五話「学びこそ力なり」
「お姉様、グロリアバチの生み出すハチミツの効力って何でしょう?」
「急激な魔力の回復。魔力が枯渇した者が接種すると全回復するけれど、それ以外だと魔法の暴走して自滅する危険性があるわね。大陸南部の希少品で、毒として使われたこともあるわ」
「流石です! 今のところ全問合格ですね、お姉様。もしかして今試験を受けても合格するのではないでしょうか」
「するでしょうね。だって過去問対策は既に終わっているもの」
「は、早いですよ、お姉様。まだ試験は二年後ですよ?」
私たち双子は十二歳になった。アンジェはもう中学一年生程度の身長まで成長しつつある。胸も出始めており、私との体格差は歴然である。
「試験のある年になって急いで勉強する方が遅いわ。アンジェも過去問に目は通したでしょ?」
「目は通しましたが……まだやってない範囲や初めて見る単元もありますから、今やっても取れて六割程度だと思います」
「対策は間に合うわよ。余裕ぶっているとあっという間に二年を迎えるけれど」
私は普段から読書や知見を得ることを意識していた為、もはや家庭教師はいらなくなった。
アンジェはまだあと一年、家庭教師の指導の元で学習するらしい。だが勉強する習慣が身についた彼女も、もう課題さえ出せばあとは勝手に学ぶだろう。
そして家庭教師のいらなくなった私は、アンジェが教師から授業を受けている間はオーディウス学園の試験対策に勤しむようになった。
「こほっ、ごほっ……」
「だ、大丈夫ですか? 最近のお姉様、咳が多いですよ」
「平気よ……問題無いわ」
……呪いによって死ぬ年が近付くたび、段々と自分の身体が不調に侵されていくのを感じる。調子が良い時は普段通りなのだが、体力を使い過ぎると咳き込む。
「ですが心配です。流石に一度、お医者様に診てもらった方がよろしいかと!」
「……そうね。そうしようかしら」
「では早速お父様に一報入れてきます」
行動が早いな……
どうやらアンジェには年々悪化する身体の不調を勘付かれているようだ。隠し通すのも限界に近い。
部屋を出てしばらく。バタバタとして帰ってきた彼女と共にお父様やいつものお医者様がやってくると、手際良く私を診るのだった。
診察を終えれば、お医者様はカルテを睨み見ながら『呪いのせい』と診断した。そしてその影響は主に肺を悪くしており、このまま呪いが進行すれば段々弱って十代の内に死ぬとも告げられた。
まあ別に知ってい――
「おねえさまぁ……」
「ロリ……」
うわぁ……
私は私が憐れまれるのは嫌いだ。それをアンジェにはハッキリと伝えたのだが、何せ数年前の話だから忘れてしまったのだろうか。
お父様にもアンジェ経由で届いたと思っていたのだが。
「……今商売は東洋にも手を伸ばし、向こうにも呪いがあの方法以外でどうにかできないか調べてもらっている。もしかしたら、呪いを解くことが出来るかもしれないんだ。頼むロリ、それまでどうか諦めないでくれ!」
お父様はしつこく私を元気付けようとするが、むしろ迷惑である。私は学園で花を咲かせて学園で死に、勝ち組を約束された人生を送るべく転生するのだ。邪魔しないでほしい。
それを表に出すわけにもいかず、曖昧に笑っておいた。
というか、ようやく終わりが見えてきたことに安堵から口角を上げてしまった。
まあ肺が弱りながら衰弱死するのは辛いだろう。呼吸器がままならないまま入院生活なんて、本来ならば絶望に値する。
が、私の場合、むしろ入院生活が始まればゴールは近いという証左になる。勝ち組の人生の為ならば、例え笑顔で血も吐こう。
ではまず画面の前の人気者になるべく、大雑把なメスガキムーブ計画のおさらいといこうか。
生憎と私はメスガキに詳しくない。精々、前世の記憶やゲーム知識と共にメスガキの定義も頭に叩き込まれたくらいだ。
だから人気の出るメスガキについて全くもって理解が出来なかった。
だがここ数年、私の意のままである友人――またの名を下僕――作り、そいつらをメスガキムーブの練習台として使わせてもらった結果、中には私に熱を持った視線を送る不躾な者たちも現れる。
