王女とカフェとネクストステージ
「貴様――!」
激情を顔に宿したガードゥは、そのまま距離を詰めたエリスイスによって、両断された。
血が舞い死体が床に倒れ伏す。屋敷を満たしていた濃密な魔力が薄れ、普通の屋敷へと変わっていた。
エリスイスが破壊した地下の一室は、魔力の集積場だった。屋敷を工房として維持するための魔力はそこに貯められていた。そして屋敷を介しガードゥの魔術発動のために使われていた。
その膨大な魔力により、ガードゥは大規模な魔術の行使を可能とし、エリスイスと戦えるだけの力を手に入れていた。
それを砕かれたことで魔力の供給が止まり、ガードゥの硬質化は解けた。
ガードゥは両断された。誰が見ても、ガードゥは死んだと考えるだろう。目を見開き、青白い表情で血に塗れるその姿は死体そのものだ。
だがエリスイスもトリエも未だに警戒を解かない。
エリスイスはガードゥの仕組みを知っているため、そしてトリエは肉体から魂が出てこないことから違和感を感じたからだ。そしてそれは、正しくもあり、意味が無かった。
突如、屋敷が消えた。
エリスイスもトリエも驚愕の表情を浮かべる。
先ほどまであったガードゥの死体も屋敷も瓦礫も家具も、その全てが視界から消えていた。
その結果、エリスイスとトリエは空中に浮かぶように残されていた。
足元から感じる感触から、未だに自身が屋敷の床に立っていることは分かる。だがそれを視認できない。こちらを見るトリエの驚愕の表情からトリエの視界にも自分の視界にも屋敷だけが綺麗に消え、その結果トリエとエリスイスのみが空中に浮かぶように残されていることが分かる。
そして二人は、何かに押された。ほぼ同時に衝撃を受け、吹き飛ぶ。感じた衝撃から何か平たい板状のもので押されたのだと分かる。
(壁ですか)
エリスイスが入ってきた扉側の壁。位置関係と衝撃の方向から屋敷の壁によって押し出されたのだと知る。そして周囲の空気の動きから壁が動いたのではなく、屋敷そのものが横に移動したのだと分かる。
その結果、2人は開かれた窓から屋敷の外へと押し出された。トリエはコウモリのような質感の悪魔の翼を生やし、空中で制止した。そしてエリスイスは音も無く芝生の地面に着地した。
2人が屋敷を見る。すると、突如見えなくなっていた屋敷が現れ、崩壊した。
エリスイスの『光技ノ一』により、中心部を破壊され、その後無理やり動かしたせいで、崩壊したのだろう。すでに屋敷からは魔術の痕跡はなく、ただの建物に戻っていた。
ガードゥの死体も見当たらなかった。
「申し訳ありません。取り逃しました」
全身に傷を負った黒牙がエリスイスの元に現れ、そう言った。
黒牙もまた、バスを倒したが突如その姿が消え、取り逃した。竜の鋭敏な感覚でもその姿も痕跡も感じ取れなかった。
エリスイスたちも同様だ。ガードゥを取り逃したことを悟る。そしてそれを手助けした誰かの存在も知った。
「まあ、いいでしょう。最低限の目的は達成できました。撤退しましょう」
すでに悪魔たちは帰らせている。三人は音も無く夜の闇に消えた。
ガードゥの捕縛と学術都市内の教団勢力の抹殺というエリスイスの目的は失敗した。
これからも教団は学術都市を脅かし続けるだろう。
□□□
ある日の朝、俺はある喫茶店に向かっていた。場所は都市の北東側2番通りの中ほどの場所だ。
都市の北側は飲食店や雑貨屋が多く立ち並ぶ商業区画である。待ち合わせの場所は居住区画の東側に近いこともあり、どこか静かな雰囲気だ。
立ち並ぶ店も清閑で落ち着いた雰囲気の店が多い。
ちょうど、住人たちの通勤通学時間が終わったころであり、通りには主婦や老人たちの姿が目立つ。後は自由に活動できる冒険者だろうか。学術都市を拠点とするだけあり、魔術師の姿が多い。
俺は待ち合わせの喫茶店に辿り着く。木造で、バルコニーがついた二階建ての建物だ。
小さな看板が目立たないように飾られており、隠れ家的な雰囲気を感じる。
