鱗砕け、繋がれし思いが射抜く
飛翔したヒシミアは、魔物の右前脚へと追突した。体当たりをするようにぶつかったヒシミアは身に纏った強固な鎧のお陰で、彼女に傷は無い。
だが魔物の鱗は弾丸に撃たれたように円形に削れる。
その一撃は、容易く重層の鱗を砕き、骨にひびを入れた。
大気を揺らす悲鳴が轟く。ヒシミアは砕けた鱗を振り払いながら、小さく舌打ちをした。
(脚を抉るつもりだったのに………)
想像以上に強固な鱗は、傷を負いながらもヒシミアの攻撃の威力の大部分を削いだ。
ヒシミアは鱗逆巻かせる攻撃を躱すために、大気を蹴り、瞬時に後退する。
地面に深い2本線を削りながら彼女は着地した。
「―――ッ!アンタ、王国の【魔人騎士】か!」
偶然、そばにいたブレイズは、驚愕したように歓喜の声を叫んだ。
デネス王国には縁のないブレイズではあったが、【魔人騎士】マルテキスト家の名前は龍王国や学術都市にまで轟いている。
その常軌を逸した力も、彼は確認した。
「四肢を崩すぞ!とどめは砦の魔術師がやる!」
端的にヒシミアに指示を出す。ヒシミアはちらりと背後の結晶塊を見て小さく頷いた。
一言で戦場の情報交換を済ませた二人は、同時に魔物へと地を蹴った。
2人の狙いは、ヒシミアが砕いた右前脚の分のバランスを取る右後脚。四脚の獣の体勢を崩すための最適解。
ヒシミアは翼を生やし、膨張した足を形成して、凄まじい速度で疾走する。
ブレイズは左前脚へと向かう。
二つに分かれた敵に魔物は一瞬ためらう。だが躊躇いは一瞬であり、すぐにその視線は自身の肉体を焼いたブレイズへと向いた。
「お怒りだな」
真に警戒すべきはヒシミアだ。適当に突進しただけで魔物の鱗を砕いたのだから。だがそれを魔物には理解できない。
そして理解できないことを、ブレイズは理解していたが故の、囮だ。
一斉に射出された鱗が、ブレイズの視界を遮る。それを炎の波で焼き払う。
炎で遮られた視界を占めるように更なる鱗弾が飛んでくる。
(――前列の鱗弾を火除けに使ったのか)
そんな思考が形になる前に、ブレイズは反射的に地面を剣で叩く。
膨大な熱量を秘めた刃は地面を融解させ、蒸発させる。吹き上がった土砂と蒸気が彼の姿を隠す。
だがそれでは、鱗弾を防げない。
剣を地面に向けたせいで、鱗を防ぐことができず、ブレイズは鱗弾に被弾する。
急所を鎧や籠手で防ぎながらも全身が切り裂かれ、血を吹き出す。
負傷の対価として、魔物はブレイズの姿を見失い、攻撃が止む。
雑に蒸気を切り裂く鱗弾を感じながら、ブレイズは、魔物の左前脚へと直進する。
煙幕のお陰か、魔物は一瞬攻撃を躊躇う。
その僅かな間にブレイズは前脚のすぐそばまで迫っていた。
鱗弾が飛ぶ。だが肉体に迫り過ぎたせいで、弾の射角がほとんどない。
正面と頭上。それだけならば、どれだけ鱗が飛ぼうとブレイズは焼き払い、切り捨て、躱しながら、足を止めることなく進み続ける。
魔物は右脚を持ち上げ、そして振り下ろす。
その表面の鱗は逆立ち、触れれば全身を切り裂かれるだろう。
それに対してブレイズは、剣を構えた。
足を止め、地面を耕しながら進む削岩機の如き巨脚を見据える。
ブレイズは縄跳びのように巨脚を飛ぶ。ブレイズは空中で身を捩りながら、岩砂を巻き込みながら通過する脚へと剣を振るう。
「『大斬撃』!」
斬撃範囲を拡張させる武技を放つ。炎を纏った武技は、止まることなく巨脚と交差し、その指先を鱗諸共両断した。
『炭骨』。竜の骨髄から作り出されたその刃は、生前の炎を再現する。
無限に炎を吐き出す刃ではあるが、その刀身に許容できる熱量は有限である。
短期間に炎を生み出し続ければ、刀身から漏れだした炎は所有者すら焼き、溜まれば溜まるほど熱は上昇し続ける。
開戦以降、炎を使い続けた刀身にはブレイズの手を焼くほどの熱がこもっている。それを武技として、一息で放った。