彼らの共通点は被虐趣味に目覚めた輩であることだ。つまりメスガキはそいつらに需要のあるキャラであると分かる。
ターゲットが不明瞭なままだとキャラの方向性が定まらないから、学園入学前にターゲット層を把握出来たのは僥倖だ。
彼らには多くの鞭――幼稚な言葉責めと、時に甘い言葉をささやいて飴を与え、手玉とした。
飴と鞭の使い分け。これが鍵を握るだろう。
主人公のレオは被虐趣味は持っていないだろうが、私の標的は主人公ではなくあくまでゲームのプレイヤー。つまり主人公に攻略されるキャラとして振る舞わなくとも、人気さえ取れればいいのだ。
さて、その人気の取り方だが、基本的にギャップ萌えを採用する。普段は生意気を装い、ある程度距離が縮まればデレを見せるのだ。
正直、元男の身としてはプライドに障るが……ここまで来ればもはや失敗は許されないのだ。何だってやってやる。
また、主人公が生意気な私を嫌って遠ざかろうとし、距離がなかなか縮まらない時のパターンも織り込み済みだ。
ギャップさえ見せればいいのだ。そこでアンジェの出番である。
まずは彼女と主人公の顔を繋ぐのだ。クリスと友人になる主人公は、クリスを通じてアンジェとも顔見知りになるだろう。ならなかったら私がさせる。
そして主人公とアンジェが二人でいる時にアンジェのところへ来て、姉妹仲の良好さを見せつける。
この通り、『もしも』を想定したパターンは何種類も考えている。抜かりは無い。
用意周到のあまり、自分が恐ろしい。
まあこの六年間、勉強や社交、家族との団欒を差し引いても時間はたっぷりあったのだ。当然とも言える。
「ふふふ……」
「お、お姉様……」
「あら、ごめんなさい、ぼーっとしてたわ。何?」
おっと、調子に乗り過ぎて顔にも出てしまったか。
気が緩んで計画に支障が出たら困る。慌てて顔を引き締めたら、アンジェは眉を下げた。
「無理なさらないでください。どこかおかしなところがあれば、すぐに申してくださいね」
「ずっと成長しない時点で、ずっとおかしいけれどね」
……ん? 少し茶化しただけなのだが、彼女は黙り込んでしまった。
ただのブラックジョークだろうに。
「……お、ねえ、さま」
「何?」
「私……嫌です。お姉様が、死ぬの……」
「そうね、でも仕方が無いわ。自業自得だから」
「だからって、お姉様――っ、そんな簡単に諦めないでください! 私は……私は、お姉様が死んだら悲しいですっ!!」
私の部屋にアンジェの慟哭が響く。数年前に『泣くな』と言われて以降、私の前では涙を見せなかったアンジェだが、今はうっすらと涙を潤ませていた。
「すみません、今は、涙を止められません。お姉様が死ぬだなんて、心の整理がつかなくて……」
成長途中ながら既に美しさの片鱗を見せ始めているアンジェだが、そんな彼女でも激情のままに泣くと顔がくしゃくしゃと歪む。言葉の通り、自分ではどうしようもない程に悲しいようだ。
――そんな涙は見たくない。
衝動的に私はアンジェを抱き締めていた。彼女の胸に顔をうずめると、彼女もしゃがんで正面から私を抱き締め返す。
ぎゅう、と腕に込められた力が彼女の感情を物語っていた。
……何をしているんだろうな、私は。
自分は常に冷静を心がけているが、今の私の行動は冷静を欠いていた。らしくもなく目の前の少女に心を揺さぶられたらしい。
今更、情でも移ったか。
後から思い返せば、自分で自分を笑ってしまった。
さて、試験対策をしよう。
筆記は問題無い。前世の義務教育の賜物が活きており、歴史の科目まで不足無く必要範囲は頭に叩き込んでいる。
次に問題となるのは実力試験だ。己の実力を試験官へ示さなければならない。
だが私が示せるのは魔法の実力のみ。身体能力や技も評価対象なのだが、私の身体ではどんな物理攻撃も貧弱だ。
しかし原作のアンジェも魔法の腕が群を抜いており、筆記も上位に食い込んだ為に短躯ながらもオーディウス学園へ入学したのだ。彼女でも受かったなら、私も落ちる気がしない。
「《ファンジーク》!」
「ぐっ……!」
