第二十三話前編 それぞれの現実
アリストアはかつて血の海になった場所に来ていた。
かつて隣国の王族が住んでいた城は燃やし更地になった。
アリストアは慰霊碑を建て子供達と種を植えた。
花が咲くのはしばらく先である。
そして今日もパフォーマンスをする。
隣国民が信仰していた神聖な泉に足をつける。
泉の中心までゆっくりと足を進め、小さな手で水をすくい、体にかけるとパチャ、ボタン、ビチャと水の音が響く。
アリストアの体が濡れていき、太陽の光が反射しキラキラと光る。
神々しい光景に領民達は足を止めて食い入るように見つめた。
アリストアは領民の視線に反応せずに美しい笑みを浮かべて泉から出る。
そして慰霊碑を目指して歩く。
艷やかな髪は太陽の光に照らされ輝きを増す。美少女が上品に微笑を浮かべ足を進める姿に人々は足を止め視線を奪われる。
慰霊碑の前に立ちアリストアは美しく礼をした。
髪に飾っていた生花を供え、涼やかでもよく響く声で語りかける。
「目指すものの違いゆえの争いです。強者は弱者を虐げますが、陛下の慈しむ民は別です。強者は弱者を庇護におき、弱者が義務を果たすなら守ります。いずれ互いに手を取り合えればと願います。安らかな眠りを」
ゆっくりとひざまずき、両手を組んで祈りを捧げる。
しばらくして鎮魂歌を声高らかに歌う。
ディアスが滅ぼした王族は民に好かれていない。
それでも血の海を作った侵略者の心象は悪いため領民に受け入れられるように種をまく。
禊をすませ頻繁に祈りを捧げ、美声を披露する姿を多くの者の目に焼きつける。
アリストアは視線が集まるように振舞い、慈悲深い領主夫人を演出する。
自分の容姿の使い方を熟知しているアリストアは警戒している領民達を魅了する。
「美しい」
「心に沁みわたる」
「そろそろ来るかな!?」
そしてパフォーマンスの終わりは決まっている。
アリストアの策通りに領民達は美しい妻を、馬を疾走させ焦った顔で迎えにくる領主に親しみを覚えはじめていた。
「アリストア!!一人で行くな!!」
「おかえりなさい。お散歩ですよ」
禊をすると布が重たくなるため薄布一枚しか着ていないアリストアは馬から飛び降りたディアスに毛布にくるまれ馬に乗せられた。
「雨が降るから急ぐ、靴はどうした!?」
「あら?忘れました」
「真冬に禊はするな!!バカ」
「温かいですよ」
幼い頃から氷のように冷たい水で禊をしているアリストアの感覚はおかしかった。
ディアスは裸足で歩き、霜焼けができているアリストアをお湯に放りこむため馬を走らせながら念のため額に手を当てた。
「あれは冷たい水だろうが!?また熱が、って具合が悪いなら言えといつも言ってるだろうが!!熱があるのに外に出るな!!」
「大袈裟ですよ」
アリストアは楽しそうに笑いながら不機嫌な顔のディアスの叱責を受け流す。
自分達を見ている領民達にディアスの優しさをアピールする。平凡な容姿の外見を武器にできないディアスのアピールにアリストアは手を抜かない。ディアスが本気で怒っていないので、自重せず明日も同じことをするつもりだった。
隠れんぼと気配を消すのが得意なアリストアが護衛をつけずに出掛けるのは簡単だった。
子供の頃に侍女の目を盗んで隠れた経験のおかげである。
殺伐としている王家とは違い辺境領では賑やかでも穏やかな時間が流れている。
アリストアの策はアリストアしか知らない。
周囲に気づかせずに環境を整えるのもアリストアの特技である。
アリストアはディアスがエドウィンと違って策略家であることを忘れていた。
ディアスはアリストアの願いで本邸から遠い滅ぼした隣国の元王都で過ごしていた。
慰霊碑を建て、祈りを捧げるだけなら好きにさせた。
真冬に禊をするアリストアを見逃せず、ぐっすり眠る微熱がある妻を眺めながら家臣に命じた。
「帰る。禊が出来ない場所を急ぎで探せ」
家臣達もアリストアの足の霜焼けを見て頷く。
アリストアが寝ている間に移動を始める。
アリストアは目を醒ますと宿ではなく違う部屋にいた。
アリストアの寝ている間に禊をやめさせるため、水場も慰霊碑もない町に移っていた。
「冬に禊はやめろ。熱が下がったら外に連れてく。休んでいろ」
「あら?まぁ、大袈裟ですね」
「うるさい。寝ろ」
ディアスはアリストアを腕の中に閉じ込めて惰眠を貪ることを決めた。
療養を命じられたアリストアの策は狂ったので次の策を思考しはじめた。逞しい腕に懐かしさを感じる胸に思考をやめて目を閉じた。
****
戦後処理も終わり、王宮は落ち着きを取り戻した。
エドウィンも平穏な日を過ごしていた。
