ライブ配信に映り込んだ風景
都市伝説風の奇譚となる短編小説、第12話目となる今作は、新人俳優を扱ったお話です。
高校を卒業してから俳優の道へと進んだJは、二十歳となった今、ようやく大きなチャンスをつかんだ。公営放送でのドラマ出演が決まり、脇役ながらも注目される機会がやってきたからだ。所属事務所でもJのPR戦略に力を入れており、SNSを使ってのライブ配信も定期的にやるように言われたところだ。
(そういうのって面倒だけど……)
気乗りはしなかったが、やるしかなかった。
俳優と言っても、ただ演技力を磨けば良いというものではない。とにかく知名度を上げて、「この人をまたドラマで見たいな」と視聴者に思わせることが大事だ。きわどい水着姿でのグラビア撮影に応じてきたのも、このチャンスをつかむためだったと言えるだろう。それに比べれば、ファンを相手にしてのライブ配信の方がましかもしれないと思うことにした。
(それに……)
高校卒業と同時に家を出てから、本業ではほとんど収入を得られていない状況は苦しかった。バイトをしながらでは休む暇もなく、これなら、地元で大学でも行っていた方が良かったのではないかと悩むことがある。
若い女性が住むには適さないような、古い木造アパートでの生活からも早く抜け出したかった。すぐ近くには電車の線路や高速道路の陸橋があって騒々しく、とても良い環境とは言えない。なんとか成功を収めて、スタイリッシュなマンションへと引っ越したかった。
(ようし、そろそろ始めるか~)
意を決して、スマホをスタンドにセットした。
撮影用の照明もセットしたから、後は予定通りに進めるだけだ。
「ええっと、皆さん、こんにちは……」
Jは、スマホに向かっておそるおそる声をかけた。
視聴者は、最初は十数名だった。
だが、一瞬にして千名を超えた。
コメントが次々と流れていく。
(うわあ……)
Jは感激した。
フォロワーが一万人くらいの彼女にとっては想定以上の反応だった。多くが男性ファンのようだが、気乗りしないままでやってきたグラビア仕事にも意味があったのだと思えるほどの熱狂ぶりに、胸が熱くなった。
SNSでのライブ配信は、週一回のペースで定期的に続けた。ドラマの放送が始まるまでの期間限定ということにしているが、ファンとの距離が近づいた今となっては、このままずっとやっていいかなと思えるくらいだ。ただし、距離感の近さを出し過ぎるのは良くないと、事務所からは助言されている。タレントとは、視聴者から見て「雲の上の存在」と思わせることが大事だという。
(ライブ配信も、あと少しか~)
感慨深く思いつつ、今日のライブ配信を始めた。最初の頃に比べると使い勝手に慣れたこともあり、コメント欄に入る言葉を確認しながら、適切と思われる質問には答えていくようにしていた。そんな中、気になるコメントが入った。
―後ろの壁に貼っている絵って素敵だよね~
そんな指摘に、Jは首を傾げた。
配信は部屋で行っているが、背後の壁には何も貼っていない。だが、
―ずっと気になってたんだよね
―よくわかんないけど印象派とかいうやつ?
―Jちゃんはセンスあるわ~
他の視聴者からも同じようなコメントが続いている。
(ひょっとして、からかわれてる?)
最初はそう思ったJだが、彼らの言葉にそんな意図は感じられない。そもそも、こういう状況でからかわれる場合は、後ろに誰かがいるとかの霊的現象を思わせるものが定番だろう。絵を褒められるなど、まるで違うものだ。
(でも……、褒められてることに否定はできないよね……)
迷ったJは、絵についてのコメントは笑顔でスルーすることにした。そうしてライブ配信を無事に終えたところで、念のためにアーカイブ動画を確認してみた。普段はまったく見ていないが、今回ばかりは気になったからだが―
「え、これは!」
視聴者の指摘通りに、覚えの無い絵が背後に飾られていた。
ボンヤリとした風景画で、印象派と言われる油絵のようだ。
(ライブ配信とは違う動画なの?)
その点を疑ったが、アーカイブ動画に映っている自分の姿や言葉は、ライブ配信の時のままだった。要するに、背景に見える絵画が異なっているだけだ。よく見ると、壁の質も違うようだった。Jが住む安アパートの壁は、ホームセンターで売っていそうな、白い壁紙が貼られたものだ。だが、動画で確認できる壁は質感が異なり、同じ白色でも高級感が伝わってくるものだった。
アプリの機能により、背景を別のものに置き換えたり、エフェクトを付けたりする設定があることはJも知っている。だが、彼女はそのような設定を全く使っていなかった。
(これはいったい……?)
不思議な現象に、かすかな恐怖も感じた。
誰かに相談したいが、説明も難しい現象だった。
(とにかく、何も悪いことは起こってないし……)
そう割り切って、次のライブ配信も予定通りに行うこととした。
一ヶ月が経った。
ドラマに向けたPRライブ配信も、今回で最後となる。
ファンからの熱いコメントを眺めていると、
―後ろにある絵ってJちゃんが描いたの?
やはり、そんなコメントが入った。
(今日で最後だし、やってみるか……)
Jは覚悟を決めた。
「絵についてはですね……」
曖昧に答えつつ、背後を振り返った。
もちろん、そこには白い壁があるだけだが、
(この辺りだよね……)
アーカイブ動画で確認した位置に手を伸ばした。
すると―
(……え?)
