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リコリス・ミッドナイト・ヘブン  作者: ネオもろこし


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第五話「雷鳴の放課後」2

第二章 雨に濡れたSOS


 東帝都の港湾地区、第三埠頭。 そこは、都市が吐き出した吐瀉物が最後に漂着する場所だ。 朽ち果てたクレーンが恐竜の死骸のように首を垂れ、積み上げられたコンテナの迷路には、潮風と重油、そして腐った魚の臭いが染み付いている。


 今夜、その空は異常な様相を呈していた。 どす黒い雲が渦を巻き、紫電が絶え間なく走り抜ける。雷鳴はもはや音ではなく、大気を震わせる物理的な圧力となって、地上のすべてを圧殺しようとしていた。


「……落ち着いて、響。あんたの怒りで、気圧配置が変わってる」


 隣を歩く白雪美流愛(しらゆき みるあ)が、呆れたように呟いた。彼女は純白のアイドル衣装ではなく、闇に溶け込む黒い戦闘服を身に纏っている。手には改造ペンライトではなく、消音器(サプレッサー)付きの拳銃が握られていた。


「うるせぇ。……これでも抑えてるんだよ」


 アタシは奥歯を噛み締めた。皮膚の下で、鱗が逆立ち、肉を突き破ろうとするのを必死で抑え込む。 アタシの正体は龍だ。感情の高ぶりがそのまま天候に直結する、災害そのものだ。 もし今、ここで本性を解放すれば、この埠頭一帯は高潮と落雷で地図から消滅するだろう。 だが、それでは意味がない。美咲みさきも一緒に消し飛んでしまう。


「美咲ちゃんの反応は、あの奥の倉庫。……第4倉庫よ」


 美流愛が携帯端末の画面を示す。地図上の赤い点が、点滅している。 それは美咲の恐怖の鼓動であり、アタシを誘い込むためのビーコンだ。


「わかってる。……行くぞ」


 アタシは一歩を踏み出す。 雨脚が強まる。 まるで、アタシの涙腺が決壊したかのように、激しい雨がアスファルトを叩きつけていた。


 第4倉庫。 錆びついたシャッターを、アタシは素手でこじ開けた。ひしゃげた金属が悲鳴を上げ、暗闇への入り口が口を開ける。


 中は、広大な空間だった。天井から吊り下げられた水銀灯が、チカチカと明滅している。 湿気た埃と、カビの臭い。そして、その奥から漂ってくる、鼻をつく甘い芳香。『青い涙(ブル・ティアーズ)』。 それも、極めて純度の高い、原液に近い濃度だ。


「……美咲!」


 アタシは叫んだ。 倉庫の中央。 スポットライトのように照らされた空間に、パイプ椅子が置かれていた。そこに、美咲が縛り付けられている。 制服は泥で汚れ、眼鏡はどこかに飛んでしまっている。 彼女の細い腕には、太い点滴のチューブが突き刺さり、青い液体が静脈へと流し込まれていた。


「う……うぅ……」


 美咲が呻く。 その首筋に浮かんだ「青い痣」が、心臓の鼓動に合わせて不気味に明滅している。血管が青く浮き上がり、彼女の生命力を蝕んでいるのが、視覚だけでなく、肌感覚として伝わってくる。 あれはただのドラッグじゃない。 龍脈のエネルギーを阻害し、神気を腐らせる呪毒が混ぜられている。


「素晴らしい天気だ、龍神よ」


 闇の奥から、拍手が響いた。靴音が近づいてくる。現れたのは、仕立ての良いチャイナスーツを着た長身の男だった。長い黒髪を後ろで束ね、手には象牙色の扇子を持っている。その顔には、爬虫類を思わせる冷たい笑みが張り付いていた。


 黒鱗幇(ヘイリンバン)の幹部にして呪術師、ウォン。


「お前の怒りが、この薄汚れた街を洗い流しているようだ。……実に美しい」


 ウォンは扇子を閉じ、美咲の肩に手を置いた。その指先には、長く伸びた爪があり、毒々しい紫色に塗られている。


「テメェ……その汚い手をどけろ」


 アタシの声が低く唸る。 周囲の空気がビリビリと震え、静電気が火花を散らす。


「おっと。あまり大きな声を出さないでいただきたい。……この娘の心臓は、とても弱い」


 ウォンは懐から、一本の短刀を取り出した。刀身に呪文が刻まれた、呪術刀。彼はその切っ先を、美咲の喉元にぴたりと当てた。白い皮膚が薄く切れ、赤い血が滲む。


「それに、この点滴を見てみろ。ただの『青い涙』ではない。我が組織が精製した、龍殺しの毒だ。……人間が浴びれば、魂ごと溶解する」


 ウォンは楽しそうに説明する。


「娘の命が惜しければ、抵抗を止めろ。……そして、その胸を裂き、肝を差し出せ」


「……やっぱり、(きも)狙いかよ。時代遅れのジジイどもが」


 アタシは拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、血が滴る。龍の肝。 それを食らえば不老不死になれるという、陳腐な伝承。 そんな迷信のために、美咲は巻き込まれたのだ。


