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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第九話「楽園の庭師」1

第一章 バベルの螺旋


 東帝都(トウテイト)の空が泣いている。 だが、その涙は透明な悲しみではなく、粘着質な「慈悲」の色をしていた。


 青い雨。 台風一過の夜空から降り注ぐそれは、街灯の光を吸い込み、微かに燐光を放ちながらアスファルトを濡らしていた。 雨粒の一つひとつに、高純度に精製されたドラッグ『青いブル・ティアーズ』が溶け込んでいる。 それは大気を媒介する麻酔であり、都市という巨大な生き物を強制的に安楽死させるための鎮静剤だった。


 神宿(シンジュク)から御門区(ミカドク)へ向かう首都高速『龍脈(ドラゴンライン)』。普段なら、テールランプの赤い川が流れる大動脈も、今夜は墓場のように静まり返っている。 乗り捨てられた車両の列。運転席には、ハンドルに突っ伏したまま動かないドライバーたちの姿がある。 彼らは死んでいるのではない。 ただ、あまりに深い幸福の中で、呼吸をするのさえ忘れてしまっただけだ。 窓ガラス越しに見えるその横顔は、母親の胎内で眠る赤子のように穏やかで、そして絶望的に空虚だった。


「……静かすぎる」


 沈黙を破ったのは、辰巳響(たつみ ひびき)だった。 彼女は走行するバンの窓から身を乗り出し、雨に打たれる街を見下ろしている。龍神である彼女の肌は、この雨に含まれる微弱な魔力を感じ取り、粟立っていた。


「いつもの煩ぇクラクションも、酔っ払いの喚き声もしねぇ。……まるで、街ごとホルマリン漬けにされたみたいだ」


「比喩ではない。事実だ」


 ハンドルを握る鉄鏡花(くろがね きょうか)が、無機質な声で応じる。彼女の義眼は、フロントガラス越しの景色をサーモグラフィと生体反応モニターで解析し続けていた。


「現在、東帝都の生体活動反応は著しく低下している。……このまま雨が降り続けば、あと数時間で全人口の80パーセントが『不可逆的な睡眠』状態へ移行するだろう」


「つまり、全員がお陀仏ってことか」


 助手席で足を組んでいた久遠灯(くおん あかり)が、S&W M500のシリンダーを確認しながら吐き捨てた。 彼女は、手元の「わかば」の箱を握りつぶす。火をつける気にもなれない。この湿った空気の中では、煙草の火さえも窒息してしまいそうだ。


「ふざけた野郎だ。……気に入らねえ奴をぶっ殺すならまだわかる。だが、これはなんだ? 全員まとめて幸せにしてやるだと? 傲慢にも程がある」


 灯の怒りは、静かだが高温だった。 彼女は千年の時を生き、数多の悲劇と理不尽を見てきた。だが、これほどまでに一方的で、これほどまでに「善意」に満ちた虐殺は見たことがない。痛みも苦しみもなく、ただ甘い夢の中で溶けていく死。それは、生きることへの最大の冒涜だ。


「……灯さん」


 後部座席の隅で、天羽祈(あもう いのり)が膝を抱えて震えていた。 彼女のオッドアイは、街を覆う異様な「色」に耐えられず、固く閉じられている。


「空が……真っ白なんです。善意の色で、埋め尽くされてて……。息が、できない……」


「見なくていい。……目を開けるのは、全部終わってからだ」


 隣に座る白雪美流愛(しらゆき みるあ)が、祈の肩を抱き寄せる。 その手つきは優しかったが、美流愛自身の瞳は、氷河のように冷たく凍てついていた。 彼女は知っている。 この「作られた幸福」が、いかに残酷で、空虚なものであるかを。かつて彼女自身が、組織という箱庭の中で与えられていた偽りの平穏と同じだからだ。


「見えてきたぞ」


 鏡花の声が鋭くなる。 雨のカーテンの向こう。 御門区の中心にそびえ立つ、巨大な塔。 かつては電波塔として、今は街を支配する権力の象徴として君臨する真紅の鉄塔。


『バベル・タワー』。


 新興宗教『箱庭の揺り籠』の本拠地であり、この雨を制御している中枢。 その赤色は、青い雨に濡れて、どす黒い凝血のように見えた。


「……行くぞ、野郎ども」


 灯がドアに手をかける。 バンが急停止するのと同時に、彼女たちは雨の中へと飛び出した。


 タワーの周辺は、異様な光景が広がっていた。 バリケードのように積み上げられた車両。 その隙間を埋めるように配置された、無数の人影。 彼らは全員、白衣のようなレインコートを纏い、手には最新鋭のアサルトライフルや、呪術的な紋様が刻まれた杖を持っていた。


『箱庭の揺り籠』の武装信者部隊――通称「庭師(ガードナー)」。


 彼らは、路上の市民たちのように眠ってはいない。だが、その瞳は同様に虚ろで、焦点が合っていなかった。 脳内を『青い涙(ブル・ティアーズ)』で満たされ、恐怖も痛みも、そして個としての自我さえも去勢された、生ける自動人形。 ただ「楽園(エデン)」を守るためだけに機能する、忠実な防衛システム。


「排除しますか?」


 美流愛が、ドレスの袖からマイクロフィラメント・ワイヤーを引き抜く。 雨粒が、鋼鉄の糸に当たって弾ける。


「当たり前だ。……どけと言って退くような連中じゃねぇ」


 灯がM500を構える。 その瞬間、「庭師」たちが一斉に反応した。 号令はない。集合的無意識による統率。 数百の銃口が、彼女たちに向けられる。


「邪魔だ、どけぇッ!!」


 咆哮と共に、先陣を切ったのは辰巳響だった。彼女の全身から、青白い雷光が迸る。 固有能力『竜王顕現(ドラゴン・バースト)』――限定解放。雨に濡れた地面は、彼女にとって最高の導電体だ。


 バリバリバリバリッ!!