扉には閉店の札が立てられている。だが、間違いはないと伝えられた店名を改めて確認し、扉を引いた。軽い鈴の音が鳴り、来店を店内に知らせる。
店の中も植物に溢れていた。木製で統一された家具の数々に、飾られた観葉植物が穏やかな緑に室内を彩っている。
「すいません。本日は閉店でして」
カウンターの奥から、入店の鐘の音を聞いた店員が出てくる。
エプロンに身を包んだ長い耳の壮年の男性。妖精人だ。
「待ち合わせをしてるんですけど。あ、俺はゼノン・ライアーです」
そう伝えると、店員さんは少々お待ちを、と言い残し、二階へと上がっていった。
彼はすぐに戻ってきて、上へと俺を案内してくれた。
二階も一回と同じように、机と椅子が5セットほど並ぶ店内だった。
だが一階とは違い、人がいた。
窓際の席に1人、腰掛けていた。差し込んだ朝日が彼女の端正な容姿を照らし、滑らかな髪を黄金のように輝かせていた。
服装は白いカットソーとサックスブルーのロングスカートというシンプルなものだ。
清楚な服装が彼女の清楚な美貌を引き立てているが、起伏の激しい身体の線が浮かんでおりどこか妖艶な雰囲気を漂わせている。
美女の正体はエリスだった。
以前はセクシーなドレス姿だったが、今日の雰囲気は少し違う。美女は何を着ても似合うものだと俺は感心混じりに彼女の姿を見ていた。
目が合うとにこりと微笑み、小首を傾げる。一見すればデートのようだ。
「ごめんね、お待たせ」
「いえ。私も先ほど着いたばかりです」
俺は彼女の前に腰掛けた。すぐに店員さん、多分店主さんだろうか。彼が来て水を置く。
注文を聞かれたので、コーヒーと朝食のサンドイッチセットを頼んでおいた。
俺は店主さんが一階に下りたのを確認する。
「このお店は大丈夫?」
俺はまず、店の安全性を確認する。エリスは俺の部下でアリスティア家の幹部という立場だが、表向きは俺とは接点も何もない王女様だ。
そんなエリスと平民の俺が親しく喫茶店で話をしていたら、下世話な話題の種になるか妙な勘繰りを受けかねない。
ただでさえ、俺の平民設定はいろいろ歪んでいるのだ。
特にティーリアに知られるのは避けなければならない。
彼女は俺の魔術の腕を知っており、平民の出であることを疑っている。
恐らく俺のことをどこかの魔術師の隠し子か何らかの理由があり身分を隠す名家の出だと疑っているのだろう。
加えてティーリアはデネス王国の第二王女であり、エリスの妹だ。エリスが子供の頃、アリスティア領で遭難したことを知っているはず。
ちょっと直情的なティーリアはともかく、彼女の腹心であるガーベラなら俺とエリスの接点を聞けばアリスティア家という結論に至りかねない。
外で会うのはかなりのリスクだ。この場所を用意したのがエリスなら安全だろうが一応確認しなければならない。
エリスは静かに微笑み、口を開く。
「問題ありません。周囲には私の部下を配し、怪しい者がいないか見張らせています。店主に関しても私に仕えるものです。情報が漏れることはありませんよ」
なら、問題ないか。だけど気になることもある。
「………どうしてわざわざ外で?」
今まで何か報告があれば、エリスが俺の屋敷に来ていた。
俺の屋敷であれば盗み見られる心配も盗聴の危険も無い。
周囲にも悪魔たちを配置しているので、エリスをつけている者がいればすぐにわかる。わざわざ外で会う理由はないのではないかと思い、尋ねた。
すると、エリスは僅かに眉根を寄せ、その笑みを曇らせた。
「ご自分でお考え下さい」
「あ、はい」
何で、とも分かったとも言ってはいけない雰囲気を感じ、何とかそれだけを返した。
「そういえば、この前襲われたんだよ」
気まずい雰囲気を変えたくて、昨日の襲撃事件を相談することにした。
俺は二人の暗殺者に襲われた。所属は恐らく都市の暗部と思われるが、それも不確かだ。彼らの狙いは俺の身柄であり、俺に心当たりはなかった。
