最初のきっかけ
いつも通り昼食をエリスの家で食べていたのだが、僕は何かしっくりこないモノを感じていた。
いつもと同じ様に、おじさんが居て、エリスが居て、おばさんが出してくれる料理を普通に食べているのだけど、何かが違う。
でもまあ、おじさんもおばさんもエリスも何も気にしていない様なので、僕もその違和感をすぐに忘れてしまって、食事を楽しんだ。
食事が終わり、今日はいくらかゆっくりと食後の時間を楽しんでいたおじさんが仕事に戻るのを機に、僕も家に戻ろうとするとおばさんに呼び止められた。
「カランプル、悪いけどパン焼き窯の魔石がダメになっちゃったのよ。
取り替えてくれる。」
あ、これが違和感の正体だと僕はすぐに分かった。
昼食に出されたパンが、いつものおばさん自慢の手作りパンではなくて、買ってきたパンだったのだ。
そして、おばさんがわざわざ食後まで待って、僕に依頼したのだ。
「はい、それじゃあ、今、交換の魔石を取ってきます。」
僕は正直に言うと、パン焼き窯の魔石を取り替えるのは好きではない。
何故なら、パン焼き窯は周り全てが石材でできている箱型で、その中の天井部分に魔石が嵌っている。
重いから、ほとんど床に直接置いてある形で調理場にあり、その魔石を取り替えるには、調理場に寝転んでパン焼き窯に頭を突っ込む様な格好で作業しなければならないからだ。
とはいっても、おばさんの頼みを断れる訳はないし、僕が魔技師としての報酬を得られる様にしてくれてもいるのだ。
僕は一度家に戻り、準備してある魔石を一つ取ってくると、勝手知ったるエリスの家の調理場に行き、その床に寝転んですぐに作業を終わらせた。
「あ、またカンプ、そのまま寝転んで作業したわね。」
エリスが作業を終えた僕に怒っている。
「寝転ばなければ、パン焼き窯の魔石は取り替えられないだろ。」
「それは分かっているわ。
だけどいつも言っているでしょ、パン焼き窯の魔石を取り替える時は布を敷いてその上に寝転んで、って。
魔技師なんだから、そのための布くらい常備していなさいよ。
普通の魔技師はそうするわ。」
「僕のお客さんでパン焼き窯を持ってる人なんて、他にいないよ。
だから、その為の布を用意しておくなんて面倒じゃないか。」
「何が面倒よ。 カンプが汚した服を洗う私の面倒はどうしてくれるのよ。
専用の布を一枚洗う方がよっぽど面倒がないわ。
それにこれからパン焼き窯を持っているお客さんが増えるかもしれないじゃない。」
うーん、旗色が悪い、っていうか、エリスの言うことの方が正しいな。
でも、面倒臭いんだよ、いちいち布敷いてとかって。
僕は寝転ばないで魔石を交換できる、パン焼き窯ができないかを考えてみることにした。
これは別に売り物にする訳ではなくて、エリスの家のを交換すればそれだけで僕に取っては大きなメリットになる訳だから、売れるかどうかのコストを考えなくても済む。
その上、その新しいパン焼き窯ができれば、エリスに毎回怒られなくて済む。
僕は最初ミスリルの回路をパン焼き窯の内部に書き込んで、そこから魔力を放出することで火の、というか熱を生む魔法が使えないかと考えた。
魔石の魔力の制御を、ミスリルによって魔石に書き込む回路を一部外に出せるのだから、同じ様にミスリルから魔法を出せないかと思ったのだ。
完全に失敗だった、どうやっても魔石の外の回路であるミスリルからは、魔法が出なかった。 世の中甘くない。
それなら、もっと直接的に、魔技師らしからぬ解決法だが、窯の天井となる石板自体を可動式にしたらどうかと考えてみた。
石を使って試してみたら、天井板を動かすなら、床に寝て作業する方が余程楽だと分かった。 意味がない。
今まで魔技師がずっと寝転んで作業している訳が分かった。 解決法が見つからない。
ちょっと意地になって、どうにかならないか考え続けて、魔石を2つ使ったらどうだろうかと考えた。
窯の内側に火の魔法を放出する魔石を組み込み、窯の外側に必要な魔力を供給する魔石を置く。
その2つをミスリルの線で結ぶのだ。
魔石自体に入れ込む回路は2つに分けたことで、1つの魔石の回路は簡単になるはずだから、もうすこし工夫する余裕もあるはずだ。
でも、2個の魔石を使って作って、使ってみたら、魔石を取り替える時には2個とも取り替えなくてはならなくなったとしたら本末転倒だ。
僕は魔石が壊れる状況を考えてみて、魔石の中の蓄えられた魔力が全てなくなった時に壊れるのだから、完全に魔力がなくならなければ壊れないのではないかと考えた。
僕は内側に取り付ける魔石に、完全に魔力がなくなる前に放出が止まるという安全回路を付けることを考えた。
分けたことにより書き込めることに余裕ができたので、可能になった働きだ。
実験してみたところ、僕が考えた通りの結果が出た。
ほんの少しの魔力しか込めずに実験してみたら、きちんと壊れずに止まったのだ。
「良かったぁ。 失敗だったら、魔石を2個をダメにするところだったからな。」
と安心して呟いたところをエリスに聞かれてしまった。
