第二十二話 新しい歯車
アリストアは目を開けて逞しい腕の持ち主に笑う。抱き締めてくれる腕に胸があたたかくなる。
記憶にある、馴染んでいたものとは違う腕はなぜか懐かしい気持ちを思い起こさせる。
ディアスは目を開けると大きな瞳と目が合う。
関係を変えたことを思い出し、顔色のいいアリストアに念のため問いかける。
「体は痛くないか?」
「はい。大丈夫です。おはようございます」
「着替えて食事にするか」
「かしこまりました」
ディアスはアリストアを抱いていた腕をほどき、ベッドから起き上がる。
アリストアもディアスを見習いベッドから起き上がる。
ベッドから降りて、軽やかな足取りで長い髪を垂らして、真っ白な肌を晒したまま服を取りに歩くアリストアをディアスが頭からシーツを被した。
ディアスは慌てて服を着て、シーツから顔を出し目を丸くしているアリストアに服を渡した。
「全裸で歩くな。先に行く。ゆっくりでいい」
ほのかに頬を染めたディアスはアリストアから目を逸らして部屋を出た。
日の光を浴びて、大人に成長途中の体を惜しげもなく目にして体の熱が上がっていた。
「貧相な体にありえない。気の迷いだ」
頭を冷やすために足早に歩くディアスに誰も声を掛けなかった。
動揺しているディアスと違いアリストアは落ち着いていた。ばあやを呼び、体を拭いてから服を着る。
アリストアはディアスが子供を求める理由を理解していた。
婚約者が共に住むのは早めの後継を求められている時だけである。
監視という名目でもアリストアがディアスの邸に住んでいるのは王家の血を残すようにという王家の考えと解釈していた。
王宮で厳しい教育を受けたアリストアは初夜で動揺できるほどの可愛げは持っていなかった。
恋人同士のやりとりに憧れても、初夜に憧れはない。子供を作るための必要な行為。王妃に教育され色狂いの王を知っているため、非常に冷めた一面を持っていた。
ディアスがアリストアの部屋に泊まり挙動不審で出てきても非難の声はない。
「ようやく自覚したかしら」
家臣の過保護に呆れるディアスは甲斐甲斐しく自身も世話をしていることには無自覚だった。
ディアスは居候、アリストアは監視と言いながらも常に一緒にいる二人が惹かれ合っているのは明らかだった。
気付かないのは当人達だけであり、若い二人の邪魔をするつもりは誰にもなかった。
「どちらがマシって明らかだよな」
「顔だけ王子よりはな」
可愛らしいお嬢様の相手がエドウィンとディアスなら考えるまでもなかった。
貴族の常識を知らない家臣達は成人前に手を出すことには寛容だった。
ただし夫婦生活においては違っていた。
夫婦になって変わったことは寝室を共にすることと、アリストアが手を伸ばせば手を掴んで歩調を合わせて半歩先を歩くディアスが見られるようになっただけ。
アリストアもディアスも互いに不満はなくても周囲は違っていた。
「ご夫婦になられたんですよね!?ご夫婦ならそれらしいやり取りを」
「寝室を共にするだけが夫妻ではありません!!」
「男がリードしてあげるものよ」
「別にいいだろうが。アリストアも望んで」
「殿下はよく頬に口づけを送ってたわよ。幼い殿下にできたのに―――」
落ち着きを取り戻したディアスは家臣達に責められていた。
欲深く美しい女達を見て育ったディアスは面倒な女に興味はなく、お付き合いの経験もない。
王宮で色狂いに惑わされないように指導を受けさせられたがディアスにとっては苦痛で迷惑な時間だった。
値踏みするような視線も蔑む視線も不愉快で、人によって瞬時に顔を変える姿は幼いディアスには化け物のように映っていた。
ディアスの特に苦手な強烈で自己主張の激しい我が儘な女と正反対の料理を教わるアリストアを眺めながら、背中を叩くうるさい家臣にため息をこぼす。
ディアスの邸にいるのはアリストアのファンで遠慮のない者ばかり。
「できました。あら?お腹がすきましたか?」
