第 二十話 最後のチャンス
エドウィンは人生で初めて多忙に襲われていた。
そして変わった日常に馴染めずにいた。
常に付き添う近衛騎士の顔触れが代わっていても配置換えはよくあることのためエドウィンは気にしない。
エドウィンの初陣に付き添った護衛騎士達は内密に処罰されたためもう二度と会えないとは気づかない。
常に隣にアリストアが座っており、時々友人達も訪ねてくる賑やかな執務室は物静かなものに変わった。
部屋の中にはエドウィンが立てる音しか響かない静寂な空間に息苦しさを感じていた。
エドウィンの人生において誰かに頼む必要はなかったため助けを求めることは思いつかない。
エドウィンよりペンの進みは遅くてもいつも寄り添いさり気なくフォローしていた存在の大きさには気付かない。そしてエドウィンの友人達に指示を与え、時に集めていた存在にも。
日に日に疲労がたまっていくエドウィン。
平穏が恋しくなり恋人に物足りなさを覚える。
燃えるような恋心がどんどん冷めていく。
誰よりも頼りになるように思えた存在は公務に関しては役に立たない。
エドウィンは花瓶に飾られた枯れた薔薇に気付いた。
棘が落とされた真っ赤な薔薇で思い浮かぶのは、微笑みながら花を摘む小さな少女。
「あら?まぁ。美しいものには棘がありますのね。わかりました。次はお願いします」
薔薇を手折ると必ず棘で指を切ってしまうので薔薇が欲しい時だけは庭師に頼むように教えるとコクンと頷き笑っていた。
淀んでいる空気に窓を開けた。
爽やかな風がエドウィンの髪を揺らし、艶やかな髪を風に揺らすのが好きな少女を思い出す。
「私も発見しました。窓を開けて空気を入れ替えましょう。眠気が吹き飛びますわ。お花の香りも効果抜群です」
眠気を誘う授業に集中する方法を二人で悩み、アリストアが始めたこと。
「ようやく届くようになりました。これからはいつでも窓を開けられます」
身長が伸び、侍女に開けてもらう窓を初めて自分で開けた時は満面の笑みをこぼして喜んだ華奢な少女。
人払いして、窓の下に椅子を置いて二人で並んで椅子の上に立った。いつもは見えない窓の外に広がる景色を楽しそうに眺めていた少女。
「まぁ!?」
茂みに隠れて騎士が侍女の頬に口づけする姿に目を丸くした少女の柔らかい頬に口づけると、頬に手を添えてニコッと可愛らしく笑った。
小さな少女が花を飾り、窓を開けて淀んだ空気を入れ替えるのは授業が公務に変わっても同じ。
休憩に誘うと口元を緩ませ頷き、二人っきりで手を繋いで散歩をすると満面の笑みをこぼす。
「殿下、馬車の用意ができました」
エドウィンは声を掛けられ我に返って執務室を出る。
一人だと広く感じる馬車に乗り、視察に向かう。
「エド様と一緒に見るものは全てが綺麗です。エド様がいらっしゃれば全てのものを慈しめますわ。雨で散ってしまった花びらが広がって美しいです。来年、美しく花が咲き誇る光景を見る楽しみができました」
雨に濡れながら落ちた花びらを拾い、慌てて傘の中に入れると嬉しそうに笑うアリストア。
「洗えばさらに綺麗になります。お土産にいただきましょう。内緒にしてくださいますか?」
バスタブに花びらが浮かぶ日はアリストアが花びらを拾った日だった。
視線を合わせるだけで意図が伝わり言葉はいらなかった。
鈴の音のような声で静かに語りかける演説は心にストンと落ちる。
一年前にアリストアと訪ね、いつか満開の花畑を見るのを楽しみにしていた場所。
「アリー」
隣にいれば、花を摘んで嬉しそうに笑っただろうアリストアに初めて会いたいと思った。
エドウィンは初めてアリストアのいない視察を終え、隣にいない違和感を我慢できず、御者に行き先を変更させディアスの邸を訪問した。
