第二十五話 真実
王と宰相に盛大な祝福を受け、アリストアの成人後に婚姻を認められたディアスは一人で視察に出向いていた。
アリストアはうちで大人しくしてるように言い聞かせたのでふらふら出かける心配はなかった。妊娠に伴い過保護になった家臣達がアリストアが邸内で過ごすように全力を尽くしていた。
ディアスは殺気を向けられ剣に手をかける。
剣を抜こうとして、殺気の主を見て両手を上げた。元王子で辺境伯でも自分が斬れば色んな意味でまずい相手だった。
「よもや無理矢理などと」
氷のように冷たい声が聞こえた。
アリストアはずっと辺境領で過ごしていたため妊娠も王家に話すまでは公にしていなかった。
目の前には冷気を纏うアリストアに関心のない表情筋が死んでいる氷の公爵。殺気を向けられているディアスは一つの可能性に辿り着く。アリストアが抜けた穴を埋めた存在と大きな誤解に。
王命とはいえディアス達の婚約に異議申し立てがなかった。
女に興味を持たない乱暴王子の婚約者。剣と軍略を評価されているディアスを恐れて不満が出ないのかと予想していた。エドウィンと婚約破棄だけならアリストアに縁談が殺到してもおかしくないほど評価の高い公爵令嬢である。
ディアスが辺境伯に任命されたのは、王子の中では有能で使い勝手のいい駒。その駒を対抗馬に仕立てようとする貴族が現れる前に手を打たれただけと予想していた。王家から派遣された家臣達が動くので名ばかりの辺境伯の予定だったが丸投げが許されなかったのは計算外である。今は妻になったアリストアが、雑な仕事をする文官達を指導している。ディアスの監視役の文官達はアリストアに懐柔され、敬意はなくてもディアスに忠実な犬になっていた。
それでも戦がおこれば駆り出される立ち位置は変わらない。
「アリストアを廃したかったのは、公爵閣下か。怪しい巫女が婚約者に選ばれ、一時的に受け入れられたのも」
巫女の先見は断片的で抽象的であり、言葉を読み解き、有効活用するにはリスクが高く手間がかかること。
そして巫女の予言はディアスにとっては必要のない情報ばかり。嵐の予見はできなくても、空気と空を見れば天気を読むことはできる。
自然災害には備えていればいいだけ。
迅速、臨機応変の対応はディアスが得意なこと。
すでにアリストアがディアスの方針のもとに災害やいずれ始まるであろう王位争いに巻き込まれないために準備を始めていた。アリストアは天気は読めなくても、やる気さえあれば人の思惑や政争、ディアスの携わらない物理ではない戦い方は熟知していた。タイプの違うアリストアのおかげで、ディアスの策の幅は広がっていた。そしてアリストアに陥落している家臣もよく働いている。誰よりも厳しい環境で育てられた元未来の国母は夫さえも騙して暗躍していた。
「女に興味のない殿下が貧相な娘に手を出すとは思わなかったよ。アリストアが絆を結んだと思っていたから手を貸したが調子に乗りすぎた。誤解だよ。帰国してから聞いて驚いたよ。アリストアの願いで側妃候補になり、ディアス殿下と婚約。王命で外堀を埋めて事後承諾――――」
表情筋が死んでいる常に無表情の冷たい目をする公爵が王家の忠臣でアリストアに無関心なのは勘違いだと確信を得たディアスは頭を下げる。王家が全て手続きをすませたので、ふらふらと飛び回る公爵を捕まえず、接触もしなかった。王家への不満を語る無表情な男は国で一番敵に回してはいけない存在である。
「ご挨拶が遅れて申しわけありません」
「平民風情が務まるわけないだろう?アリストアが一言、認めないと言えばすんだ話。ただアリストアは言わなかった。アリストアなら巫女など簡単に排除できただろうに…。傀儡にするにはアリストアは優秀すぎたか。アリストアが君のところで楽しそうに過ごしているから、これ以上王家に振り回されないように手を回しただけだ。巫女は早々に国を発とうとしていたから部下を回して私の手が空くまで留まってもらえるように。アリーの信頼を裏切ったなら同じものを―――」