視線に気づいたアリストアはナイフを手に置いて振り向いた。むきたての林檎をディアスの唇にあてた。
ディアスは林檎を咀嚼しながら咎めるような家臣の目にため息をこらえて、目の前の柔らかい頬に口づけをおとす。
アリストアは目を丸くして、頬に触れる温かいものに気付きほのかに頬を染めてはにかんだ笑みをこぼした。
家臣達は愛らしい笑みに満足そうに頷き、ディアスはなぜか敗北感に襲われるも物凄く可愛いと思ってしまった。アリストアの照れるところは人とズレがあった。
家臣達は可愛らしい女主人の姿を堪能するためにディアスをけしかけるというディアスにとっての迷惑な日々の始まりだった。
ディアスには異母弟のように人前で抱き合い口づけをする趣味はなく、挨拶代わりの頬に口づけが最大限の譲歩だった。とはいえ可愛らしい笑みは悪くなかったので、時々アリストアの頬にそっと口づけを落としていたのは夫婦の秘密である。
「お茶にしましょうか」
「俺は出かけるからいらない」
ばあやの声にアリストアは笑顔で頷くもディアスの言葉に首を傾げた。
「監視しなくてもいいんですか?」
「信用できない女を妻にしない」
ディアスの素っ気ない言葉に背中がバシッと叩かれた。
「言葉を選んで下さい!!お美しいアリストア様をお守りするための護衛です。ディアス様も、怪しい巫女も追い払って差し上げます」
「お嬢様の細い腕は誰も殺せません。いざとなれば国を出ましょう。ディアスは武術だけは得意なので、生活に不便はありません」
「どうしても殺したいなら喜んで殺してあげますよ。俺の剣はお嬢様に捧げましたから」
アリストアは疑われてないことに驚きながらも、きちんと訂正をいれる。
「殺さないでください。不敬罪と反逆罪で捕まります」
「留守番してろ。夜には帰るから好きにしてろ。言いたいことがあるなら言え」
「え?」
監視が解かれ、自由に出歩くことを許されればディアスと過ごせる時間がなくなることに気づいたアリストアが一瞬、しょんぼりとした顔をした。
「好きにすればいい。俺は妻の願いを叶える甲斐性はある」
「甲斐性?」
アリストアは首を傾げた。
ばあやは言葉足らずの孫のために、口を開いた。
「お嬢様、お願いするのも妻の役目ですよ。妻の願いも叶えられない男には誰も付いてきません」
「まぁ。変わった決まりがありますのね。では戦を教えてくださいませ」
「は?戦場に連れて行かない」
「籠城以外は理解できません」
「戦時中は留守番」
「もちろんですよ。足手まといですから。お役に立つ場所に配置してくださいませ」
ディアスは賭けをしなくても初めて素直にお願いを口にするアリストアの変化に笑い、完成した砦の視察は明日に予定を変えた。
初めてのお願いを叶える甲斐性は持っていた。
馬でかつての戦場が一望できる丘を目指した。
丘に座り、ディアスにとっては私情に狂って成果を上げたことだけを隠して語り始める。
「籠城とは考え方が違いますのね。こんなに遠いのに弓矢が届くなんて」
「弓の種類にもよるがな。チェスと同じ。だが捨て駒は使わ」
並んで座り真剣に話を聞くアリストアはスッという音に気づいてディアスの背中に回り茂みに手を伸ばした。
バサリと言う音にディアスが視線を向けると何かが飛んだ。
アリストアは何事もなかったようにディアスの隣に座り直し手をハンカチで拭く。
「お怪我は!?」
ディアス達を鑑賞していた騎士が蛇を掴んで投げたアリストアに掛け寄った。ディアスは部下からの報告にアリストアを睨む。
「蛇を素手で掴むバカがいるか!!」
「もう近づいてきませんよ。賢い生き物ですから。毒の耐性もありますので噛まれても問題ありません」
「気づいたなら教えろ!!」
「ディアス様を盾にするならまだしも自ら対処されるなど。一番悪いのはアリストア様に遅れを取ったディアス様ですが」
かつてアリストアは耳を鍛えていた。
空気の振動を聞き、黙視しなくても何かが近づくなら対処できるように。