「響……ちゃん……?」


 美咲が、うっすらと目を開けた。 焦点が合っていない。毒が回っているのだ。 それでも、彼女はアタシの方を見て、口元を動かした。


「逃げて……」


 掠れた声。


「逃げて……響ちゃん……。この人たち……変だよ……。響ちゃんのこと……怪物だって……」


 美咲の言葉に、アタシの心臓が跳ねた。 彼女は、気づいていたのか。 アタシが、ただの人間ではないことに。 普通なら、怖がるはずだ。気味悪がるはずだ。 なのに、彼女の瞳には恐怖の色がない。 あるのは、純粋な心配だけ。


「バカ野郎……。自分の心配してろよ……」


 アタシの目頭が熱くなる。 こんな状況で、アタシの身を案じるなんて。 人間っていうのは、どうしてこうも非合理的で、愚かで、愛おしい生き物なんだろう。


「感動的な友情だ」


 ウォンが嘲笑う。


「だが、神のくせに、たかが人間一匹のために命を捨てるか? ……我々の目的は、お前の肝だけだ。それを差し出せば、この娘は助かるかもしれんぞ?」


 彼は点滴のコックを捻ろうとする。流量が増えれば、美咲の小さな体は耐えきれずに崩壊するだろう。


 アタシは動けない。 力を使えば、この倉庫ごとウォンを消し飛ばすことなど、赤子の手をひねるより容易い。 雷撃一発で、彼を灰にできる。だが、その余波で、美咲も死ぬ。 龍の力は、破壊することには長けていても、何かを守るにはあまりに強大で、不器用すぎるのだ。


「……くっ」


 アタシは歯噛みする。 神の力なんて、何の役にも立たない。たった一人の友達さえ守れないなら、こんな力、呪いでしかない。


「どうした? 選択の余地などないはずだが?」


 ウォンが短刀を美咲の首に押し込む。 血が流れる。


 その時。 アタシの脳裏に、昨日の放課後の記憶がフラッシュバックした。 屋上の風。湿ったコンクリートの匂い。 そして、美咲と飲んだタピオカミルクティーの味。


『響ちゃん、味覚おじいちゃんみたいだもんね』


『ああん? 誰がおじいちゃんだ』


 甘ったるくて、人工的で、すぐに味がなくなってしまう、安っぽい黒い粒。 でも、あの一瞬。二人で笑い合ったあの時間だけは、何千年の時を生きたアタシの記憶の中で、どんな宝石よりも鮮烈に輝いていた。


 あれが、アタシの「愛」だ。 人間たちが必死に守ろうとする、くだらなくて、尊い日常。 それを守るためなら、心臓の一つや二つ、くれてやっても惜しくはない。


 アタシは、ゆっくりと息を吐いた。 肺の中に溜まっていた焦燥と殺意を、一度空っぽにする。 そして、スッと顔を上げた。


「……わかったよ」


 アタシは抵抗の構えを解いた。 全身から力を抜き、無防備な姿でウォンの前へと歩み出る。


「響……!?」


 後ろで控えていた美流愛が、驚いて声を上げる。アタシは彼女を手で制した。


「……上等だよ。くれてやるよ、アタシの肝くらい」


 アタシはウォンの目の前で立ち止まり、自分の胸を指差した。心臓の鼓動が、ドラムのように響いている。


「ほら、取れよ。……ただし、取り出し方はセルフサービスだぜ?」


 アタシはニヤリと笑った。 それは、敗北者の笑みではない。捕食者が、獲物を前に舌なめずりをする時の、獰猛な笑みだった。


「賢明な判断だ」


 ウォンが歓喜に顔を歪める。彼は美咲から離れ、短刀を構えてアタシに近づいてくる。勝利を確信したその瞳には、アタシの肝しか映っていない。


「では、いただくとしよう。……数千年の神秘を!」


 ウォンが短刀を振り上げる。 アタシは動かない。 だが、アタシの体内では、極限まで圧縮された雷気が、今まさに臨界点を突破しようとしていた。


(神様をナメんじゃねぇぞ、人間風情が。肝を食う前に、テメェのその薄汚い性根、黒焦げにしてやるよ。)


「来いッ!!」


 アタシの咆哮と同時に、倉庫の外で待機していた雷雲が、その腹を裂いた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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