交換の魔石の回路を
馬車の中で僕はちょっと、いやかなり落ち込んでいた。
「何か悪いことをしたのかな。 自由に外も歩けない状況になるなんて。」
「別に悪いことをした訳ではありませんよ。
よくある事です。 新しいことを始めた人が、古いやり方の上に権益を築いている者に疎まれて、様々な妨害を受けるのはよくある話です。
まあ、その妨害を受ける方にしたら、たまったもんじゃないですけど。」
「カンプだけではなく、俺たちも何ですよね。」
「そうです。 カランプル君だけではありません、君たちみんな危険があると考えていてくださいね。 油断してはダメです。」
「リズ、あなた、とりあえずしばらくの間、ウチに来なさいよ。」
「でもそれじゃあ、迷惑じゃないかしら。」
「大丈夫、部屋はあるから。 前にカンプのために用意した部屋がそのままあるから、何も問題ないわ。」
「えっ、何なのそれ、家隣なのに。」
「婆ちゃんが死んで、俺が一人になってすぐの時、飯だとか一々呼びに行くのが面倒だからって、おばさんがエリスの隣の部屋を僕に使えって用意してくれたことがあるんだ。 結局使わなかったけど。」
「カンプ、あなた本当にエリスの家にとことん世話になっているのね。」
「仕方ないだろ。 生まれた時から隣同士で、母親が死んでからは、爺ちゃんと婆ちゃんは本当に年寄りだったから、半分はおばさんに育ててもらった様なものなんだから。」
「おばさんだけじゃないよな、おじさんもお前のことをとても大事にしている気がするぞ。」
「ほら、ウチ私が一人っ子で女だから、お父さんはカンプのことを小さい時から息子みたいに思っていたから。」
「僕も父親が物心つく前に死んじゃって覚えていないから、父親のイメージはおじさんになっちゃっているんだよ。 しょうがないだろ。
えーと、それならアークは僕の家にいろよ。 僕の所も部屋は余っている。 片付けないとダメだけど。」
「だからちゃんと片付けておかなくちゃダメだって、いつも言っているのに。」
「そんなこと言ったって、婆ちゃんの部屋も、爺ちゃんの部屋もなかなか片付けられないよ。」
「そんなこと言ってないわよ。 せめて客間くらい片付けておこうって、口を酸っぱくして言ってたじゃない。」
「それはそうなんだけど、あそこが物を置いておくのに一番都合が良いんだ。」
「ほら、片付けようとしてないじゃん。」
職員さんがリズとアークに聞いた。
「カランプル君とエリスさんは、いつもこんな調子なんですか。」
「ええ、まあ大体こんな感じです。」
「まだ結婚はしてないはずですけど、もう完全にカンプがエリスの尻に敷かれていますね。」
「アーク、聞き捨てならないこと言うな。 それにこれは結婚がどうとかという話じゃなくて、ただ単に幼い頃からの長い年月のせいであって、断じて僕がエリスの尻に敷かれている訳ではない。」
「あー、はいはい。 わかったよ、それでいいよ、ま、事実が変わる訳じゃないしね。
それで僕はカンプの家に行って良いのかい。 僕は男だから、リズほど危険ではないだろうし、どっちでも良いんだけど。」
「アーク、安心して。 私が責任持って、客間を片付けてちゃんとしてあげるから。」
「うん、ありがとう、エリス。
ほら、この言葉を聞いただけでも分かりますよね。 カンプの家ではエリスの言うことの方が絶対なんです。 そもそもカンプなんてエリスが居なければ日常生活が成り立たないんですから。」
アークが職員さんにそんなことを言っているが、エリスが居ないと僕は日常生活に困ってしまうのは本当のことだから、反論できない。
「だからもう本当に結婚しちゃいなさい、って私は言っているんです。
この二人ときたら、お風呂だって一緒に入っているんですから。」
リズ、お前、そんなことどうして知っているんだ。
「それこそ昔からの習慣で、それより何でそんなこと知っているんだ。」
「おばさんに聞いたわよ。 エリスが一緒にお風呂に入って、着替えを持って行ってなかったって、タオル一枚で自分の家まで走ったという話。」
エリスが真っ赤になって言った。
「全くお母さんたら、なんて話をリズにしてるのよ。」
「話がズレてしまいましたが、とにかくしばらくは気をつけてください。
まあ、リズさんとアーク君は魔技師になって関わりが薄くなったとはいえ、貴族の子供ですから、危険は少ないと思うのですけど、それでも気をつけてください。
カランプル君とエリスさんは、そういう後ろ盾がないのですから、特に注意してくださいね。」
僕たちは神妙に頷くしかなかった。
「それから明日にでも組合長が、エリス君のおじさんの都合がつけば、おじさんとおばさんも加えて君たちの店で話があると思います。
