第七話「魔女たちのシチュー」3
第三章 不味いシチューの作り方
「行くぞ、野郎ども!!」
久遠灯の号令が、雨と鉄錆の匂いが充満する倉庫に轟いた。 それは、孤高を貫いてきた吸血鬼が、千年の時を経て初めて「群れ」を率いた瞬間の咆哮だった。
「こっちだ、肉団子!」
灯が正面から地を蹴る。 彼女は防御など考えない。両手を広げ、怪物『融合』の注意を一心に集めるビーコンとなる。無数の触手が槍衾のように彼女を襲い、その腹を、肩を、太腿を深々と貫く。鮮血が舞う。だが、彼女は止まらない。肉が裂ける端から再生し、傷口から噴き出す血の霧『血の晩餐』を目くらましにして、泥臭く前進する。 痛みを感じない不死身の肉壁。 その背中が、後続の者たちに「道」を示していた。
「痛いの痛いの……飛んでいけぇっ!!」
天羽祈が、震える手で拾った鉄パイプを杖代わりに振るう。 灯にかけられたのは、細胞分裂を過剰ブーストさせる支援魔法。 同時に、彼女のオッドアイが明滅する。左目の悪魔が嗤い、右目の天使が祈る。 デタラメな重力操作が怪物の足元の瓦礫を浮き上がらせ、その巨体のバランスを崩させる。
「邪魔よ」
白雪美流愛が、崩れた瓦礫を駆け上がる。 フリルのスカートを翻し、重力を無視した軽業師のように宙を舞う。 銀色のワイヤーが閃光のように走り、怪物の全身に点在する眼球のような感覚器官を次々と切り裂いていく。 視界を奪われた怪物が、苦悶の声を上げて暴れる。
「消えなッ!!」
辰巳響が両手を天に突き上げる。天井の大穴から、暗雲を切り裂いて極太の雷柱が落下した。それは味方である灯をミリ単位で避けて怪物だけに直撃し、そのブヨブヨとした肉体を瞬時に炭化させる。再生能力を阻害する、神の雷。怪物の動きが止まり、黒焦げになった装甲が剥がれ落ち、中心核が脈打つように露出する。
「……排除する」
鉄鏡花が、その一瞬の隙を突く。 右腕のパイルバンカーから高圧蒸気が噴き出す。出力リミッター解除。 彼女はロケットのように加速し、露出したコアに向かって突撃した。
「砕けろぉぉぉぉッ!!」
ズドン!!
鋼鉄の杭がコアを貫き、内部で炸裂した。怪物が断末魔を上げ、形を保てなくなり、ドロドロに溶け崩れていく。倉庫全体を揺るがす大爆発。 炎と衝撃波が、夜明け前の湾岸を焦がした。
雨音だけが残された。 屋根はなくなり、壁も半分以上が吹き飛んでいる。私たちは煤と泥、そして怪物の返り血にまみれ、ボロボロになって生き残った。 肩で息をしながら、互いを見合う。 共通の敵を倒した高揚感と、なんとなく「殺し合う気」が失せた脱力感が漂っていた。
ウゥゥゥゥ……。
遠くから、パトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえた。この惨状だ。警察も、下手をすれば軍も嗅ぎつけてくるだろう。
灯が懐から、ひしゃげた「わかば」の箱を取り出し、中身が空だと気づいて舌打ちする。
「……最悪の夜だ。仕事は失敗、報酬はゼロ。おまけに服は穴だらけ」
彼女は全員を見回し、肩をすくめた。
「ここでお別れして各個撃破されるか、それとも俺の隠れ家でマズい酒でも飲むか。……どっちだ?」
その提案は、あまりに唐突で、そしてこの状況には不似合いなほど日常的だった。 だが、不思議と誰も拒絶しなかった。 私たちは本能的に悟っていたのだ。 今夜、この場所で出会ったことには、運命じみた何かがあるのだと。
場所は変わり、神宿の路地裏。 雑居ビルの屋上に増築されたプレハブ小屋――後の『Akari Detective Studio』となる場所。中は段ボールと酒瓶が散乱しており、お世辞にも人が住める環境ではなかった。
「……汚」
響が素直な感想を漏らし、適当なパイプ椅子に座り込む。 美流愛はハンカチを敷いてからソファの端に座り、鏡花は無言で部屋の四隅をスキャンしている。 祈だけが、申し訳なさそうに部屋の隅で縮こまっていた。
「悪いな。客を呼ぶ予定なんてなかったもんでね」
灯は冷蔵庫からトマトジュースと、安物のウイスキー、そして缶ジュースを数本取り出し、テーブルにドンと置いた。
「好きなのを飲みな。……さて、乾杯といくか。生き残ったことに」
グラスはない。全員、ボトルや缶のまま口をつける。 奇妙な沈黙が流れた。 互いに名前も知らない。数時間前までは殺し合おうとしていた相手だ。
口火を切ったのは、灯だった。
「私は久遠灯。しがない傭兵……ま、金で雇われる鉄砲玉さ。見ての通り、死にぞこないの吸血鬼だ」
彼女はトマトジュースにウイスキーを垂らしながら、自嘲気味に笑った。
「平安の世から1000年、この街の底を這いずり回ってる。……お前らみたいな『はぐれ者』を見るのは、嫌いじゃない」
その視線が、美流愛に向けられる。15歳の少女は、血のついたドレスのまま、オレンジジュースをストローで啜っていた。
「……白雪美流愛。15歳」
彼女は感情の籠もらない声で言った。
「職業は……掃除屋。組織からは『最高傑作』なんて呼ばれてるけど……ただの、よくできた自動人形よ」
「人形……?」
祈が息を呑む。美流愛は無表情のまま続けた。
