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第四話 悲報

カーテンが閉められ月明かりが差し込むことのない真っ暗な部屋でアリストアは目を醒ました。

体に冷たい汗をびっしょりとかき、震える体を起こしてエドウィンの腕を思い出してぎゅっと自分の体を抱き締めた。


「大丈夫だよ。アリー」


エドウィンの優しい顔を思い出し、体の震えを止め、ゆっくりと息を吐く。

呼吸を整えベッドから抜け出す。

アリストアはエドウィンが出陣してから一つだけ習慣を変えた。

夜明けとともに起き、枕元に置いてある豪華なドレスとは正反対のシンプルな神事の正装を纏う。


夜明け前のため侍女は控えていない。

アリストアは部屋を出て、薄暗い王宮の廊下を歩き外に向かう。王宮に隣接する神殿を通りすぎ、しばらく歩くと木々が生い茂る小さな森に入っていく。

森の中心にある湧き水が溢れる水場を目指して。



建国から一度も枯れたことのない水場。

森に生い茂る木の中でも特に立派な大樹に囲まれた場所に、常に冷たい水に満たされている小さな泉がある。

アリストアは氷のように冷たい水にためらうことなく足をつける。

静寂に包まれた森にポチャっと音が響く。

足を氷のように冷たい水が濡らすが、淑やかな顔のままゆっくりと足を進める。

水は昔はお腹まで浸かってしまい、進むだけでも大変だった。

今は膝上までになり、昔のように転ぶことはない。

大きな御神木から止めどなく流れ落ちる湧き水の下で足を止める。

禊の文化はない王国で禊をするのはアリストアだけ。

全身の穢れを落とし、神に祈りを捧げると声が届くとは亡き母と王妃の教えである。

アリストアの艶やかな髪が水に濡れて輝く。

全身を濡らして、穢れを落としたアリストアは神殿への道を歩く。

どんな季節でも神殿に着く頃には服は乾くので神殿を汚すことはない。

神殿に入り、ゆっくりとひざまずく。

両手を組んで目を閉じて祈りを捧げる。

窓の外では朝日が昇り始めた。

神官達が目覚める夜明けから祈るのはアリストアだけである。

アリストアは人目がない場所で一人で祈りを捧げるのを好み、誰もいない静寂に包まれた神殿を気に入っている。


「エド様が無事でありますように。どうか、お守りください」


夜明けから朝食の時間までの自由な時間はエドウィンのため、他の時間は王太子の婚約者として国のために祈る。

王妃は朝議の後からずっと祈りを捧げているがアリストアは公務のためずっと神殿で祈ることはできなかった。


「アリストア様、そろそろ」


アリストアは迎えにきた侍女に声をかけられ、ゆっくりと立ち上がり部屋に戻る。

用意されたドレスを着て、髪を整え化粧をされる。

アリストアにとって一番大事なエドウィンがいない。それでも一日は始まる。

心の中でエドウィンを思い浮かべて、エドウィンにふさわしくあるために、気合いを入れて鏡に向かって非の打ち所のない淑女の礼を披露した。


****



「殿下が行方不明です!!」


エドウィンが出陣し半月が経つと駆け込む伝令兵の報せに王宮の空気が凍った。

王はありえない報告に一瞬だけ目を見張り、王妃は意識を失いバタンと倒れた。


「無事なお帰り心からお喜び申しあげます。どなたかお水を。お掛けください。息を整えてから詳しく教えてくださいませ」


アリストアは動揺を隠して微笑みながら伝令兵を労わった。

兵は渡された水を一気に飲み干し、微笑むアリストアを見て目を閉じた。

冷静にと言い聞かせて、姿勢をただして報告する。


「捜索をしてますが―――」

「ご苦労だった。使いは別の者に託そう。下がりなさい」


王は伝令兵からの報告を全て聞くと、馬車で一週間かかる距離を馬をかえて休まずに駈けてきただろう疲労の色が濃い兵に休むように命じる。

兵が退室すると王はアリストアに視線を向ける。

アリストアは王の視線に気付き、動揺を隠して淑女の笑みを浮かべた。


「無礼講だ。正直に言いなさい」


エドウィンが心配なアリストアは王妃教育通りに本音は心の中に隠す。

肌に感じる緊迫した空気を和らげるため、王妃好みの無垢な笑みを浮かべる。

鈴の音のような耳に響く声で、ゆっくりと相応しい言葉を音にする。



「陛下、エド様はご無事です。信じていれば帰ってきてくださるとお約束をくださいました。私は帰る場所を守るために精一杯励みます」

「殿下は何か策があるのかもしれません」


宰相もアリストアの言葉に同調した。


「戦場のことはわかりませんが、エド様とディアス殿下が率いております。陛下に勝利を捧げるための策かもしれませんわ」


緊迫した空気はアリストアの無垢な笑みと一切の迷いのない無事を信じる態度に徐々に霧散していく。

過度な緊張や不安は職務の妨げになるため、アリストアはいつも通りの空気に戻ったことに心の中で安堵した。

エドウィンの帰りを万全の状態で待つために、最善を尽くすのがアリストアのできることだった。


