第十四話 新しい生活2
絶望した少女が目を開けると真っ暗な世界が広がっていた。
体は石のように重たい。
重たい瞼を再び閉じ闇の世界に身を任せた。
太陽が一番高い位置に昇った頃、一人の少女以外は活動していた。
朝から邸の掃除が行われ、手伝わされていたディアスは昼になっても部屋から出てこないアリストアの部屋に入った。
明るい部屋の中には人の気配はなくベッドを覗くと気配の薄い少女がぐっすりと眠っていた。
目元のクマとあどけない寝顔を眺め起こさないように静かに部屋を出た。
「出かける。アリストアは寝てる。外出はさせずに邸内で過ごさせとけ。護衛も任せる」
「お任せを」
ディアスは急ぎで仕入れられた執事服を着ている副官に命じて愛馬に乗って出かけた。
士官を希望し押し掛けてきた男達は広い邸を管理する高齢の母と祖母の手足になる存在も必要かと受け入れた。
掃除を手伝いたくないディアスは新たに建設中の砦を目指した。
建設はディアスの管轄ではない。
侵略して領土を広げる王国を狙う国は多く、国境の防衛がディアスが王に求められた役目。
馬で駆け、周辺の地形を頭に入れながら、兵の配置を確認をしていく。
「お戻りでしたか」
「ああ。しばらく邸にいる」
「異変があればすぐに伝令を走らせます」
顔見知りの兵達と食事をすませて、邸に帰りアリストアの部屋を訪ねると規則正しい寝息が聞こえる。
ディアスが入っても、庭で賑やかに戦っている男達の声が響いてもぐっすりと熟睡していた。
「どれだけ寝不足だったんだ」
「ディアスが寝ていた時は戦後処理と被災地支援、巫女姫の受け入れが重なり、文官は多忙を極めていたのよ。そして文官を統率する宰相閣下と王族は王国屈指の多忙」
ディアスは書類の山に囲まれていたアリストアを思い出した。
読むだけでも気が遠くなりそうな書類を処理すると想像するだけで気が遠くなった。
「寝かせとくか。起きたら呼ぶだろう」
額に触ると熱はなく、目元の消えないクマを見て起こす気になれずにディアスは母親と共に部屋を出た。
「アリストア様は?」
「寝てる」
「そうですか……」
がっかりしている家臣は気にせず、ディアスは用意された席で食事を始めた。
手づかみで食べれない料理に文句は言わずに、無言で口に運ぶ。
「ディアス、立ちなさい。背筋を伸ばして」
食事を終えると教鞭でパチンと叩かれながら、マナーやエスコートを母親に指導されていた。
騎士寮での自由な生活が二日目にして恋しくなっていたがすでに部屋はない。
荷物は昨日押しかけてきた仕官希望の男達が異母弟から託されていた。
ディアスにとっての新しい生活が始まっていた。
「就任おめでとうございます!!雇ってください」
「顔だけ王子はごめんです。よろしくお願いします」
「勝利の女神がいないなんて耐えられません」
「辞表出してきました。大将、頼むよ!!」
ディアスは邸に押し掛けてきた見覚えのある兵達に呆れた顔をした。
執事に転属した副官を呼び希望者の応対をさせた。
「専属護衛は俺が!!」
「待てよ、俺のが強いだろうが」
「外でやれ。うるさい。アリストア様が休まれている。アリストア様のいる空間で血を流すな」
ディアスは国防のために忠実な部下が増えるのはありがたいかとアリストア付きを希望する男達の放置を決めた。
ディアスに痺れを切らしている男が近づき冷たく声を掛けた。
「ディアス様、内務をお願いします」
「は?」
「行きますよ」
ディアスは執務室に連れられ、書類とペンを渡された。
「約束が違う」
「これもお願いします。領主の判断が必要なものです。これが終わるまでは休めませんよ。帰られているなら執務室にきちんと来てください」
ディアスは王家から派遣された文官に指導されながら、心の中で父に文句を呟く。
国防以外は派遣する文官に丸投げでいいと言っていた父に騙されたことにようやく気付いた。
王家から派遣される文官の数が当初より減っていることには気づかない。
文官から解放され、執務室を出るとすでに日付は変わっていた。
****
ディアスの前には二人分の朝食が用意されていた。
数日前に苛立ちをぶつけた少女と食べろという母親達から無言の圧力を感じた。
目元にクマを作ってディアスの前に置かれた書類とは比べ物にならない量に囲まれていた少女。
大事なものを失った少女への自分の態度を知れば異母兄は激怒するのは想像できた。
父への苛立ちはあるが、エドウィン達への苛立ちは考えなければ起こらない。
引き取った年下の少女に譲歩するように暗示をかけながらアリストアの部屋に向かった。
連日の徹夜にエドウィンとの別れ、心身共に弱っていたアリストアはようやく目を開けた。
アリストアはいつもと違うふかふかでないベッドからゆっくりと起き上がる。
カラカラに乾いた喉にベッドサイドに置いてある水差しからグラスに水を注ぎ、ゆっくりと口に含むと苦くないことに驚きながら一気に飲み干した。
