5.晩餐会の夜
刻々と時間が過ぎて行く。
気が付けば陽の落ちる時間も早くなっていて、そんな秋の夜長は室内に居ても、じっとしているだけで肌寒くなるものだ。
日中のパレードの時は鮮やかな赤いドレスを着せてもらっていたのだけれど、そのドレスは肩や腕が露出するデザインだったのよね。
なので、今はそれに合わせたシックなデザインの、黒いレースで出来たボレロを羽織っている。
薄い布一枚だけれど、これがあるだけでも体感温度が少し変わるのだ。
それに、レースのボレロって大人の女性っぽいというか、オシャレアイテムっぽくて自然と気分が高揚するのよ。
「ふふっ……楽しそうですね、フラム」
控え室でソワソワとしていた私に、護衛として待機して下さっているグラースさんが微笑みかける。
そんな風に笑うグラースさんの方こそ楽しそうなのだけれど……今は部屋に二人きりだから、私を名前で呼んでくれる独占感が心地良い。
お互いこの時間を楽しんでいるのなら、もうそれで良いような気がしてきた。
「こういう大人っぽい格好をする機会がほとんど無かったので、ちょっと浮かれてしまったみたいです……。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
「良いのですよ。私の前では、どうか自然体でいて下さい。そんな風に愛らしくはしゃぐ貴女の姿を……もっと見ていたいですから」
「そ、そんなのっ……! 私の心臓が耐え切れません……!」
面と向かって愛らしいなんて言われてしまうと、本当に心臓がもたないから……!
「……そ、それより、そろそろ晩餐会が始まる時間ですよね?」
「そうですね。昼間のパレードに引き続き、貴女の身の安全は、このグラースがお護り致します」
話を逸らさないともっと弄られそうな予感がしたので、晩餐会の話題を出してみたのだけれど──グラースさんは、すっと私の前に片膝を付いて手を取った。
彼の澄んだ水色の瞳が真剣な色を帯び、私を見上げている。
「……フラム。あの日、貴女に救われたこの命は、この先も貴女の為に燃やし続けていきます。この世で最も愛おしい……私だけの姫君に、全てを捧げましょう」
「グラース……さん……」
あの日──スフィーダ火山での決戦で、グラースさんは魔女ジャルジーに殺された。
それは魔女の策であった。
私を絶望の渦に叩き込む事により、肉体を失った魔女が私を器として、身体の主導権を握ろうとしていたからである。
けれども私は、決して諦めなかった。
魔女の過去と向き合い、絶望を希望に変えて──グラースさんの命の焔を、再び灯す事が出来たのだ。
「……私も、世界で一番大好きな貴方の為だったら、何だってしてみせます。貴方と一緒に居られるなら、自分が傷付いたって構いません」
「フラム……私は、そんな貴女の事を……!」
二人の熱い視線が絡み合い、互いの瞳に相手の顔が映り込んで……自然と吸い寄せられていく。
私の手を両手で包み込んだグラースさんは、そのまま立ち上がって距離を詰め。
吐息が届く程に接近した彼の唇が、落とされたその視線が、私の唇を捉えて──
「フラムちゃーん! グラースちゃーん! そろそろ大広間に向かうわよ〜?」
「「…………っ!?」」
ドアの向こうから聞こえた声に、私達は大慌てで平静を装って対応する。
この声はシャルマンさんで間違い無いだろう。私達がなかなか部屋から出て来ないから、心配になって様子を見に来てくれたのだと思う。
……さっきまでのドキドキとは違う意味で、心臓が騒がしい。
「は、はい! お待たせしてすみません!」
「……この続きは、また今度という事で」
ちょっぴり残念そうに、眉を下げて言うグラースさん。
小声で囁かれたその言葉に、私は淡く頬を染めながら頷いた。
晩餐会が開かれる大広間は、夏の黒騎士襲撃事件から使用禁止になっていた。
けれども大窓や床などの修繕も無事終了し、こうしてドレスや礼服に身を包んだ紳士淑女の集うゴージャス空間になっている訳なのだけれど……。
今回は立食形式の晩餐会という事で、各テーブルには様々な料理が並んでいる。
既に晩餐会が始まってしばらく経過しており、クヴァール殿下は招待客の対応に追われているようだ。貴族の人々から次々に話し掛けられている。
一方私はというと、会場の端の方に用意された私専用のテーブルスペースで待機していた。
この場で殿下やグラースさん達以外に知っている人なんて居ないから、見知らぬ誰かと談笑する勇気も無いしね……。
お酒の入ったグラスを片手に語らう人々を見ながら、私は側で警護にあたるグラースさんに問い掛けた。
「殿下がお戻りになられたら、私に面会したい方々とお話する事になっていましたよね」
「ええ。面会の時間まで、まだ時間が掛かりそうらですが……何か食事を取ってこさせましょうか?」
グラースさんは私から離れる訳にはいかないので、他の騎士さんに料理を取ってきてもらえるらしい。
空きっ腹にお酒を入れるのも身体に悪いだろうから、ここはお言葉に甘えようかな……?