「……恐らく、都市の暗部でしょう」
エリスは俺の予想を肯定する。その妙に断定しきった言葉に疑問を持つ。
「都市側もなりふり構わず教団の関係者らしきものを探っています。平民にも関わらず特級クラスに所属するほどの実力を持つゼノン様は疑わしいですから」
「なるほどねぇ。ずいぶん荒い手だけど、それだけ余裕が無いってことかな」
エリスの様子に少し違和感を感じていたが、追及せずに返事を返す。
「探っておきましょうか?」
エリスが覗き込むように問うてくる。
「………いや、いいよ。あれぐらいなら問題ないし」
俺は悩んだが断った。
最初はエリスに調査してもらおうと思っていたが、想像以上に教団の対処が大変そうだからだ。俺への暗殺者の襲撃は大した脅威ではないし、教団の排除と比べれば、大した問題ではない。
「分かりました。再び襲撃があれば、お知らせを」
そう言ったエリスは、再度の襲撃なんて無いことを知っているように、冷静だった。
□□□
「あー、それで作戦の大体の経緯は黒牙から聞いたけど、残念だったね」
俺は彼女に呼び出された本題を切り出す。
エリスはコーヒーカップを傾け、小さく飲む。そして頭を振った。
「最低限の目的は達成できましたから。もうじき片付けて御覧に入れます」
エリスの言う最低限の目的は相手の戦力と能力を把握することだ。
雑兵は全て片付けたらしいので、残りの主要な戦力は三人。ガードゥ・バブブ、バス、透明化術者だ。
特に透明化術者の存在を炙り出せたのは大きい。相手からしても隠し通したい戦力だったはずだ。そしておそらく、100人以上の教団員を潜り込ませたのも、この透明化術者の存在が大きい。
いかにガードゥが王族といえど、これだけの数の人間を手引きすることは難しい。
エリスが事前にガードゥを調査した限りでは、どれだけ多く侵入させられても50人程度だと推測していたからだ。
残りは透明化術者が侵入を助けたのだろう。
竜の感覚を誤魔化せるレベルの隠ぺい能力なら、学術都市の門の警備を掻い潜るのも簡単なはずだ。
「教団員の死体とかは確保したんでしょ?それを証拠に学術都市、っていうかアルフィアを動かすことは出来ないの?」
教団員たちは、ガードゥが王族の権力で都市内に手引きした存在だ。本来なら都市内にいないはずの存在であり、都市への入退場を魔具で記録している学術都市の記録と照合すれば、彼らが不審者であることは分かる。
100人を超える不審者が、ガードゥの屋敷にいたのだ。最近の失踪事件と合わせれば、ガードゥを逮捕する十分な証拠になるだろう。
そう思い、尋ねたのだがエリスの反応は鈍い。
「………いえ。それは難しいかと。なぜかは不明ですが、都市の最高権力者であるアルフィアは、意図して教団の存在を見逃しています。不審者の存在、という程度ではアルフィアを動かすには弱いかと」
何を考えているんだ、あの女。俺を学院に招いたことといい、意図が読めない。教団を野放しにするのも、何かの目論見の一環なのだろうか。
「まあ、手伝いが必要なら言ってね」
都市側の戦力には期待できない。敵の戦力は削ったとはいえ、強大だ。
俺も手を貸す必要があるかもしれない。
「はい。ですがもう助けてもらっていますから」
エリスは謙虚に、だがしっかりと断る。
彼女の言う手助けとは、黒牙や『彼岸花』を預けたことを言っているのだろう。
エリスは幹部だから黒牙たちを指揮するのは当然の権利であり、手助けとは思っていない。
俺が言ったのは、俺自身が戦うことだ。これでも戦力としては黒牙以上だ。俺が手を貸せば、教団の討伐は楽になるだろう。
だけどきっと、エリスが俺に助けを求めることは無い。
エリスが俺の言葉を誤解するとは思えないため、きっと俺の発言の意図を知ってずれた回答をしたのだろう。
エリスは誇り高い。王女としての地位と責務、そして彼女自身の才能も有り、他者に手助けを求めることは無い。昔もその傾向は強かった。今はそれに加え、俺への忠誠もある。
