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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし
箱庭の揺り籠(ガーデン・オブ・クレイドル)編

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第六話「北の魔都、血と臓物の迷宮(ラビリンス)」1

第一章 水と油のパ・ド・ドゥ


 北の魔都、逝袋(イケブクロ)。 その地表を覆うのは、腐ったシロップのような粘着質な酸性雨だが、地下数百メートルに広がる巨大な迷宮――通称『袋の底(アンダー・バッグ)』には、雨音さえ届かない。ここを支配しているのは、地上から隔絶された圧迫感と、絶え間なく響く地下鉄の轟音、そして巨大な換気ダクトが吐き出す生暖かい熱風だ。空気は澱み、何かが焦げ付いたような鉱物油の臭いと、下水の腐臭が混じり合い、鼻腔の粘膜にへばりつくような悪臭を放っている。


「……最悪。私の鼻、腐り落ちそうなんだけど」


 私はハンカチで口元を覆いながら、汚水溜まりを避けて歩いた。 お気に入りのローファーが汚れるのを極端に嫌い、つま先立ちで進むその様は、泥濘(ぬかるみ)の上でバレエを踊っているかのように見えるかもしれない。 だが、その内実は優雅さとは程遠い。私の内面は今、不快指数が限界を突破し、純粋な殺意へと変換されつつある。


「ああん? んなちまちま歩いてっから遅えんだよ。ほら、もっと大胆に行けって」


 私の数メートル先を、ガサツな足音を立てて歩く影がある。辰巳響(たつみ ひびき)。 彼女は水溜まりなどお構いなしに、スニーカーでバシャバシャと飛沫を上げている。跳ねた泥が、彼女のルーズソックスを汚しているが、本人は気にする素振りもない。


「ちょっと、響! 足音うるさい。ここが敵地だってわかってる?」


「うっせーな。コソコソすんの嫌いなんだよ。敵が出てきたら、全員ぶっ飛ばせば解決じゃん」


 響は振り返り、タピオカの代わりに咥えていた棒付きキャンディを噛み砕いた。ガリッ、という乱暴な咀嚼音が、静寂な地下道に響く。


「……あんたねえ」


 私は深い溜息をついた。 なぜ、私がこんな野蛮な自然災害(ドラゴン)と組んで、ドブさらいをしなければならないのか。 脳裏に、数時間前の事務所での光景が蘇る。


「――逝袋で、子供が消えている」


 神宿の探偵事務所『Akari Detective Studio』。紫煙が燻る薄暗い部屋で、久遠灯(くおん あかり)は一枚の写真をデスクに投げ出した。 写っていたのは、排水溝に詰まったゴミのような、小さな肉塊だった。 よく見れば、それは獣の耳を持った少年の死体であり、腹部が乱雑に切り裂かれ、中身が空っぽになっていた。


「亜人の子供だ。内臓を綺麗に抜かれて、ゴミとして捨てられていた」


 灯の声は、氷のように冷たかった。


「ここ一週間で、同様の遺体が三つも見つかっている。警察は『害獣駆除』として処理する気満々だが、被害者の親たちが泣きついてきた。……金はないが、命なら賭けるとな」


「臓器売買、ですか」


 私が眉をひそめると、ソファーで端末を叩いていた鉄鏡花(くろがね きょうか)が補足した。


「ただの移植用じゃない。人外の臓器、特に魔力を宿した心臓や眼球は、『青い涙(ブル・ティアーズ)』の精製触媒として高値で取引される。……需要がある限り、供給は止まらない」


「そこでだ、美流愛(みるあ)。お前に潜入調査を頼みたい」


 灯が私を指名した。それはいい。隠密行動は私の専門分野だ。だが、次の言葉が問題だった。


「相棒は、響。お前が行け」


「はあ!? なんでアタシが!?」


 タピオカを飲んでいた響が素っ頓狂な声を上げた。 私も同意見だ。


「灯さん、正気ですか? 隠密任務に、歩く拡声器みたいな響を連れて行くなんて」


「うるせぇ! 誰が拡声器だ!」


「鏡花は別件の解析で手が離せない。私も『箱庭』の動きを探るのに忙しい。……それに」


 灯は、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「響。今回のヤマは、お前の嫌いな『子供を食い物にする大人』だぞ? ストレス発散には持ってこいだろ」


「……チッ。痛いとこ突きやがって」


 響が舌打ちをする。 単純な挑発に乗るあたり、やはりこの女は単細胞だ。


「美流愛、お前は響の手綱を握れ。暴走させて街ごと吹き飛ばさないように、上手くコントロールするんだ。……できるな?」


 試すような視線。 私は溜息をつき、肩をすくめた。


「……追加報酬、弾んでくださいね」


 現実は、想像していたよりもさらに劣悪だった。 響の手綱を握る? 猛獣使い(ビースト・テイマー)の苦労が身に染みてわかる。この女は、手綱どころか鎖で縛り付けておかないと、どこへ飛んでいくかわからない。