戦いで一度しか使えない大技ではあるが、その一撃は彼本来の実力を優に超える火力を生み出した。
手を半ばから両断された魔物は開戦以降、一番の悲鳴を上げた。
それを聞きながら魔力欠乏で地面に転がるブレイズは荒い笑みを浮かべた。
「このざまじゃあ、昇格は無理か………。後は頼むぜ、【魔人騎士】、エマ」
ヒシミアは疾走する。完璧に敵を惹きつけるブレイズのお陰でヒシミアは完全なフリーだった。
音速すら超える世界の中で、彼女はその拳を引き絞る。
拳を覆う鎧が肥大化し、強固な攻撃性を発露させる。
だがそれを見て、ヒシミアは眉を顰めた。
(これじゃあ砕けない)
王国の魔人騎士の名で知られるマルテキスト家の固有魔術の名は【躯躯跋体図】。
細胞を肉の鎧と化し、自在に操るという生体錬金術にルーツを持つ魔術である。死した生命体の肉体を取り込み、その特性を鎧へと反映させることも可能であり、汎用性は高い。
無限の成長性を持つ魔術ではあるが、その代償として燃費の悪さがある。
それを膨大な量の魔力で運用するのが、マルテキスト家の戦い方であるが、ヒシミアは今日、ガードゥと戦い、魔力を大量に消費している。
(鎧の稼働限界は迫ってる。ちまちま削るぐらいなら一撃で終わらせる)
ヒシミアは全身を覆う鎧を右腕にのみ集中させる。蠢く藤色の鎧は明らかに質量を超えて右手に吸い込まれていく。
中から現れた細身の肢体には不釣り合いなど拳が膨張する。
彼女は疾走の勢いのまま右後脚へ迫り―――
「『破閃集撃』」
武技を打ち放つ。衝撃波を留め、一点に集中させるその武技は、鎧を駄菓子のように砕くのみのとどまらず粒子へと変え、後脚を半ばから削り取った。
「………疲れた」
魔力切れになりかけているヒシミアは、何とか翼だけを生身の肉体に生やして、空へと逃れる。
両足を砕かれた魔物は、その巨体を支えきれずに、ゆっくりと地面へと倒れ伏した。
「後は任せる」
小さく呟き、ヒシミアは都市の方へと飛翔していった。
「―――ッ!撃つわよ!全員最後の魔力を振り絞りなさい!」
エマは遥か先で倒れ伏す魔物を見て、声を荒げる。
結晶塊に魔力が集まり、輝きを増す。
存在するだけで大気を震わせる結晶の内には魔術師たちの魔力が注ぎ込まれている。
(これは、外せない!)
制御を担うエマは慎重に術式を調整して狙いを定める。
動けないとはいえ、頭を狙うのは外すリスクがある。
狙いは胴体。
だがエマが魔術を放つよりも早く、魔物が動く。
ブレイズに手の半ばほどから斬り飛ばされた左前脚を持ち上げた。
(攻撃?いや、そこからじゃ届かないわ)
腕の振り下ろし、鱗の射出。そのどちらも都市の結界に守られる砦と結晶塊には届かない。
最後のあがきかと唇の端を吊り上げたエマだったが、続く魔物の行動で表情を引き攣らせた。
魔物はその太い脚を地面に振り下ろした。
そして地面に埋め込んだ腕の鱗を全て、射出した。地面に埋め込んだままだ。
地面が盛り上がるように爆発する。膨大な量の瓦礫が周囲に降り注ぎ、それ以上の量の土砂が空中に散布された。
それと同時に、巨体が転がるような轟音が大地を揺らした。
「……煙幕!?」
それは皮肉にも、ブレイズが使い、魔物に学習させた防御方法だった。
敵の視界を防ぎ、射線を遮り、身体を隠す。
防げない攻撃への最適な防御方法であり、魔物の最後の悪あがきだった。
(―――煙幕が晴れてから、狙い撃つ!あの怪我では遠くには逃げられないし、この平原に身を隠す遮蔽物は無い!)
動揺は一瞬、エマは敵の行動を苦し紛れの行動だと断じた。
だがその予感を打ち崩すように、断続的な採掘音が轟いた。
それは硬い岩盤を削る音だった。
その音を聞き、エマは、その魔物がどこから来たのかを思い出す。
(あの魔物は突然地面から出てきた……。地中潜行できるの!?)
