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父からの手紙〜お墓参り〜  作者: きむらきむこ
1/4

 1 手紙

自作エッセイ「寄る年波」の一部として書いたものですが、思うところあって独立したエッセイにしました。

 三年前の秋の夕方、仕事帰りの私はマンションのポストに寄り、黄色い二通の簡易封筒を手にしたのです。なにかな?と思って眺めるとなにやら懐かしい文字が…


 父の字で私の宛名が書いてありました。


 まず一番に思ったのは、いたずら?でした。私の父が亡くなって既に五年経っていたからです。


 もう一通の同じ黄色の封筒の差出人が妹でしたので、私はすぐに妹に連絡を取りました。


 「お父さんから手紙が届いてんけど、なんか知ってる?」から始まる会話を要約すると、妹と父は二十年前の東大寺企画の手紙のタイムカプセルに参加し、二人とも私宛に手紙を出した、とのことでした。


 父の手紙には、父が64歳であること。一生懸命に働いて、娘二人に恵まれたこと。そして孫も生まれたこと。二十年後の世の中を娘や孫たちと一緒に見たいが叶うだろうか?


 いつか長崎の五島列島に、もしくは沖縄の平和の礎に、今の時代のため戦った自分の父、きむこの祖父のお墓に参ってくれないだろうか?というようなことが書いてありました。


 手紙は、「明日、きむこの娘の小学校の初めての運動会に行きます。楽しみです」と締めくくられていました。


 そして、運動会にやってきた父は、そこで祖父の戦死後、五島列島で世話になった母方の伯父と数十年ぶりくらいに再会したのでした(父を含む三兄妹が祖父の実家に預けられて育ちましたが、祖母の実家も同じく五島にありました)


 この大伯父は、家系的な体質で心臓に穴が空いているにも関わらず兵隊に行き、無事に生きて帰り、大体100歳近くまで何故か神戸で一人暮らしをしていたようです。


 因みに祖母とうちの父も、心臓に穴が空いていました。穴の場所次第で、結構元気に過ごせたようです。


 大伯父の実家は五島列島にあり、家族もそこにいたはずなんですが、そういった事情は語られることなく、運動会から数年して亡くなられました。


 運動会のビデオに映る大伯父は、父と親子のように似ています。大伯父は祖母と似ていて、父は祖母似でしたから当然と言えば当然ですが。


 亡くなって五年経って、過去からお墓参りをして欲しい、と父に頼まれた私は、こうして五島列島へお墓参りの旅に出ることになったのでした。



 私の父は五人兄妹の長男で、祖母は戦後父を含む上の三人を祖父の実家に預け、下の二人を連れて再婚しました。

祖父母は五島列島の同じ集落の出身でしたので、父はどちらの実家とも親戚付き合いをしていたようです。詳しくは語られなかったのですが、育ててもらった反面「捨てられた子」として扱われた事もあったようです。



 妹からの手紙は私宛ではありましたが中身は姪(妹の長女)宛でありました。二十年後に妹が何処に住んでいるか見通しが立たなかったので、私宛にしたそうです。

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― 新着の感想 ―
そんな手紙が届いたら。イタズラかと思いつつ本物とわかると、涙が溢れそうですね。 捨て子の意味、そんな使われ方もあるのですね。 事情はともあれ、子供には辛い言葉ですね。 続き、楽しみです!
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