邸ではエドウィンの訪問に戸惑う家臣はいなかった。
風変わりなディアスに仕える家臣は適応力が高い。いざとなればディアスがことを収めると丸投げ精神のもとであるが。
「申し訳ありません。お二人は留守にしております。お帰りはわかりません」
エドウィンの先触れのない訪問に笑顔でばあやは嘘をついた。
ばあやは娘から事情を聞き、アリストアを心配している王宮侍女の友人からも情報を得ていた。
最近はアリストアのお世話の注意点を教わっていた。
冷水で禊をした後に靴を忘れて裸足で歩くため、頻繁に高熱を出し、うっかり怪我をしても隠し、胃が弱く血を吐いても一切表情に出さないアリストアの生態について。
「アリストア様が大きくなってる。良かった。本当に。あと半年で任期が終わるので推薦してください。お金はいくらでも払います」
王宮侍女の任期が終わればアリストアに仕えたい願う侍女達も訪問し、アリストアの様子を隠れて見に来ていた。そして元気な姿に涙していた。
ディアスの部下達も巫女に夢中のエドウィンを知っていたため、事情を聞かずとも理解できた。
誰一人可愛らしいお嬢様を捨てた王子に会わせるつもりはなかった。
時間のないエドウィンは王宮に呼び出せば良かったと今更気付き礼を伝えて立ち上がる。
馬車に向かう途中でディアスの馬を見つけ足を止めた。
ディアスに挨拶するために近づこうとすると、後方を走る見覚えのある髪色で馬を巧みに操る少女に目を見張る。
アリストアはディアスに誘われ馬で競争をしていた。
ハンデをもらったのに負けたためしょんぼりと愛馬の首に抱きついた。
「負けました」
ディアスは勝てると本気で思っていたアリストアに笑う。
ハンデは与えても手は抜かない。ディアスは部下に大人げないと何度言われても聞く耳を持たない。
「素人にしては上出来だ。寛大な俺は勝利は譲らないが賭けは譲ってやろう」
アリストアのしょんぼりしていた顔が一変し、目を輝かせて顔を上げる。
アリストアはやりたいことがあった。
厄介者の役に立たないアリストアはお願いは恐れ多いが賭けなら話は別だった。
世間知らずのアリストアはディアスに騙され賭けは正当な取引と思い込んでいる。
「魚釣りをしてもよろしいですか?」
「明日は雨だ。明後日だな」
「ありがとうございます。塩焼きというものを」
「動く魚に触れるのか」
「イメージトレーニングはばっちりです。火はおこせるでしょうか」
「教えてやる」
はしゃぐアリストアが馬から飛び降り、愛馬を抱き締めた。
頬に顔をすり寄せる愛馬にさらに楽しそうに笑う。
エドウィンは目の前の光景に驚いて固まっていた。
アリストアが楽しそうに過ごす相手を自分以外は知らなかった。
アリストアは侍女にさえも一線を置いていた。
はしゃいで石に躓き転ぶアリストアの腰をディアスが支える姿にズキっと胸が痛んだ。自分だけが知っているはずのアリストアの素顔。抱きしめ慰めることができるのはエドウィンだけのはずだった。
「すみません」
「軽い。片手でも余裕だ」
「私も重くなりましたよ」
ディアスは信じていないアリストアを片手で軽々と肩に担ぎあげた。
「まぁ!?今度の賭けで勝てば肩に座らせていただけますか?その頃には重たくなってるでしょうから」
「豚になっても問題ない。持ち上がらないほど肥えてみろ」
ディアスは目を輝かせるアリストアを抱え直そうとして見覚えのある髪色に気づいた。
アリストアの目に入らないように視界を遮り、ディアスの態度に抗議の視線を送りながら鑑賞している騎士に目配せした。
「馬を頼む。先に戻ってろ」
「かしこまりました」