彼女の忠誠心を考えれば、自身の力不足で俺を引っ張り出すのは明確なNG行為なのだろう。
難しいな、と思いながら運ばれてきたサンドイッチを食べる。だけどエリスなら何事も無く終わらせられるだろうから、黙って待とう。
「敵の中に、厄介な術を使う者がいました」
「透明化のやつ?」
「はい」
黒牙から聞いた話では、敵の中に完全に存在を消せるものがいたそうだ。黒牙が倒した戦士も急に眼前から消え、匂いでも音でも追えなかったそうだ。
そしてエリスが倒そうとしたガードゥも同様の手段で逃げられたとか。
「魔術とも武技とも違う技術です。黒牙さんが交戦した大男も同様に異様な力の気配を感じたそうです。魔王研究の成果でしょうか」
「へぇ。それは興味深い」
魔王に関する情報はほとんど残っていない。なにしろ神話の時代の話なのだ。アリスティア家の初代は生まれていたため、多少の資料はアリスティア家に残っているが、それも魔王自体に言及する資料はない。
恐らくこの学術都市アルフィアにも無いのではないだろうか。
可能性があるとすれば、魔王に殺された聖人を崇める聖人教の本拠地、聖人国カルドゥーナか。
どの道、師匠が派手に揉めた国だ。俺では閲覧できない資料だから無いのと同じだ。
「相手の実力も割れたので、負けることはありません。ですが相手の透明化能力を破る手段も無いので、武力による排除は困難になりました」
エリスが敵の拠点を炙り出し襲撃しても、透明化術者がいればまた同じように逃げられる。なら武力に頼った攻撃は、いたずらにこちらの手の内を晒すだけの行為だ。
「どうするの?」
「しばらくはミネルヴァ王女の奪還を第一目標とします。彼女が攫われてから一週間経ちましたから、無事かどうかは不明ですが生きてはいるでしょう」
確かにそうだ。被害者の証言があればいろいろ有利になるだろう。
「ミネルヴァ王女の証言という確固たる証拠があれば、なぜか教団を野放しにしている運命の魔女も動かざるを得ません。透明化術者の始末は彼女に任せましょう」
いかに学術都市を納めるアルフィアといえど、デネス王国の第一王女誘拐犯が分かってなお動かなければ、その信用は地に落ちる。その影響は内外に広く広がるだろう。
加えて、教団員たちを取り逃せば、アルフィアの力を疑われることに繋がる。
この学術都市はアルフィアの武力を背景に、三大国間という微妙な位置に独立都市を構えていられるのだ。
アルフィアの武力を疑われることは、最悪の場合、大国との戦争に繋がる。
これらの状況を考えれば、教団員の都市内での暗躍という確固たる証拠を掴み、それをミネルヴァ王女とエリスという大国の王女二人の権威と影響力で広めれば、アルフィアは確実に動く。いや、動かざるを得ない。
俺を超え、恐らく師匠と同格の魔術である彼女なら、透明化術者も難なく殺せる。そして見逃すことも出来ない。教団員を一人でも逃がせば、アルフィアの力を疑われることに繋がるからだ。人知を超えた魔女には、完璧を求められる。
そしてガードゥたちも、自分たちを倒しうるのはアルフィアだけだと分かっており、彼女を動かせないように、つまり確固たる証拠であるミネルヴァの守りを固めるはずだ。
これから俺達とガードゥの争いは、直接的な殺し合いではなく、ミネルヴァ王女という絶対的な証拠の奪取と守護になる。
そして近場の争い場は恐らく―――
「前期試験。使えるよね?」
「はい。成果次第でアルフィアの力を借りることも出来るでしょう。運命の力を持つ彼女なら、ミネルヴァ王女の居場所も知っているはず」
この都市には全てを見透かす魔女がいる。未来すら見通す彼女の力を借りられれば、間違いなくガードゥとの争いで優位に立てる。
だがそれは相手も分かっている。前期試験では全力で邪魔をしてくるだろう。
ガードゥにマークされるエリスはほとんど動けないだろうし、俺が点を稼ぐ必要がある。