国王は頼もしい未来の国母に感心した。

眠っている王妃を療養させるように騎士に預け会議を再開させる。

エドウィンが出陣してから王妃の公務はほとんどアリストアに任せていたので不在でも問題なかった。

エドウィンのいないアリストアはエドウィンよりも優秀と囁かれても王は咎めない。

会議が終わるとアリストアは礼をして部屋を出て行く背中を王は見送った。

王は宰相と二人になり腹心を呼び出し新たな報告を受けた。


「ディアス様は攻めを緩め、守りを固めています。砦を落とし、物資を手に入れてますが籠城の様子はありません」


王はディアスがエドウィンの捜索に兵を回していると予想がついた。

エドウィンが生まれるまでは他の王子達にも教師をつけてきちんと教育していた。

エドウィンが生まれると教師はエドウィン付きにさせられ、王妃により学ぶ機会を奪われた。

優秀な王子の不審死が続き、自衛のために武を磨かせ、王妃が干渉できない騎士寮で育てることを閃いた。

指導役の騎士には文武両道の王の忠臣が紛れ込ませ、騎士寮の図書室には世界中の書物を集めて才のある王子の自主性に任せ育つ環境を整えた。

放任主義の王の期待通りに王子達は育っている。

野心さえあれば王を目指せた王子は留学という名目で、他国を内部崩壊させるために送り込んでいる。

王妃の目があるのでエドウィンとアリストアに時々教育をするが、干渉をすることはほとんどない。



「よもや行方不明になるとは。初陣は早かったか」

「ディアス殿下は負け戦はしません。負け戦になるなら和議要請の伝令を送られます。増援も求められてません」


王国にはディアスに及ばないが戦上ではよく働く武術の秀才や策の幅を広げる特殊な才能を持つ逸材達が残されていた。

優秀な駒を求められないのは必要ないということと宰相は判断していた。

エドウィンが行方不明でも結論は同じ。

アリストアと同じ結論であり、必ず勝利を掴むだろうディアスを信じて王は待ちたかった。


「捜索させないとか。捕虜になれば目もあてられない。死ぬならそれまでの器。だが…」


王にとって一番避けたいのはエドウィンの死ではなく捕虜になること。

王妃の私情まみれの教育方針のもと、文を磨き上げられ、武に疎く育ったエドウィンが自刃をする度胸はない。

死体だけでも必要だが期待はできない。

言葉を飲む王の言葉を宰相が笑いながらも引き継ぐ。


「アリストア様の特技が発揮されれば国は滅びるかもしれません」


エドウィンが捕虜になれば、アリストアは救出のために優秀な能力を遺憾なく発揮する。

疎遠である父親さえも説得し、公爵家を動かしエドウィン救出のためにどんな要求も飲んでしまうのが目に見えていた。


アリストアの父親は王家の忠臣。

通り名は氷の公爵。

睨まれれば砕け散る()氷像(執行猶予)にされるかは公爵の気分次第。

亡き愛妻の故郷さえ火の海にした無慈悲な男は国で一番恐れられている。

味方にすれば最強。敵対すれば悪魔。

愛妻を殺され、調査を進めるうえで全面協力をした王家に感謝し忠義を貫くようになった公爵の愛情は亡き妻にのみ注がれアリストアとは私的な面会は一度もない。

公爵の弱点にアリストアはならないが、公爵家はアリストアの後見についている。

公爵家が動くよりも暗殺の腕も謀も全てにおいて天才の氷の公爵が動くほうが恐れられている。

父親の力を頼りにしていないアリストアは自身で人脈を作っていた。

アリストアの声だけで動く貴族もおり、国内では王妃よりも動かせる勢力は上だった。

敵対すれば悪魔と言われる公爵と唯一似ているところである。


「私情で動かれることはありませんので、アリストア様に関しては心配はいらないと」



王は宰相の言葉に頷くも半信半疑のためアリストアが余計なことをするなら止めるように護衛に命令を出した。






エドウィンが行方不明になり一月が経ち王宮内は緊迫した空気が漂っていた。

戦は終らず、エドウィンの消息も掴めていない。



アリストアは紫のアネモネと青いリンドウの花束を無垢な笑みを浮かべて王妃や従軍した兵の家族に贈った。


「勝利のために励んでくださっています。エド様とディアス殿下が精鋭部隊を率いています。無事に帰ってきてくださいますわ」


アリストアは執務室の花瓶に取り寄せたばかりの時期外れの紫色のアネモネを飾る。


「エド様を信じてます。約束通り信じてお待ちしてます。どうか心のままに」


アリストアは長びく戦に不安を抱く貴族や民に勝利を信じて演説、物資の手配、同盟国に裏切られないように手回し等、公務の他にも戦の後方支援に動いていた。




「勝利を信じて待ちましょう。常に勝利に導く王族が率いています。従軍するのは精鋭部隊。勝利を手にして帰還します」


アリストアは両手で抱えていた勝利の花、青いリンドウを盛大にばら撒いて戦勝祈願をよく響く声で歌う。アリストアと共に歌う天使の片割れがいないため物足りなくても、涼やかな声が心に沁みわたっていく。民達は天使の片割れが行方不明とは知らない。