エドウィンに気付いたディアスはアリストアに馬を預けて遠ざけた。
ディアスの視線と意図に気づいた騎士がアリストアに笑顔で近づき手綱を預かる。
「お嬢様、手伝いますよ。花が咲き誇っているのでこちらの道を使いましょう」
「まぁ!?よろしいんでしょうか」
「護衛しますのでお任せを。うちまでご一緒しますよ」
表情豊かになったアリストアに教育にも心にも悪いものは近づけたくないのは主の意見に賛成だった。
エドウィンが絶対に視界に入らないようにアリストアの視線を誘導していく。
ディアスはアリストアの背中が見えなくなったのでエドウィンに近づいた。
「先触れなしとは急用か?」
ディアスの声にエドウィンは我に返った。
ディアスの顔を見てエドウィンしか知らないはずの顔を見せるアリストアを受け入れられなかった。見間違えかと思うほどに。
「いえ、お元気かと」
「元気だ。それだけか?」
「アリストアがどうしているかと」
ディアスはエドウィンの心象がどんどん悪いものに変わっていく。
アリストアのいなくなった方角を見つめ、初めて不機嫌な顔をしている無自覚の独占欲に気付いても教えない。死を望んだ幼馴染に会いに来た非常識なエドウィンへの苦言は飲み込む。
頭の中で異母兄が「言葉を選べ」と笑う顔に苛立ちを抑えて、ディアスにとっては常識的な言葉を選ぶ。
「お前の婚約者に失礼だからやめろ。元婚約者に会いにくるなんて不誠実だろう。監視しておくから心配すんな。俺達は社交も免除されているから王都に近づかない。巫女に手を出すこともない。じゃあな」
ディアスは言いたいことがありそうなエドウィンに気付かないフリをして足を進めた。
アリストアに会わせる優しさは持っていない。
兄弟ごっこをする心の余裕もない。
自分から手放したことさえ気付いていないことに失笑さえ出なかった
ディアスの背中を見送るエドウィンはなぜか寂しさに襲われた。
素っ気ないディアスの態度に対してかと思考する余裕もなかった。
時間がないので馬車に乗り込むと小さな棘が刺さったような胸の違和感が消えなかった。
行きは正面に、帰りは横に座っているはずの少女がいないため広く感じる馬車。
視察の後は馬車の揺れにうとうとするアリストアを抱いて寝かしつけた。
自分を見つけると駆け寄ってくる幼い少女は大きくなっていた。
エド様と呼ぶたった一人の少女の声を初めて聞きたいと思った。
「きちんと言葉にしないと伝わりませんよ」
馬車を降りるエドウィンの背中にポツリとかけられた御者の呟きは聞こえていなかった。
エドウィンが執務室に戻ると書類の束が減っていた。
見覚えのある書類をまとめる青年に驚きながらも笑う。
「お久しぶりです。書類の仕分けはすんでおります。そちらの急ぎのものだけお願いします」
「戻ったのか?」
「まだ領地が落ち着きませんがしばらくは王都に。義妹より引き継いでいますので、しばらくお側に控えます」
「ありがとう。助かるよ」
エドウィンは友人の言葉にさらに機嫌良く笑う。
友人でありアリストアの義兄は広大な公爵領の後継者として養子縁組された。
アリストアの従兄でもあり成人してからは、あまり姿を見せない難点を除けば頼りになる存在だった。
強力な助っ人のおかげで久しぶりに睡眠不足が解消され、エドウィンにとっての落ち着きを取り戻す。
着替えを手伝う巫女の色香に誘われ、久しぶりの甘美な世界に浸る。
アリストアに抱いた気持ちには気付かずに、美しい裸体に夢中になる。
カチカチと歯車の狂う音には気付かない。
「時間は稼いでやるよ。休んだら自分で考えろ。バカ」
バキっと音が響き、子供用の小さいペンが二つに割れて捨てられていた。




