最終話中編
辺境領は新たな名産品が生まれ、発展の道を辿り始めた。
アリストアの好物の入手に家臣達が公爵の力を借りて取り組み始めた。
「慣れれば簡単だ。繁殖力が強いから増やせばいい。賢いから番犬に丁度いい。馬とは別に育てなさい」
「閣下、どこで飼育するのが適任ですか!?」
「今は砦の訓練場を一つあれば十分だ。国防に最適だ。栄養もあるから」
騎士達は危険な動物の調教や捌き方を教わり、家畜として育て始めた。
国境を守る砦は危険な動物を飼う牧場となっても不満はなかった。
「解毒薬があれば毒など怖くない」
「久しぶりに見ましたわ。ふわふわですわ」
アリストアは公爵が連れてきた猛獣にためらいなく近づき抱き締めた。
「可愛い。もふもふの中でお昼寝も素敵です」
ディアスは満面の笑みを浮かべるアリストアとやる気満々な騎士達を見て思考を放棄した。
公爵がアリストアに害のあることはしないのでいいかと。
しばらくして公爵と騎士達が猛毒を持つ猛獣、家畜の繁殖に成功させた。
大量に飼育するだけで牽制になり、一番難攻不落な場所に変わった。
「国防が楽になっただろう?」
「ディアス様、見てください!!上手ですわね」
ディアスは狼の上に座る娘と絶賛する妻への反応に困った。
偵察兵は狼の上に座る幼児も拍手している美女さえも恐ろしく近づくことはなかった。
「可愛い」
「可愛いか?」
「はい。とても。私ももう少し軽ければ背中に乗せてもらえましたのに」
ディアスは凶悪な顔をしている動物を可愛らしいと笑うアリストアの感性が理解できない。
調教のすんでいない狼に噛まれても気にしないアリストアを一人で近づけるつもりはなかった。
アリストアを噛んだ狼はその日のうちに食材になったのは誰も同情しなかった。
アリストアの自分に対する危機感は狂っているため、牧場で遊ぶ時はディアスが付き添っていた。生死の境を彷徨っても死ななければ大丈夫と笑う危険な思考の持ち主に。暗殺が得意の王妃がエドウィンの身代わりとして育てた影響とは気付かない。
「見てくださいませ!!旅芸人に教わりましたの」
アリストアが笛を吹くと猛獣達が踊り出す。
見物していた子供達が手拍子をする。
「多才ですな。アリストアは教えがいがある」
「サーカスの団長様を引き抜けるなんて……」
ディアスはいつも立って演奏するアリストアが座っているのに違和感を覚えて、そっとスカートの裾を捲った。歯形を見つけて抱き上げた。
「帰る。怪我をしたらすぐに教えろ!!」
「大袈裟です」
「バカ」
アリストアはディアスに邸に連行され叱られた。
危なっかしいアリストアをディアスはますます目が離せなくなる。
邸に帰ると王宮務めの任期を終えて、契約更新しなかった侍女や執事が殺到していた。
「どうしたい?」
「優秀な方々なので仕官していただけるなら是非」
ディアスはアリストアの希望に頷く。
王宮の使用人の質が下がることに気付いてもアリストアは気にしなかった。
アリストアファンの使用人達が加わりさらなる発展に繋がっていく。
アリストアは初めて趣味を見つけていた。
氷の公爵とアリストアは土に汚れながら大規模な家庭菜園作りに力を入れていた。
アリストアが大好きな父と娘と一緒に楽しそうに育てているのは毒草や毒花。
「アリストア様、これは?」
「家庭菜園です。お父様とお世話するので」
「大きいですね。お手伝いします」
「感謝します。絶品ですので楽しみにしてくださいませ」
迎え入れた使用人達は公爵の作る絶品料理の虜になり惜しみなく協力をはじめ、家庭菜園はどんどん大きくなっていく。
アリストア達が栽培しているものは管理が難しく希少価値が高く高値で取引されるため、商売に関しては公爵家が全面的に支援している。
娘を溺愛する公爵の遊び場になった辺境領は利益を生み出していた。
兄と姪の暴走に叔父が頭を下げにきたのでディアスは苦笑するしかなかった。
ディアスは義父と妻の変わった教育方針を聞きながら、子供の世話は母に任せることを決めた。
親子の仲が修復したことでさらに明るくなった辺境領。
しばらくしてアリストアの予想通り嫌な風の予兆が吹き始めていた。
領民の信頼を掴み豊かになる辺境領とアリストアのアピールもあり評価を上げるディアスとは正反対にエドウィンはアリストアとの婚約破棄からどんどん臣下の信頼を失い、とうとう王太子の地位は取り上げられた。
そして水面下で始まっていた王位争いが本格的に始まった。
アリストアは娘と父と一緒に日向ぼっこをしながら届いた手紙を開封せずにディアスに渡す。アリストアも公爵も開封しなくても手紙の内容はわかっていた。
この件に関してはアリストアはディアスの方針に全面的に従うつもりだった。
「玉座が欲しいなら簡単だ。与えようか?」
「いりません」
「妃になりたいかい?」
「ディアス様の妻のついでに王妃なら構いません。ディアス様の心のままに」
「そろそろ王宮から召喚状がくるだろう。継承権を放棄しても有力候補に」
「ディアス様が望まれないなら巻き込まれないように動きます」
