第一話中編 アリストアとエドウィン
正妃の唯一の実子である王太子エドウィン。
エドウィンにとって母は気が強いが、美しく誰よりも優しい存在。
欠点は心配性なことだけである。
「王太子は特別です。戦場で指揮するだけが王族の役目ではありません」
17歳のエドウィンは成人まであと一年。
戦や鎮圧に向かう異母兄弟を窓の中から眺め、母の言う通りにいつも後方支援に励んでいた。
窓の外では戦地に向かう兵達の士気を高め、勝利を願い送り出す役目を王妃から引き継いだアリストアが言葉をかけていた。
「勝利を捧げます」
「ご武運を―――」
数日前から「戦を知らない王太子は責任感に欠ける」と囁く声がエドウィンの心にストンと落ちたのは本人しか知らない。
「おかえりアリー。これを」
「かしこまりました。お任せくださいませ」
兵の見送りを終えたアリストアは執務室に戻り、エドウィンの隣の席に座る。
内務は常に二人で励んでいた。
エドウィンが渡す書類をアリストアは微笑みながら受け取りすぐに取りかかる。
エドウィンはアリストアが任せた仕事をする様子を眺めていた。
いつもエドウィンの隣にいるアリストアも戦の後方支援の方法を覚えており、十分に役割を果たせた。
父も昔は戦場で指揮をとり、いくつかの国を落とした。友人達も初陣をすませている。
父のように立派な背中にはまだまだ遠い。
王太子として民を導く役目を思い出し、一つの心配事があってもエドウィンは前に進むことを決めた。
ただその心配ごとゆえに中々口に出すことはできなかった。
****
隣国との戦が始まり二カ月半。
王宮では朝議が開かれており、軍からの伝令を受け緊迫した空気が流れていた。
「戦況は五分か。増援を送る」
「父上、僕に行かせてください」
王の言葉に、王太子エドウィンが出陣を希望した。
「許しません!!貴方の役目は違います」
息子の出陣に過保護な王妃が反対の声をあげ、大臣達も同調する。
王太子の出陣への反対の声が響き、さらに緊迫した空気が流れた。
意見を求められなければ口を開かない、朝議への同席が許される最年少で唯一の公爵令嬢は、隣に座る婚約者の顔を見た。
エドウィンは静かな瞳で自分を見る年下の婚約者に優しく微笑み、不安にさせないように膝の上に置かれた真っ白くて小さな手を握って包み込む。
アリストアは最愛の婚約者に出陣してほしくない。
それでもエドウィンが決めて王が沈黙を貫いているなら王太子の婚約者としてどうすべきかは理解していた。
感情よりも理性を優先させるように王宮で育て上げられたアリストアはエドウィンを見つめて頷く。
机の下で包まれる手のように全てが温かいエドウィンが心のままに進める道を作るため、反対する理由を長々と述べている王妃のお気に入りの大臣を見つめて微笑んだ。
大臣はアリストアの無垢で美しい微笑みに目を奪われ言葉を止めた瞬間にアリストアが口を開く。
「発言をお許しください。私はエド様を信じております。国のために剣を握っている殿下やエド様達の帰る場所をお守りできるように精一杯励みたく存じます」
鈴の音のような声が部屋中に響く。
緊迫した会議室は、色白で華奢な体に艶やかな髪を持つ王国で二番目に美しいとされる少女の纏う清廉な空気に包まれていく。大臣も興奮した王妃さえも口を閉じ、神殿にいるような錯覚に陥った時に、エドウィンが微笑みながら口を開いた。
「兄上や兵が国のために戦っています。王太子である自分が―――」
白い布地に金糸で刺繍をいれたお揃いの服を纏い微笑む天使のような王太子エドウィンと婚約者アリストアは絵画の世界の住人のように美しい。
清らかな空気に包まれた場で、柔らかい声音でエドウィンが王太子としての役目を話すと大臣達は神託を受けたように心にストンと落ちてきた。
王妃は自分の最高傑作達の美しさにうっとりと笑みを浮かべる。
エドウィンの出陣に沈黙を貫き、常に冷静であった者の一人は国王。
王は見事に緊迫した空気を変え、大臣達の口を閉じさせたアリストアに感心する。
幼い頃から最高の教育を受けさせ育て上げた芸術品のような少女は誰よりも空気を支配するのが上手かった。
アリストアが空気を、エドウィンが言葉で場を支配するのが未来の美しい国王夫妻の形。
アリストアがエドウィンの任されている仕事は自分が務めるので、心置きなく王太子を出陣させてくださいと遠回しに伝えていることに気付いた宰相は口角を上げた。
戦の指揮をとるのはエドウィンの異母兄ディアス。
騒いでいる大臣達は勘違いしていた。
激しい消耗戦を仕掛けているディアスの策に気づいているのは王と宰相だけ。