まだ日程は不確定ですから、私がそちらに連絡に行きますからね。」
僕たちは自分の町に戻ると、そのまま職員さんが付き添ったまま、アークの家に寄り、リズの家に寄り、そしてやっと自分の家に戻った。
リズは荷物をエリスの家の部屋に置きに行き、その案内をして自分の家に一度戻ったエリスはすぐに僕の家に来て、いつも打ち合わせに使っている元々は応接間と居間と称した続き部屋に居た僕とアークを見ると、
「アークはそこでちょっと待っていて。
カンプ、来て、客間を片付けるわよ。」
僕は渋々エリスに従って、エリスの言う通りに手伝いをした。
まだ後できちんと片付けるとのことで、客間に適当に置かれていた物は廊下の隅にまとめられた。 もう僕にはどこに何があるか、さっぱりわからない。
それでも、とりあえずアークが住める様に部屋を整理して、最初に居た場所に戻ると、すでにリズも来ていて、アークと話していた。
「アーク、もう良いわよ。 とりあえず自分の荷物を置いて来て、ここに置かれていると邪魔だわ。 階段上がってすぐ左の部屋だから。」
エリスの指示でアークが荷物を持って階段を上がって行った。
僕の家なのだけど、僕は一言も何か言う暇がなかった。
それから僕たちは話し合いをした。
自分たちの行動が制限されて不自由なのも問題だが、それ以前に北の町の問題だ。
この一泊の間だけでも抱えた注文は、調理器だけで50台になる。
「何だか、前に私とカンプと二人だけて行った時に、とりあえずっていう感じで名前だけ聞いた北の町の魔技師さんたちが、みんなこぞって注文してきているって感じなの。」
前回の名簿と今回の注文票を見比べてエリスがそんなことを言った。
注文票には、注文しているお客さんの名前とともに担当している魔技師さんの名前も描いてもらってある。
「前の時に名前を記して行った魔技師さんて、何人くらいいたの?」
リズがエリスに聞いた。
「えーと、40人ちょっとかな。 50人にはならないわね。」
「あのさ、北の町って人口どれくらいなのかしら。
パン屋さんが3軒ということは2軒のこの町より多いってこと。 この町の1.5倍の人がいるのかしら。」
「いや、1軒は冒険者専用のパンを焼いている店ということだから、単純にそうはならないと思うな。 でも冒険者の数もこの町とは違ってずっと多いから、この町より多いことは確かだと思うな。」
「この町が大体2000と少しの人口だろ。 それで大体この町にも40人くらいの火の魔技師がいるよね。
単純に考えて、5人に一つくらいの数の調理器があると思うんだ。 つまり火の魔技師の大体10倍の数の調理器があることになる。
名前を記して行った魔技師は全部が火の魔技師ではないだろうけど、その時には時間がなくて全部という訳でもないだろ。
どう考えてもこの町よりたくさんの調理器が北の町にはあるよね。」
アークが何か色々数字をひねくり回したけど、結局言いたいことは、この町の調理器よりも北の町の方がたくさんの調理器があるはずだということと、この町には推定だけど400台以上の調理器があるということらしい。
「二人が何を考えているのかは、何となく想像がつくけど、北の町の人がみんな新しい調理器が欲しいと思うことはないと思うし、そんな数を次から次と、取り替えて行くなんてことができる訳もないのだから、考えても仕方ないよ、それは。」
「そうだよなぁ、そもそも調理器一つ作るのにも魔石だけで3個いる。 それを何10台ってそんなに魔石を用意できる訳が無い。 それに予備の交換の魔石も必要になる。
絶対に無理だな。」
アークもそりゃそうだという顔をしている。
「それにさ、魔石に回路を描くのにだって魔力を使う訳で、光の魔石はリズに任したって、火の魔石と交換用の魔石を僕だけが担当したら、1日に3台がやっとしか作れないよ。」
「言っておくけど、調理器ほどではないけれど、ランプも予約注文を受けてきたんだからね。」
リズが何か予防線を張るようなことを言い出した。
なんて言うか、僕らはまだ自分たちが起こしたのか、巻き込まれたのか分からないのだけど、現在の事態が良く飲み込めていない。
それなのに職員さんに、さんざ脅かされるようなことを言われて、面食らって、疑心暗鬼になってしまっているところがあるのだ。
「ま、なるようにしかならないさ。」
何となく、自分は役に立たない土属性だから、という様な気楽な感じでアークが言った。
僕はちょっとその自分は少し離れた立場だよ、というアークの雰囲気が腹立たしく感じて、アークにもどっぷりと僕と同じ立場に浸かってもらう為に言った。
「どっちにしたって、交換用の魔石の回路の書き込みは、どう考えても僕一人で行っていたのでは間に合わない。