『大墓地』に関する権限外の資料閲覧のためにも頑張らないといけないし、前期試験は中々の難易度になりそうだ。
ますます俺の平民設定が崩れそうな予感を覚えながら、俺は天井を仰いだ。
□□□
ゼノンが去っていく。それを見送ったエリスイスはふぅ、と重い息を吐いた。
それはゼノンに失望されなかったことに対する安堵の息だった。
昨日のガードゥ・バブブの屋敷襲撃作戦。そこでエリスイスたちは敵の戦力をつまびらかにし、モルドレッド教団排除に向けた大きな成果を挙げた。だが敵の主力を一人も討伐、捕縛できなかったのは事実であり、エリスイスの基準からすれば失敗ギリギリの成果だった。
幸い、ゼノンは気にしていないようだが、それを知ってエリスイスが気を緩めることは無い。敵の力はエリスイスの想定を超えていた。武力による排除は望めないほどに。
そして敵の動きも気になっている。まだ疑念の段階であるため、ゼノンにも明かさなかったが、違和感を感じていた。
(——―敵の数と被害が比例しない)
敵の数は100人以上。雑兵たちも、冒険者のランクに当てはめれば『シルバー』に値する。それは、熟練の戦士ということだ。
バスはゴールドを超えたミスリル級。英雄の領域に達している。
ガードゥ・バブブは拠点防衛にのみ限定すれば、エリスイスに比肩する。
そして、察知不可能の透明化術者。
都市内部の人材の誘拐に、これほどの戦力は不要だ。
透明化術者が攫い、都市外に運び出す。それを繰り返せばいいだけだ。
国を亡ぼせるほどの過剰な戦力は、誘拐ではなく別の目的のために学術都市内に潜入したと考えるのが妥当だった。
その目的には幾つか心当たりがあったが、その手段に関しては思いつかなかった。
エリスイスは机上のコーヒーを飲み、一息つく。知らず、疲労が溜まっていたようだと嘆息する。
そうしていると、風が吹いた。
防諜のために締め切った二階の部屋には、風の流れなど無かった。
それが起こったということは―――
「黒牙さん」
エリスイスはテラスに目を向け、そこに立つ人物の名を呼ぶ。
昨夜、エリスイスと共に戦った竜の名を。
バスとの戦いで傷ついていた体は既に癒えていた。僅か一晩で傷が癒えるでたらめな竜の肉体に、エリスイスは関心と呆れが入り混じった視線を向ける。
「ご用件は?」
穏やかな笑みを携え、問いかける。
わざわざ二階から侵入し、険しい顔を自身に向ける黒牙への対応としては、挑発と取られかねないものだった。
「………ゼノン様の襲撃の件、なぜ隠した」
続く黒牙の言葉に、エリスイスは僅かに表情を曇らせた。
それを見て黒牙は確信を得たのか、さらに言葉を続けた。
「ゼノン様を襲撃した暗殺者は都市の者だろう。ゼノン様は都市から疑われていた。そして貴様はそれを知っていた。なぜ、隠した」
黒牙はエリスイスの裏切りを指摘する。そしてそれは、真実だった。
ミネルヴァが誘拐された時、都市議員ボブス・マイヤーは王族を集め、教団の都市での暗躍を知らせた。その密会の際、教団を招き入れた内通者の存在として、ゼノン・ライアーの存在が挙がった。ゼノンはその時からすでに、教団の関係者として疑われ、マークされている。
それを、エリスイスはゼノンには伝えなかった。
ゼノンも都市側に疑われていると知れば、相応の対応をした。そうすれば、屋敷に暗殺者を送られるという状況にはならなかっただろう。
エリスイスはあえてその情報をゼノンには流さず、秘匿した。ゼノンに及ぶ危害すら見逃して。それを、黒牙はエリスイスを問い詰めることで確信した。
「それに気付くとは。優秀な諜報員を抱えているのですね」
小さく笑い、エリスイスは黒牙の問いを肯定した。ゼノンに対する背信行為を。
「何を白々しい。貴様の手に落ちたボブス・マイヤーの見張りを『彼岸花』にさせておいて気づかれないと思っていたわけではないだろう」
ゼノンの誘拐を指示したのは、ボブス・マイヤーだった。彼はゼノンを教団の内通者として疑っており、暗部を動かし、誘拐を指示した。