グラスを置くと見覚えのないベルが置いてある。
周囲を見渡すと部屋は明るく、いつもアリストアを王太子の婚約者として相応しいか採点する侍女はいない。
似ていても違う部屋にアリストアは現実を認識した。
決まったスケジュールのもとに身の回りのことは全て侍女に任せていたアリストアはベッドに座ったまま動かない。
バタンと扉が開き、視線を向けるとシャツにズボンという軽装のディアスだった。
王宮では常に正装であり、見覚えのない軽装に戸惑いを隠して微笑もうとして「その笑顔もやめろ。目障りだ。邸では自由にしていいが外には出るな」とディアスからの昨夜の命令を思い出し、淑女の顔を作った。
ディアスはようやく起きたアリストアが礼をしようとするのを止める。
すでに臣籍降下し王族ではないのにアリストアだけはディアスを王族として扱っていた。
「うちでは礼はいらない。具合が悪いのか?」
「いえ、おはようございます」
「食事だ。着替えは後でいい」
目の下のクマが消えたアリストアにディアスは温かい料理が冷めないうちにと用件を伝える。
父親が夜着のまま母の料理を口にする光景を知っていたディアスは夜着姿を夫以外の異性の前でさらしてはいけない淑女のルールなど知らなかった。
アリストアは夜着のままであり、身支度も整えていない。
淑女が人前に出られる姿ではない。
ディアスが巫女を殺すだろうアリストアの監視役ということを思い出し頷く。
アリストアに求められているのはディアスの邪魔にならないことで、価値のない自分の身だしなみなど誰も気にしないかとベッドから出るとパシンという音が響いた。
「年頃のお嬢様に何をおっしゃいますか!!坊ちゃんはお待ちください。お嬢様はお着替えをしましょう。私がご案内します」
顔に皺のある恰幅のいい侍女は容赦なくディアスの背中を教鞭でパチンと叩いた。
王族への不敬だが人の良さそうな笑みを浮かべる侍女をアリストアは咎めない。
アリストアには権利がない気がした。
「いえ、私はご命令通りに」
「坊ちゃんにお勉強が必要ですね。年頃の――――」
「わかった。支度を整えてからでいい。誰も気にしないだろうが、先に行く」
ディアスは祖母の小言が始まる前に部屋を出た。
ディアスがアリストアを引き取ったことで母親と祖母が張り切っていた。
ディアスの母親は酔った勢いでお手付きになっただけで寵姫ではない。
高齢であり子を産めない妾に価値はないため幾つかの誓約のもとに後宮から解放された。
妾は公的な場には一切顔を出さないためアリストアとは面識がなく、事情を教えるつもりもなかった。
妾になる前は仕事が好きだった母親はアリストアファンの騎士達が執事に立候補したため、いきいきと教育を始めていた。
邸を取り仕切るのは母親、アリストアの専属侍女には祖母が名乗りあげた。
腰を痛めて侍女を引退し、高齢のため仕官先がなく暇をもて余していたのでお嬢様を迎えるのを喜んでいた。
歓迎されていると知らないアリストアは静かにディアスと侍女のやりとりを眺めていた。
「ばあやとお呼びください。お着替えをしましょう。どちらをお召しになりますか」
シワシワの顔で笑うばあやにアリストアは挨拶を返す。
アリストアはいつも侍女が用意したものを着ていた。じっと見つめるばあやに微笑みながら目に留まったドレスを伝えて、袖を通す。
「よくお似合いです。美しいお嬢様にはお化粧はいりませんね」
アリストアは社交デビューしてからは常に薄化粧をしていたが、ばあやにされるがままで何も言わない。
ばあやに案内されて歩く煌びやかな王宮とは違い、人が少ない閑散とした邸にドレスで着飾る自分が不釣り合いと気付きながらも足を進めた。
場に合った服装をすべきでもアリストアの頭は思考を放棄していた。
すれ違う家臣がアリストアに見惚れていることも気付かない。
視線を集めることに慣れているアリストアは必要がなければ反応しない。ありがたいことにアリストアの体は思考せずと周囲に促されるまま動いていた。
案内された部屋には料理の置かれた小さなテーブル。ディアスの前の椅子に案内され、礼をすると視線で早く座るように促され席に着く。
「お待たせして申しわけありませんでした」
「待ってない。なんだ?」
「いえ」
「言いたいことがあるなら言え」
ディアスは澄ました顔で唇を結んでいるアリストアにため息を飲み込む。
不機嫌なディアスにアリストアは笑みを浮かべようとして慌てて淑女の顔を作り直す。
笑うなと命令されても常に微笑んで過ごしていたアリストアにとっては意識しないとできない過ごし方だった。
アリストアの前にはサラダに野菜のたっぷり入ったスープ、オムレツ、厚い肉にパン、ミルクが並べられている。
美容のために王妃の朝食は果物と薬湯。王は毎日メニューが違うがお茶だけの時も多い。
