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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第六話「北の魔都、血と臓物の迷宮(ラビリンス)」2

第二章 解体工場の哲学


 トラックのテールランプが闇に溶け、重厚なシャッターが閉ざされる。 その僅かな隙間を、私たちは影のように滑り抜けた。


 地下深くに隠されたそこは、かつて食肉加工場として使われていた施設だった。壁に染み付いた獣脂の臭いは、強力な換気システムによって薄められているものの、完全に消し去ることはできていない。その古びた獣の臭いに、薬品特有のエタノール臭と、むせ返るような鉄の臭い――鮮血の芳香が上書きされている。


「……趣味が悪いわね」


 私は眉をひそめた。天井が高い。無機質な水銀灯が、広大なフロアを青白く照らし出している。空間を支配するのは、規則正しい機械の駆動音だ。 ウィーン、ガシャン。ウィーン、ガシャン。 ベルトコンベアが動いている。 かつては牛や豚の枝肉が吊るされていたであろうフックには、今は別の「家畜」が掛けられていた。


「な……っ!?」


 隣で、響が息を呑む気配がした。流れてくるのは、トラックに詰め込まれていた子供たちだ。獣の耳を持つ者、肌に鱗を持つ者、額に角を持つ者。彼らは麻酔で意識を奪われ、裸にされ、洗浄され、部位ごとに選別されるのを待つ「素材」としてラインに乗せられていた。


 ここは処理施設ではない。解体工場だ。 人間の形をしたものを、部品へと還元するための冒涜的な祭壇。


 私たちは物陰に身を潜め、その光景を凝視した。ラインの先には、ガラス張りの無菌室がある。 そこで行われているのは、あまりに手際の良い「作業」だった。 白衣を着た作業員たちが、生きたままの子供たちにメスを入れる。 悲鳴は上がらない。声帯が切られているのか、あるいは強力な筋弛緩剤のせいか。 摘出されるのは、心臓、眼球、そして脳髄。 魔力を宿した亜人の臓器は、ただの移植用パーツではない。ドラッグ『青い涙(ブル・ティアーズ)』の精製過程において、魔術的な効力を増幅させるための「生体触媒」として、裏社会でダイヤモンド以上の高値で取引されるのだ。


「……おい、美流愛」


 響の声が、地獄の底から響くような低音で震えていた。


「まだか。……まだ、暴れちゃダメなのかよ」


「待ちなさい。ボスを確認するわ」


 私は冷静さを保とうと努めた。だが、胃の腑が焼けるように熱い。 かつて私がいた組織でも、ここまで即物的な命の扱いはしていなかった。ここでは、命に尊厳も物語もない。ただのグラムいくらの肉塊だ。


 無菌室の中央。 一段高い場所にある手術台に、一人の男が立っていた。 白衣は返り血で赤黒く染まり、まるで前衛芸術のようになっている。 銀縁の眼鏡をかけ、知的な風貌をした初老の男。手際よくメスを操り、子供の胸を開いているその姿は、狂気を感じさせないほどに理性的で、事務的だった。


 葛城(かつらぎ)。 元・東帝都大学医学部の教授であり、遺伝子工学の権威。 数年前、禁忌とされる人外との交配実験を行い、学会を追放されたマッドサイエンティスト。 彼こそが、この工場の責任者だ。


「……そこまでよ、葛城教授」


 私は隠れるのをやめ、無菌室のドアを蹴り開けた。 ガラスが粉砕される音と共に、消毒された冷気が漏れ出す。 作業員たちが驚いて手を止める中、葛城だけは動じなかった。彼は摘出したばかりの小さな心臓を、丁寧に保存容器へと収めると、ゆっくりとこちらを振り返った。


「おや。……予約の患者さんかな? だが、ここは小児科専門でね」


 葛城は、血のついたゴム手袋を外しながら、穏やかな口調で言った。 その目には、侵入者に対する恐怖も、罪悪感の色もない。あるのは、研究対象を見るような、冷徹な好奇心だけだ。


「テメェ……! よくも……!」


 響が私の横をすり抜け、葛城に掴みかかろうとする。だが、葛城は指をパチンと鳴らした。天井から、数体の異形が落下してくる。 『青い涙』によって強化された、キメラの護衛たちだ。 響は舌打ちし、バックステップで距離を取る。