「……静かに。気配がする」


 私は足を止めた。 思考を切り替える。ここからは仕事の時間だ。地下道の空気が変わった。前方、廃棄された地下鉄の操車場へと続くトンネルの奥から、微かな光源と、男たちの卑猥な笑い声が漏れ出している。


 私たちは物陰に身を潜め、様子を窺った。錆びついたレールの先、開けた空間には数台のトラックが停まっていた。 荷台には、「家畜」が満載されている。 ただし、牛や豚ではない。 獣の耳を持つ少年、肌が鱗に覆われた少女、あるいは背中に小さな翼が生えた幼子。「亜人」と呼ばれる、人外の子供たちだ。


 彼らは猿ぐつわを噛まされ、手足を結束バンドで縛られ、トラックの荷台に乱暴に放り込まれていた。 泣き叫ぶ元気もないのだろう。全員、薬で眠らされたようにぐったりとしている。 瞳には絶望すら浮かんでいない。ただ、空虚な闇だけが映っている。 あの写真の死体と同じだ。 彼らはこれから、部品として解体されるのを待つだけの肉塊だ。


「……おい、もっと詰めろ。あと三匹は入るぞ」


「へいへい。ったく、こいつら獣臭えな」


 作業をしているのは、迷彩柄のパーカーを着た男たちだ。彼らの背中には、不吉なエンブレムが刺繍されていた。行き止まりの道路標識に、髑髏(ドクロ)を重ねたデザイン。


逝止まり(デッド・エンド)』。


 逝袋の裏社会で、最近急速に勢力を伸ばしている愚連隊だ。 「人生の行き止まり」を自称する彼らは、未来のない刹那的な暴力を売り物にし、他者の未来を奪うことで自らの生を食いつないでいるハイエナどもだ。


「あいつら……!」


 隣で、響の体温が急激に上昇したのがわかった。彼女の瞳孔が縦に裂け、喉の奥から低い唸り声が漏れる。 子供をモノ扱いする光景に、龍としての逆鱗が刺激されたのだ。


「子供を……荷物みたいに……! 許せねぇ……!」


 響が激情に駆られ、飛び出そうとする。 私は舌打ちをし、袖口からマイクロフィラメント・ワイヤーを射出した。鋼鉄の糸が響の手首に巻き付き、その突進を強引に引き止める。


「離せ! 美流愛! 見てわかんねーのかよ!」


「バカなの? 今出ても囲まれるだけよ」


 私は響を壁に押し付け、耳元で囁くように、しかし冷酷に告げた。


「敵の数は二十以上。全員が重武装している。あんたが暴れれば、トラックは逃げるし、最悪の場合、人質が盾にされるわ」


「だからって、見過ごせってのかよ!」


「違う。……追跡するの」


 私はワイヤーを緩め、手元の発信機(ビーコン)をトラックの底面に向けて撃ち込んだ。 カキン、という微かな金属音と共に、吸着が完了する。


「アジトを叩く。元締めを潰さないと、こいつらは何度でも湧いてくるわ。……感情で動くんじゃない。一番確率の高い方法(ルート)を選びなさい」


 響はギリリと歯ぎしりをし、私を睨みつけた。 その瞳には、抑えきれない怒りの炎が渦巻いている。対する私の瞳は、南極の氷河のように凍りついているはずだ。


 かつて、私もそうだった。 暗殺組織という「箱」の中で、道具として扱われ、出荷されるのを待っていた日々。 だからこそわかる。 今ここで怒りに任せて暴れることが、子供たちにとって何の救いにもならないことを。 必要なのは、慈悲ではない。 確実な、殲滅だ。


「……チッ。わーったよ」


 響は乱暴に腕を振りほどき、フードを目深に被った。その拳は、白くなるほど強く握りしめられている。


「アジトに着いたら、全員ミンチにしてやる」


「ええ。許可するわ。……思う存分、暴れていい」


 トラックのエンジンがかかる。 重油の燃える排気ガスが、地下道の澱んだ空気をさらに汚していく。『デッド・エンド』の男たちが、獲物を得た捕食者の顔で運転席に乗り込む。 彼らは知らない。 自分たちが運んでいるのが、ただの商品ではなく、自らの破滅(デッド・エンド)を招く導火線だということを。


「行くわよ、響」


「指図すんな」


 私たちは影のように、トラックの後を追った。水と油は混ざり合わない。 だが、同じ方向へ流れることはできる。 その先にあるのが、地獄の釜の底だとしても。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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