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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第十話「枯れかけの花(リコリス)」2

第二章 硝子の靴はサイズが合わない


 白い霧の中。『箱庭の揺り籠』が用意した完璧な夢の中で、彼女たちは「理想の自分」として生きていた。だが、その完璧さこそが、彼女たちの歪んだ魂(バロック)を刺激する毒薬となる。


 放課後のカラオケボックス。タンバリンの音と、流行りのラブソング。私は、マイクを握って歌っていた。友人たちが手拍子をしてくれている。


「美流愛ちゃん、上手いね!」


「プロみたい!」


(……プロ?)


 違う。 これはプロの歌じゃない。誰かの心を揺さぶり、支配し、熱狂させるための「武器」じゃない。 ただの、下手くそな女子高生のカラオケだ。


 私は歌うのを止めた。 友人たちの首筋を見る。無意識に、頸動脈の位置を確認している自分に気づく。 あそこを突けば、声帯を潰さずに殺せる。 あそこを切れば、出血多量で静かに死ぬ。


(……何考えてるの、私)


 手にしたマイクが、あまりに軽すぎる。人を絞殺するためのワイヤーの重みが、指に食い込む痛みが恋しい。


 鏡を見る。そこに映っているのは、汚れのない制服を着た、普通の少女。笑顔は可愛い。完璧に可愛い。でも、その瞳の奥には何もない。空っぽだ。


「……違う」


 私は呟く。


「私は、こんなに綺麗じゃない。……もっと汚くて、ズルくて、残酷で……」


 私は鏡を殴りつけた。 ヒビが入る。 そこに映った歪んだ顔の方が、よっぽど私らしかった。


 診察室。 私は、また一人の患者を完治させていた。


「ありがとうございます、先生!」 患者が私の手を握る。温かい。生きている。私の手は、冷たい機械ではなく、柔らかな皮膚に覆われている。


(……完璧だ)


 診断ミスもない。手術の失敗もない。全ての命が救われ、誰も死なない世界。だが、私の脳内で冷徹な計算機が囁く。


『エラー。エントロピー増大の法則に反している』


 死のない世界。それは、更新されないデータと同じだ。 変化がなく、喪失がなく、ゆえに「生きる意志」も希薄な世界。ここにいる人間たちは、ただ呼吸をしているだけの有機人形だ。


(……退屈だ)


 私はメスを置いた。 故障のない機械に、修理屋はいらない。 死のない世界に、医者はいらない。


 私は、自分の左手首にメスを当てた。 スッ、と切る。 赤い血が流れる。温かい。痛い。でも、違う。 私が求めているのは、この温もりじゃない。冷たくて、正確で、痛みさえも数値化できる、あの鋼鉄の身体だ。


「……私は、鉄鏡花だ」


 私は血塗れの手で、白衣を脱ぎ捨てた。


 神殿の奥。 私は、美しい着物を纏い、玉座に座っていた。 足元には、村人たちがひれ伏している。 供物は山積みだ。最高級の酒、肉、果物。


「水神様、お納めください」


 長老が恭しく頭を下げる。 だが、誰も私と目を合わせない。 誰も、私に話しかけない。 ただ「神様」という機能として崇めているだけだ。


(……つまんねぇ)


 私は供物の果物を齧った。 甘い。最高級品だ。でも、味がしない。


 脳裏に、あの不味い味が蘇る。学校の屋上で、美咲と飲んだタピオカミルクティー。 人工甘味料の味。プラスチックのストローの感触。


『響ちゃん、味覚おじいちゃんみたいだもんね』


 あいつは、私を神様としてではなく、「響」として見てくれた。


「……いらねぇよ、こんなもん!」


 私は供物を蹴散らした。神殿の柱が崩れる。


「誰もアタシを『響』って呼ばねぇ世界なんて……クソ食らえだ!」


 私は立ち上がる。背中から、雷鳴のような咆哮が迸った。


 光溢れる教会。透さんが、私を抱きしめている。


「しふぁちゃん、大好きだよ」


 彼の笑顔は、あの時と同じ「純白」だ。 一点の曇りもない善意。


 でも、その瞳には私が映っていない。 彼が見ているのは、「理想の天使」としての私。 傷一つなく、汚れておらず、誰も憎まない聖女。


(……違う)


 私は、そっと彼の腕を解いた。


「透さん。……私は、天使じゃないよ」


「何を言ってるんだい? 君は天使だ。僕の天使だ」


「違う! 私は悪魔でもあるの! 汚くて、弱くて、すぐにリストカットしちゃうメンヘラなの!」


 私は、自分の手首を見た。 そこには傷跡がない。ツルツルの綺麗な肌。 それが、猛烈に気持ち悪かった。


「傷がない私は、私じゃない!」


 私は、近くにあった燭台を倒した。炎が燃え広がる。 完璧な箱庭が、業火に包まれていく。


「私は……私が犯した罪も、痛みも、全部背負って生きていくの!」


 夢の世界に、ノイズが混じり始める。


 ビジジ、ザザッ。


 美しい風景に、亀裂が入る。


 どこからか、匂いが漂ってくる。 安っぽくて、辛気臭くて、肺を汚すだけの煙草の匂い。「わかば」。 灯さんがいつも吸っている、あの不味い煙草。


 そして、音が聞こえる。 調子っぱずれの鼻歌。鍋パーティの時に、灯さんが酔っ払って口ずさんでいた、古いブルース。


『♪~生きることは、死ぬまでの暇つぶし~』


 最低な歌詞だ。 でも、その声は温かかった。作り物の楽園にはない、泥臭い体温。


「……灯さん」


 4人の意識が、同時に共鳴する。あそこには、まだ戦っている馬鹿がいる。傷だらけで、血まみれで、それでも私たちを守ろうとしている、不器用な吸血鬼が。


「……帰らなきゃ」


 美流愛が、制服のリボンを引きちぎる。


「……修理が必要だ」


 鏡花が、自分の腕を突き破り、機械の骨格を露出させる。


「……腹減った!」


 響が、空に向かって中指を立てる。


「……待ってて!」


 祈が、燃え盛る炎の中へ飛び込む。


 パリーンッ!!


 世界が砕け散る音がした。 幸福な夢は、彼女たち自身の「歪み(バロック)」によって内側から食い破られた。


 現実世界。地下鉄の廃駅。


「がはっ……!!」


 美流愛が跳ね起き、激しく嘔吐した。続いて響、祈、鏡花も、次々と覚醒し、胃の中身をコンクリートの床にぶちまける。 甘ったるい夢の残滓を、身体が全力で拒絶しているのだ。


「オェ……ッ、はぁ、はぁ……」


 全員、顔色は最悪だ。 涙と鼻水と泥にまみれ、美しさの欠片もない。 アイドルも、神様も、聖女もいない。ただの、生き汚い「人間」の姿。


 その光景を見て、久遠灯はニヤリと笑った。 口の端から血を流しながら、最高に意地の悪い顔で。


「おはよう、寝坊助ども。……いい夢は見れたか?」


 彼女の手には、S&W M500が握られていた。だが、そのハンマーは下ろされている。 撃つ必要はなかった。 彼女たちは、自分の力で帰ってきたのだ。 この、最高に不味くて、愛おしい地獄へと。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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