができる古い友人だった。 不味い茶を啜りながら、変わっていく街と、変われない自分たちについて愚痴をこぼす。 そんなささやかな時間が、灯にとっては救いだったのかもしれない。


 だが。


「……閉まってる?」


 辰巳響(たつみ ひびき)が、怪訝な声を上げた。 店のシャッターは下りていた。 錆びついた鉄板には、「本日休業」の張り紙すらない。 タマ婆は、年中無休が信条だ。「アタシが休んだら、ガキどもの小遣いが行き場をなくしちまう」と笑っていた彼女が、何の告知もなく店を閉めるなどあり得ない。


「……灯、嫌な予感がする」


 鉄鏡花(くろがね きょうか)が、義眼のサーモグラフィモードを起動させる。 シャッターの向こう側。熱源反応はない。 だが、微かな電気的ノイズを検知している。


「開けるぞ」


 灯は躊躇わなかった。 指先に力を込め、施錠されたシャッターを無理やりこじ開ける。 ガギギ、という金属の悲鳴と共に、鉄板が巻き上げられた。


 店内には、夕暮れの光が差し込んだ。 そして、5人は言葉を失った。


 そこには、日常が「切断」された痕跡があった。


 ちゃぶ台の上には、飲みかけの茶碗が二つ。湯気はもう出ていないが、中身はまだ蒸発しきっていない。 奥の座敷では、古びた扇風機が、首を振りながらカタカタと回り続けている。 テレビはついたままだ。ニュースキャスターが、無音で何かを喋っている。


 争った形跡はない。 棚の商品が散乱しているわけでも、血痕が残っているわけでもない。ただ、そこにいたはずの「(あるじ)」の気配だけが、綺麗に、あまりに鮮やかに消滅していた。


「……夜逃げじゃねえな」


 灯が、店の中へと足を踏み入れる。彼女はちゃぶ台の上の茶碗を手に取り、その底に残った茶の温度を確かめた。 冷たい。だが、埃は被っていない。 数時間前までは、ここに誰かがいて、誰かと茶を飲んでいたのだ。


「引越しでもねえ。……これは」


 灯の目が、店内の「違和感」を捉える。 それは神隠しと呼ぶにはあまりに即物的で、そして事務的な消失だった。


「……臭うな」


 響が鼻を鳴らし、顔をしかめた。 彼女は龍神としての嗅覚で、空気中に残留する異質な粒子の匂いを嗅ぎ取っていた。


「猫の獣臭じゃねぇ。……もっと人工的な、鼻の奥がツンとする臭いだ」


 響は、壁の一角に近づく。 そこには、奇妙な焦げ跡が残されていた。 直径数センチの円形の染み。 だが、それは火で炙られたものではない。 壁紙の模様が、その円の部分だけ、分子レベルで分解され、消失しているのだ。


「無臭の消毒液。……それと、微かなオゾンの匂い」


 響が指先でその跡をなぞる。


「科学的なレーザーによるものでも、単なる火によるものでもねぇ。……何らかの術式によって、空間ごと削り取られたような痕跡だ」


「……術式?」


 祈が、怯えたように周囲を見回す。彼女の魔眼には、この店内に漂う「白い(もや)」が見えているのかもしれない。 それは悪意の黒色ではなく、感情の一切ない、無機質な執行の残滓。


「最近、この辺りで『掃除』が流行ってるらしいわよ」


 入り口で見張りをしていた白雪美流愛(しらゆき みるあ)が、低い声で言った。 彼女の手には、情報屋からくすねてきたタブレット端末が握られている。


「裏の掲示板でも話題になってる。『戸籍のない連中が、音もなく消えている』って」


 美流愛は、画面を灯に見せた。 そこには、新知事・氷室(ひむろ)の就任演説の動画が再生されていた。 端正な顔立ちをした若き知事は、爽やかな笑顔でこう語っている。


『東帝都の治安維持こそが、私の使命です。……街の汚れは、徹底的に浄化しなければなりません』


「……浄化、か」


 灯は、タマ婆が愛用していたキセルを拾い上げ、強く握りしめた。 古びた竹の感触。 そこにはまだ、彼女の生活の温もりが残っているような気がした。


「治安維持の名目で、人外狩りを始めたってことか」


 灯の声には、静かだが抑えきれない怒りが滲んでいた。 『箱庭の揺り籠』のような狂信的なカルトではない。 マフィアのような金目当ての暴力でもない。 法と秩序。 正義という名のシステムによる、冷徹な「事務処理」。


「……来るぞ」


 鏡花が、鋭く警告を発した。 彼女の聴覚センサーが、遠くから近づいてくる規則正しい足音を捉えていた。 それは、軍靴の音。 個人の足音ではない。統率された集団の、一つの生き物のような行進音。


「お出ましだ。……この街の、新しい掃除屋どもがな」


 灯はM500を構え、夕闇の路地を見据えた。 アシュラツリーの赤い光が、監視する巨大な目のように、彼女たちを見下ろしていた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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