ディアスに求められたのは物資と歩兵。
ディアスは量より質を大事にしている。
指揮官の命令に忠実な兵と戦慣れした精鋭部隊を使い、数で仕掛けてくる敵を少数精鋭で壊滅させ数々の戦いを勝利に導いた王子である。
無駄な数の兵を抱えることを嫌うため、戦の終盤には常に戦後処理部隊を要請した。
王子の中で一番軍略に秀でる負け知らずのディアスに任せれば危険はないか、安全で簡単な物資の運搬ならエドウィンに任せてもいいかと王は判断する。
王はエドウィンにうっとりしている王妃の説得をすることを条件に初陣を許した。
大臣達も冷静になり、エドウィンに甘い王が許すなら危険は少ないと判断し従う姿勢に変えた。
そして次の議題に移った。
朝議が終わると後方支援担当のアリストアとエドウィンが物資の用意をするために部屋を出ていく。
王はエドウィンのための護衛の選出、王妃は王に不満を言いながらも、もしもの時のためにエドウィンの安全第一との暗号をディアスに託す手配を始める。
それぞれが公務に移っていく中、宰相は妃教育という名目で王宮に引き取られたアリストアが傷が癒え、エドウィンと寄り添いながら逞しく成長していく背中を眺めていた。
今日も歯車は筋書き通りに乱れることなく動いている。
エドウィンの心配事は杞憂だった。
出陣したいと口に出した時に手を繋いだ誰よりも頼りない少女の心配をしたが背中を押してくれる姿に離れても大丈夫かもしれないと初めて思った。
王妃に初陣を止められてもアリストアが反対することはなかった。
「母上、王太子として」
「落ち着きなさい。必要ありません」
アリストアはエドウィンと王妃の連日の笑顔の応酬を静かに眺めていた。
宰相を見かけて、無垢な笑みを浮かべて近付き口を開く。
「閣下、お願いがあります。お耳を」
宰相が膝を折ると、アリストアは扇で口元を隠し宰相だけに聞こえる声で囁く。
宰相はアリストアのお願いを笑顔で了承した。
****
王妃のお気に入りのアリストアは王妃の予定を把握している。
侍女にお願いをしていつもより早起きをして支度を整え日課をこなす。
部屋を出て行き、先触れはいらないと言われている王妃の部屋の前に立ち、礼をして口を開く。
「おはようございます。王妃様に献上したいものがあります。よろしければ」
「お入りなさい。これは、まぁ」
部屋に入ってきたアリストアの抱えるものに王妃は口角をあげ椅子を勧める。
アリストアは感謝を告げて椅子に座り、出陣を願うエドウィンや王太子の出陣に賛成している王達への不満を聞きながら、グラスに美容効果が高い薔薇のエキスがたっぷり含まれた赤い水をそそぐ。
次第に上機嫌になっていく王妃にアリストアは無垢な笑顔を浮かべ、ペンと紙を渡した。
サインされた書類とペンと空のボトルを二本持ち、礼をして退室する。
王妃と別れたアリストアは空のボトルを自室に置いてエドウィンのもとに向かった。
「おはようございます。エド様、王妃様から預かりました。先に陛下のもとで手続きを」
「おはよう。預かってきてくれたのか。ありがとう。母上もようやく」
「はい。お優しい王妃様のお心を思えば口にしないほうがいいでしょう。不謹慎ですがお慰めするためにオペラの鑑賞に行きませんか?」
「母上も喜ばれるだろう。朝食は後にしようか」
「エド様の仰せのままに」
エドウィンはアリストアから渡された書類を見て嬉しそうに頷いた。
アリストアが初陣に反対し聞く耳を持たない王妃を朝から稀少な薔薇を大量に使われた高級酒で酔わせて、同意書をとってきたということには気付かないエドウィン。
エドウィンが、アリストアが外堀を埋めるために暗躍したことには気づかずに書類を預かっただけだと誤解していても、アリストアは訂正しない。
二人はすぐに王のもとに向かい手続きを終えた。
王はアリストアの暗躍に気づいても沈黙し条件を叶えたため初陣を許した。
王妃が酔って眠っている間の公務を引き受け、エドウィンの出陣準備を整え、オペラやお茶会など戦時中に不謹慎と囁かれるものを用意して愛息子の出陣を気付かないように手配したアリストアに、宰相は内心拍手していた。宰相は自ら手を貸さないがアリストアに頼まれれば快く協力していた。
「妃殿下おめでとうございます。殿下が勝利に導くでしょう」
王妃が気づいた時にはすでに家臣に知れ渡り取り消せない状況だった。
エドウィンのためならアリストアは手段を選ばない令嬢だった。
優先順位はエドウィン>>>王>王妃という王族の婚約者としては問題があったが、道理に基づいて外堀を埋めるため王は正さず、王妃は気付いていなかった。