第十話前編 小さな棘と蜜
アリストアが王妃の名代で用意した祝賀会は表面的には無事に終わった。
王はエドウィンと王妃を呼び出した。
宰相は巫女のもてなしのため退席していた。
「正妃に迎えいれるなら王妃教育を始めるように。アリストアの手は借りずに」
「国の象徴である巫女姫は存在そのものが、」
「父上、もうすぐ嵐がきます。時間がありませんので後日に」
王はエドウィンと王妃に巫女の教育を命じたが、返答は求めている答えではなかった。
後継を生み、エドウィンの心を慰めるなら妾で十分だった。
正妃には正妃の務めがあり、優秀な側妃に丸投げできない役目がある。
王妃が心酔する先見の予言も王にとっては重要なものはない。
軍師としての腕を誇らしげに語られても、軍略の天才も秀才もすでにいる。
リスクの高い信憑性のない予言頼りの奇策は王の好みではない。
なにより王は神職や一人に依存する統治は好まなかった。
「父上、話は後日お願いします。失礼します」
「巫女姫は嵐を予言しました。エドウィンと二人で協力して―――」
エドウィンが礼をして飛び出して行き、王妃が巫女について意気揚々と語り始めた。
宰相が戻り、興奮している王妃は気にせず王の横に控え巫女について囁いた。
「勝敗は?」
「女性としては腕が立ちますが、殿下達には劣ります。チェスは残念ながら」
「どんな立ち位置を思い描くのか」
宰相にチェスで勝ちを誘導される軍師も、礼儀をわきまえない騎士も必要なかった。
王が求めるのは見目麗しい騎士ではなく、一芸に優れる騎士。
不確かな占いや予言は一芸には含まれない。
王にとって巫女は平凡で、近衛騎士としても物足りない。
礼儀をわきまえられない騎士はどんなに腕が優れていても王族の護衛を任される近衛騎士には任命しない。
王の求める近衛騎士は礼儀をわきまえ、主の命令に忠実が絶対条件だった。
窓の外では風が強くなっていた。
「陛下、嵐が来ます!!波が荒れてます」
飛び込んできた大臣の報告に王は嵐に備えるように命じる。
「巫女姫の予言通りです。これが神の力を持つ選ばれし――」
王は興奮している王妃に冷めた視線を向けて宰相に視線を向ける。
宰相が頷き、王の命令を受け指示に動き出す。
将軍は民の避難誘導に指示を飛ばす。
兵の休暇は取り上げられ緊急招集された。
「嵐ですか…。まぁ、あら?」
アリストアは報告を受けて、エドウィンの友人の訪問予定を思い出し、執務室に戻り急いで手紙を書く。
「嵐がくるので気をつけて行ってらっしゃい。届けた後はゆっくり帰ってきても構いませんよ。どうかご無事で」
アリストアは王宮で飼う文鳥達に手紙を託して飛ばした。
海路を使って訪問する来賓に会談の延期を、陸路への変更の手回しを頼む領主に。
手遅れにならないように祈りながら慌ただしくも各々ができることを行った。
「災害は時間が勝負だよ。嵐は津波を呼ぶから……」
アリストアはエドウィンの話を思い出して、倉庫に向かう。
「あら?まぁ、仕方ありません」
救援物資の手配をするために備蓄の確認をしていたアリストアは倉庫から出るタイミングを失った。
強風の中、外を歩けば飛ばされるため、侍女と共にできることをしながら嵐が去るのを待つことを決めた。
「アリストア様、お部屋まで送りますよ」
日が暮れると、音もなく天井から降りてきた騎士にアリストアは微笑む。
エドウィンは迅速な民の救援を望むのをわかっていた。
頼もしい助っ人のおかげでエドウィンの願いを叶えるためにできることが増えたことを心の中で喜んだ。
「お時間があるなら力を貸してくださいませ。嵐の被害がどの程度のものかわかればありがたいのですが」
アリストアを忍んで護衛をしていた騎士は期待のこもった瞳と無垢な笑みでお願いされ、侍女に頷けと圧力をかけられ頷いた。
「憶測でしたら」
「感謝しますわ」
アリストアは運の良さに微笑み騎士と侍女の手を借りて本格的な物資の手配を始めた。窓の外の激しい雨と風を見れば、楽観的にはなれなかった。
「そろそろお休みください」
「お二人も休んでくださいませ。責任は私が持ちますので」
日付が変わる頃にアリストアは簡易のベッドを用意され侍女に言われるまま眠りにつく。
侍女はぐっすり眠るアリストアを眺めた。
健気なアリストアの想い人を浮かべると侍女の胸が傷んだ。
エドウィンがいればアリストアは倉庫で一晩過ごすことを選ばなかった。
倉庫に閉じ込められたお姫様を助ける王子様の目が醒めることを祈りながら、自分の心模様と同じように荒れる外の嵐の音に耳を傾けた。
