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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第十二話「夜明けの彼岸花」1

第一章 硝子の棺、あるいは子宮


 上昇する密室の中で、私たちは泥のように沈黙していた。高速エレベーターが空気を切り裂く風切り音だけが、鼓膜を圧迫する。 重力が、傷ついた肉体を床へと押し付けてくる。だが、それ以上に重いのは、これから対峙する「完成された世界」への嫌悪感だった。


 私たち5人の体は、神宿(シンジュク)の汚泥と、自分たちが流した血と、他人の脂汗でコーティングされている。 それは、この清潔すぎるタワーに対する冒涜的な異物だ。けれど、久遠灯(くおん あかり)は、その汚れを誇るように胸を張っていた。 S&W M500のシリンダーには、最後の一発――『解毒コード弾』が装填されている。 たった一発の希望。あるいは、絶望への引導。


 チン、と軽やかな電子音が鳴った。最上階。展望フロア。扉が左右に滑るように開く。


 その瞬間、肌を刺したのは、絶対零度に近い精神的な冷気だった。


「……うわ」


 白雪美流愛(しらゆき みるあ)が、生理的な不快感に顔をしかめる。 そこは、もはや私たちが知る展望台ではなかった。 かつては透明なガラス張りだった空間が、今は青く発光する結晶体によって埋め尽くされていた。床も、壁も、天井も。 鍾乳洞のように垂れ下がる鋭利な結晶が、呼吸をするように明滅している。 それは『青い涙(ブル・ティアーズ)』の高純度結晶だ。 タワー全体が巨大な増幅器となり、御堂の意思を物理的な質量へと変換し、この空間を侵食していたのだ。


「……まるで、硝子の棺だな」


 灯が吐き捨てるように呟く。 青い光の乱反射が、網膜を焼き、遠近感を狂わせる。 その空間の中央。世界を見下ろす玉座があるべき場所に、巨大な円筒形の培養槽が鎮座していた。


 満たされているのは、高濃度の培養液。 そしてその中心に、一人の男が胎児のように浮遊していた。


造園家(ランドスケープ)』、御堂 蓮(ミドウ レン)


 彼は、白衣を脱ぎ捨てていた。 痩身の肉体には、無数のチューブとケーブルが直接突き刺さり、培養槽の外へと伸びて、タワーの基幹システムと融合している。彼はもはや人間ではない。 この巨大な散布装置(システム)を稼働させるための生体CPU。 自らを人柱とし、全人類の意識を統合するための贄となっていたのだ。


『――おかえりなさい、私の愛しい欠落(バロック)たち』


 声が響く。 スピーカーからではない。周囲の結晶体が共振し、空気そのものを震わせて、直接脳内に語りかけてくるような重層的な響き。


 培養槽の中で、御堂がゆっくりと瞼を開いた。 その瞳孔は白濁し、個としての自我は希薄に見えた。だが、そこにある慈愛だけは、狂気的な純度を保っている。


『やはり、あなた方は拒絶しますか。この温かい羊水を』


「羊水、だと?」


 灯は、カツカツと靴音を鳴らして結晶の床を踏みしめ、培養槽へと肉薄する。彼女は、ガラス越しに御堂を睨みつけた。


「笑わせるな。ここは寒すぎる。……長居したら風邪を引きそうだ」


 灯はわざとらしく身震いし、血の混じった唾を床に吐き捨てた。 その赤い染みだけが、この青一色の世界で唯一の「色彩」だった。


『寒い、ですか。……それはあなたが、まだ「個」という殻に閉じこもっているからです』


 御堂の意識が、タワーのモニターを一斉に起動させた。壁面を埋め尽くす無数のスクリーンに、現在の東帝都(トウテイト)の様子が映し出される。


 路上の人々。 家の中で寄り添う家族。 病院のベッドで苦しんでいた老人。 彼らは皆、青い雨に打たれ、あるいは室内に充満したガスを吸い込み、穏やかな表情で停止していた。 争いはない。略奪もない。飢えも、寒さも、孤独もない。ただ、満ち足りた寝顔だけが、都市を埋め尽くしている。


『外を見てごらんなさい。……誰も傷つかず、誰も奪い合わず、穏やかに眠っている』


 御堂の声が、恍惚と震える。


『これこそが人類の到達点。……私が設計した、完璧な「箱庭」です』


「……ふざけないで!」


 天羽祈(あもう いのり)が叫んだ。 彼女は杖を握りしめ、涙目でモニターを睨みつける。


「それは幸せじゃない! ……ただの停止です! 明日が来ないなら、それは死んでるのと同じです!」


『停止こそが永遠です』


 御堂は、諭すように微笑んだ。培養液の中で、彼の手が優雅に動く。


『変化は劣化(ロスト)を生む。希望は失望を連れてくる。愛は憎しみに変わる。……時間という残酷な流れの中で、人間は腐敗していくしかない』


 彼の論理は、ある意味で真理だった。 鉄鏡花(くろがね きょうか)の論理回路でさえ、彼の言葉を「効率的な解」として認識しかけるほどに。 だが、鏡花は自身の義手を強く握りしめ、その論理を否定する。 変化しないデータに、価値はないと知ったからだ。


『あなた方は、なぜそこまでして拒むのです? ……なぜ、わざわざ傷つくために生きるのですか?』


 御堂の問いかけは、純粋だった。 彼は本気で理解できないのだ。なぜ、泥水をすすり、痛みに耐え、不味い飯を食う日常を選んだのか。完璧な夢の中で、永遠に満たされる道があったというのに。


 灯は、S&W M500を構えた。 重厚な銃身が、培養槽のガラスにカチリと当たる。 その振動が、御堂の鼓膜に届く。


「傷つくために生きるんじゃない」


 灯は静かに、けれど腹の底から響く声で言った。


傷跡(きず)を眺めて……『それでも生きてきた』と笑うために生きるんだ」


 灯の脳裏に、1000年分の傷跡が蘇る。 失った恋人。死別した戦友。裏切られた記憶。その全てが痛みであり、その全てが彼女を形作る年輪だ。 傷がない人生なんて、何も書かれていない白紙の本と同じだ。 そんなものを、彼女は「生」とは認めない。


「私たちは、傷だらけの欠陥品だ。……だからこそ、お前の用意したツルツルの硝子細工じゃ、サイズが合わねえんだよ!」


『……残念です』


 御堂が目を伏せた。 それは、聞き分けのない子供に対する、諦めと憐憫の表情だった。


『理解し合えないのなら……排除するしかありません。この箱庭の静寂(ハーモニー)を守るために』


 ゴゴゴゴ……ッ。


 不穏な地響きが、タワー全体を揺らす。 御堂の背中から伸びる無数のケーブルが、生き物のように脈打ち始めた。それらは束ねられ、絡み合い、巨大な多頭の蛇となって鎌首をもたげる。青い結晶が、ケーブルの表面を覆い、鋭利な装甲へと変わっていく。


 交渉決裂。言葉の時間は終わった。 ここからは、互いの存在(エゴ)を懸けた、殺し合いの時間だ。


「来るぞッ!!」


 灯の叫びと同時に、御堂と一体化したタワーそのものが、私たちに牙を剥いた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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