都にある我が家がスポンサーとしている鍛錬場の一角、私が呼び出した下僕を相手に己の魔法を試す。唱えた途端に強風に襲われた彼は足が床から離れないように踏ん張るのが精一杯なようで、隙は十分あった。
「あらあらぁ? ついさっきまで私を倒そうと息巻いていたのに、どうして私に攻撃してこないのかしらぁ? あ、髪が乱れてるわよ。早く直さないとみっともないけど?」
「ぐっ……この、くそッ……!」
下僕は屈辱で歯を食いしばるが、強過ぎる向かい風が彼の行動を縛る。一方、風に制限されない私は口の前で手を広げ、彼を嘲笑う。
「ぷっ、あはは、何その髪型。とってもユニークね!」
風で髪を乱す彼は青筋を立てるが、手に持っている木刀を強く握るだけで私に向かう気配が無い。あとは魔法で彼に傷を付ければ、完封勝利である。
「私たちと同じくオーディウス学園に入学したいのでしょう? そんな調子では落ちるのではなくって? まあ、おつむの弱い下僕はそもそも勉強出来るのかしら」
「舐める、なよぉッ!」
おっと、直進は諦めて回り込むつもりか。俊敏な動きで横へ駆けるなり、彼は木刀を横薙ぎに振るいながらこちらへ突っ込んできた。
彼もそれなりに鍛錬に時間を費やしているのだろう。風や私の罵詈雑言に耐えながらも直進以外の突破法を考えていたなら、判断力は培っている。
が、私に一矢報いるには不十分だ。
「《ベノムファクター》」
彼へ別の魔法を命中させると、みるみる彼の動きは鈍った。あと一歩で届く木刀の切っ先も段々と下がり、ついには膝を突く。
勝利を確信した私は吹き荒れる風の魔法を止めた。
「ぐっ、何だこの魔法!」
「あら、知らないの? 毒の魔法よ」
「ど、毒……!?」
「精々頭部以外の筋肉を若干麻痺させたくらいよ。私に攻撃することに夢中にならず、防護魔法をかけていれば対策出来たのに。そんなことも出来ないだなんて……」
木刀を落とした彼にゆっくりと近付き、耳元でささやく。
「――あなた、弱いわね。ざぁこ」
「〜〜〜〜ッ!! おまえぇ……!」
よく吠えるお坊ちゃんだ。
下僕の中では一番成績優秀ながらも私になびかない男を呼んだのだが、こいつは高慢ちきだ。煽り耐性は皆無に近い。だから冷静な判断が出来ないのだ。
これでは私の鍛錬相手にはなるまい。
私としてはメスガキムーブをしながら戦闘をこなす練習もしたかったのだがな。
「私の勝ちね。もっと勉強してから出直してきなさい、ばぁか」
「な――っ!」
彼の顎に手を添えて煽ると、悔しさから歯ぎしりをこぼす下僕に背を向け、置いていった。
期待外れもいいところだ。これならまだアンジェと手合わせした方がよっぽど有意義だろう。
さっきの下僕の次に優秀らしき男と練習試合をするアンジェへ目を向けるが、どちらが優勢かは一目瞭然だった。
「はぁああッ!!」
レイピアに見立てた細身の竹刀を持って軽やかに舞う彼女は相手を翻弄し、時に魔法で行動を制限して上手く立ち回っていた。
「これで終わりです!」
蝶のように舞い、蜂のように刺す。そして優位に立ち、相手の武器を弾き落とした。
アンジェの勝ちだ。
「お付き合いいただき、ありがとうございました。……あ、お姉様! どうでしたか?」
「手応え無かったわ。あなただってそうじゃないの?」
「いえ、学ぶことが多くて……まだまだ精進しないといけません」
余裕そうに見えたのだが、なんとも勤勉なことで。
まあ、勉強熱心な私と共に育ったのだ。私に影響されて努力家になったのだろう。
「お姉様はすぐに終わらせてしまいましたね。さすがです」
「挑発に簡単に乗せられた奴に勝ったって嬉しくないわ」
……おや、少し距離は離れていたのだが、さっきの私の対戦相手には言葉が届いてしまったようだ。鋭い眼光がこちらに飛んでいる。
「お、お姉様が強過ぎるだけですよ? 先程の風魔法の影響、こちらにも流れてきましたから」
「あら、邪魔したならごめんなさいね」
「いえ、そんなことは。……やはりお姉様はすごいです。ベリオット様は将来有望な騎士候補として巷で噂されていますから、そんな方を一瞬で破るだなんて」
誰だそれ?
