猫を被るお嬢様は野菜が食べたくない
昼下がりのとある日。
屋敷の一室では、一人の令嬢と侍女が優雅に食事をしている。だが……。
「何故、きゅうりがあるのよ!」
青ざめた顔をして、フォークの先に刺さったきゅうりを嫌そうに見つめるのは公爵家の令嬢であるシェフィ。
「お嬢様、好き嫌いはよろしくありませんよ」
横に立ち、静かに声を掛けるのは侍女のクラリスであった。
「だ、だって……」
「だってもお菓子もありません。今日は健康に気をつけた野菜デーなんですから、我慢してください」
シェフィ家では、毎週木曜日に野菜デーなるものが存在し、朝食、昼食、軽食、夕食において、野菜を使った料理を食べる決まりがあるのだ。
従って、軽食にはきゅうりやトマトなどの新鮮な野菜を使ったヘルシーなサラダが出されている。
「ヤダヤダヤダ! クラリス私の代わりに食べて?」
上目遣いで見上げてくるシェフィに思わず、「はい」と返事をしてしまいそうになるクラリス。なんとか堪えたクラリスは至って平常を装いながら咳払いをする。
「そのお願いは聞き入れ兼ねます」
「なんでよ〜」
「それを食べてしまうと、私の摂取カロリーが偉いことになってしまいます。ですから駄目です」
「そんなぁ」
諦めたシェフィは渋々きゅうりを口に含む。
「……野菜、美味しくない」
涙目になりながらも喉を通して、飲み込む。
「うへぇ……」
「そんな変な顔をしないでください。ハルト王子が見てますよ」
「え⁉︎」
「もちろん、冗談ですよ」
悪戯な笑みを浮かべて、シェフィを弄ぶクラリス。そんなクラリスの方を見るシェフィは視線はどんよりとした薄暗いものであった。
「クラリス最低……」
「お嬢様が動揺されるお姿を見るのは私の趣味ですので。お許しください」
「許すか!」
相変わらず仲のいい二人である。
結局、シェフィは嫌々ながらもサラダを完食した。
クラリスはそれを見て、偉い偉いと褒めていたが、いまいちその言葉は届かなかったようだ。
「もう食べたくない」
「夕食を乗り切れば、野菜デーは終わります。お嬢様、あと一息です」
「む、無理……」
どうやらシェフィは野菜が相当嫌いなようだ。
「木曜日なんてなくなればいいのに」
「そうですか。あ、そういえば来週の木曜日はハルト王子と出掛けるご予定がありましたね」
「ああ、木曜日はなんて素敵な日なの」
ハルト王子を掛け合いに出されたシェフィはすぐさま掌返しをする。
「お嬢様は驚くほどにチョロいですね」
「当然よ。ハルト様と野菜を天秤に掛けたとき、少し悩むけどハルト様の方を一番に考えるもの」
「そこは悩まないって言って欲しかったです」
シェフィにとって野菜は天敵。
ハルト王子への想いはもちろん強いのだが、野菜への警戒心もまた同様に大きい。
「はぁ……世の中から野菜がなくなればいいのに」
「お嬢様、世界のベジタリアンに土下座をした方がよろしいかと」
因みにシェフィの野菜嫌いとは対照的にクラリスは野菜好きである。
顔には出さないが、密かに木曜日という日を楽しみに待ち望んでいた。
「さて、お食事が済んだのでしたら少し休憩を……って、お嬢様!」
「え、何?」
「食べてすぐに横になると食用の黒豚になりますよ」
部屋の隅にあるベットで当たり前のように横たわるシェフィにクラリスはそう忠告をする。
「いや、そんなの聞いたことないわ! しかもちゃっかり食用とか言ってるし……」
「とにかく、すぐに横になるのは体によくありません。……太りますよ」
「ふ、ふと……!?」
太る、という単語に固まるシェフィ。
先程までの反抗的な態度は完全に削がれたようだ。
「ど、どうしよう。クラリス、私太っちゃうの?」
「お嬢様、今なら挽回する方法がございます」
得意げな顔のままクラリスはさっさと皿を片付けて、シェフィに視線を向ける。
「今から私が言うことを復唱してください。いいですね?」
「分かった」
真剣な顔つきになるシェフィにクラリスはゆっくりと口を開く。それに続こうとシェフィも準備を整えた。そして……。
「私は野菜が大好きです」
「わ、私は野菜が大好きです」
「食べてすぐに寝たことをお許しください」
「食べてすぐに寝たことをお許しください」
「クラリス、貴女無しでは生きていけません」
「クラリス貴女な……って、何言わせるのよ!」
クラリスは首を傾げて、とぼけたフリをするがシェフィには通じない。
故意であることは明確であり、言い逃れのできない事実。顔を真っ赤にして怒り半分、恥ずかしさ半分のシェフィはその視線をクラリスに向けた。
「クラリス、貴女はどさくさに紛れてなんてことを」
「え、なんのことですか?」
「白々しいわね!」
シェフィの怒りっぷりを存分に眺めて、その後何事もなかったかのように。
「さて、復唱を続けましょう」
シェフィにものを言わせるというのを再開しようとした。
「その手には乗らないわ」
が、その企みは潰える。
シェフィはこう見えても優秀な令嬢。アホな発言の数々によってその印象がクラリスの中では薄れているのだが、しかし、紛れもなく公爵家の一人娘であり誰もが認める秀才なのだ。
「私のことをチョロいお嬢様とでも思っていたのでしょう。残念だったわね!」
勝ち誇ったように邪悪(本当は違う)な笑みを浮かべて、シェフィはクラリスを見下ろす。
そんなシェフィに対して、クラリスは俯き何も喋らなくなっていた。
「……」
「どうしたの。負けたからものもいえなくなっちゃった?」
「……」
「あははっ」
「……」
「え……ちょ、クラリス?」
「……」
黙り込むクラリスに流石に焦り出すシェフィ。表情は俯いているために窺えない。しばしの間シェフィは慌てていたが、その様子をチラリと見ていたクラリスはやがて震え始める。
「お、お嬢……様、ふふっ、焦りすぎ。あとチョロいです」
その後ついに堪えきれず涙を流しながら爆笑をしたクラリスにシェフィは茫然とした顔を見せていた。
残念ながら、シェフィはクラリスに遊ばれていただけである。その証拠にクラリスは全然元気に腹を抑えて楽しそうな顔をしている。
「さて、楽しめたところでそろそろ外出のお時間です。支度を済ませましょうか」
「楽しんでたのはクラリスだけよ……。それに今は外出気分じゃないし」
野菜を食べたことと侍女に弄ばれたことによって満身創痍のシェフィ。それに対して、随分と充実した時間を過ごすことができたクラリスの身は軽い。
「お嬢様、行き先はハルト王子の部屋ですよ」
「それを先に言いなさいよ!」
シェフィを扱い慣れているクラリスにとって、彼女にやる気を出させることなど容易い。シェフィはそのまま着付け室まで一直線、光の速さでこの部屋から消えていた。
「お嬢様と一緒にいると退屈しませんね。ふふっ」
そうして、シェフィの後を追うようにクラリスもゆっくりと部屋を後にするのだった。
今日も公爵家の屋敷は平和である。