パン焼き窯の価格
一週間経って、次のベークさんのお店の休みの日に、僕とアークは点検をしに行った。
それ以前に呼び出されることはなかったので、少しは安心していたのだが、何らかの不具合がないか心配だった。
ベークさん夫妻は僕たちを笑顔で迎えてくれた。
「カランプル君、アーク君、よく来てくださいました。」
「パン焼き窯の調子はどうですか。 何か不具合はありませんか。」
僕たちは挨拶もそこそこにパン焼き窯の点検を始める。
僕たち2人の点検では、今のところ不具合は見つからない。
「とっても調子が良いですし、大評判なんですよ。
たくさんのパンが一度に店頭に並ぶので、安心して買いに来ることが出来るというお客さんが多くなって、毎日今までの倍の量焼くことになっています。
パンの味も、美味しいと言われていますし、どのパンも均一でハズレがないと喜ばれているんです。」
僕は内部にこもる魔力を吸収して戻す役割の魔石がしっかりと働いていることを、そのベークさんの言葉で確信できた。
良かった、上手く作動している。
「何か改善した方が良い点はありませんか。」
ベークさんの奥さんがおずおずと言い出した。
「あの扉の取っ手をもう少し大きくすることは出来るでしょうか。
こうやって見ていた時にはバランスのとれた大きさだと思っていたのですが、仕事中に厚い手袋をしたままで扉の開け閉めをしようとすると、ちょっと持ちにくくて。」
なるほど、そうかもしれない。
見た目的には今の取っ手の大きさが最善に見えるけど、忙しく仕事で使うには、もっと大きくて無骨な感じの方が使いやすいのかも知れない。
「そのくらいすぐに変更できます。 ちょっと待ってください。」
アークは奥さんに詳しく大きさと形状の希望を聞くと、形を大きくするために、一週間前に使った砂と同じ物を少し取ってきて足して、土魔法で取っ手の形を変えた。
アークがその作業をしている間に、僕はもう少しベークさんに要望がないか聞いていた。
「そうですねぇ、あとは今のままで十分に以前より良いパンが焼けると思っているのですけど、理想を言えば火力の調整が今の三段階ではなくて、もっとスムーズに細かく変えられたら最高なんですが。
やはり、日によって気温も違うし、湿度も違いますから、パン生地の状態も同じにしようとしても微妙に差があるんですよ。
それを火力の調整や時間で、最適になるように焼くのがパン屋の腕なのですが、決まった火力ではなくて、スムーズに変わればと思うんです。
そしてちょっと夢見てしまったのですが、とても小さい火力というのもあれば、寒い時期に窯の中で発酵させることもできるかなと。」
なる程、僕は調理器の弱火、中火、強火という考え方そのままにパン焼き窯のスイッチを作ってしまったが、それはパン焼き窯には向いていないということか。
「分かりました。 その要望は少し魔石の回路を考え直さないといけないし、スイッチの部分を作り変えないとならないので2・3日待ってください。」
「できるんですか。」
「はい、大丈夫です。 任せてください。」
その後、ベークさんはもう一つ重要なことを言った。
「あの、前と同じに使えば魔石の魔力は2ヶ月持つ、とのことだったのですが、以前の倍以上のペースで、パンを焼いているんです。
ですからたぶん一ヶ月かからずに魔石の魔力が尽きるのではと思うのですが。」
「そんなに今までよりたくさん焼いていらっしゃるのですか。」
「はい、今はおかげで繁盛させてもらっています。」
「分かりました。 取り替え用の魔石も大急ぎで準備しておきます。」
「それで、代金なのですが、カランプル君は最初の魔石の交換になる二ヶ月後くらいにもしこの窯が上手く作動できて満足いただけたら、と言っていましたが、妻とも話しましたが、私たちは今の時点でも十分過ぎる程満足しています。
ですからなるべく早くお支払いしたいのです。
そうでないと若いカランプル君やアーク君は生活も大変でしょうし、それを思うと申し訳ないのですよ。」
僕はその言葉を断り切れず、
「それではおじさんに相談して、適正な価格を出してもらっておきます。」
「はい、そうしてください。
