世界は廻るというけれど
世界は廻るというけれど。
私の心は、なかなか廻らない。
君が好き。それさえも言えなくて、苦しんで、気持ちを閉じ込めて、堪えて。
そんなことをしているうちに、愛しい感情は消えて、すべては私の過去となった。
記憶に記されたのは、「恋」。
でも、実際に感じたのは「儚さ」「切なさ」「愛しさ」で、「恋」なんて一言も入ってない。
恋や愛なんて所詮そんなもの、知っていたのに失ったものは大きかった。
泣いたって、喚いたって仕方がない。
時間から貰うものはそんな甘いものじゃない。
自分なりの幸せ掴んで、ずっと側にいて。
ずっと、そう思っていた。
でも、失ってから気が付いたこと。
そんなのはただの幸せだったときの想いに過ぎないことで、「幸せ」なんて掴めない。
決まっているものでも、貰うものでもない。
幸せは、与えられるもの。
ご褒美、報酬。
それらと同類かもしれない。
独りぼっちで過ごして、なにが楽しい。
愛する誰かといるほうがずっと楽しい。
独りじゃなかった頃、こう思ってたことも、姿をすっかり変えて戻ってくる。
独りぼっちで過ごして、何が悪い。
思いはやがて開き直りに変わり、なにかを一つ一つ失っていく。
一つのものを失っただけで、ポロポロと崩れていく。
弱いかも、いや、弱い。
でも、弱くて何が悪い?
誰にも守ってもらっていない。
自分でも守っていない。
でも、今宵生きている。
生きている。
愛、恋、悲、怒、感情は色々あるだろう。
でも、私の心は何が通り過ぎようと、廻らない。
それが当たり前であるから、私にはいま、芯が残っているのだろう。
感情を受け止めたが最後、私はぽきぽきと折れていくだろう。
優しさ、想い合い。
かつては消しても消えないはずだったこの言葉。
でも、今は。
ぬくもり、やすらぎ、たいおん。
暖かそうに聞こえて、実はそんなに暖かくないと知ったこの冬。
孤独だろうが独りだろうが、私が私でいることには変わりない。
世界がどう廻ろうが、私には関係ない。
私の心と世界は違う。
同時に廻るものではないから、ずれて動くし、止まるときもある。
でも、そんな私が私だから、いまは私の世界が廻ってて、
心も一緒に廻ってる。
詩でしたが、ちょっと短めに書いてみました。
これが、私の「廻る」に対する正直な考えです。
タイトルは、GARNET CROW の「世界はまわるというけれど」から頂きました^^。