「カンプ何やってるの。 魔石2個って言ったら今アレクが一ヶ月に必要としている魔石の半分とは言わないけど、1/3の数じゃん。
それを無駄にする様なことをしているの。」
エリスの口調にはかなり本気な怒りの成分が含まれている。
「だから無駄にならなかったって言っているじゃん。
それに魔石は僕の場合買ってくる訳じゃないから、懐は痛んでいない。」
「魔石を2個獲るには、最低二日かかるじゃない。
時間が一番貴重なモノなんだと、お父さんはいつでも言っているわ。
もしダメにしていたら、大損もいいところよ。」
こういうところエリスは流石に有能な商人の娘である。 損得ということになると簡単には妥協しない。
「分かった。 分かったから、そんなに怒らないでくれよ。
でも、今回の実験は上手くいったから、とても便利な魔道具が作れると思うんだ。」
「それって、売り物になるの?」
痛いところを突かれてしまった。 自分がしたくないことをしないで済む様に考えていただけで、売り物にできない欠点がたくさんある。
前におじさんに指摘されたコストの問題もかかり過ぎているし、回路はもっと特殊だ。
「いや、たぶんならない。」
エリスはちょっと怪しいという顔をして追撃してきた。
「たぶんて言うことは、ちょっとは商品になるかもって思っているの?」
「わかった全面的に白旗をあげる。
まず確実に商品にはならない。エリスの家の調理場に置きたいだけ。
だけど、せっかく実験が成功したのだから、とにかくこれは作らせて。」
「全く仕方がないわね。 今回だけよ。」
まだ僕はエリスと結婚した訳ではないけれど、完全にもう尻に敷かれているなあと実感した。
炊事・洗濯・掃除といった生活全般について、いつの間にか完全にエリスやおばさんの世話になっているのだから、当然なんだけど。
僕はエリスの渋々の許しを得て、新しく考えたパン焼き窯を作ることになった。
僕に対して甘い幼馴染のエリスだから、また僕が何か始めても、渋々許してくれるだろうけど、それでも当分の間、少しほとぼりが冷めるまでは新たなことは始められない。
なら、せっかくだから、もう少しだけ凝った作りのパン焼き窯にしてやろうと僕は考えた。
パン焼き窯には普通の調理台とは違う問題点があることが分かっている。
調理台やパン焼き窯に取り付けられた魔石から、火というか熱が発散される時魔力が使われている訳だが、使われた魔力の全てが熱に変わった訳ではなく、何パーセントかは魔力そのものとして発散されてしまう。
調理台の場合は発散される魔力はそのまま拡散してしまうので問題がないのだが、パン焼き窯の場合は全体が石で密閉される中でのことなので、窯の内部に魔力が溜まってしまう。
石には魔力を遮る効果があり、洞窟などに天然の魔力だまりができることがあるのは、そのせいだ。
その内部に溜まった魔力が厄介で、魔石が熱を発散させるのを逆に妨げる作用をしてしまう。
だから、パン焼き窯は調理台よりずっと魔力の消費量が多く、頻繁に魔石を交換しなければならないのである。
魔技師にとっては、それは美味しい話となるので、パン焼き窯を使うお客を持てることはとてもラッキーだと考えるのだ。
そしてパン焼き窯は、その中に溜まった魔力を発散させるために、使っていない時にはパンの出し入れ口を常に開放しておかなくてはならない。
開放しておくと、扉は邪魔だし、床に近い位置にある器具だから、中に埃が入るのがとても気になるのだ。
僕はこの問題の解決法はすでに頭の中にあった。
窯の中に溜まってしまう魔力が問題なら、窯の中に溜まった魔力を吸収する魔石を窯の中に組み込めば良いのだ。
使う魔石が2つから3つになったって、大した違いはない、使うミスリルの量も増えるけど、どうせ1つしか作らないのだからと思えば気にならない。
僕は3つ目の魔石を窯の中に組み込んで、その魔石が吸収した魔力は魔力供給用の取り替える為の魔石に蓄える回路を作った。
全体としては複雑な回路になってしまったが、1つ1つの魔石に念じ込む回路の量は減っているので、魔石に回路を組み込むことは難しくない。
ミスリルを使って魔石と魔石とを回路として結んだりも、ミスリルの使用量が増えたことを除けば、あまり大変ではない。
ちなみにもちろん火力調整スイッチに今回もしてある。
売り物にどうせならないのだから、僕の魔技師としての技術は出来る限り詰め込みたいからね。
こうして僕の作った新しいパン焼き窯は完成した。
とは言っても、今まであるパン焼き窯の天井の石板を交換しただけではあるのだけど。
この新しいパン焼き窯を、おばさんはとても喜んでくれた。
今回は初めから売り物にすることを考えていないから、単純に使い勝手を褒めてくれた。
とにかく、使わない時に扉を開け放しておかなくて済むところが、もの凄い高評価だった。
というより、そこ以外は全く評価されていない。
ま、そこ以外は僕が魔石を交換しやすくなったことしか、表面上は分からないから当然だよね、魔石の交換はおばさんには関係ないから。
エリスは地味に喜んでいる。ただ僕が落としにくい汚れを服に付けないで済むと思っただけだけど。