アリストアは再会してから制御できない感情を知り、エドウィンの存在がさらに大きくなり、後姿を見るだけでも幸せだった。
好きな人と同じ道を歩める幸せにも気付いてからは、幸せのために駆け回っていた。
「無茶をする方ではないのにな」
「振り向いて欲しくて、必死なんですよ。帰られてから殿下が声を掛けてくださったのは一度だけ。しかもあんな……。お寂しいのさえ気づかずに」
幼い頃からアリストア達を知る二人は無垢な天使の片割れを思い浮かべる。
雷鳴が響き、倉庫が揺れてもぐっすり眠る天使が死んだように眠るようになったのは側妃候補に代わった翌日からだった。
無垢な天使は片割れのための頑張りが小さな棘をばらまいているとは気づいていない。
大きな嵐が去り、海沿いの町が津波に襲われ、幸いにも死傷者はなく物理的な被害だけだった。
夜が明けると風が弱くなり、アリストアは侍女に起こされ部屋に戻った。
「送ってくださりありがとうございます。心に秘めてくださいませ。これを」
アリストアは侍女と騎士に倉庫で一晩明かしたことの口止め料も含めてお礼の金貨を払った。
騎士を見送り、湯浴みをして体の汚れを落とす。
温かいお湯の中で今日の予定を組み立て直す。
用意されたドレスを着て、支度を整え日課をこなす。
いつもより早く王族の間に向かい朝食を食べ始めた。
アリストアが黙々と食べていると王が入ってきたので、簡易の礼をする。
「楽にしなさい」
頭を上げるとお茶を飲んでいる王にアリストアは微笑む。
王はアリストアからのお願いがあると気づいて、視線を合わせたまま頷く。
「陛下、救援物資の手配は私にお任せくださいませ」
「任せよう」
「ありがとうございます。おそれながら、しばらく晩餐の席を辞退させてくださいませ」
「食事はきちんと食べるように。無理は禁物だ」
「ありがとうございます」
王はアリストアの願いを了承した。
明け方まで倉庫に閉じ込められていたと報告を聞いて顔を見にくると、いつもと変わらない。動揺することもなく常に落ち着き、国のために動く姿は王妃に相応しい。
息子の見る目のなさに呆れながら静かな朝食の時間を楽しんだ。
朝食の静寂とは正反対なのが晩餐の席だった。
王妃が上機嫌に話していた。
「予言とはすばらしいもの」
巫女は前日に嵐の予測をしていた。
避難誘導に動いたエドウィンと巫女の勇姿を王妃は意気揚々と語るのを王は冷めた視線で聞き流す。
雨の中、避難誘導に駆け回ったのは騎士達であるとは伝えない。
アリストアは嵐の去った日から王家の晩餐には顔を出さない。
カチ、カチャ、ガチャと音をたて、誰よりも早く料理を食べ終える品のない巫女と賑やかに食事をする王妃とエドウィン。
王は明日は早く起き、静かな心地よい時間をくれるアリストアと食事を共にすることを決めた。
アリストアは王の目の前にいる王族の代わりに嵐により中断された外交と復興支援に駆け回っていた。
いつまでも現実に戻らないエドウィンと王妃に王は無言で料理を口に運んだ。
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「このたびは申し訳ありません」
「災害は仕方のないことです。心をこめておもてなしくださり、有意義な時間でした。アリストアを独占してエドウィンに怒られないといいですが」
「お戯れを」
「エドウィンに愛想が尽きたらいつでも迎えいれましょう。美しい婚約者を持てる友人が羨ましい。アリーにこれを」
アリストアは口調を変えた同盟国の王子から差し出される花束を受けとると腰を引かれて抱き寄せられた。
「君が望んでくれるなら叶えてあげるよ」
アリストアは甘い笑みを浮かべ囁く同盟国の王子に微笑み、そっと胸を押して離れて礼をする。
「ありがとうございます。関税について」
「その話は次の再会の時にしようか。薔薇の花を数えた後に思い出してほしい。また」
王子は全く揺さぶりの効かない将来絶世の美女に育つだろう美少女の髪を一房取り、口づけを落として船に乗った。
王妃の椅子から追い落とされたアリストアが亡命するなら妃として迎え入れたい。
真っ赤な12本の薔薇の花の意味にアリストアなら気付くだろうと花束を抱きしめて見送る姿を眺めていた。
アリストアを放置して、年上の美女に夢中なエドウィンに婚約破棄を勧めたくても会えなかった。
アリストアを強引に攫えるほどの国力はなく、一人の少女のために戦争をするつもりもなかった。
アリストアは王子を見送り、真っ赤な薔薇の花束を抱いたまま墓地を目指した。
