第十三話 新しい生活1
一人の男が墓地を訪ねて花を添えて祈りを捧げていた。
顔を上げていつも添えられている花がないことに疑念を抱く。
「兄さん、お帰り。ようやく捕まえた」
男は苦笑しながら現れた弟から渡された書類に目を通す。
「勝手に動くと怒るでしょ?」
弟は神出鬼没な兄の呟きに頷く。
弟は兄にいつも振り回される。
いざというときは誰よりも頼りになるためいいかと笑って墓に祈りを捧げる。
命令を叶えるために動かす駒を思い浮かべる弟も兄の方針には大賛成だった。
アリストアの荷物が運び出されてすぐにエドウィンの隣室は巫女に与えられた。
巫女は豪華で広い部屋に驚きエドウィンの部屋に繋がる内扉に感心していた。
王がアリストアと同じように対応をするように侍女に命じたことを広くて柔らかいベッドでエドウィンとの熱に溺れる巫女は知らなかった。
「おはようございます。起きてください」
朝早くに声を掛けられ、エドウィンを抱いて眠っていた巫女はけだるそうに目を開ける。
エドウィンは耳に響く侍女の声にゆっくりと目を開け、情事のあとの匂いの残る姿に気まずそうに視線を逸らす。
侍女は半裸の二人が夜遅くまで欲に溺れていたことを知っていたが顔には出さない。
二人に慎みや羞恥心がないことは、常に欲に溺れている姿を目にしているため使用人の間でも有名だった。
アリストアには常に王妃が選んだ侍女がついている。そして王が選んだ護衛が常に忍んでいる。
アリストアの専属侍女はアリストアが巫女のために用意した露出の少ないドレスを手に持ち落ち着いた声でゆっくりと言葉を掛ける。
「お着替えを」
「嫌よ。まだ朝よ」
「王命です。殿下の婚約者として扱うようにと命じられてます。アリストア様と同じ待遇をと。殿下も陛下より朝議への参席を」
「朝議?」
「お二人で参加を。お急ぎください。湯浴みの準備はできてます。別々に」
顔を赤くするエドウィンは公務を思い出し、内扉を通って自室に戻る。
侍女はドレスを置いて、巫女を湯浴みに連れていく。
温かいバスタブに巫女を浸からせ、髪を丁寧に洗う。
アリストアの美を磨くために国で最高級のものが揃えられており、生まれて初めて丁寧に世話をされ気分が良くなり、徐々に眠気に襲われうとうとする巫女はされるがままに身支度を整えられる。
用意されたドレスを身につけ、髪を結い上げられ、侍女からグラスを渡され口に含むと眠気が一気に吹き飛ぶほどの苦味に口から吐き出す。
侍女は手に持つ教鞭で巫女の肩をパチンと叩く。
隙のない侍女の教鞭を奮う動作に巫女は反応できずに叩かれた肩を手で押さえて警戒した顔で侍女を見る。
「全てお飲みください。感情を顔に出さないように」
「は?嫌よ」
「王命です。アリストア様は五歳の時には微笑みながら」
「だから?」
元アリストアの専属侍女は巫女に剣を向けられたが軽々と剣を取り上げる。
アリストアの専属侍女は暗殺家系出身者で固められていると知るのは一部の者だけだった。巫女は眉さえ動かない人形のような侍女に寒気を感じ本能的に逆らうのはまずいと気付き従った。
仕度が終わる頃エドウィンが巫女を迎えに現れ、笑みを浮かべて王族の間にエスコートされる。
エドウィンは巫女の怯えに気付かずに美しい姿を褒め、足を進める。
いつもエドウィンとアリストアに挨拶するため廊下で控えていた使用人の数が少ないのも気付かない。
「おはよう。頭をあげて。今日も――」
「もったいないお言葉です」
敬意の欠片もこもってない、感情のないお面のような笑みを浮かべる使用人にも。
良識ある使用人達の向ける視線が変わっていることも。
昨日は古参の使用人達が総出でアリストアの荷物を丁寧に纏めていた。
エドウィンとお揃いの服や道具、ボロボロになるまで読み込まれた書物、苦しみの詰まった木箱、アリストアが大事にしていた物を幼い頃から二人を見守っていた者達は心の中で涙を流しながら整理していた。
アリストアを追い出したエドウィン。
アリストアの献身に気づかずにアリストアの部屋で我が物顔の巫女も欲に溺れるエドウィンも受け入れがたかった。
二人のために睡眠時間を削り動き回っていたアリストアが不憫で堪らなかった。
顔や態度に出さなくても、いつものようにわざわざ時間を作って朝の挨拶に立ち合うことはしない。
エドウィンは周囲の変化に気付かず、久しぶりに王族の間での自分好みの王宮料理を楽しむ。
巫女は豪華な部屋でエドウィンと食べる美しく飾られた少量の果物だけの朝食に不満を言いたくても教鞭をチラリと見せる侍女の笑みに飲み込んだ。追加の料理を後で頼もうかと思いながらサッパリした味の果物を飲み込んでいく。
巫女は今までの生活が嘘のような不自由な生活が待っているとは知らなかった。
エドウィンの休暇がようやく終わり新たな一日の始まりである。
***
エドウィンのエスコートで巫女は初めて朝議に参加する。
貴族達は久しぶりに朝儀に顔を出したエドウィンを礼をして迎える。巫女の同伴に驚いても反応はしない。
「おはよう。頭をあげて」
「おはようございます。今日も―――」
エドウィンの声に頭をあげて言葉をかわす。
日常的に男の視線を浴びていた巫女はお面のような笑顔を向けられるも挨拶されるのはエドウィンだけという状況に違和感を覚える。