「野蛮だね。せっかくの神聖な手術(オペ)室が台無しだ」


 葛城は嘆息し、手術台の上の子供――腹を裂かれたまま絶命している少女を一瞥した。


「何が神聖だ。……お前がやってるのは、ただの虐殺だろ」


 響が牙を剥く。 彼女の全身から、抑えきれない龍のオーラが立ち昇り、室内の電子機器をショートさせていく。


「虐殺? 心外だな」


 葛城は眼鏡の位置を直し、諭すように語り出した。


「彼らは人間ではない。戸籍もなく、納税の義務も果たさず、ただ社会の暗部に寄生する『怪物(モンスター)』だ。……君たちと同じようにね」


 彼の視線が、私と響を交互に見る。


「だが、彼らにも利用価値はある。彼らの臓器は、魔力を秘めた素晴らしい触媒となる。それを使えば、不治の病に苦しむ人間たちを救う特効薬が作れるのだよ」


 葛城は両手を広げ、演説をぶった。


「考えてもみたまえ。ドブネズミのような怪物の命ひとつで、未来ある人間の命が救われる。……多数の人間を救うために、少数の怪物を犠牲にする。これこそが功利主義に基づいた、純然たる正義ではないか?」


「正義だと……?」


 響の喉から、雷鳴のような唸り声が漏れる。


「テメェの勝手な理屈で、命に値段をつけてんじゃねぇ! 弱え奴を食い物にするのが正義かよ! そんなもん、ただのクズの言い訳だ!」


 響にとって、命の価値は等価ではないかもしれない。 だが、それは強者が弱者を一方的に蹂躙していい理由にはならない。 彼女は龍だ。自然界の頂点に立つ存在だ。だからこそ、「生きるための捕食」と「欲望のための虐殺」の違いを、本能で理解している。


「感情論だね。知性がない証拠だ」


 葛城は冷笑し、私を見た。


「君ならわかるだろう? 君もまた、合理的判断の元に命を奪うプロフェッショナルだ。……私の行いは、社会全体の幸福量を最大化するための、必要なコストだと思わないか?」


 私は、葛城の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。 その奥にあるのは、信念ではない。自己正当化と、歪んだ選民思想だ。


「……一つ、聞かせなさい」


 私は静かに口を開く。


「その『特効薬』とやらで、誰が救われるの?」


「もちろん、それを必要とする人々だ。富める者、権力を持つ者、選ばれた者たち。……彼らが長生きし、健康であれば、社会はより豊かに、強固になる」


「そう」


 私はため息をついた。 期待外れだ。狂気にも、美学がない。


「つまり、ただの金儲けってことね」


 私は冷ややかに断じた。


「ペラペラの正義なんて語らないでよ。聞いてて反吐が出る」


「な……」


「人類のため? 笑わせないで。あなたはただ、自分の研究欲を満たしたいだけ。そして、金持ちに媚びを売って、自分の地位を確立したいだけ」


 私は、懐から改造ペンライトを取り出した。 ジャキッ、と音を立てて、光刃が展開される。


「私にとって、信念のない殺人はただの作業(ルーチンワーク)よ。……でもね」


 私の脳裏に、かつて私を「道具」として扱った大人たちの顔がよぎる。 私の人生を奪い、心を殺し、ただの人形に作り変えた連中。 葛城の顔が、奴らと重なる。


「子供を犠牲にして、自分だけ安全な場所に座っている『大人』はね……」


 私の殺意が、氷点下まで冷え込む。 これは仕事ではない。 私刑(リンチ)だ。


「私の粛清対象(ブラックリスト)の、最上位にあるのよ」


 私は隣の響を見た。 彼女はもう、限界だった。 髪が逆立ち、肌の表面に青白い稲妻が走っている。 今にも爆発しそうな核弾頭。安全装置(セーフティ)を外すのは、私の役目だ。


「響」


 私は短く呼んだ。


「……暴れていいよ。許可する」


 その言葉を待っていたかのように。 響の口元が、獰猛に吊り上がった。


「言われなくても!!」


 轟音。 響の足元の床が爆ぜた。 彼女の背中から、龍の幻影が立ち昇る。我慢の時間は終わりだ。 ここからは、理屈の通じない暴力の時間。


「テメェのその腐った正義ごと、消し炭にしてやるよ!!」


 響が咆哮し、雷光が工場内を白く染め上げた。硝子の街の調律師たちが奏でる、血と雷の協奏曲が幕を開ける。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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