「12本の薔薇の意味は、強まる愛?妻になってください?同盟の強化のための婚姻のお話でしょうか。陛下に姫君が嫁いでらっしゃるので、まぁ詳しいお話があればふさわしい令嬢を選びましょう」
アリストアは王子の言葉は気にせず花束のリボンを解き、真っ赤な薔薇を4本ずつ祖父と祖母と母の墓の前に供えて祈りを捧げた。
「お母様の教え通りです。私は好きな人と同じ道を歩める恵まれた貴族令嬢です。お守りくださってありがとうございます」
多忙のため月命日に訪問することはできなくても、優しい母達は怒らないのを知っていた。
アリストアの目指す母の話す王族になるためには、まだまだ足りないと気合いを入れ直して前を向く。
王宮に戻るとアリストアは目の前の光景に一瞬だけ冷笑を浮かべた。
「美しくも教養もない正妃?殿下の目も濁りましたわね」
「負け惜しみ?」
「年増には勝ちたくありませんわ。側妃より醜く全てが劣る正妃なんて頼まれても受けたくありませんわ」
「醜い?」
「自覚がありませんの?お可哀想に。同情しますわ」
アリストアは巫女を挑発して高笑いしている従妹の公爵令嬢を笑顔で睨み黙らせた。
睨み合っていた巫女に頭を下げた。
「申し訳ありません。きちんと教育しますわ。お二人のご婚約を心からお祝い申し上げます。失礼します」
アリストアは目を見開く令嬢が口を開く前に腕を掴み礼をして立ち去る。
「悔しくありませんの!?殿下のお側に全てが劣る」
「言葉に気をつけなさい。エド様達が認められました」
「どうして冷静でいられるんですか!!あんな女に頭を下げるなんて」
アリストアは子犬のように吠える従妹の態度にため息をさらに飲み込みゆっくりと言葉をかける。
「落ち着いてください。公爵家の地位は変わりません。側妃ならある程度の権限も与えられます」
「どうして受け入れてるんですか!!頭の軽い女を」
アリストアは周囲の視線に気づかず、態度を改めない従妹に冷笑を浮かべて、冷たい声で警告する。
「いい加減になさい。淑女としてあるまじき行いを自覚なさい。感情のまま言葉を口にするならうちに帰りなさい。ここは王宮です」
アリストアに初めて冷たく叱られ、令嬢はピキンと固まった。
無垢な天使が氷の魔女に豹変していた。
令嬢は心身ともに凍りつき動かない。
アリストアは静かになった従妹を放置して執務室に足を進めた。エドウィンに恋い焦がれる令嬢の暴走を諌めるという嬉しくない日課が増えたことは気にせず山になった書類の攻略を始めた。
しばらくして、氷が溶けた令嬢は興奮が冷めて冷静さを取り戻す。
「先程の姉様の笑みはまぁ。美しかったわ。私が殿方なら……。いけませんわ。でもまた向けられたい……。違いますわ!!失礼しました。お忘れくださいませ」
アリストアの豹変にうっとりしていた令嬢は人目がある王宮でする話ではないと気づき礼をして立ち去りアリストアに謝罪するために執務室に入った。
「申し訳ありません」
「次はありません。エド様達への無礼は許しません。私は不服はありません」
「はい。アリストア様がおっしゃるなら従い、いえ、王家のお考えに従います。申し訳ありません。手伝います」
令嬢はアリストアに冷たく見つめられ訂正をした。
アリストアの前で王家の批判は禁忌だった。アリストアは反省している従妹に視線を和らげ書類を渡した。
側妃も妾もエドウィンさえ望めば迎えいれられる。エドウィンの側にいたいなら巫女とうまくお付き合いするようにと詳しく教えるほど時間に余裕はなかった。
公爵令嬢は不満を飲み込み淑やかな顔で書類を受け取り部屋を出ていく。
「美しく聡明な未来の国王夫妻?醜くて耐えられません。ですが今日のアリストア様はなんとも、まぁ……」
戦後処理と復興支援に追われ慌ただしい王宮に姿をほとんど見せないエドウィン。
楽しい時間の代償に気付かない。
エドウィンへの不信という小さな種が育った先にあるものにも。
巫女は平凡な顔の少女の回収に現れ風のように去った美少女に目を見張った。
エドウィンに服装を合わせなくなったアリストアの美しさはさらに磨きがかかっていた。
エドウィンに負けない芸術品のような美少女に欲が動きそうになり妖艶に微笑む。
巫女はアリストアがエドウィンの婚約者とは知らない。
一夜にして大量の貴族から挨拶を受けたが、令嬢の名前は覚えていない。
婚約を了承していないのに話が進んでいても、いざとなれば逃亡すればいいだけと腕に自信のある美女は楽観的に美少年の攻略を楽しんでいた。
エドウィンと巫女は二人になれば言葉ではなく体で絆を深めるので将来についてのすり合わせができていなかった。
エドウィンも王妃も妃に望まれ喜ばない存在がいることを知らなかった。