王妃は有力な情報を用意し、忠実な巫女を気に入り上機嫌だった。
王妃は王家主催の盛大なエドウィンの成人祝いと婚約披露の場を用意した。
王は沈黙を貫き、貴族達はアリストアの生家をはじめ有数の公爵家が異議を唱えないため受け入れた。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
「殿下のご活躍が――――」
絢爛豪華な会場に一つだけ足りないものがあった。
貴族達は王妃のお気に入りの巫女に祝福を伝えながら足りないものを確認し、己の立ち位置を思案する。
「やはりか」
「噓だろう?」
「巻き込まれたくない」
「花がないとは……」
「料理がいまいちですわ」
エドウィンとダンスを踊る巫女を眺めながら各々が水面下で動き出す。
足りないものは王宮とは正反対の閑静な部屋にいた。
夫の腕の中でドレスを身につけず、静寂を楽しんでいた。
未来の王妃として社交界の中心に君臨していたアリストア。王家主催のパーティーではエドウィンとともに場を盛り上げる花のひとつ。
二人で登場し、無垢な笑みを浮かべながらファーストダンスを披露する。
エドウィンとアリストアが王家を代表して踊り終えると他の貴族達が踊りはじめる。
ときには二人で楽器を演奏し美しい音色で盛り上げ、声高らかに歌い来賓を歓迎する。
王家主催の盛大なパーティーではエドウィン達の余興は貴族達の娯楽の一つだった。
いつもエドウィンの側に控えている美少女はエドウィンが不在になった途端に優秀さを惜しげもなく発揮した。エドウィンの優秀さが霞むほどの成果を。
そしてアリストアがエドウィンのための祝いの席に出席しないなら公爵家はエドウィンから手を引き、最大の後見を失ったと社交界に知れ渡った。
祝福を笑顔で受けている当事者達は歯車が新しいものに変わったとは気付かない。
新しい歯車が乱れなく動き始めていた。
新たな歯車の鍵になった青年は妻に口づけを落とした。
「王都に行きたいか?」
アリストアはまどろみの中、溢されるディアスの言葉にエドウィンの成人の儀のことだと気付いた。
今から出掛けても間に合わないとは突っ込みはいれない。
「玉座に興味はありますか?」
「ない」
ディアスが玉座を望まないなら顔を出す必要を感じなかった。自分が顔を出さないことで波紋を呼び、一つの可能性が生まれる。エドウィンの進むだろう道にアリストアには興味はなくてもディアスに関係あるなら別だった。思考を巡らせやはり今は動く必要はないと片付けた。
「ディアス様が参加されるなら」
「お前が行きたくないならいい」
ディアスはアリストアを抱き寄せて頭を撫でる。
アリストアは思考を放棄し幸せな温もりを堪能しながら目を閉じる。ディアスの胸はアリストアにとって幸せな記憶を思い起こさせた。
「お父様の胸に抱かれて眠るのが好きでした。罪に気付かず無知だった頃」
「罪?」
「お父様の膝の上に座ってお母様のお話を聞くのが好きな私はお勉強をしませんでした。お父様に見捨てられても当然です。昔のこと………」
言葉がどんどん小さくなり寝息が聞こえる。
アリストアが情事のあとにぼんやりとこぼす言葉は家族の思い出だった。
母が亡くなり父に見捨てられたアリストアに手を伸ばしたのがエドウィンだった。エドウィンがアリストアの中から消えているのは明らかで、ディアスは腕の中でぐっすり眠るアリストアの艶やかな髪を弄びながら鈍い異母弟を嘲笑う。
エドウィンの成人と婚約披露の招待状が届いてもアリストアには渡さなかった。
祝賀会しか参加しないディアスでさえもアリストアが参加すれば好奇の目に曝されることは理解していた。社交界に一切興味のない、生活の知恵を身につけることにしか興味のないアリストア。王宮からの手紙も興味を持たずにディアスに渡されたものだけ目を通す。
「好きの反対は無関心。エドはどうするか。夢に溺れてくれるなら都合がいいか」
ディアスの策を完璧にするには一つだけ足りないものがあった。
策のためとはいえ腕の中で眠る少女との触れ合いがディアスは嫌ではなかった。
父の命令で色事を覚えるために妾と過ごした拷問のような二日間。
初めて柔らかい体を知った時に襲った恐怖はアリストアには感じない。むしろ触れたいと小さな欲がうずくのは腕の中の少女だけ。
主導権を握りたいディアスは女の趣味が父親と同じとは気づいていなかった。
青年の肩に鳥が降りてきた。
青年は鳥に餌を与えながら手紙を読む。
「嵐の前の静けさか。初めての嵐はどうなるか。そろそろ限界か……」
賑やかな広間とは正反対の天使の片割れが好んだ静寂が包む水場に響く声を聞いたのは鳥だけだった。