 響が地面を叩きつけると、高圧電流が波紋のように広がり、バリケードごと「庭師」たちを吹き飛ばした。 感電した信者たちが、糸の切れた操り人形のように舞う。


「アタシの通り道を塞ぐんじゃねぇ!」


 響が開いた突破口へ、美流愛が影のように滑り込む。固有能力『殺戮舞踏(デス・ワルツ)』。 銃弾の雨を、紙一重のダンスで回避しながら、彼女は敵の懐へと潜り込む。 ワイヤーが閃き、正確無比に武器を持つ手首や、アキレス腱を切断していく。 殺しはしない。彼らもまた、洗脳された被害者だからか?いや、死体が増えれば足場が悪くなるからだ。彼女の動機はあくまで合理的で、冷徹だった。


「システム侵入(ハッキング)開始。……セキュリティ・ゲート、強制開放」


 鏡花は戦場の後方で、自身の脳とタワーのシステムを直結させていた。彼女の視界には、現実の光景に重ねて、無数のコードとファイアウォールが映し出されている。 物理的な弾幕と、電子的な防壁。その両方を同時に処理しながら、彼女はタワーへの道を切り開く。


「来ます……! 上空、三時方向!」


 祈が叫ぶ。 彼女の魔眼が、敵の増援――空中から降下してくるドローン部隊の殺意を予知したのだ。 祈は杖を掲げ、即座に防御結界を展開する。空中に浮かび上がった幾何学模様の光壁が、降り注ぐ掃射を受け止める。


「灯さん、今です!」


「おうよ!」


 灯が、結界の隙間から身を乗り出した。 狙いは、ドローンではない。その奥、エントランスを守る重厚な防爆扉の制御盤。 距離、百メートル。雨と風による偏差。 吸血鬼の動体視力にとっては、止まっているも同然だ。


 ズドン!!


 轟音。 500S&Wマグナム弾が、雨粒を蒸発させながら一直線に飛び、制御盤を粉砕した。 火花が散り、ロックが解除される。 重い扉が、うめき声を上げて開き始めた。


「乗り込むぞ!」


 5人は、泥水を蹴立てて疾走する。 背後から迫る「庭師」たちの追撃を、響の雷撃が薙ぎ払う。 怒りと焦燥、そして言葉にできない不安に駆られながら、彼女たちは「楽園」の入り口へと飛び込んだ。


 タワーの内部に足を踏み入れた瞬間、彼女たちを包んだのは、予想外の静寂だった。


 外の暴風雨も、戦闘の喧騒も、厚い壁に遮断されて聞こえない。広大なエントランスホールは、まるで巨大な病院の待合室のように、白一色で統一されていた。 床も、壁も、天井も。 継ぎ目のない純白の素材で作られており、塵一つ落ちていない。 そこには、敵の姿も、罠の気配もなかった。


「……なんだ、ここは」


 灯が警戒を解かずに周囲を見回す。 壁には、宗教画やスローガンといったものは一切飾られていない。 代わりに描かれているのは、複雑な数式と、DNAの二重螺旋構造図。 そして、壁面に埋め込まれた水槽の中には、ホルマリン漬けにされた人間の脳髄が、規則正しく並べられていた。


 狂気的なまでの清潔さ(クリーンネス)。 それは、信仰の場というよりは、巨大な実験室のようだった。


「生体反応なし。……監視カメラの稼働も確認できない」


 鏡花が怪訝そうに呟く。 これほどの中枢施設が無人であるはずがない。 まるで、招かれているような不気味さ。


 その時。 ホールの中央にあるエレベーターの扉が、音もなく開いた。 チン、という軽やかな到着音が、静寂の中で不釣り合いに響く。(ケージ)の中は空っぽだ。


『――ようこそ、調律師の皆さん』


 天井のスピーカーから、穏やかな声が降ってきた。 ノイズのない、クリアな音声。 テレビ越しに聞いた、あの男の声だ。


『お待ちしておりました。どうぞ、最上階へ』


 御堂蓮(ミドウ レン)。 『造園家(ランドスケープ)』と名乗る、この狂った箱庭の主。


「……罠、だよね?」


 祈が不安げに灯の袖を掴む。灯は、エレベーターの奥にある闇を睨みつけた。


「だろうな。……だが、招待状を受け取らなきゃ、パーティは始まらない」


 彼女はM500をホルスターに戻し、迷うことなく歩き出した。それに続く4人。 全員が、覚悟を決めていた。物理的な罠なら、力でねじ伏せればいい。 だが、この先で待っているものが、もっと質の悪い「何か」であることを、彼女たちの本能は予感していた。


 エレベーターに乗り込む。 扉が閉まり、密室となる。浮遊感と共に、箱は上昇を始めた。


 静かだ。 あまりに静かすぎて、自分たちの鼓動の音だけが、耳障りなほどうるさく聞こえた。階数表示の数字が増えていく。 地上から離れるにつれて、現実感さえも剥離していくような錯覚。


 天国への階段か、それとも断頭台へのリフトか。硝子の街を見下ろすバベルの頂で、造園家は鋏を持って待っている。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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