そしてエリスイスは、ボブスが教団に対処するためにゼノン誘拐という都市の法に反した強硬手段に出ると予想していた。そして、罠を張った。現場の実行犯『烏』から逆算し、暗部『鳥』の頭脳である『禿鷲』を捕え、その上層部であるボブスとの繋がりを明かし、ボブスを脅迫した。
――――教団の問題が解決するまで、私に協力してください。
学院生を学術都市の議員が暗部を使い誘拐しようとした。それは、魔術師の学び舎であるこのアルフィア学術都市の根幹を否定する事実であり、ボブスに選択肢はなかった。
そうして、ボブスは、エリスの手中に落ちた。そして彼が裏切らないように、エリスイスはボブスの監視を『彼岸花』に任せた。
ボブスの最も近い位置に『彼岸花』がいるのだ。当然、ゼノンを襲った暗部との繋がりと、以前の密会の事実を『彼岸花』は掴んだ。そしてその情報を彼らは黒牙へと伝えた。
そして今だ。
黒牙のエリスイスへの視線は、幹部に対するモノではなく、すでに敵対者に向けるものだ。室内に、激しい殺意が満ちていく。
黒牙はゼノンの忠臣として、背信者を殺そうとしている。
だがエリスイスの瞳に恐怖の色はない。それ見て、黒牙も僅かに眉を顰めた。
エリスイスは魔術、剣技、精神力、その全てが極めて高いレベルにあり黒牙にも、その実力の底を見通せない。
竜と人。圧倒的に格の違う種族だが、戦えば勝つのはエリスイスだと、彼らは互いに理解している。エリスイスの余裕の笑みは、勝つ自信があるからだと思い、黒牙も死の覚悟を決める。
だが、エリスイスは剣を黒牙の方へと放った。鞘に入った黒剣が硬質な音を立て、床を滑る。
「戦う気はありませんし、理由もありませんよ」
「………何だと」
「言い訳に聞こえるかもしれませんが、ゼノン様に向かう暗殺者が対処可能なレベルを超えていれば私が処分するつもりでした。
そして、都市の幹部を私が支配することは、ゼノン様の学院生活に役立つでしょう。リスクとリターンを考えれば、ゼノン様もお許しになられるかと」
一度言葉を区切り、そしてまた話始める。まるで用意していた台本を読むかのように。
「ゼノン様に教えなかったのは、ゼノン様が嘘が下手だからです。王族しか知らない情報をゼノン様が知っている。それはおかしいでしょう?
私との繋がりを想起させる事態は、一つとして残しておけません。ですから、これからもゼノン様に真実を伝えることはありませんし、貴方たちにも許可しません。分かりましたか?」
最後に黒牙たちへの命令を伝え、言葉を終えた。
それはアリスティア家幹部としての言葉だった。そしてそれを、黒牙が受け入れるという確信に満ちていた。
「………分かりました。次は我々にも伝えてもらえると、余計な手間が省けます」
同じようなことがあっても、見逃すことは無いと暗に伝え、黒牙は幹部に向ける言葉遣いに戻した。
そして黒牙は去った。
エリスイスは笑みを浮かべ、剣を手に取った。なぜゼノンが去った後もエリスイスが喫茶店に残り続けたのか、そして人の感情の機微に疎い黒牙がなぜエリスイスの表情の揺らぎに気づけたのか、そのことに黒牙が思い至ることは無かった。
黒牙が気づかないことまでも、エリスイスの手のひらの上だった。
「退屈しませんね」
ゼノンと別れて5年。外とは比べ物にならないほど波乱と陰謀に溢れた学術都市にも慣れ、エリスイスは再び退屈の毒に侵されていた。
それがゼノンが訪れてすぐ癒えた。今の日々は、エリスイスにとっても危険で悦楽に溢れたものだ。
光の王女の仮面を脱ぎ、暗い魔女の微笑みを浮かべてエリスイスは笑った。
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ストックが無くなったので、しばらく休みます。
次章は学院の前期試験編です。
近いうちに続きを載せるので気長にお待ちください。