「……では、お願いします」
「畏まりました。……ルイス」
すると、グラースさんは近くで待機していた部下のルイスさんに声を掛けた。
ルイスさんは明るい性格の青年で、爽やかな茶髪に青い目が特徴的な騎士さんだ。
宿舎で会うと気軽に挨拶を返してくれて、私を「フラムちゃん」と呼んで優しく接してくれる、近所のお兄さん的な存在なのよね。
彼にも私達の会話が聞こえていたようで、グラースさんの意図を理解したルイスさんは笑顔で応える。
「はい、僕にお任せ下さい! フラムちゃ……ええと、フラム様は何か苦手な食べ物とかはありますか?」
「辛すぎるものはちょっと……」
「分かりました! それじゃあチャチャッと用意してきますから、少々お待ち下さいね!」
そう言い残して、ルイスさんはあっという間に人混みの中へと消えていった。
それから間も無くして、バランス良く料理が盛られたお皿を持っきたルイスさんが、私達の前に戻って来た。
彼はそれをテーブルに置くと、私達に一礼して元居た配置に戻り、会場の監視を再開する。
ルイスさんが選んできてくれた料理は種類が豊富で、色々な味を楽しめるように、少量ずつ盛られていた。
口の中でホロリとお肉が崩れるまでじっくり煮込まれたものや、香りの良いハーブがふわりと鼻をくすぐる魚のソテー。
他にも野菜の甘みを活かした蒸し料理や、チーズとお芋をこんがりと焼いた料理などなど……。
どれもが美味しくて、真似出来そうなら宿舎のキッチンを借りて作ってみようかな? と思うぐらい美味しかった。
ある程度お腹を満たしたところで、少しお酒も嗜んでみたりして。
殿下の方を見ると、彼を囲むように集まっていた貴族の人数が減っていた。
そろそろこちらへ戻って来そうだから、次は私が殿下のように取り囲まれるのだろう。
そろそろ気を引き締め直さないとな……と思っていると、大広間の人混みの中に一際目立つ人物の姿を見付けた。
カラスのように真っ黒な前髪を上げた、鋭い目をした凛々しい青年。
彼が身に纏うのは、王侯貴族の集うパーティーには似つかわしくない戦闘服のようだった。
黒と青を基調とした外套を羽織り、その内側からは騎士団のものと同等か、それ以上に質の良さそうな鎧が覗いている。
首元には群青色の長いマフラーが巻いてあり、脚を覆う黒革のロングブーツは、よく手入れが行き届いているようだ。ブーツがシャンデリアに照らされて、光を反射していた。
「あ……」
その時、遠くから彼と目が合った。
こちらに視線を向けた青年の耳元でゆらゆらとピアスが揺れ、海のような深いブルーの瞳から目が離せない。
例えるなら、狼に追い詰められた野ウサギのような──ガッシリと心臓を掴まれてしまったような、嫌な汗がこめかみを伝う。
……これが、殺気という奴だろうか。
けれどもそれは一瞬で消え去り、彼の目付きも落ち着いたものになっていて……すぐに視線が逸らされた。
気のせい……だったのかしら。
でも、あんな感覚はそうそう味わうようなものではない。
あの人が魔女派の生き残りで、私を狙う危険人物である可能性もある。そうだとしたら、あんな殺気を向けられた理由も分かる……ような気がする。
すると、私の様子がおかしい事に気付いたグラースさんが言う。
「顔色が優れないようですが、如何なさいましたか?」
「え、ええと……」
心配そうに私を見詰める彼。
素直に全てを打ち明けてしまって良いのだろうか?
誰かに殺気を向けられたかもしれない──だなんて、ただの勘違いだったらグラースさんに要らぬ心配を掛けてしまう。
どうするべきか悩んでいると、一通り話を終えてきた殿下がこちらへやって来た。
護衛をしている団長さんも一緒だ。
「どうしたのだ、フラム。何かあったのか?」
……このまま何も言わない方が、より一層彼らを不安にさせてしまうかもしれない。
そう判断した私は、思い切って『黒髪に青いコートの青年』の話を打ち明ける事にした。
「黒髪にコート……と言うと、そなたへの面会希望者の一人だな」
「そ、そうなんですか……!?」
先程の話を伝えると、殿下が彼の身元について話して下さった。
「あの男の名は、ヴァーグ・リヴァージュ。我がアイステーシス王国随一の冒険者だ」