リズが前に『まだ知りたくない。』と言って、二人は逃げているけど、もう無理だから二人にも交換用の魔石の回路の書き込みを頼むよ。
組合長には僕だけとは言われないで、僕の店だけと言われたから、当然リズとアークは勘定に入れているということだから、問題ないし。」
「いや、カンプ、俺は土属性だから。」
「交換用の魔石は属性関係ないから、何も問題ないよ。」
「カンプ、もしかして私たちを逃す気は無いってこと。」
「それは当然だろ、四人で始めたんだから。」
リズとアークは嫌な顔をした。
「私は元々カンプと運命共同体だけど、リズもアークも諦めなさいな。」
エリスが嬉しそうに二人に言った。
「そういうことじゃなくて、私ももちろんエリスやカンプとは運命共同体だと思っていたよ。
でも、なんて言うか、マル秘指定された技術を、考えついたカンプじゃない私が使うというのは、何か抵抗感があるのよ。」
「カンプだけじゃ間に合わなくなって、カンプが使って欲しがっているんだから、何も問題ないじゃない。」
「ま、それはそうなんだけど・・・。」
「そうだよな。 カンプはそんなこと思ってないみたいだけど、この技術は魔道具の歴史の1ページになる技術だと思うから、それを秘密のうちに自分が使うというのは抵抗感があるよな。」
「そういうものなの?」
「この気持ちはエリスは魔技師じゃないから、ちょっと分からないかもしれないわね。」
僕はちょっと口を挟まずにはいられなかった。
「あのなぁ二人とも何を言っているんだよ。
マル秘になったからって、こんなちょっとした工夫くらいのことが歴史の1ページになる訳ないじゃん。
第一僕は知らなかったけど、魔石を繰り返し使う方法は前からあったんだろ、僕の工夫なんて大したことではないよ。
マル秘になったのは、ただこの技術が現在の魔技師とか組合とかのあり方を変えてしまう可能性があるからだけで、技術としてとても優れているというものではないよ。
魔道具の歴史の1ページになるというのは、とても優れた技術を開発できた時のことだよ。 全然違う。」
「まあ、カンプの言うこともわからなくはないけど、俺に言わせれば、魔技師とか組合のあり方を変える可能性がある技術というだけで、途轍もないことに思うけどな。」
「そうよね。 私もアークと同じよ。」
それでもとにかく早急に注文された調理器と、ランプを作らなくてはならない。 その必要は二人も実際に見てきた訳だから、二人も交換の魔石の回路の書き込みを渋々ながらやってくれることになった。
「えっ、秘密技術ということだったから、どんな風に回路がなっているのかと思っていたのだけど、こんなに簡単なの。」
リザが交換の魔石の回路を教わって、そう言った。
「だから、全然大した技術じゃないって、最初から言っていただろ。
本当にちょっとした発想の転換ていうか、元々は僕が火の魔石を交換するときに、魔力がなくなると壊れちゃうのだから、問題なのは魔力を溜めている回路だと思って、魔力を火力に変える部分と、魔力を溜めて供給する部分とを別にしとけば、毎回その両方を描かず片方だけで済むんじゃないかと思ったのが始まりなんだ。
だって、楽したいじゃん。 楽したいのに、それ以前より難しかったら本末転倒だろ。」
「ま、言わんとすることは分かるけど、それがこういう結果になっちゃったという訳ね。
これは組合は秘密にするわよ。 こんなに簡単に出来ちゃって、組合が成り立たなくなるかもしれない技術なんて。」
「でも、魔道具の歴史の1ページになるような事ではないとは理解できただろ。」
「俺は逆に、より1ページになると感じたよ。
こんなに簡単なのに、今まで誰もしてこなかったんだから。」
「そうね、そういう見方もあるわよね。」
とにかく僕たちは分業して、なるべく多くの魔道具を作ることにした。 約束は一週間後という事だが、実質的に作業日は5日しかない。
僕たちは交換の魔石に魔力を込めることは最初から諦めて、魔石に魔力は込めていない状態で持って行くことにした。 魔石に魔力を込めるのは、北の町の魔技師さんにお願いすることにしよう。 名簿を作ってあるから大丈夫だろう。
「それで、3人で分業して作業することは分かったけど、魔石はどうするの?
魔道具一つあたり3個の魔石が必要よね。
3人で何台の魔道具が作れるか分からないのだけど、10台で30個、20台で60個の魔石が必要よね。
その魔石はどこから手に入れるの。 狩で手に入れるの、前に怒られたよね。
買うとしたら、そのお金はどこにあるの、確かに今、店のお金として30個くらいなら買えるけど、それ以上は無理よ。」
エリスの指摘に、僕たち3人は頭を抱えた。




