第十五話 新しい生活3
ディアスは不摂生な生活をしているアリストアにきちんとした生活をさせようと心に決めた。
まずは日に当てることにした。
「アリストア、出かける。乗馬服に」
「乗馬服ですか?持ってませんが」
「このままでいい。付いて来い」
立ち上がり部屋を出ていくディアスをアリストアは追いかける。
アリストアの歩幅ではディアスの背中はすぐに見えなくなる。
「アリストア様、案内しますよ。厩にいますよ」
「ありがとうございます」
アリストアの護衛騎士を勝ち取った青年が笑顔で案内した。
ディアスが厩で愛馬に鞍をつけているとようやく追いついたアリストアが顔を出した。
ディアスの愛馬も押しかけた男達が託されていた。
アリストアは厩に入るのも国のために駆ける美しい馬達をじっくりと眺めるのも初めてだった。
ディアスに撫でられ気持ちよさそうに見える馬に礼をした。
ディアスはアリストアに気付き、獣臭い厩に嫌がらずに入り怖がる素振りもなく、なぜか馬に礼をしているアリストアに笑う。
「触るか?」
「え?」
ディアスは頭を上げて固まり動かないアリストアを抱き上げて馬に飛び乗る。
ディアスはアリストアのペースに合わせることを放棄した。
アリストアは驚いて目を丸くして、ゆっくりと歩き出す馬にさらに驚くも、すぐに淑女の顔に戻り目の前に広がる光景をぼんやりと眺めていた。
ディアスは感情の色を持った瞳に口角を上げ、華奢なわりに背筋を伸ばして座っているアリストアに感心する。
「お馬さん!!お姫様がいる!!」
馬で散歩をするディアスとアリストアを眺める親子がいた。
アリストアは視察の時と同じように体が勝手に動き、無垢な笑みを浮かべて手を振る。
両手で元気に手を振る幼児と母親は美少女の無垢な笑みに頬に手を当ててうっとりする。
後ろのディアスは視界に入っていない。
ディアスは気にせず馬を進め、アリストアは警戒した顔をしている大人にも無垢な笑みで手を振る。
ディアスは領主として領民に挨拶していない。
辺境領は侵略した土地であり、領民達は新しい統治者を警戒している。
侵略者のディアスとは違い異国の色を持つアリストアという美少女のおかげで若干警戒心が和らいでいた。
手を振っている華奢なアリストアの体は突風に襲われ傾いた。
砂と花吹雪が舞う中で傾いた体をディアスが抱いて支えると勢い余ってディアスの胸にアリストアの頭がぶつかる。アリストアは落馬から助けられたことに気付いて、ゆっくりと振り返った。
「申しわけありません」
アリストアの目に蝶が映り、白くて細い指をディアスの頬に伸ばした。
馬を止めて驚くディアスに顔を近づけるアリストアの手が頬から耳に滑る。
ディアスの両耳が小さな手に塞がれ音が消える。
アリストアの顔がさらに近づき、大きな瞳に間近で見つめられ、ディアスの思考が止まる。
アリストアは体をぐいっと伸ばして、ふぅっと息を吹いてもディアスの髪に止まったままの蝶を見て、さらに近づいた。
ディアスの髪に唇をあてて、さらに息を吹きかけるとディアスの髪に止まっていた蝶が羽ばたく。
肩にアリストアの長い髪が落ち、髪に柔らかい唇を触れ、吐息を吹きかけられ、ディアスの体の熱が上がった。
アリストアは二匹の蝶が離れたのを確認してそっと耳から手を離して前を向いて座り直した。
ぼんやりしているアリストアはエドウィンにとっていた行動をディアスにしている自覚はなかった。
虫が苦手なエドウィンに気付かれないように触らずに対処する方法が色んな誤解を呼ぶ行動ともアリストアとエドウィンの距離が異常に近かったことも知らなかった。
最初の被害者のディアスはアリストアの行動に固まっていた。
乗馬中に身を乗り出す危険を注意する余裕はない。
しばらくして火照った体と貧相な体のアリストアに照れた自分が悔しくなり馬の歩みを速めた。
疾走しても怖がることなく落ち着いているアリストアを見て、大人げない自分に気付いて歩みを緩めた。
そしてゆっくりと馬を進めながら領地の視察を始める。
露店を見つけて凝視しているアリストアにディアスは気付いて馬を止めた。
物価の安さにアリストアは驚いていた。
「銅貨が主流…」
しみじみと呟くアリストアにディアスは世間知らずという言葉が頭をよぎった。
「市は初めてか?」
「視察やパレードで通りました。換金しないといけませんのね」
王宮育ちのアリストアは金貨しか持ち歩いていない。
ポケットから金貨の詰った包みを取り出したアリストアにディアスは仕舞わせた。
「欲しい物は買ってやる」
「お金はありますので」
「それは危ないから人には見せるな」
「危ない?」
金貨を見せれば欲に目が眩んだ者に襲われるのはどこでも一緒である。
ディアスはアリストアには教育も必要だと実感した。
ドレスを着て、金貨を見せたアリストアを見つめる視線に気づいたディアスは市の散策は後日に決めた。市を離れて馬を走らせていると木の実を見つけた。
手を伸ばして、一つをアリストアに渡す。
アリストアは振り返ってディアスが木の実を口に含む姿に驚く。
「嫌なら寄越せ。栄養がある」
「いえ、いただきます」
アリストアは素っ気ないディアスの真似をして口にいれた。
王子が毒味もなく木の実を口にしていることに驚くも黙々と食べているディアスに何も言わない。
思考せずに前を向き、領民を見つけて手を振った。
「お姫様!!」
馬に乗りドレスを着て微笑む美少女は絵本の世界の住人のようだった。
辺境領の子供達の間でお姫様探しが流行し、領主よりもアリストアのほうが先に有名になっていた。
馬を怖がらないアリストアの運動もかねて乗馬を教えるかと思考しているディアスはアリストアをじっくりと見つめる幾つもの視線に気づいて邸に向って馬を走らせた。
ドレスを着ているアリストアが襲われるのが目に見え、早急に服を用意することを決めた。
視線を集めることを危険と感じるディアスと常に視線を注がれ、時にはあえて視線を集めているため危機感皆無のアリストア。
思考を放棄しているアリストアと何から教えるべきか思考を巡らすディアス。
正反対の二人の噛み合わない生活の始りだった。
アリストアの教育を計画するディアスはいつ王家に放逐されてもいいように母親に教育を受けていたが、母親が変わっている認識はなかった。
その頃悲惨なアリストアの食事事情が共有されディアスの好む肉料理ではなく成長期に相応しいメニューが考案されていた。
アリストアはディアスとは正反対の草食動物のような食生活と認識されていた。
「兄上は大丈夫かな」
「自分で引き取ったなら自己責任だ」
「兄上のお顔が真っ赤だったね。めでたしめでたしかな」
「さぁな。さて帰るか。当分は戦は起こらない」
「どうして?」
「自分で考えてみろ」
「はーい!!」
女嫌いのディアスとエドウィンに夢中だったアリストアの様子を見に来た王子は弟を連れて王都を目指す。
思ったよりもうまくやっている様子に笑う。
母親が二人のロマンスを楽しみにしていたがまだまだ先は長そうだった。
ディアスとアリストアの婚約を聞けば海の向こうの異母兄はどんな反応をするだろうかと楽しそうな弟の手を繋ぎながら足を進めた。