……ああ、さっき戦った下僕のことか。名前はあまり気にしないから、パッと浮かばなかった。
「あんなのが有望だなんて、周りは見る目が無いのね」
「お姉様の魔法が規格外なだけです。もう実力試験の対策は必要無いのでは?」
アンジェの言葉が確かなら、心配しなくてもいいくらいには試験対策は整っているか。
魔法に関して、私は才能に恵まれた――というか、原作では魔法メインで戦ってきたアンジェと同じ血が流れているのだ。鍛えれば魔法の才能が開花するのは当然だ。
が、もしかすると少し鍛え過ぎたのかもしれない。明らかに原作のアンジェよりも私は努力をしてきた自負がある。
強過ぎると理解らせのハードルが上がってしまう。自制した方が良いだろうか。
「っこほッ、けほッ……アンジェ、休むわ」
「だ、大丈夫ですか、お姉様? 休憩所まで付き合います」
「あら、ありがとう……」
少し遊び過ぎたか。むせて咳き込んだ。
休むその前に呼びつけた下僕二人と向き合った。
「ご苦労様、もう帰っていいわ。お疲れ様」
「なっ、勝手に呼んでおいてすぐに帰れだと……!?」
「無礼にも程があるんじゃないか、ロリミア嬢!」
やれやれ、本当によく吠えるお坊ちゃんたちだ。
「文句があるなら二人がかりでもかかってらっしゃい? 次からは手加減しないから、みじめに地面に這いつくばらせてしまうけれど。そうして貴族の恥晒しとしてこれから生きるつもり?」
私の鶴の一声に、彼らは言葉を返せなくなった。
残念ながら家柄も実力も話術も、彼らでは私に敵わない。下僕同士で結託しても私の前では無意味だ。彼らは私が死ぬまで下僕であることに変わりは無い。
一応、彼らは都合の良い手駒だ。たまに彼らにも利益のある話を持ちかけている。
だから私の召集には逆らえなかったわけだが。
「分かったら、今後とも『仲良く』しましょうね?」
まあ私の前では無力だった彼らだが、剣の腕は良いらしい。実力試験で落ちることは無いだろう。
だが筆記は不安だ。恩を売りがてら、勉強も見てやろうか。
学園でも私の下僕はいた方がいいからな。
「アンジェ、今度クリスや下僕を呼んで勉強会を開きましょうか」
「お、お姉様……下僕って……」
アンジェが下僕呼びに引いているが、それ以外にちょうど良い呼称が思いつかない。
下僕がピッタリだろうに。
後日――といっても試験がある年、学園へ受験をしに都に泊まるクリスや、自分の価値基準で優秀そうだと判断した下僕を呼び、我が家で勉強会が始まった。
普段から教えたおかげかアンジェも既に受験対策は終わっており、私と共に講師役へと回っていた。
ただ、アンジェの生徒はクリスただ一人だ。代わりにそれ以外の下僕たちには私が勉強を教えることになった。
下僕どもよ、何故顔を青ざめさせる? ほら、私は親切だろう?
さっさと参考書を開け。
「ひ、ひぃ……殺される……」
「参考書の角で頭蓋骨を粉砕される……」
失礼な奴らめ。実力は身につくし、金目のものを取るつもりも無いのだぞ。ありがたいと思え。
「お、お姉様……鬼です」
「薄々思ってたが、ロリミアって鬼畜だよな」
はたから私の指導を見ていたアンジェやクリスの言葉を無視しては、朝から晩まで教鞭を振るうのだった。
勉強会の甲斐もあったのだろう。
特筆すべき点も、何の試練や面白みも無く、勉強会に参加させた全員はオーディウス学園の受験に合格し、晴れて入学資格を得るのだった。
下僕たち
運悪くロリミアに目をつけられ、わからせられることで仕方なく従っているジュニア貴族。虐げられるのみでなくたまにお恵みももらうが、それは雀の涙ほど。
中には被虐趣味に目覚めてロリミアを慕う者もいるが、特に本編に出すつもりは無い。