これだけの大きく高性能なパン焼き窯です。 たくさんの魔石とミスリルが使われているのも作成時に見ていますから、高価になることは分かっています。
カランプル君とアーク君に十分な利益が出る価格にしてくださいね。」
「なんだかすみません。 ありがとうございます。」
僕はその帰りアークに家に寄ってもらい話をした。
「アーク、またお前に頼っていいか?」
「なんだよ、どうした?」
「魔石の交換を2ヶ月後だと思っていたら、どうやら1ヶ月らしいんだ。
俺1人だと間に合わない。」
「ん、どういうこと。」
「金がないから、魔石が買えない。 火鼠を狩って魔石を取ってくるとその時まででは魔力が足りない。」
「そういうことか、一ヶ月後といっても早ければ3週間後だもんな。」
「ああ、俺1人だと、どんなに頑張っても火鼠を狩ってたら、月に10個が限度だ。
それで俺、月に5・6個は先約があるんだ。」
「良いなあ、そんなにもうお客があるのか。」
「世話になっている隣の家と、その家が雑貨商をしている関係で、優遇してもらっている。
生まれた時から世話になっているから、家族みたいな物なんだ。」
「そうか、恵まれているな、俺と違って。
俺は逆に家からも冷遇されているからな。」
「ああそうか、お前の家、貴族だったっけ。」
「ああ、貴族の家は劣等生は追い出す決まりだからな。
ま、それでも世間体からか、最低限の生活費が送られてくるから飢え死にしないで済んでいるけど、いつまで送られてくるか心もとないぜ。」
「そうか、そんな感じなのに、頼ったら悪いな。」
僕はちょっと申し訳ない気分でアークに頼るのはやめようかと考えた。
「ま、どちらにせよ、お客もちゃんといない土属性の俺は、魔力は余っているから、手伝ってやるぜ。
あのパン焼き窯の魔石に込める魔力は属性関係ないもんな。 俺にもできる。」
「ああ、それをお願いしようと思ったんだ。
あ、そうだ、このパン焼き窯は半分お前が作ったようなものだから、交換の魔石はこれからも2人で半分づつにしよう。
そうすれば、お前もお客2人分だぜ。」
「いや、それは違うだろう。
このパン焼き窯については、俺はちょっと手伝っただけだ。
仕事取ってきたのも、アイデアを出したのもお前だ。
俺が交換の魔石の権利を半分なんてあり得ないだろう。」
「いや、これからも必要な時に俺の仕事を手伝ってくれるっていう約束の上でということでどうだ。」
「そりゃ、俺としては願ったりだけど、良いのか。」
「ああ、俺もそうなれば助かる。 交渉成立な。」
とりあえずパン焼き窯の取り替え用の魔石は、僕が火鼠を狩って魔石を調達し、そこに回路を組み込む。
その後はアークに頼んで魔石に魔力を込めてもらうことにした。
これでなんとか間に合う目処がついた。
夕食の時におじさんに価格の相談をした。
おじさんに詳しく使ったミスリルの量、魔石の数、ただし込めた魔力は4個分だけということなどを話した。
おじさんの出した適正価格は僕からするとかなり高額なものだった。
「こんなに高い値段で良いのでしょうか。」
「カランプルがそんな風に言うと思ったから、これでもかなり抑えた価格なんだよ。
使った魔石の数もミスリルの量も多いし、形も大型だから作るのに魔力もかなり使っているはずだ。
カランプルの友達にも、きちんと労働の対価を払わなくてはいけないよ。
この価格はそれでも適正価格からはずっと安いと思うよ。」
おじさんの言うことは、とても正しいので、僕としては何も言えない。
僕は魔石の金額とミスリルの金額が回収できれば、魔石の交換の度に利益は出るから、それで良いと思っていたのだが、それではダメなのだと言う。
それでは魔道具を作っている人全体の技術や労働には価値がないことになるから、商品として出すには、それではいけないのだという。
はい、言われてみればその通りです。
確かに少ないけど、魔道具を作ることだけを仕事にしている人もいるんだよなぁ。
「カンプ、次はいつベークさんのところに行くの?」
エリスが話に加わってきた。
「2・3日中には行くよ。 改善点があって、それを直しに行かないといけないんだ。」
「その時に価格を告げないといけない訳ね。」