硬い岩盤の下に潜りこまれれば、物理的な攻撃である結晶塊の弾丸の威力は削がれる。
仕留め損なえば、逃げられる。
(煙幕が晴れるまでに地中に姿を隠せる!?………いや、違う!可能性がある時点で今、殺さないと!)
一度逃がしてしまえば、魔物は傷を癒すまで地上には出てこないだろう。そして地上に出た時、この都市かあるいは近隣国家で膨大な被害を生み出す。
その責務を負うのはこの都市とそして指揮官を務めたブレイズだ。
リーダーの名声と人命が彼女の腕に圧し掛かる。
(………勘で撃つ………のは駄目!簡単な結論に飛びつくな、私!何か、敵の居場所を!)
瞳を細めて滝のように汗を流す彼女は、かつてないほど苦しみ悩み抜いていた。
そんな彼女の視線の先で、光が灯った。
□□□
―――僅か前―――
魔物の腕が地面を穿つ。岩盤が降り注ぎ、土砂が降り注ぐ。
前線は地獄と変じていた。
降り注ぐ建物よりも大きな岩によって押しつぶされる冒険者、魔術師たち。
そんな悲鳴すら、分厚い岩が覆い隠してしまう。
その余波は、戦場から離れていたトレンティの元まで届いていた。
(さ、さっさと逃げておけばよかったっ!)
仲間を置いて逃げ出した罪悪感から、トレンティは魔物から一定距離離れた場所で迷っていた。そのせいで、土砂の中へと閉じ込められたのだ。
砂嵐の中にいるような鈍色の視界。耳に届くのは荒れ狂う大気の悲鳴。
そのせいで、地面を転がりながら迫る岩の塊に気づけなかった。トレンティがそれに気づいた時にはすぐそこまで迫っていた。
冷静に魔術を行使すれば破壊できる。だが眼前に迫った脅威に彼は硬直し、怯える。
岩の塊がトレンティを押しつぶす直前、横から飛び込んだ筋骨隆々の男が彼を抱え込んだ。
「―――うっ!」
短い悲鳴を上げたトレンティは、分厚い腕に抱かれたまま、地面を転がる。
「大丈夫か、坊主!」
「あ、あなたは………」
その男は、トレンティを前線へと連れて行った冒険者だった。
彼の全身は傷だらけだった。
傷のない場所は無く、その背に背負った斧は半ばから砕けていた。
彼は荒い息を吐きながら、トレンティの無事を喜んでいた。
だがトレンティは、罪悪感を宿して瞳を逸らした。
「す、すいません。僕、逃げてしまいました………」
トレンティは魔物に向かう彼を放り出して、指輪の力を使って逃げ出した。
それは明確な裏切りであり、それを知らない彼が自身を助けたことを、申し訳なく思っていた。
「……そうか!俺も逃げて来たぜ!」
男は、眩い笑みを浮かべたまま、親指を立てた。
「………………え?」
「武器も壊れたし、敵はやばいからな!そろそろ退き時だ。都市に帰ろうぜ!」
悪びれることも無く、仲間を置いて撤退を申し出る彼へとトレンティは唖然とした表情を浮かべる。
「い、いいんですか?敵前逃亡ってやつじゃ……」
トレンティの言葉を受けて、男はある意味若者らしく魔術師らしい潔癖さを笑った。
「いいのさ。俺たちは冒険者。騎士じゃねえ!どこまで命を懸けるかはてめえ次第よ!お前はひょろくてガリだからな。さっさと逃げて正解だと思うぜ」
おっとやべえ、と言葉を漏らしながら、男は降り注ぐ瓦礫からトレンティを守り、魔物に背を向けて逃げていく。
「…………命は、自分で守るものだ!周りに流されないで自分を守ったお前は冒険者として正しい!」
男は流石の身体能力で瓦礫を躱していく。だが不幸があったとすれば、魔物はエマの『編纂』の魔術から身を隠すべく、身体を横転させたことだ。
一回転、回るだけ。だがそれを太陽を覆い隠すほどの巨体で行った結果、間にいた冒険者は大地の染みとなり、2人が魔物から取った距離は一瞬で潰れた。
すぐ真横に沈み込んだ魔物の肉体。すぐそこで光る悍ましい眼光。
それに射竦められた二人は硬直した。
そんな二人へと鱗弾が飛んでくる。眼前にいる虫を払うために放たれたほんの少しの鱗。だがそれは、2人にとっては自身を肉塊変えるには十分な物量と威力を備えていた。
