8 悪役令嬢の涙
「何の騒ぎだ」
さわいでませーん。先生。
まあでも泣かしたのはわたくしか。
あああ、もう。きっと風当たりが強くなるわ。
「わたくしがつまらないことを伺ったものですから。」
「つまらないこと、ですって?」
涙に濡れた顔をあげてこちらをにらむが、はらはら落ちる涙がやたらと美しいな。
「ええ、申し訳ありません。本当に詮無いことを聞いてしまったと反省しております。」
本当に反省してるのか?と言いたげな男二人を見やって言い放つ。
「王弟殿下と、神官長補佐様、お二人から想いをかけられたら、フロリナさんに選ぶ権利なんかありませんものね。」
そら身分が上の光の御子様の一人勝ちだろうよ。むしろディミトリアス先生と両想いだったら不憫というものだ。
あら王弟殿下が渋い顔なさってるわ。可愛がってる女生徒に意地悪してるから?そろそろお口を閉じなくては。
「・・・・誰が誰に想いをかけているって?」
やだ無粋。
そんなこと直接口にするもんじゃないわ。
でも怖いから、いいわけでもしよっと。
「ロマンス小説大好きな女子の戯言ですわ。お捨ておきくださいませ。」
「ロマンス小説の読みすぎの果てがこれかな?」
反故紙の束をひらひらと人の顔のまえで振ってみせる。
そそそそそれはああああああああ!!
なんで思いつかなかったのかしら!わたくしの部屋に不審な書き物があれば、監視役に報告が行くのが道理じゃないの。
今泣いたカラスがなんとやら、「なんですの?それ」とフロリナがのぞき込む。その視線から上手に紙束を隠しながら、蒼い目で面白そうににっこりと笑って見せる。
「秘密だ」
わーコノヤロー。機密文書(?)覗くようなオンナに甘々ですわね!砂糖吐きそう。
フロリナさんに教えてあげたいわ。夢の中のコイツはね!「女なんかみんな同じ」とか言っていたのよ。(そのあと「ゴメンナサイ、反省してる。」とか言ってたけど、口から出た言葉は取返しなんかつかないんだから。今現在はたぶん己が所業を顧みるような出来事に遭遇してないだろうし。あ、愛しのフロリナに出会って、反省したところかしら。でもどうでもいいわ。)
あなたなんか、もうどうでもいい。
遠いところで幸せになってくださいー。
ふんだ。
ところで面子がそろったところなんだけど、フロリナさんはいつ席を外すのかしら。
ちゃっかり席についているわ。
はあ、彼女が同席している前提で、会話をするわけね。
まあ、光の御子にも、魔王にも、関係者以外に「話しちゃいけないこと」はたくさんあるから、そこを避けて話するわけね。上等だわ。
ルミナスがお茶に口をつけるのを待って、一同茶器を手にする。さすがにいい香り。
大公邸じゃ、ぬるいのとか薄すぎるのとか、碌な状態で出てこないから、美味しいお茶がうれしい。お菓子も食べてくれないかしら。一番身分の上の方が手を付けないてくれないと、手をつけにくいのだけど。もしくはフロリナさんにでもいいから食べるよう勧めてくれないかしら。とっても美味しそう。
ついじーっと端正なお顔を見つめてしまう。
「今日は行儀がいいんだな」
あら、ほめられたわ。「今日は」だから嫌味かもしれないけど。
「あまり美味しくて思わずお行儀がよくなりましたの」
にっこりとほほ笑んでやる。心からの笑顔じゃないヤツで。
「本当に久しぶりに美味しいお茶をいただいております」
このくらいの嫌味は言ってもいいよね。お茶菓子いつもしけったようなものとか、焦げたのしか出てこないし。
ますます渋い顔になる。
わたくしがまずいお茶とお菓子にしか出会えないのは貴方の管理不行き届きだから!
でも実は指示通りだのだとしたら・・・、ナニソレ怖い。
「大公邸の食事は口に合わんか」
あ、コレ食事抜かれるやつかな。
「日々の糧には感謝しております。大公閣下率先しての清貧、頭の下がる思いでございます。」
もちろん嫌味だよ。食事抜かれるなら嫌味くらい言ってもいいよね。
ところでフロリナさん、わたくしの食事に難があるって知って嬉しそうな顔するのはどうなのかしら。けっこう今意地の悪いお顔になってるの自分で気づいてる?
