9 最初のオーレリアのものがたり
アスタリオスは「最初のオーレリア」の夫であった。
オーレリア18歳。
アスタリオス27歳。
彼は神官長就任を目前に控えていたが、ほんのわずかな書類上の数値異常から、ランベール領に疑念を持ったのだ。
就任前の休暇を使って、ランベール領に赴いたことで、彼の人生はまさかを転がった。魔物に拘束され、ランベール伯に始末されそうになったところを、オーレリアが割って入ったのだ。
彼女ははじめて妙齢の貴族の男性を見たわけだが、アスタリオスのことを物語の王子様のようだと思った。実際彼はとても美しい男だった。20代後半の現在でさえ、まだ女性と間違えられることすらある。流れるような長い銀髪、端正な顔立ちに、紫紺の瞳。
もし社交界にいればどれほどさわがれたであろうか。
一目で魅かれてしまい、その場で彼を「王配」にしてしまった。
といっても、オーレリアは単に彼に一目ぼれしてしまっただけ。
それを配下の魔物が感じ取ってしまい、この男は魔王の「配偶者」である、と認めてしまったのだ。
もはや魔物たちは「王配」と成った彼のことを傷つけることはできない。
ランベール卿はもはやこれまで、と娘を連れて国外へ逃げる決心をした。
ここからはスピード勝負である。自由を得たアスタリオスはおそらく、港を封鎖するだろう。流血を避けて家族みなで逃げることは無理かもしれない。ホトケ(仏)の教えに背き、娘のために殺生をし続けたツケが今まわってきたのかもしれない、とドリアンは嘆息する。
「わたくしの勝手な想いですから、どうかお気になさらず。」
無事に王都におもどりください、と告げて去ろうとするオーレリアに、青ざめた表情のまま彼が告げる。
「・・・・寝返ります。」
ランベール卿、お嬢さんをわたしにください、と。
拘束を解かれ、逃げていいといわれたときに、アスタリオスの「やるべきこと」は決まっていた。
隣説する王領に駆け込み、魔王の存在を告発するのだ。
だが、そうしたらオーレリアはどうなる?若く美しい彼女が、魔王として、罪人として捕縛されたら何が彼女の身に起こるか火を見るよりあきらかである。
助けてくれたから、だけでなく、自分を好きになってくれたことに絆された、でもなく、とにかくそれは嫌だった。
それが始まったら最後、自分には止めるすべがないことも分かっていた。
逃がしてあげることも、害が及ばないよう守ることも、おそらく何もできはしない。
何かするなら、「今この時」しかない。
「なんとか退職して、身ひとつでここに来ます。」
よろしくお願いします、と頭を深く下げる。
ドリアン=ランベールは信じられないものを見る思いがした。
こんな夢のようなことがあっていいのか。
「わたしは貴方を知っています。ディミトリアス神官長補佐どの」
「王都では新神官長が決まったと。貴方ですよね。」
「神官長・・・・」
オーレリアが力なくつぶやいた。
男性にとって出世や名誉がどれほど大事なものか、貴族の令嬢として社交ができなくとも、父の気の遣い方を見ていればそれはわかる。
そんな大事を捨てさせる、そんな価値が自分にあるのだろうか。
「もはや、わたしの順当な出世は、オーレリア嬢の悲惨な未来と引き換えです。」
言い切ってドリアンの目を見る。言外にそれはいやなんだと告げている。
「今わたしが選んだことに対して、後悔することがあったとしても、それはあなた方のせいではない。」
オーレリアに向き直ってその瞳をのぞき込む。
「すべて棒にふりましたから。・・・・今更わたしの妻はイヤとか言わないでください。」
これから捨てるのではない。
もう、捨てた。
だから捨てたなりに行動すると彼は告げる。
オーレリアは赤くなったり青くなったり、忙しいが、・・・・・喜びが隠し切れないのは見てわかる。
控えているヒトガタの魔物たちも色めき立つ。
「おめでとうございます」などと手を叩きあって、はしゃいでいる。
ヒトガタは魔物のなかでもとんでもなく厄介な存在だ。知性があり、同じ種族の魔を統率する力がある。出くわしたら命はないといわれるそれらに対抗するため、神殿管轄の対魔物特化部隊、聖騎士団を3名一組のチームでようやく、1体を損害なく倒せるところまで鍛え上げたのだ。
そんな恐ろしいはずの存在が自分と魔王の婚姻を祝福して、涙ぐんでるものまでいる。
アスタリオスが始末されそうになったくらいだから、ランベール領には牧歌的な面だけでなく裏の顔もあるのだろう。
だが、おそらく魔王オーレリアのまわりにはやさしい世界が広がっている。
そうしてアスタリオスはオーレリア配下の魔物たちの力を借り、首尾よく「神官長になり損ねた悲劇の男」として退職し、ランベール領で妻とひっそりと、だが幸せな生活を送った。
オーレリアの家族は、アスタリオスを歓迎した。娘と相思相愛の男性が一緒に秘密を守って暮らしてくれるなら、こんな幸運なことはない。魔王であるオーレリアはとてもまともな貴族婚はできない。それがわかっていたから、病弱であることにして、社交から遠ざけたのだ。だが、美しく育っていく娘を見て、女性として愛する男性を得られないのは、不幸な気がしてならなくなっていた。恋に憧れてこっそりロマンス小説を愛読しているのを知っている。それが「あきらめ」からくるものだと知っていても、不憫でならない。そんな中、娘がアスタリオスを夫として得たことは望外の喜びであった。おまけに、光の御子の最側近。彼の考え方は熟知しているのでめっぽう頼りになる。
それが油断を呼んだのか。
結婚2年目。
オーレリアとアスタリオスの間にできた娘、ステラが1歳になるかならないのときに、光の御子が聖騎士団を率いてランベール領を急襲したのだ。
わずか2年の蜜月の終わりであった。