エドウィンの希望でもあの巫女が王妃に迎え入れられ大人しく生活していけるとは思えなかった。ディアスは巫女が半年も王宮に留まったことは、逆らってはいけないと本能が告げる男と取引したのを理解した。
「いずれ恐怖に怯えているだろう。探しても見つからない未知の恐怖に。殺すのは一瞬だが生きながらも体を蝕むもの、そして悪化するかは運次第」
ディアスは巫女の処遇は自分達さえ巻きこまれなければ興味はなかった。軍略に興味を持っているアリストアには戦には絶対に連れて行かないと告げ、巫女のようにはならないように言い聞かせた。あり得ないと笑われたが気まぐれで努力家の妻は信用できなかった。
無表情で淡々と語る男にどうしても聞きたいことがあった。
「アリストアと不仲なのはどうして」
「一番辛い時期に側にいなかった親なんて会いたくないだろう?帰国したときにはアリーの目には殿下しか入らなくなっていたから。昔は殿下よりもお父様のお嫁さんになりたいと言っていたのに。全てが片付くのに五年も―――」
愛娘の苦言が怖くて近づけないバカな親。そして陰で暗躍してアリストアが想うエドウィンや王家のために動き力をつけた。
10歳からでも親子としての絆を結べばアリストアの人生は違ったものになっていただろう。
空回りしている国で一番敵に回してはいけない男に余計なことを言うのはやめた。
一歩間違えれば自分も巻き込まれるのが目に見えていた。
国で一番の暗殺部隊を持つ氷の公爵。
たった一人の後継者である恋人を虐げていた国を一夜で滅ぼした男。
目をつけられれば凍らされ、砕けるか氷像として操られるかは運次第。
ディアスはアリストアが度胸がある理由を理解した。五年かけて亡き妻の殺しに関与したものを全てに悪夢を送った男の娘。執念深さは受け継がれなかったが……。
「公爵閣下ならいつでも歓迎します。アリストアはエドも巫女さえも恨まず終わったことと整理をつけています。亡き公爵夫人の好きな花が咲き誇る頃には子が生まれます。それでは」
巫女がアリストアには絶対に手を出さないと公爵が断言するなら処理はしない。
ディアスはエドウィンとアリストアのことは邪魔するつもりでも親子の仲を裂くつもりはない。アリストアを求めるエドウィンが捨てられたと気付くのは遠くない未来。
いずれ戦が起これば妻と子を残していく。お転婆になり、我が儘になった妻の側に父親が傍にいてくれれば心強いだろうと思いながら別れを告げた。
ディアスが帰宅し、厩に着くと愛馬の世話をしていたアリストアが嬉しそうに笑いながら出迎えた。
「おかえりなさいませ。ディアス様をありがとうございます」
ディアスの愛馬の鬣を優しく撫で微笑むアリストアは身長が伸び、真っ白な肌は健康的な色を持ち、凹凸のない体は膨らみを手に入れ、大人に成長していた。
馬から降りたディアスはアリストアの全身を眺め一つに束ねている髪をほどくと艶やかな髪がふわりと肩に落ちる。アリストアはどんな時でもディアスの手を拒むことはない。ディアスはアリストアの髪を指でもてあそび、嬉しそうに笑う顔にそっと口づけた。驚いて目を大きく開けたアリストアの頬に口付けるとはにかんだ笑みをこぼす。
「ただいま。子供が生まれる前に処分するか」
「処分ですか?」
「サイズが合わなくなったドレス。邪魔だろう」
アリストアはディアスの意図を理解した。アリストアの部屋に置いたままのドレスは慎重に扱うべきものだった。
「王家からのものは売れませんよ」
「燃やすか。焼き芋でもやるか」