ディアスは息子にしか見えない娘を抱きながらチェスの駒を並べはじめる父娘を眺めていた。
玉座に興味はなく、変わっているが優秀な参謀が増えディアスの生活は格段に楽になっていた。
先見の巫女の予言は信じなくても、千里眼を持っていそうな義父の言葉は裏を取らなくても信じていた。
公爵がドレスを贈った三日後にアリストアは王宮に足を運んだ。
公爵のディアスへの土産のあとには必ず何かがおこる。そして必要な物は全て公爵からの贈り物に含まれていた。
アリストア達が並べるチェスの駒の意味をディアスが知るのはしばらく先の話である。
ディアスの言葉にアリストアがスラスラと駒の配置を変えたのには気づかなかった。
ディアスはアリストアから渡される頻繁に届くエドウィンからの手紙に王妃とそっくりだと呆れながら中身を読む。都合のいいことしか頭に残らない。傷を知らない異母弟はいまだに現実が見えていないと。
公爵の予言した3日後にディアスに召喚状が届いた。
「いってらっしゃいませ」
アリストアは笑顔でディアスを送り出した。
謁見の間には国王夫妻と宰相、成人した王族が集められ王位争いについての誓約が話されていた。
本格的な王位争いの始りだった。
国でも特に力を持つ公爵家出身のアリストアを妻にしたディアスは堂々と辞退を表明した。
周囲は有力候補の辞退の表明に驚く。
王と宰相は予想通りでも周囲は違った。
「アリストアの意見は」
ディアスは王妃の言葉に堂々と返答した。義兄仕込みのたっぷりと嫌味をこめて。
「王家に命を捧げた時に妃を目指したアリストアは死にました。私的には若気の至りなのでもう無かったことにしてほしいと言っています。王位争いには中立。俺達は不干渉の立ち位置を望みます」
「え?」
ディアスはアリストアを捨てたエドウィンの傘下に入らないことも表明した。
アリストアはエドウィンの手紙も焼き芋の材料になることに喜ぶだけで無関心だった。
遠慮のないエドウィンとの関係を聞く令嬢達の質問に「初恋に浮かれて勘違いした若気の至りなので笑ってください」と言うほどに。
話を聞いた令嬢はアリストアのいないお茶会で捨てられたエドウィンを嘲笑い、顔だけ王子と高笑いをしながら興奮した体の熱を冷ますために扇で風を起こしていた。
エドウィンも王妃もディアスの言葉にさらに驚いた。
王妃はエドウィンを慕っているアリストアなら喜んで動くと思い、エドウィンはアリストアとの絆を信じていた。
いつも味方のアリストアに拒まれるとは思っていなかった。
「兄上、会わせていただけませんか?」
ディアスの言葉を受け入れられないエドウィンに呆れながらも、ディアスは頷いた。
アリストアの中で、焼き芋の材料以下になった異母弟と共に邸に帰った。
「ただいま」
「お帰りなさいませ。あら?殿下?ごきげんよう」
「アリー?」
「恐れながら誤解されますので愛称はおやめください。殿下に振舞える料理はありませんが――」
アリストアは連絡もなく王子を連れ帰った夫に抗議の視線を送る。
王子を迎えるための準備は何もできていなかった。
エドウィンは自分に向けられた視線が全てディアスに注がれていることにようやく気付いた。
ディアスは宥めるようにアリストアの頭をくしゃりと撫でると微笑む頬にいつもより長い口づけをおくる。頬をおさえてはにかんだ笑みを浮かべるアリストアを凝視しているエドウィンに見せつけた。
王家にとっていらないもの扱いを受けた過去を持つ二人はお互いを大事にすることにした。
ディアスは呆然としているエドウィンを心の中で嘲笑う。
冷たい現実を知らない甘い世界の住民は初めて手に入らない存在を知る。
常に冷静に判断するという大事な教えを習得できていなかったエドウィン。ようやく大事なものに気付いた時はすでに手遅れ。
妹のように慈しんだ少女が美しく成長し、子供を抱く姿はかつて恋した人より美しく見えた。
エドウィンに芽生えた心は許されないもの。
アリストアからエドウィンに向けられる視線に親しみは一切なく、一人の男の新たな恋の結末は見えていた。
エドウィンのもてなしの準備に礼をして部屋を出ていくアリストアの背中を呆然と見ていた。
エドウィンは自分を置いて先を歩くアリストアを知らなかった。
「僕達に絆はなかったのか。僕だけは」
「エド、間違えるな。先に壊したのはお前だ。お前は加害者でアリストアが被害者。この事実は未来永劫変わらない」
ディアスは都合のいい思考の持ち主の呟きに冷たく伝えた。
恋に狂って年下の少女に死を望んだことを忘れている異母弟に。
エドウィンが忘れ、アリストアが気にしなくてもディアスは忘れない。
全て無かったことにしたのは逞しさではなく心の防衛本能と解釈していた。
エドウィンは親しみのない笑みを向けられながらもてなしを受けて、異母兄の言葉が頭にゆっくりと流れ自分が先に手を放したことにようやく気付いた。視線を合わせるだけで言葉が通じるかつての少女とは視線はほとんど合わなくなった。




