第二十三話後編 それぞれの現実
エドウィンは成人しても生活に変化はなかった。
家臣に好かれる巫女は王妃の側で王妃教育に励んでいるため、ほとんど別行動。
「アリストアの任された案件も落ち着きました。領地に戻ります」
「ありがとう。気をつけて」
「勿体無きお言葉です。失礼します」
エドウィンの執務は王の次に多い。
エドウィンもアリストアも文官として優秀なため大量の執務を任されていた。
王は一人で処理するには多いとわかっていても、アリストアの代わりを見つけるのはエドウィンの役目と国に支障がないため高みの見物だった。
エドウィンの大量の公務を整理して、アリストア以上の執務能力を持つ青年のおかげで平穏が作られていた。
青年が王宮から去ると執務室にはどんどん書類の山が出来ていく。
巫女はエドウィンを優しく労るが、公務については役に立たなかった。
賓客のもてなしの席に同席させても微笑むだけで交渉は任せられない。
隣の席の主がいなくなり、しばらくして息苦しさに襲われる。
友人は善意での手伝いであり、強要することはエドウィンにはできなかった。
今まではアリストアのおかげで滞りなく公務がすまされ、補佐官を必要としていなかった。
執務を補助する専用の補佐官を任命することさえも思いつかず、必死に公務をこなしていた。
多忙に追われても朝の習慣として巫女を部屋に迎えに行く。
部屋に入ると広がる光景にエドウィンは絶句した。
エドウィンに夢を見せるため巫女は従順なフリをしていた。窮屈で退屈な日常の中、欲に負けた巫女は美少年のような顔立ちの侍女を抱いていた。
美少女の柔らかい体は刺激的で新しい世界に夢中だった。
うっとりと愛の言葉を囁き、口づける仕草はエドウィンが受けてきたものと同じもの。たった一つのものを与えられ共有することを知らないエドウィンに知らない世界が広がっていた。
「……こ、これは」
巫女はエドウィンの声に気付き、真っ赤な唇を噛む。このままエドウィンも抱いてごまかそうかと思案するも腕の中の少女と楽しみたい欲を抑えきれない。
「おはようございます。朝食の用意が整いました」
巫女の専属侍女は目の前の光景は気にせず巫女に湯あみを勧める。
エドウィンは信じられない光景に絶句し部屋を出た。
執事に呼ばれるままに体を動かし朝食を食べ、朝議に参加し執務室に行く。
空の隣の席を見ながら、初めて裏切りを知ったエドウィンは信頼の籠った瞳で自分を見つめていた少女を思い出す。
「エド様のお心のままに。王妃様ではなくエド様の決めたことに私は付いていきます。国を治めるのは王妃様ではなくエド様ですもの」
涼やかな声の持ち主のアリストアに会いたくなり初めて仕事を放棄し、辺境領に向かった。
エドウィンは馬車を降りて、足を進めるとポロンと響く音に足を止めた。
視線を向けると、夕焼け空の下で艶やかな髪を風にたなびかせ、吟遊詩人の隣に座り竪琴をポロン、ポロンと弾くアリストアを見つけた。
酷い音でも太陽の下で見慣れた笑顔を浮かべるアリストアにエドウィンは笑みをこぼした。近づこうとするとアリストアは不機嫌な顔のディアスに抱きかかえられ、風のような速さで消えた。
「外に出るなと」
「吟遊詩人様が」
「うちに呼んでやる。母上達がうるさいんだよ」
「もう治りましたのに。初めて竪琴を聴きました。素敵な音色で」
「バカ。いくらでも招いてやる。竪琴も買ってやるから大人しくしてろ」
寒気に襲われた辺境領は雪の降る季節に備えて引っ越し準備が行われていた。
平地にある本邸ではなく、国境沿いの高台にある日当たりが良く水場が近くにない別邸に。
アリストアは辺境領の掌握に本格的に動いていた。
アリストアの策略通りにディアスを心優しい領主とアピールしながら警戒心の強い領民の心を掴んでいた。