食の細いエドウィンの朝食は美しく盛りつけられた少量の果物とお茶。アリストアもエドウィンと同じものを食べていた。
ばあやは料理を無言で眺めるアリストアに優しく話しかける。
「お嬢様、デザートはお食事のあとにお持ちしますよ」
「アリストア、ここは王宮じゃない。面倒だからさっさと言え」
無言のアリストアにディアスは苛立ちを隠して乱暴な言葉は控えて言葉をかけた。
不機嫌そうなディアスの声にアリストアはゆっくりと口を開く。
「申し訳ありません。朝からこんなには」
「食べられるだけでいい。うちにマナーはない」
「かしこまりました」
アリストアは一切れのパンを手に取り半分に、さらにまた半分にして口に運ぶ。
ディアスはパンを三口とミルクしか口にしないアリストアを眺めていた。
王宮の豪華な料理に慣れているアリストアが質素な料理が気に入らないため無言の抗議かと思いながらも慣れてもらうしかない。
見た目重視の腹持ちしない、無駄に食材と経費のかかる料理しか作らない料理人をディアスは雇わない。
「料理が気に入らないのか?」
「どんなものもありがたくいただきたいですが、思考を鈍らすほどのものは口にしません」
満腹になると眠くなるとエドウィンが気付いた日から朝食は控えめに食べていた。
眠気に襲われうとうとする授業も朝食の量を控えるようになってからは集中できるようになったと笑うエドウィンの思い込みを信じアリストアは合わせていた。エドウィンよりアリストアが食べる量が多いことは恥ずかしいという乙女心も当時はあった。
ディアスは意図はわからないが突っ込んだ。
「思考するほどの仕事もない。腹が膨れるまで食え」
「かしこまりました」
アリストアは料理の量を確認し、ポケットから常備している薬を取り出す。
薬包を切り独特の匂いが漂うも躊躇いなく口に含もうとする手をディアスは掴んだ。
ディアスは一度だけ父親に飲まされた嫌な薬を思い出す。
「それは、まさか」
「ありがたいことに王家秘蔵のお薬をたくさんいただいてます」
王家には消化を促進するための胃薬がある。
食欲がなくとも食事をしないといけない状況で飲まされる薬。
満腹中枢を麻痺させ、食事中の感覚を消すが、食後に激しい嘔気に襲われるという副作用を持つ。
過保護な王妃がエドウィンには絶対飲ませないだろう薬を常用している雰囲気のアリストアからディアスは薬を取り上げた。
「残していい。その薬は飲むな。残りもあるなら薬をよこせ。食事は食べれるだけ食べろ」
「かしこまりました」
アリストアは3袋ほどポケットに常備してある胃薬をディアスに渡した。
絶句しているディアスは気にせず行儀よく食べるアリストアはサラダとスープを完食してナプキンを片付けた。
接待料理は残すとマナー違反であり王宮の晩餐は目の前の料理よりも量が多いことを知るディアスがおそるおそる聞いた。
「晩餐はどうしていた?」
「あらかじめ調整していただいてました。必要時はお薬を飲んでいました」
澄ました顔でさらりと話すアリストア。
ディアスは嫌な予感を無視せず、食事事情を問いただすと曖昧に答えるアリストアの情報を分析する。
「肉は食べないのか」
「用意されれば、どんな物でもありがたくいただきます。恵みですから」
「そういえば蛇が主食の国を知ってるか」
「はい。大蛇を丸焼きにするのを料理人が苦労したと聞いております。微量の毒を持つので、舌が痺れますので―――」
普段は偏食で少食のエドウィンに食事を合わせ、時には毒味もこなし、エドウィンの代わりに接待をこなしていただろう悲惨な惨状にディアスは言葉を飲み、控える家臣達は涙を飲んだ。
アリストアもエドウィンも儚げな容姿を持つ。華奢ですぐに折れそうな発育の悪い体の理由は明白だった。光の下でじっくりと見るとディアスにはアリストアの顔色は病人のように映り出し栄養不足という言葉が脳裏に浮かぶ。
ディアスにはもう一つの懸念が浮かぶ。
ディアスの記憶にある色白のアリストアは散歩と移動以外いつも座っていた。
過保護な王妃は幼いエドウィンを外に出すのを嫌がり、武術もエドウィンが興味を持つまで遠ざけていた。エドウィンの希望で武術の指導が始まってもディアス達とは比べものにならない遊びのようなもの。
「王宮ではどう過ごしていた?」
「朝食を終えると―――」
ディアスはアリストアの公務中心の王宮での引きこもり生活を聞きながら、祖母の目がギラリと光ったが気付かないフリをした。
外出は視察と月に一度の墓参りだけ。
苛立ちよりも同情が勝り、婚約者に捨てられたばかりの感情のない澄ました顔の少女に一番必要なのは生活改善という結論に至った。
ディアスは婚約を勢いで押し切った自覚はある。
婚約者に命を捧げろとありえない命令をするエドウィンへの苛立ちと全てを踏みにじられも笑っている少女への同情で。
自分の庇護下に入れるならきちんとした生活をさせようと心に決めた。