「そう。殺すのも、笑うのも、歌うのも……全部プログラムされた通りに動くだけ。この服だって、次の潜入任務のための衣装。……自分の意思なんて、最初からないわ」
彼女の言葉には、深い諦念と虚無が滲んでいた。「最高傑作」という言葉は、自慢ではなく、自分を縛り付ける呪いの言葉として吐き出された。
「でも、今日は初めて『命令』以外で動いたわ」
美流愛が、微かに拳を握りしめる。怪物にワイヤーを巻き付けた時の、あの高揚感。誰かの指示ではなく、自分の意思で引き金を引いた感触。
「組織に戻れば、私はまた廃棄されるまで使われるだけの道具になる。……だから、帰りたくない」
「なら、ここにいればいい」
灯が短く言った。
「人形ごっこは終わりだ。ここなら、好きなだけ暴れさせてやる」
「……給料、弾んでよね」
美流愛が初めて、年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべた。 それは、プログラムされた営業スマイルではない、彼女自身の素顔だった。
次は、鏡花だった。 彼女は自分の機械化された腕を撫でながら、冷静に語り出した。
「鉄鏡花。元・外科医だ。……かつては神の手と呼ばれたが、今は見ての通り、全身を機械に変えたフランケンシュタインだ」
彼女の義眼が、哀しげに明滅する。
「私は、命を救いたかった。だが、人間の体はあまりに脆く、不便だ。だから私は、自分自身を捨てた。感情も、痛みも、全て切り離して……完璧な医療機械になろうとした」
だが、と彼女は言葉を詰まらせる。
「……だが、今日わかった。計算だけでは守れない命がある。……貴様らのような、非合理の塊のような連中といる方が、私の演算機能は正常に働くらしい」
「へえ、ヤブ医者にしては殊勝な心がけじゃん」
響がニヤニヤと笑い、空になったコーラの缶を握りつぶした。
「アタシは辰巳響。このあたりの水神……ま、龍だよ。普段はJKやってるけどな」
彼女は窓の外、雨に煙る神宿の夜景を指差した。
「アタシはずっと一人だった。何千年もの間、川底から人間どもを見下ろしてた。……退屈だったんだよ。どいつもこいつも弱くて、すぐに死んじまう」
響の瞳孔が、一瞬だけ爬虫類のように縦に裂ける。
「でも、アンタらは違う。頑丈だし、面白ぇ。……アタシの暇つぶし相手には丁度いいかもな」
強がりの中に隠された、神ゆえの孤独。灯はそれを察し、無言で響に新しいコーラを投げ渡した。
そして最後。 全員の視線が、部屋の隅の少女に集まる。
「あ、あの……」
祈はビクッと身を震わせ、消え入りそうな声で言った。
「天羽……祈、です。……天使と悪魔の、ハーフです」
彼女は、リストバンドで隠された手首をさすった。
「私、どこに行っても嫌われるんです。天使からは『汚らわしい』って言われて、悪魔からは『半端者』って言われて……。人間には、気味悪がられて……」
彼女のオッドアイから、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「今日だって……私が視えちゃうせいで、みんなを巻き込んで……。私なんて、いない方がいいんです……」
「バカ野郎」
灯の声が、祈の言葉を遮った。彼女は立ち上がり、祈の頭にポンと手を置いた。
「お前の魔法がなきゃ、私は今頃ミンチになってたぞ」
「え……?」
「ここにいる連中を見てみろ。……吸血鬼、殺人人形、サイボーグ、龍。どいつもこいつも、まともな『人間』の枠からはみ出した欠陥品だ」
灯は全員を見回し、ニヤリと笑った。
「正円の真珠にはなれない。歪んで、尖って、誰かを傷つけちまう。……だがな、歪んでるからこそ、噛み合うこともある」
彼女は窓際に行き、雨に濡れた一輪の花を指差した。プランターに植えられた、季節外れの彼岸花。 毒々しくも鮮やかな赤色が、雨の中で揺れている。
「彼岸花。別名、死人花。……毒があって、不吉で、誰からも忌み嫌われる花だ。だが、私にはこいつが、どんな花よりも美しく見える」
灯は振り返り、私たちに告げた。
「行き場がないなら、ここで咲けばいい。毒を喰らわば皿までだ。……どうだ? 私たちで、この腐った街の毒になってやるってのは」
『リコリス・バロック』。 歪んだ真珠と、毒の花。 その名は、誰が口にしたわけでもなく、自然と私たちの間に落ちてきた。
「……悪くないわね」 美流愛が呟く。
「非合理的だが……興味深い」 鏡花が眼鏡を直す。
「ケッ、毒食うなんて悪趣味だねぇ。ま、付き合ってやるよ」 響が笑う。
「私……私でも、咲けますか……?」 祈が涙を拭い、顔を上げる。
灯は満足げに頷き、グラスを掲げた。
「ようこそ、クソッタレな世界へ。……乾杯だ、共犯者ども」
カチン、と乾いた音が響く。不味い酒とジュースの味。泥と血の臭い。けれど、冷え切った体を温めるには十分な、熱を持ったシチューの味がした。
こうして、硝子の街に、五輪の歪な花が咲いた。 それは、どんな暴風雨にも折れることのない、最強の根を張った瞬間だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