王都に行かないディアスは戦が始まるまでは王都から遠い国境沿いの邸で過ごすのもいいかと、目を放すとふらふら消える危なっかしい妻のために引っ越しを決めた。
ディアスの訓練さえも椅子に座って楽しそうに眺めているアリストアを配置すると兵の士気が上がる。
アリストアファンの専属になりたいとうるさい騎士が増えたがアリストアを頻繁に砦に連れていくと落ち着いた。
ディアスの仕事場に連れて行けばアリストアは大人しくしているので一石二鳥だった。
国境の防衛以外は丸投げ予定がきちんと辺境伯として働いていることにディアスは驚きながらも手間ではないので流れに身を任せていた。
辺境領の統治は王達の思惑通りアリストアがディアスに気付かれないように家臣達を操作していることに気付いていなかった。
「座ってろ。持たなくていい。邪魔だから大人しくしてろ」
「言葉を選びなさい!!」
「俺達の仕事ですからお気になさらず。すぐ終わりますので休んでいてください」
引っ越し準備を手伝おうとするアリストアは断られ邪魔にならないように椅子に座ってぼんやりしていた。
窓の外を眺めていたはずのアリストアが竪琴の音に惹かれて消えたため捜索されていた。
ディアスは見つけたアリストアを毛布で巻いて馬車に押し込んで本邸よりも暖かい別邸に向っていたのでエドウィンと会うことはなかった。
エドウィンはディアスの消えていく背中に婚約者への不誠実という言葉を思い出し王宮に戻った。
「殿下、巫女様の姿がありません」
巫女が荷物を持ち消えたという報告を侍女から受けても何も思わなかった。
裏切った巫女への恋は完全に冷め、もとの平穏が恋しくなり両親のもとに向かった。
「巫女姫が消えました」
国王夫妻は巫女が侍女と一夜を共にして姿を消したと報告を聞き、国王は冷めた視線を、王妃は怒りに眉を吊り上げた。
国王は巫女につけていた監視から全てを聞き、妃教育を放棄しエドウィン以外の男とも関係を持っていることを知っていた。
重要な情報は与えずに、子も身籠っていないため捜索も暗殺の必要も感じなかった。王妃が追っ手を放つだろうが結果までは関心はなかった。
成人したエドウィンを甘やかすつもりはなく、どう動くか高みの見物の姿勢は崩さない。正妃の子でも後見なしでは玉座には座れない。
「報告のために来たのか?」
「いえ、……」
「妃教育を終えているのはアリストアだけ。あの子も反省しているかしら。呼び戻しましょう」
王妃は巫女へ苛立ちの中、少しずつ冷静さを取り戻す。
早急にエドウィンの代わりに危ないことを引き受ける存在が必要だった。友好国以外の王族の接待はエドウィンではなくアリストアに任せ、危険な晩餐の席に愛息子がつくのを許さなかった。
王は王妃とエドウィンがアリストアを呼び戻す準備を始めるのを冷めた視線で眺める。
自分達が切り捨てた存在を再び迎え入れようとする傲慢さは王にはないもの。
エドウィンと王妃が気付かなくても新しい歯車は動き出していた。
アリストアの献身がディアスに向くなら王家がどんなに望もうと帰ってこない。
アリストアの祖先、海の女は愛する男への情が海のように深い。
海の女に愛された男は栄華を極めるか朽ちていくか二つに一つの未来が約束される。
そしてアリストアのエドウィンへの情の深さゆえの献身を利用しどんな時でも冷静に主にとっての最善の結果を選ぶように教育をしたのは王家だった。
エドウィンが無意識に与える試練を全て通過し外見と反して逞しく育った最高傑作はどんな箱庭でも利用し生き残る力を持っていた。
「アリストアとディアスの婚約を破棄してエドウィンと婚約か。アリストアならうまく収めるか。王命は使えない。アリストアが心から望まぬ限りは叶わないもの」
「喜びますよ。アリストアに文を」
「ディアスも同席させるように」
当事者不在では話にならないためディアスとアリストアの召喚状を手配した。
王家の最高傑作がどちらの王子を選ぶかは王にはわからない。