エドウィンが気付かないうちに苦手なものや危ないものを排除する方法を探して身につけていた。
もちろんアリストアが蛇を素手で掴めることをエドウィンは知らない。
ディアスはアリストアを叱り、騎士はアリストアに遅れをとったディアスを責めた。
賑やかなアリストア達を眺める人物達には気付かずに。
「大袈裟ですよ。ディアス様、続きを教えてください。お恥ずかしながら私はお借りした資料を読んでも理解できませんでした」
辺境領では戦上手の元王子ディアスと美しく華奢なアリストアの姿は有名だった。
砦に配属されているのは何度も共に戦場を駆け回ったディアスの部下達。過半数は王宮騎士団を辞職しディアスに雇われ直した兵士である。
騎士も兵士も怪しい巫女よりも主君の寵姫の味方である。
楽しそうな二人を眺め、何度見ても巫女を選んだエドウィンを理解できなかった。
大柄で平凡顔の戦神と華奢で美しい勝利の女神の組み合わせは不恰好でもエドウィンよりもディアスの方が優れ似合っていると思っていた。
捨て駒嫌いのディアスは誰も捨てない。
幼児体型でも罪のないアリストアを捨てたエドウィンに仕えたいとは思えなかった。
見張り台から見える新米夫婦の様子を眺め休憩する騎士もその一人。
王都から離れた辺境地は王宮の噂も空気の変化も届いていなかった。
****
多忙な公務から解放され、エドウィンにとって初めての苛立ちは消えた。
エドウィンにとってアリストアの代わりに環境を整える友人のおかげで不自由のない生活が戻った。
美しい巫女への熱情が徐々に冷め始めていくのは無自覚だった。
巫女の生活にも変化があった。
美貌のかげったつまらないエドウィンを捨て、新しい恋人を探そうとすると情熱的になったエドウィンに巫女の欲が蘇った。
美しい体を貪り、自身に夢中な熱の籠る瞳に新しいものを教えこむ。
久々の若い体を一晩楽しみ、口づければ反応する体に妖艶に微笑む。
幸いなことに、エドウィンとの食事以外は巫女のために豪華な料理が用意された。
今までは厳しかった侍女がいなくなり巫女に全て従う侍女がつけられた。
巫女は教育係りの教師を陥落させ、妃教育は免除されても王宮での決まりだらけの生活に嫌気がさしはじめた頃に体の変化に気付く。体の重さと嘔気に襲われ、空咳を溢すと手に鮮血がつく。血を吐く巫女を見ても侍女は気にせず給仕を続ける。
「これは」
「毒は使い方次第で薬にもなる。薬になるように毒を体に染み込ませる。肉に含まれた毒と毎朝飲む毒は二つで一つ。一つだけなら徐々に体を蝕んでいく。飲むように言われなかったかい?」
天井から道化のように話す中性的な声が響く。
巫女だけが気配のない天井から聴こえる声に驚き見上げる。毎朝渡される苦い毒の入った水は捨てていた。
「目的は」
「しばらく人形でいるなら解毒薬を作ろう。秘伝で世界にも知られていない美しさを保ちつつ体の中を徐々に蝕む美しい毒。私は寛大だ。役目を果たすなら、ああ、君が不服を言っても誰も信じない。うちの一族を敵に回せば破滅が待つ。王族よりも強いものは世界には無数存在する」
「のぞみは?」
「殿下に夢を与えてくれればいい。妃として将来ともに歩むように。女軍師なら簡単だろう?逃げてもいい。その毒を抜かない限り、二年いや……。知らないほうがいいか…。策に自信がないなら侍女に相談すればいい。答えは侍女に伝えてくれ。私に喜劇を―――――」
最後の言葉は聞き取れない。
いつも策に嵌める巫女は嵌められたことに気付いても後の祭り。
自分に忠実な侍女が敵だと認識する。
当たり前のように毒が盛られる生活に嫌気がさしても逃げられないことを理解した巫女がエドウィンにとって居心地のいい箱庭作りの役者になった。
欲深い巫女以上に、狡猾で欲深い者達が主導権を奪い合う、踏み入れてはいけない闇の深い世界を思い知る。
箱庭の住人エドウィンと見えない糸で操られる王妃と共にいすぎたゆえに気付かなかった巫女が初めて恐怖を覚えた日。
そして強者が弱者に変わった日だった。