それでも最愛の婚約者を信じて待つアリストアに励まされ前を向く。

アリストアは民達の明るくなった顔を見て微笑んだ。






アリストアは部屋に飾ったアネモネを眺めていると閃いた。

侍女と侍従を呼び使いを命じて微笑む。

エドウィンのためにできることを見つけた。

翌日、朝議の後にアリストアは王の前にひざまずいた。

王はアリストアからのお願いの姿勢に警戒しながら視線を向けた。


「申してみよ」

「感謝申し上げます。長きに渡る戦にせめてもの慰めに、感謝の品を贈ることをお許しいただけますか」

「任せよう」

「ありがとうございます」


王の懸念は杞憂に終わった。

エドウィンが行方不明でもアリストアは動揺は一切見せずに公務に励み、余計なことをする様子はない。

兵の士気を気にするまでの余裕があるとさらに評価を上げた。

王にとって難点はエドウィンの出陣の後押しをしたアリストアにも王妃の怒りが向いていること。

アリストアは上手く流しても王妃が初めてアリストアを敵視した日。

アリストアだけはエドウィン以外で感情は動かないので何も支障がなかった。


「陛下、兵の増員を」

「必要ない」

「貴族の私兵を使えば、公爵家は」

「おそれながら申し上げます。公爵家は国王陛下の要請があれば動きましょう。軍への指揮は殿方の領分ゆえ、王妃様の命を叶えることはできません」

「そもそもそなたが止めていれば」

「聡明なエド様が望まれました。エド様の決意もお約束も信じております。神はエド様をお守りくださいます」


鬼のような形相で声を荒げる王妃にアリストアは笑みを浮かべて聞き流す。

王妃はエドウィンへの心配と思い通りにならない状況に苛立ちを隠せなくなっていた。

アリストアは王妃の怒りを受ける理由に心当たりがあるが、機嫌をとるほど時間に余裕がなかったのでどれだけ荒れ狂っても流すだけ。公務に支障がないなら時間をさく必要性も感じなかった。




真っ暗闇の中、アリストアしかいない水場に漆黒の烏が降りてくる。

他人がいる時は決して近づかないアリストアの友達に腕を伸ばすとそっと止まる。


「おはようございます。やはり、」


アリストアは甘えるように顔をすりよせる烏の足につけられている文を解き懐に入れる。頭を一撫でして、ポケットから実を出して食べさせる。


「いい子ですね。明日まで遊んできてください。感謝してますわ。王妃様には内緒ですよ。また会いにきてください」


アリストアは王妃が母国との連絡に使う烏を手懐けていた。

王国民は賢く毒を持つ殺傷能力の高い烏には近づいてはいけないと教えられている。

毒耐性のあるアリストアには関係なく、王宮で見かけた烏がエドウィンを傷つけないように教えるために手懐けた。

飼い主が王妃と知ったのは偶然だった。

アリストアは王妃の手紙を宰相に渡している。

国同士の極秘のやりとりは宰相に任せるがアリストアの常識だった。

王妃のエドウィン捜索のための母国への救援要請はアリストアが宰相に情報を流しているため適わない。

アリストアは王妃が母国からの返事がなく荒れ狂っていても優先順位は変わらない。




王妃が連日、捜索に兵の増員を求めても王は許さない。

アリストアも王の許可がないので動かない。

戦において余計な手出しは厳禁であり、感情で動いてはいけないと王妃に厳しく教えられたアリストアは私情で公爵家の力を使うことは一度もなかった。

王妃がどんなに言葉をかけても王も宰相もアリストアも動かず、むしろ妨害をした。

王と宰相はディアスを、アリストアはエドウィンを信じていた。

そして三人の反対を押し切り、王妃の要請に応える貴族はいなくなった。

王妃の要請通りに騎士団を動かせば謀反と疑われ、国を守る騎士隊に制圧された。王宮での強者の正体に気づいた貴族は後の祭りだった。


「父上、お呼びでしょうか?」

「探りを。必要なら始末を」

「かしこまりました。暗殺者が紛れているのでお気をつけください」


国王は諜報が得意な王子を極秘で愛妾の部屋に呼び出した。

ディアスは伝令が襲われることを危惧して最低限の報告しかあげない。

実情は長い報告を書くのが億劫で苦手なだけである。

情報収集とエドウィンの身柄が敵国に囚われている場合の王妃が反対する対処を命じて送り出した。


「お弁当はそこにあるから、気をつけて行ってらっしゃい」


王子はおっとりしている母親の言葉に頷き、窓から出て行く。抜けている母親に突っ込みをいれることはしない。

私的には父はバカの観察を楽しむ趣味があり、天然の母親も役者の一人。

バカな子ほど可愛いというのは息子には理解できない考えだった。





乱れることなく動いていた大きな歯車。カチと小さな歯車が狂う音が響いていた。

王は気付いても見逃した歯車の狂いが取り返しがつかなくなるのはしばらく先の話だった。


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