「うん、そうなんだけど、こんなに高くなっちゃうと話しにくいなぁ。」
「私が一緒に行って話してあげるわ。
私なら雑貨屋の娘という立場があるから、商品としてキチッと話せるわ。」
「ああ、それが良いね。
カランプルでは、どうも話を切り出すことが出来なそうだ。
お前からきちんとベークさんに伝えなさい。
ベークさんもこの価格で決して高いとは言わないと思うよ。」
おじさんも賛成したことで、次はベークさんのところにエリスと一緒に行くことになった。
その二日後の夜、エリスと一緒にベークさんの店に行った。
夜なのはベークさんの店の営業時間が終わってからの訪問だからだ。
僕はベークさんの店に行く時に、下に敷く為の綺麗に洗ってある布と、頭に巻く布、光を発する魔石のついた魔道具を持って行った。
「うちのパン焼き窯の時には下に敷く布なんて持たなかったのに、随分大袈裟なのね。」
エリスが僕の用意を見てそう言った。
「業務用で大きいから、パン焼き窯の中に入り込まないと、魔石に対しての作業が出来ないんだよ。
エリスの家のだと、床に寝転ぶだけだけど、ベークさんのところのでは窯の中に寝転ぶことになるんだよ。」
ベークさんの店の作業場でパン焼き窯を見たエリスは、僕のその言葉にやっと納得したみたいだった。
「大きい、って言ってたけど、実物見たら本当に大きいのね。
やっぱり家庭用と業務用だと違うのね。」
ベークさんがエリスのその言葉を否定していた。
「いえいえ、私もこんなに大きなパン焼き窯は初めてですよ。
正直に言うと、こんなに大きくてまともにパンが焼けるのだろうかと思いました。」
僕はパン焼き窯の中に入って作業を進める。
とは言っても、そんなに大変な作業ではない。
窯の中の4つの魔石の回路を一つづつ少しだけ変更するだけだ。魔力を吸収する為の一個には手をつけない。
そして出てきて、スイッチの部分を作り変えてきたスイッチと交換する。
それで今日の作業は終わりだ。
「このつまみが一番手前で、動いてない状態で、奥に動かすに連れて火力が強くなります。
一番奥で以前の強火と同じです。
手前の方は前の弱火よりずっと弱くも出来ますから、試していただくとパン種の醗酵にも使えるかも知れません。」
「ありがとうございます。 私の夢が実現しました。」
その後、ベークさんの奥さんがお茶を入れてくれて、価格の話になった。
エリスが価格を言って、説明を始めようとしたら、ベークさんが遮った。
「ちょっと待ってください。 その価格は安すぎます。
その価格ではいけません。 私たちはその2割り増しの価格で買います。」
「夫と、その価格で許してもらえるかな、と本当は話していたのです。
本当はもっと払わなくてはいけないと思うのですが、今、パンの製造量が急に増えたので、原料を買うのに自転車操業で追いつかなくて、まだそれだけしかお支払いできないのです。」
僕はちょっとびっくりして言った。
「そんな、そんなに貰えません。」
「いいえ、取っていただけないと、逆に私たちの方が困ります。
実は同業者がこの窯を見て、欲しいから紹介してくれと言われているのですよ。
まだ完成していないから売り出していないと言ってあるのですが、完成したら是非教えてくれと言われているのです。
その紹介をするためにも、きちんとした利益が上げられる価格設定をしていただかないと私も困るのです。」
結局、ベークさんにそのまま押し切られ、とりあえずということでその場で半額受け取り、残りは最初の魔石の交換の時に受け取ることとなった。
帰りにエリスの家に寄り、経緯をおじさんに話して
「それで、おじさん、パン焼き窯を売る時にはおじさんの店を通させてください。
今回のこのお金もおじさんの店に一度入れて、それから僕に払ってもらえれば良いのでお渡しします。」
「いや、今回はカランプルが全部とっておきなさい。
魔石やミスリルを買うのに蓄えを全部使ってしまったのだろ。」
「でも、僕はここでご飯食べさせてもらっているから、困ってないですし。」
「次からはきちんとウチの店の商品として売ることにしよう。
そうでないとエリスも後ろで睨んでいるからな。」
おじさんは笑ってそう言うと、この話はそれで終わった。