思ってたより実は子供なのかな。
でもまあ、仕方ないわね、わたくし散々あなたに怒鳴り散らしたものね。
「部外者の方のいる席で申し上げることじゃありませんが、せっかくですからお願いを。」
「家に帰りたいというやつか?」
あ、父への手紙も読んでるのね。まあいいわ。
「いいえ、それはもういいです。」よく考えたら、帰ってこられても、困るだろう。父母はともかく弟たちが。結婚にさしつかえる。
「社交シーズンに王都に参りました折にでも、面会がかないましたらそれで充分でございます。」
「ふうん?」
何よ。こっち見ないでよ。減るじゃないの。メンタルが。
「憂いなく監視レベルを下げられるように協力しますので、大公邸から神殿にでも監視場所を移していただけないでしょうか?」
アスタリオスが目を剥いた。
「神殿から学院に通う気か」
「もはや学院に通う必要が?」
だって、もてあましてココに放り込んだんでしょうが。
「神殿で何をするんだ」
「神官長補佐様の女児孤児院がございますよね。あそこで職員として雇っていただけないでしょうか?」
あ、ディミトリアス先生が唖然としてる。
いいじゃん。あそこ。夢の中でほんの短い間世話になっただけだけど。職員も女性ばっかしだし、いいところだと思う。
「私の妻になる話はどうした」
ソコでそれに触れる?!ワザワザそこすっとばして会話してるってのに!ほらほらそこのお気に入りが悲しそうな瞳で見てますよ。
「まあ、妻にしていただけますの?前向きにご検討していただいていたのかしら?一向に前に進んでない様子ですので、わたくしも身の振り方を考えざるをえなかったのですけれど。」
「・・・・孤児の世話は水仕事も含まれる・・・・・」
苦渋に満ちた面持ちでアスタリオスが声を絞り出す。
「信じられないわ。点数稼ぎのつもり?」
孤児院で働くのはそんなに立派な行いなのか。知らなかったよ。単に夢の中でだけど、知らないところより、知ってるところが良かっただけなんだけど。あとはやる気でなんとかなるのではなかろうか?少なくとも大公妃なんてものよりはずっとハードルが低いような気がするが、それは口に出したらアカンやつだろうし。
「点数稼ぎになるやらわかりませんが、神殿にとってはむしろお荷物でしょうし。女児たちと一緒に洗濯とか料理の練習から始めた方がいいかもしれませんね。」
アスタリオスの口が開かれ、すぐ閉じられた。おそらく「なぜ、孤児のカリキュラムを知っている」と言いたかったのだろう。その様子を見てオーレリアもはっとした。夢の中のことをこれ以上しゃべるのはもしかしたらヤバイかもしれない。というか、・・・・夢なのに、もしかして、現実といっしょだったりするの?
ふわりと風が香の匂いを運んできた。いつもアスタリオスが服に焚き染めている香りだ。孤児たちの中には男性に恐怖心を持つものもいる。アスタリオスは女性と見まごう容姿を活用して、彼女らに接している。が、さらに念には念を入れて自身の男くささを消すべく、神官服には常にいい匂いがするよう香を焚き染めている。香水をつかわないのは、王弟殿下の影の業務に支障が出ないようにする配慮だ。匂いなども印象に深くかかわる。
ふとその懐かしいその香りを嗅いだ時・・・。
「どうした」
知らず頬を涙が伝っていた。
夢の中でアスタリオスの香りを嗅いだのは、孤児院にいた少しの間だ。
その後、ルミナリオを出奔して、魔王城のある森で、家族とともに一緒に暮らしはじめたときには、彼はもう自身の男性らしさを隠す必要がなくなって、いつも自然にしていたから、むしろ汗臭いときすらあった。
(今臭いから寄ってきちゃだめ)
困ったように笑って、魔物たちに水をかけてもらったり、弟たちと川へ飛び込んだりして汗を流していた。
涙が止まらない。大変な失態だ。
貴婦人は顔をくしゃくしゃにして泣いたりしてはいけない。
だが、ボタボタと大粒の涙が真っ白なクロスにシミを作り、目は真っ赤。鼻水まで出てきた。
ああ、彼女みたいにきれいに泣けたならよかったのに。
いいか。
べつにいいか。
貴族令嬢であることにこだわらなくてもいいか。
魔王だし。
もっと自由になっていいのかもしれない。
何を唖然としたように見てるのよ。
見苦しいから下がれ、とでも言えばいいじゃない。
あとは詳細は文書で提出するから、別に嫌な思いして面談なんかする必要ないわ。
見たでしょ?
わたくしは頭がおかしいの。
放っておいて。
それが無理なら、貴方から見えないところへやって頂戴。
オーレリアは知らない。
涙したのは「最初のオーレリア」、女神アウロラ=オーレリアであることを。