その発想はなかった
前世の小説や漫画で、確かに料理チートと言うのはあった。とは言え、この世界ではそんな創作物のように一気にレシピを広めることを良しとされなかったので、ゆっくりゆっくり進めていた。
しかし、思えば乳製品レシピを作るようになってから、四年ほど経っている。確かに、次のステップに進んでも良いのかもしれない。
「ヴァイス、すごい……っ!」
「だろ?」
「……でも、私もヨナスも、ずっとはその店にいられないし。あとケフィアを作るにはパン窯がいるから、パンも焼ける人じゃないと……」
そこまで言ったところで、オリヴィアは言葉を止めてヴァイスを見た。一方、ヴァイスもそんなオリヴィアを見返すと、それぞれの瞳をある人物へと向けた。
ヨナス――ではなく、彼の隣で皿を洗っていた、一人の使用人の女性にである。
「……えっ?」
皿を洗っていた女性――リタは、しばらくして会話が途切れたことに気づいて顔を上げ、オリヴィア達だけではなく一同の目が自分に向いていることに気づいて驚いた。
年の頃は、三十歳前後くらいだろうか? オリヴィアの母・ウーナと同年代と聞いている。
キッチリ結い上げた榛色の髪と、同じ色の瞳。彼女は台所女中として、ヨナスが料理をしている時の皿洗いなどの水仕事を担当していたのだが――オリヴィアが思いつく新作レシピを、ヨナスが作っていくうちに人手が足りなくなり、シュークリームやクリームパンを作るのも手伝うようになったのだ。
だから、確かにリタならオリヴィアのレシピを作ることが出来る。
けれどそこで、オリヴィアは引っかかった。
「でも、ヴァイス……お店を任せるとなると、リタがうちで働けなくなっちゃう……そういうことを、私達で勝手に決める訳にはいかないわ」
「オリヴィア……」
「うぅ……お嬢様が、可愛過ぎて本当に辛い……やっぱり、息子とは違……いえ、娘でもわたしには、あんな素晴らしい子は産めない……」
「リタ?」
ヴァイスを窘めたオリヴィアは、何故だか感激の涙を流してハンカチを顔に当て、ブツブツと呟くリタに気づいた。
前世の記憶があるので、自分の容姿は客観視できる。加えて、前世の知識のおかげで『女神の愛子』と呼ばれているので、単純に可愛いだけではなく尊敬される場合もある。
……あるのだが、それにしてもリタの反応は限界オタク過ぎないだろうか?
「お嬢様、お気遣いありがとうございます! ですが、お嬢様の可愛さや素晴らしさを広める為なら、わたし頑張りますから!」
「あの、リタ? 気持ちは嬉しいけど、お菓子から可愛さを広めるのは難しいんじゃないかな?」
「大丈夫です! お店には、お嬢様の姿絵を飾りますからっ」
「何がどう大丈夫?」
「「「それは良い(わね)!」」」
全く大丈夫だと思えなかったので、オリヴィアはそう尋ねたが――彼女以外の家族は、リタの提案が気に入ったのか嬉々とした声を上げた。
(いや、まあ、某フライドチキンのお店では、創業者の人形を飾っていたりしたけど)
そう思うと、絵を飾るのもありなのだろうか――ついつい遠い目になったオリヴィアの背中を、ヴァイスは慰めるように尻尾で叩いた。