エドウィンは気付かずに挨拶を返す。
初めて朝儀に現れないアリストアとの婚約破棄は周知され、貴族達は身の振り方を決めるために冷静にエドウィン達を観察する。
今まではアリストアはエドウィンにエスコートされ美しく微笑み静かに控えていた。
一人で参加しても姿勢は変わらない。
エドウィンに合わせたドレスを着ても、アリストアと巫女は正反対の容姿の持ち主。
無垢で欲を知らない天使の笑みを持つエドウィンとアリストアの二人に見惚れても、幻想の欠片もない娼婦と客のような組み合わせに心を奪われる者はほとんどいなかった。
巫女は貴族特有の言い回しのため、意味のわからない話を聞きながら周囲を観察し時間が過ぎるのを待つ。
経験豊富な巫女も空気のように扱われる経験はない。
予言を頼りにしない王は巫女に意見を求めない。
王妃は反抗的なアリストアを排除し、次こそは従順に育てあげようと微笑む。
昨日までアリストアばかりが意見を求められ羨望の眼差しを受けていた。
王妃とエドウィンより優秀で美しいと囁く者達の目が早く覚めればいいと思いながら巫女に視線を向ける。
王妃はエドウィンと自分より少しだけ劣って見えるも絵になる巫女の容姿を気に入っていた。
巫女はアリストアとは正反対で王妃が憎らしいと思いはじめた長所は何一つ持っていなかった。
朝議が終わるのを一人の令嬢が待っていた。
令嬢はやはりアリストアの姿がないことに荒れる心を深呼吸して落ち着ける。
各々が公務に励むため退室していくなか、誰にも話しかけられない巫女に近づき礼をして口を開いた。
「おはようございます。こちらよろしくお願いします。先を見通す力のある巫女姫様なら簡単でしょう?私はアリストア様のもとで指導を受けていましたが、いらっしゃらないなら放棄します」
「は?」
「殿下もたかが公爵令嬢であるアリストア様が不要なら、さらに劣る私の手も必要ないでしょう。伝承の世界の英雄がいますものね。失礼します」
巫女の言葉は聞かずに公爵令嬢は笑顔で書類を手に持たせた。
多忙なアリストアの負担を減らすために公務を手伝っていたがアリストアがいないなら引き受けるつもりはなかった。
エドウィンとアリストアの婚約破棄の事情は箝口令が敷かれていないので調べていた。
王妃からも話を聞き、裏も取った。
令嬢は怒りを覚えても準備をせずに動くべきでないと理解していた。
エドウィン達が止める間もなく公爵令嬢は退室した。公爵令嬢はアリストアの受けた屈辱を思い出し、無意識にした行動が見られてないか周囲を見渡して足早に立ち去った。
廊下ではバキっと音が響き、粉砕された扇を片付ける侍女の姿が見られていたが誰も何も言わなかった。
巫女をエスコートしてエドウィンは執務室に行くと机に置いてある書類の束を見て、席に座り黙々と作業を始める。
「好きな席にどうぞ」
巫女はエドウィンに促されるまま椅子に座る。
渡された書類は独特の貴族の言葉で綴られ、巫女の知識では処理できないものだった。王妃に呼ばれて書類は放置したまま退室した。
「いらっしゃい。また話を聞かせてくださる?」
王妃の部屋で豪華な酒とお菓子が用意され、空腹が満たされ気の合う王妃の話に同調しながら知識を披露する。世界を旅する巫女は美への知識は王妃より豊富で相手の欲しい情報を餌にして取引するのも得意だった。
「アリー、これは」
黙々とペンを走らせていたエドウィンは顔を上げて隣を見ると机の主がいないことに気づいた。
国外の慣習に詳しいアリストアに聞けないことに気付いて侍従に資料の手配を命じた。
初めて息苦しさを感じながらペンを進める。
いつもは昼食前に片付く書類の束はまだ残っている。
エドウィンがようやく現実に戻り始めた日は全ての公務が終わると夜が明けていた。
部屋に戻ってベッドで眠る美しい巫女を見ても心は満たされない。着替えもせずにベッドに崩れ落ちるように倒れ眠りにつく。巫女はエドウィンに気付き目を開けて口づけると拒否され、目を見開く。
甘美な夢に夢中でも、体力のないエドウィンの体は休息を求めていた。性欲よりも睡眠欲であり二日も徹夜ができる体質ではなかった。初めて反応しない少年に巫女は唇をキュッと噛みしめ、初めて不快感を持つ。自分に陥落されて溺れていく美少年の抵抗にベッドを抜け出し部屋を出た。
翌朝、侍女に起こされるまでエドウィンは眠っていた。
王宮内を歩いていた巫女は侍女に声を掛けられ準備を整え朝食の席に連れていかれる。
目の前の昨日と同じ少量の果物に驚き、エドウィンに問いかけても生返事。
生まれて初めて朝から酷い眠気に襲われ、目の前で鳴るカチャカチャと品のない音や甘ったるい声に初めて不快を感じエドウィンは黙々と食事をした。
エドウィンにとって居心地の良い環境を整えた存在がいなくなり、初めて居心地の悪さを知ったことには気付かない。
巫女も素っ気ないエドウィンに、好みでない料理、不自由な生活に不満が強くなる。
昨夜までは思い通りに自分に夢中の美少年の態度の変化にプライドが傷つくも、誘えば誘うほど逆効果と理解していた。
巫女の思い通りにならない男は初めてだった。
用意される料理は好みでない味気ないものばかり。
満たされていた夢のような生活の終わりとともに恋人同士の歯車がカチカチと鈍い音をたて始めた。




