第二十六話 取り戻した絆
春の女神が息吹を吹き、真っ白な世界が色とりどりの世界に変わったころに小さな命が生まれた。
「神はいなかった」
「まさか、よりにもよって?」
「生意気な顔がそっくり」
娘が生まれ、一部の者達が悲しむ中アリストアは喜んでいた。
「ディアス様にそっくりですね。きっと優しい子に育ちますわ。男の子ではありませんが」
「別にいい。よくやった」
「上手に泳げるか競争しましょうね」
「歩けるようになったらだ」
ディアスは母子ともに健康であれば気にしない。
喜んでいる妻に抱かれて、自分に似た赤子に下世話な妄想をする部下を追い出した。
「息子にしか見えない」
しみじみと呟くディアスは母に教鞭でバシッと叩かれる。アリストアは目の前の光景に気づかずに赤子を抱きながら知人達から届く部屋に積み上げられていく祝いの品を眺めていた。
送り主の名前を確認しながら手紙に目を通すアリストアはそろそろ王家とは関係のない社交から復帰することを決めた。乱暴王子との仲を心配する手紙を読みながら、誤解を解きディアスの地盤固めのための策の思案を始めた。
アリストアがしばらく思考していると仕事に出かけたはずのディアスが戻ってきたので首を傾げ、後ろにいる男に目を見開いた。
赤子をベッドに寝かせて、ベッドを降りて礼をしようとするアリストアに公爵は首を横に振る。
公爵はアリストアの出産の報せを聞き、心配になり弟に様子を見に行かせようとすると自分で行けと断られた。
不器用な兄と姪のために初めて反抗した弟を脅す間を惜しんで、弟に託す予定の物を抱えて訪問した。
視察に出ようとしたディアスが邸の前で立ち竦む姿を見つけて、強引に連れて来た。
11年振りの親子の私的な面会に沈黙が流れていた。ディアスは公爵の手に持つ篭を見て素直になれない姿に笑いを堪えた。ディアスにとって氷の公爵は不器用な男になり、弱点を知っているので恐れもない。
「公爵夫人が亡くなってすぐに公務でアリストアを放置したことをずっと悔やんでられた」
容赦なく暴露する義息子に公爵は殺気を向けてもディアスは気にせず続けた。公爵の愛娘さえ味方につけておけば怖いものはなかった。
戦場で過ごしていたディアスは人が突然死ぬことをよく知っている。
掴んだものを手放したくないなら時に足掻かないといけないことも。
ディアスは成長途中の聞き分けの良すぎる、自分のために足掻けない年下の妻の代わりに足掻く甲斐性も持っていた。
「手に持ってらっしゃるのはアリストアへですか?」
公爵はディアスの暴露に不思議そうな顔をしているアリストアに篭を渡した。
アリストアは中身を見て目を大きく開けた。
篭の中には昔、家族で食べた肉の燻製と稀少な花の砂糖漬け、父特製の干し魚が入っていた。特に魚は父しか捕まえることができず、非常に手間のかかるもの。母が亡くなってから一度も見ることはなかったものだった。
「昔、好きだっただろう。いらなければ」
アリストアは篭を抱きしめた。瓶の蓋を開けて、花びらを口に含み記憶と同じ味に幸せな記憶が蘇る。食べ過ぎはいけませんと言われた花びらをゆっくりと飲み込み父を見つめて口を開く。
「ありがとうございます。嬉しいです」
アリストアは記憶の中と同じ優しい顔の公爵を見て、幸せな記憶が蘇り瞳が潤んでいきポロリと涙を流した。
「ごめんなさい。お父様。私がきちんとお勉強をしていれば…」
公爵は愛娘に嫌われるのが怖かった。
正直エドウィンに愛娘を捕られたことへの不満もあった。愛娘の幸せのためならと飲み込み、アリストアの目指すものに辿り着くための楽な道を用意するために駆け回っていた。弟の叱責を思い出し、過ちに気づく。
「アリー、違うんだよ。アリーの所為じゃない。勉強なんてしなくていい。お父様が悪かったんだ。愛しているよ。アリーが笑っていてくれるだけでいいんだ。怖いものはお父様が排除してあげるから」
公爵は涙を流すアリストアを昔のように抱きしめた。ディアスは唇を結んで我慢している無言のアリストアの頭に手を置いた。
「言いたいことがあるなら言え」
ディアスの言葉にアリストアは頷き、ゆっくりと口を開いた。
「ま、また帰ってきてくださいますか。お父様もお母様もいない邸は、」
「もちろんだ。すまなかった」
アリストアはそっと父の背中に手を回した。
懐かしい香りは変わらない。
ディアスは手を放して、無表情の公爵とアリストアが抱き合う光景を眺めていた。
アリストアが取り戻せたものに笑っていたのは篭の中身を見るまでだった。
ディアスは花を食べたアリストアの様子が変わらないか観察するも変化はない。これは食べさせていいものなのかと篭の中身を凝視していた。
公爵家は毒使いの家系であり、篭の中身は全て猛毒を持った食材。きちんと毒を抜く調理をすれば食材として重宝されるが手間がかかり危険が伴うので知られていなかった。採取した毒は薬に、残りは食材にするためアリストアの食べ慣れた料理は公爵邸にしか存在しない。そして両親のいない公爵邸に帰ることをアリストアは拒んでいたため、母が亡くなってからほぼ口にすることはなかった。
しばらくしてアリストアは父の腕から放れる。
「お父様のお魚もお肉も絶品です。王宮料理と違いいくらでも食べられます」
「食欲があるようで安心したよ」
「独り占めしそうになりますわ。お母様に怒られてしまいますね」