「焼き芋?」
「知らないか。教えてやるよ」
「ディアス様は博識ですね。お勉強は苦手ですのに」
人の手に渡らず、元王族が許可するならいいかとアリストアは楽しそうな遊びに目を輝かせる。
「燃やす材料は多いほうがいい」
「まぁ!?足りるでしょうか…」
「運んでやるから教えろ」
ディアスはアリストアが分厚い本を持ったので取り上げる。
「お前は運ばなくていい」
「私のいらないものですから」
「お前が運ぶより俺が運ぶほうが早い。火をつける役は譲ってやるよ。あとはどれだ」
「お嬢様は座っていてください。手伝いますよ」
アリストアはドレスをはじめエドウィンとの思い出を庭に全て運ばせた。
高価な物を処分しようとするアリストアを止める者はなく、家臣達は意気揚々と手伝った。
ディアスは迷いなく処分しようとするアリストアを上機嫌に眺めていた。
「ほら。気を付けて投げろよ」
庭に積み重なる塊を眺め、アリストアは火元をディアスから渡され火を放つ。
燃やすと危険な物は騎士達がそっと取り除き後で処分する予定である。
美しい炎が躍りパチパチと音が響き、形を失い色を変え、次第に灰となり風に舞うものを眺める。
隣で芋を投げ入れるディアスの指を掴むと絡んだ指に笑みを浮かべる。アリストアは美しい炎を眺めながら王宮では口に出すことが許されなかった言葉を初めて口にした。
「頑張ったんですよ。頑張らない私はお父様に呆れられ見向きもされなくなりました。エド様のお傍にいるために人一倍頑張りなさいと言われた通りに。頑張らなくても手を握ってくださったのはディアス様が初めてでした」
「知ってる。遊ばないで勉強ばかりしてただろう。難しい本ばかり読んで」
エドウィンが遊んでいる時さえアリストアは勉強をしていた。
年上のエドウィンに追い付くために必死だった。幼い頃は面識がなかったディアスの言葉にアリストアは驚きながらも、遥か昔の憧れを口にする。
「ディアス様はよく木の上でお昼寝されてましたね」
「知ってたのか」
「書庫の窓から見えますのよ。妃殿下が見れば怒られるので窓を閉めて隠して差し上げました。はしたないことですから。エド様は高い所が苦手ですから真似されませんが」
「適当でいい。子供の頃に一生分頑張ったんだ」
アリストアは初めて言葉で褒めるディアスにさらに笑みを深めて少しずつ膨らんできたお腹を撫でる。
「饒舌ですね。お父様に見捨てられないように頑張らないといけません」
「血の繋がりは濃い。余計な心配すんな」
手を解き、焼けたばかりの芋を割り、火傷しないように冷ましてから渡してくれるディアスの優しさにアリストアは笑う。
家臣達は主の頼りなさに拳を握っていた。
美しい年下の妻への扱いが雑だと。二人は周囲の咎める視線は気にせずに芋を口にいれる。
焼き芋の材料として燃えた物は王子の婚約者が身につけるには相応しい物ばかり。
口に広がる甘みにアリストアは頑張ったから美味しい焼き芋が食べられたと笑う。
エドウィンとアリストアには何もなかった。それでもディアスと一緒に美味しい焼き芋が食べられるこの瞬間があるなら無駄ではなかったと芋を味わう。
ディアスは何をしても喜ぶアリストアに笑う。
ディアスの笑みを見てアリストアは満面の笑みを浮かべる。アリストアがディアスのためにできることは少ない。アリストアの集めた材料でできた焼き芋で喜んで貰えるのが嬉しく、明日は育ててくれた農家のおじさんに感謝を伝えることを決めた。
いずれアリストアが育てたもので笑ってくれるかもしれないと気づきさらに嬉しくなった。
農夫に会いに行くアリストアにディアスが付き添い、楽しそうに話す姿に噴き出した。
捨てたエドウィンに捧げた時間は美味しい焼き芋になり無駄ではなかったと笑う妻に。