そんな二人を空から飛翔したヒシミアの腕が救った。
細腕に似合わない膂力で二人を吊り上げたまま、ヒシミアは空中へと飛翔する。
「大丈夫?」
「お、おう。助かったぜ」
「偶然目についたから助けただけ……」
「…………」
男は引き攣った表情で礼を言って、トレンティは未だ、魂が抜けたような表情を浮かべている。
「あまり飛べないから先で降ろす。いい?」
「ああ。十分だ」
すでに余力が無いのか、ヒシミアの飛行は既に滑空というほうが近い。
ゆるやかに流れる視界の中で、トレンティは地面を鱗で掘る魔物の姿を見た。
「―――っ!あの魔物、逃げる気です!」
「そうね。一か八かで砦の魔術を撃つしかない。外れたら負け。もう博打」
トレンティの焦ったような声に返って来るのは、ヒシミアの冷静な声音。
魔物の行動を何とも思っていないような薄情な言葉に、トレンティは息を呑む。
横を見ると冒険者の男もまた、静かにその光景を見ていた。
諦めにも似た冷静さ。それは、己にできる全てをした戦士の達観だった。
―――自分の役割は終わった。後は頼む
口にはしないが、2人ともそう思っていることはトレンティにも伝わった。
彼らは果たしたのだ。己の役割を。男は前線で魔物の能力を解き明かし、ヒシミアはその移動手段を奪い取った。
そしてそのバトンを受け取ったのがエマたち魔術師。
最後のとどめをさせるかどうかは彼らに託されている。
役割を果たした二人は、ただ黙って結論を待つ。
(僕は何もしてない……)
それを見て、トレンティは今更ながらに気づく。
男のように命を張って前線で戦ったわけではない。砦の魔術師のように魔力を振り絞っているわけでも、ヒシミアのように戦果を挙げたわけでもない。
ただ、居場所を失いふらふらと彷徨っていた。
この戦場で自分だけが、何者でもなかったという意識が彼の胸を締め付ける。
「―――ッ!僕はまだ、諦めるほど頑張ってないんだっ!」
気付かぬうちに零れた涙を振り払いながら、トレンティから身体を振ってその手に握った薬瓶を放り投げる。
それは、トレンティが持っていた魔法薬だ。
それをありったけ投げつける。今までの怠惰を振り払うようにでたらめに投げるそれの内のいくつかは魔物の顔へと当り、色とりどりの気体を放出させ、時には薬同士の反応で閃光や爆発を起こす。
だが魔物は意に介した様子もなく、地面を掘り続ける。
「うううぅうううっ、クソっ!」
「坊主……」
「もう行く」
風に乗りながら、三人は戦場から去っていく。
遠ざかる魔物の姿をトレンティはずっと見つめ続けていた。
□□□
「あの光は……」
エマは土煙の奥で微かに光る魔力反応に目を細めた。
断続的に響くそれは、魔力の反応。誰かが、前線で魔物に攻撃を加えている。
そう、魔物に攻撃を加えている反応だ。
(あれしかない!)
考える時間は無かった。エマは反射的にその光へと狙いを定める。
「〈発射!〉」
起動句を唱え、エマは結晶弾を飛ばす。
巨大な塊にもかかわらず、注ぎ込まれた魔力と移動術式のおかげで大気の壁を切り裂きながら一瞬で砦と魔物との距離を潰す。
土煙を切り裂いた弾丸は、天から降り注ぎ、地面を掘る魔物の顔面を押しつぶした。
衝撃が大地を伝播する。波が広がるように土煙が押しのけられ、地面に放射状にひび割れが刻まれる。
結晶塊から放出された魔力はさらに被害を広げて、魔物の鱗の層を打ち砕き、その奥にある頭蓋、脳を完全に潰した。
沈黙する。あらゆる破壊音が収まり、晴れた土煙の先には半身を地面に潜り込ましながらも頭を結晶塊で潰された魔物の姿があった。
スケイル・シェル・ショット変異種、討伐。
冒険者、魔術師の約半数に上る50名死亡。
その魔物の驚異的な攻撃範囲、防御力を考えれば、偉業と呼べるほどの戦果であった。