焼き芋よりも美味しそうに食べるアリストアをディアスや家臣が眺めていた。
視線に気付いたアリストアは肉が好きなディアスの口元に干し肉を一切れあてる。
ディアスは笑顔の妻に負けて口に含むと、柔らかく、口の中で溶ける肉に驚く。食べたことのない奇妙な味でも癖になりそうな美味だった。
そしていくら好物を探しても見つからなかった理由もエドウィンの偏食に付き合える食に関心のない理由もディアスが気づいた時だった。
見たことがないほど幸せそうに食べるアリストアに家臣達が目をギラギラさせた。
「公爵閣下!!入手方法を教えてください!!」
公爵は気が遠くなるほど多い作業行程を語った。
父を取られてしまったアリストアは手を伸ばすと手を繋いでくれるディアスに嬉しそうに笑う。
アリストアは指を絡めると握り返してくれる手の持ち主がくれた血の繋がりは信じられるものという言葉の事実に気付いてさらに笑う。
体が本調子になったアリストアは母の葬儀を終えてから初めて父と一緒に母の墓参りに出かけた。
帰りに公爵邸に寄ると叔父夫婦と義兄が出迎えた。
アリストアの一番辛い時期に叔父夫婦は国内にいなかった。帰国すると、公爵邸はほぼ無人。公爵は復讐に駆られて行方不明。アリストアは王宮に保護されたことだけが救いだった。公爵代行印が残され、いつも通り兄の代わりに代行した。
全てが解決した時には、親子の溝は深まり、二人は公爵邸に帰ってこなくなった。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
「部屋はそのままにしてある。いつでも、」
「食事にしましょう。積もる話は、」
ようやく帰ってきた公爵邸の主達を叔父夫婦は笑顔で歓迎した。
「叔父様、叔母様、義兄様、せっかく後見についていただいたのに申し訳ありませんでした」
アリストアは王家から婚約破棄されたことについて初めて頭を下げた。
「王家からの申し出は断れないもの。うちは王家とのお付き合いはいらないから気にしなくていいわ」
「アリストアが後悔してないなら構わないよ。アリストア達の後見はうちがつくからいつでも相談に」
「待ってください。アリーは心残りはないのか?」
公爵家の跡取りはアリストアと顔を合わせるのは1年ぶりだった。時々勉強を教えていたので、エドウィンに盲目的だったこともよく知っていた。
「義兄様、私は精一杯頑張りました。頑張ったおかげでディアス様と焼き芋が食べられました。王太子殿下の婚約者として贈られたものは美しい炎の演舞を見せ、ディアス様も笑ってくださいました。王家にとっていらない私がディアス様を笑顔にできる瞬間をくださいました。後悔はなく、むしろ感謝しておりますわ」
明るい笑顔で初恋を乗り越えたアリストアに義兄は吹き出した。
そして、0か100かの両極端の思考の持ち主だったことを思い出した。
昔のアリストアは独占欲の塊の視野の狭い子供だった。
赤子のアリストアを知る、エドウィンよりも長い付き合いの義兄は周囲に伝わっていない内容も理解していた。
役に立たないエドウィンはいらない。
エドウィンの立ち位置はディアスに塗り替えられ、アリストアが必要とするのはディアスの役に立つものだけという。
「ゴミ以下か…。気にしてないならいいよ。そんなに気に入ったのなら芋を贈ろうか?」
「ありがとうございます。でも、燃やすものがありませんのでお気持ちだけで十分ですわ。義兄様」
アリストアは久しぶりに家族と共に慣れ親しんだ晩餐料理を口にする。
公爵と楽しそうに話すアリストアに、叔父夫婦はようやく修復した親子関係に祝杯をあげた。
そして公爵夫人が亡くなってから、アリストアは初めて幸せだった日々の思い出話に花を咲かせた。
父と共に迎える3度目の母の月命日にディアスと種を植えて、育てた花を供えて報告をした。
信じられない言葉が信じられるものに変わったことを。
「お母様、血の繋がりは本物でした。私はうまく絆を繋げられません。それでも子供を授かりました。我が子のためなら―――――」
見えない絆は信じられなくても、ディアスが血の繋がった我が子に会うために必ず帰ってくることに気付いて笑う。
アリストアとディアスに何もなくても、娘とディアスには血の繋がりという本物の絆がある。
大好きだった父はアリストアを愛していると抱き締めた。これからは会いにくると約束をくれて週に一度は会いに来てくれるようになった。
アリストアはディアスにとって必要ないなら捨てられてもいいと思っている。
それでもできるだけ一緒にいたいと願う。アリストアの亡き愛妻への報告に常に付き添う公爵は静かに聞いていた。娘を幸せにしてくれた義息子に感謝し、傷つけたバカ王子の処理を思案しながら。
おしどり夫婦と言われるようになるディアスとアリストアが両思いでも無自覚だったことは誰も気づいていなかった。客観視は得意なのに自分の恋愛においてお子様の二人は無自覚でも常に寄り添い幸せに暮らしている。
愛娘のために公爵はディアスの後見についた。
公爵の後見によりディアスが戦や小競り合いに駆り出されることはなく穏やかな日々を手に入れたと知るのはしばらく先の話である。
美しい花が咲き誇る辺境領を統治する領主夫妻が乱暴者の戦好きの王子と芸術品のような無垢なお嬢様と知る者はほとんどいなかった。