視界が急に変わった。
何も無かったはずの壁に、あの絵が飾られている。
(いったい、ここは……)
視界に入る全てのものが、自分の部屋とは違っていた。壁もそうだが、家具にいたるまでがスタイリッシュなものだ。不思議に思っていると、
―ちくしょう……
背後から女の声が響いたので、Jは振り向いた。
すぐ後ろに、化粧が少し派手な女の姿があった。
恐ろしげな目でJを見ている。
「ひえっ……!」
思わず驚きの声を上げたJが視線をそらしたが、女は微動だにしない。
彼女が見ているのは、あの絵画らしかった。
そうして、その姿をよく見たJは、
(この人は……!)
すぐに気づかなかったのも仕方ない。
自分の姿を直接見るなど、初めてのことだからだ。
その女は、明らかに自分自身だった。
―あの男の言葉に惑わされなければ……!
女はうらめしげに言う。
自分で見ても、怨霊のような怖ろしさがある。
改めて部屋を眺めると、広々としたリビングだった。インテリアにも品があり、その様子はまさしく、Jが頭の中でイメージしていた「成功した自分にふさわしいライフスタイル」と言えそうなものだった。だが、そんな部屋に生きるはずの自分はなぜか、絶望しきった顔だ。
(これはいったい……)
不思議に思っていると、スマホの通知音が大きく響いた。
同時に、Jの視界には見慣れた部屋が広がっていた。ふと見ると、ライブ配信はいつの間にか終わっていた。アーカイブの動画を確認すると、ライブ配信中に通信エラーを起こした形で中断されており、Jが背後を振り返った瞬間で動画は終わっていた。
それから数ヶ月後、ドラマ撮影は無事に終わった。
すでに放映中の話についてはテレビ不調の時代に考えられない位の視聴率を記録し、脇役ながらも印象的な役を与えられたJは、またたく間に時の人となった。SNSのアカウントもフォロワー数が大きく増えている。番宣で出演したテレビ番組での評価も良く、大手企業からのCMオファーも来ているほどだ。
そんなJは、撮影終了の打ち上げとなるパーティー会場でも目立つ存在となった。最初は憧れるように見ていた俳優も、今では肩を並べる立場だと言えるほどに。
(ようやく夢が叶った……)
身に染みて思うJに、
「Jちゃん、どうしたの、深刻な顔して?」
共演した俳優のXが声をかけてきた。CMでもおなじみの彼は、撮影中にも世話になっている。まだ二十代だが、とても大人びているところに惹かれていた。
「Xさん、いろいろとありがとうございました」
「ううん、こちらこそ。ドラマも成功したし、本当に良かったね」
「ええ……」
Jは、ウットリとした声で応じた。
しばし語るうちに、
「そうだ、Jちゃんは部屋が殺風景だって悩んでたよね」
「ふふふ、そうなんです。笑っちゃうほどのボロアパートだから……」
「実はね、前に美術館へ行った時、ふと思い出してさ。で、こんな絵でも飾ったらいいんじゃないかって思って、買ってきたんだよね……」
そう言うや、Xは綺麗にラッピングされた商品を手渡してきた。
「え、でも……。高価な物を受け取るわけには……」
「あはは、心配しないで。これはレプリカだから安い物だよ。だから気にせず、中身を見てご覧よ……」
言われるがままに、Jは開けて見た。
真新しい額縁に飾られた絵は、有名な画家による風景画らしかった。
「……!」
その絵を見て、Jは驚きを隠すのに必死だった。
ライブ配信中に見た、不思議な光景を思い出す。
スタイリッシュな部屋に飾られていた風景画と同じ絵だった。
「いい絵だろう? 今度さ、二人で美術館にでも行こうよ……」
Xは甘い声で言う。
だが―
「うふふ、この絵は私よりも、奥さまにプレゼントすべきですね」
やんわりと拒む言葉と共に、Jはその品物をXに返した。
Xはすでに、有名な女優と結婚している立場だ。
「そうかい……」
苦笑しながら受け取ると、Xはそれ以上の誘い言葉を口にしなかった。
(危ないところだった……)
何の予備知識も無ければ、Jはその言葉にあらがえなかっただろう。それくらいにXは魅力的な男であり、彼との愛を、リスクを覚悟の上でも燃え上がらせてみたいと思わせるからだ。だが、そのルートを一歩でも歩めば―
(私は、せっかくつかんだチャンスを一瞬で失う……)
具体的な映像として見てしまったから、自らの破滅は容易に想像できた。あの時になぜ、自分の未来が見えたのかは分からない。だが、怨念にも似た後悔の念が時空を越えてきたのかもしれないと、Jには思えた。
「ありがとうね、もう一人の私……」
誰にも聞こえないような小声で、Jは独りごちた。
その後、Jはファンへのお礼を兼ねたライブ配信を久しぶりに行ってみたが、背景に幻の絵画が映り込むことは無くなったという。
最後までお読みいただき有りがとうございます。今作はややホラーテイストに近い形でまとめました。ジャンル分けが難しいですが、さまざまな作風の短編を書いていきます。