准男爵の後悔1
たまには違う視点も、長くなってしまったので2回に分けています。
私、ウォーリス_ランドランスは、少しばかり前までは領地持ちの子爵だった。
そう言えばもう解るだろう。 そうつい最近、公爵の支配する東の地に領地を持っていたのに、そこの開発に失敗して、とうとうその領地を放棄して、位が2段落ちることを覚悟して王都に戻って来た、情けない出戻り貴族だ。
しかしながら、そんな貴族は今はたくさん居る。
それに冷静に過去の歴史を見てみれば、私の様に東の砂漠の開発に向かった貴族は、誰も成功せず、みんな降格を覚悟してその地を放棄しているのだ。
だからこそ、王都の少し東から広がる広大な砂漠は、ずっと王家の直轄地となっていて、わずかにある小さな村の一つに代官が置かれているだけだったのだ。
そんな地の開発に成功したブレイズ伯が特別なのであって、私はちっとも特別でもなんでもない平凡な貴族だったのだ。
私の姓にランドと語が含まれているから、賢明な諸氏には察しがつくだろうが、私の家は元々は、初めからの伯爵家の一つハイランド家から別れた家柄だ。
とはいえ、ハイランド伯爵家から別れたのは、もうずっと昔のことで、私の記憶にある祖父の代にはすでに伯爵家の一門というか影響下から離れていたようだ。
父の代には、もう完全に伯爵家を離れて、直接的に王家に仕えている様な感じになっていた。
貴族は皆、王家に仕えているのだから、そこは変わる事はないだろうと思うかもしれないが、そんなことはない。
今、飛ぶ鳥を落とす勢いのブレイズ家は、その頃にはもうとうに歴史の中に埋もれているだけで姿はなく、残った3伯爵家は特別な地位だったからだ。
そもそも伯爵家というのが、もう本当に特別だ。
確かに功績によって伯爵の位を王室より下賜される者は、歴史上時々出てはくる。
例えば、つい最近ではブレイズ伯に追い落とされたシャイニング伯なんかが、その例だ。
しかし、そのまま伯爵の位を維持することがとても難しい。
何故なら、公・侯爵という位は王家から家臣に降った者がつく地位で、元々の臣下が得られる最上位が伯爵だからである。
つまり降格することは簡単でも、伯爵であり続けるには常に功績を上げ続けなければならないのだ。
また、たまたま魔力の弱い者が当主家に2代か3代続けて生まれてしまえば、あっという間に没落の危機となってしまう。 その例がちょっと前までのブレイズ家だ。
私に言わせれば、なんで建国時の4伯爵は、伯爵という位を望んだのだろうか。
公爵とは言わないが、せめて侯爵にしてくれれば、後の世の家臣たちはまだ地位に一つ余裕が生まれて、もう少し楽だったのではないかと思う。
少し話が逸れた。
元からの伯爵家は、建国時に王家と一緒に苦労してこの砂漠の地に国を建てた、国の礎とも言える家柄だからか、他の貴族たちとは一線を引いた部分がある。
それは、王家に対する批判を許されていること、いや、批判することを期待されている家だということだ。
常に王家をも見張り、国にとって為にならないと思うことには、歯に衣を着せずに批判することが許されるというより期待されている家柄なのだ。
その力は強く、歴代の王の中にはその力を削ごうとして、逆に退位に追い込まれた王もいるくらいだ。
とは言っても我が国の歴史上、王家と伯爵家が対立することの方が珍しい。
それに以前は4家、今でも3家あるのだ。 その伯爵家が一致して王家と対立するとなると、それはとても珍しい事態と言えるだろう。
この国の伯爵家を除いた普通の貴族の生きる道としては、大きく分けて3つということになる。
王家に絶対的に従う道を取るのが第一の道。
いずれかの伯爵家の影響下に身を置き、その下知に従うのが第二の道。
そして、どちらにも従わず、己の才覚で判断して態度を決める道だ。
普通に考えるならば、己の才覚で判断して態度を決めるのが、もっとも正しいと思うだろうが、そうした場合、決断が下された時に勝ち馬に乗っていれば良いが、そうでない場合は助けてくれる上がないので、受ける被害が大きくなってしまう。
それに加えて、勝ち馬に乗っていても、一番上に立つのは王家だったり、伯爵家のどこかだったりする訳で、得られる利益は少ない。
つまり一見一番普通に見える、己の才覚でという処世術はハイリスク・ローリターンという旨みのない方法なのだ。
そういった訳で、普通の貴族の多くは、寄らば大樹の陰と、王家に絶対的に従うか、伯爵家の影響下に入るかすることとなる。
そして、父は王家に従うことを、祖父よりもずっと鮮明にして、私はその中でも公爵に従うことにしたのだった。
私が公爵に従うことにしたのにはちゃんと理由がある。
その第一は父が王家派として少し目立ってしまい、それによって家格が男爵から子爵に上がったことは良いのだが、完全にハイランド伯爵の影響下から離れてしまい、今更私の代になったからといって、戻るに戻れなかったのだ。
祖父の代で既に王家にほぼ従っていたのではあるが、祖父はそれでもハイランド伯家で何かある時にはそちらにも顔を出し、言い方は悪いが二股をかけるという処世術を行なっていたのだ。
それだから、やはりどちらからも良い顔はされず、どちらからも重用されることもなかったので、無難に自分の代を過ごしたとは思うが、爵位はずっと男爵で上がりも下りもしなかった。
それを父が先代の陛下の時に、態度を鮮明にして、重用され、子爵へと陞爵を勝ち取り、領地まで拝領することとなったのだ。
その領地の場所が問題だった。
先代の陛下に気に入られ重用された父は、その領地も王家の直轄地である西の町近くに領地を拝領したのだ。
そして代替わりした時に、その地というか、西に広がる地は全て公爵の影響下に入ってしまったのである。
王の代替わりに合わせて、そのお気に入りであった父は、大きく影響力を失い、当主の座を息子の私に託すこととなった。
まだ歳も若い私には、他の選択肢はなかった。
何しろ我が領地の経営は、西の町なくては成り立たないからである。
西の町は王家の直轄地だから、名目上の支配者は陛下であって代官を置いている。
でも、誰の目にも明らかに、実質的支配者は公爵であって、代官も公爵の息が掛かった者が勤めていて、公爵が意のままに動かしているのだ。
西の町に、そこで必要とする物資を売ることで、領内の経営を賄っていた私の家では、西の町の支配者の意向に逆らいようがないのだ。
こう説明すると、私が渋々公爵に従っていたかのように思うかもしれないが、実際は決してそんなことはない。
公爵が西の町とその西方の地を支配するようになってから、公爵の積極的な開発はもちろんなのだが、その魔力量をひけらかす池は評判を呼び、他の貴族がこぞってその地に招かれようと画策した。
その公爵邸に向かう起点に西の町がなることと、公爵自身が西の町を貴族たちの社交の場に使って繁栄させようという意思があったようで、西の町は公爵が実質的に支配する様になってから、大きく発展、繁栄したのだった。
その恩恵に私の領地は大いに与り、私の家はとても潤ったのだった。
つまりは金銭的にも、公爵から離れる訳にはいかなかったのだ。
しかしそうそう良い事ばかりが続くはずもない、そう公爵とブレイズ伯が領地を交換するということになってしまったのだ。
私は困った事態になったと思った、西の町が公爵の影響下から離れてしまうのは必然だからだ。
それでも私はあまり悲観してはいなかった。
公爵の支配下から離れるといっても、元々名目上は初めから陛下が支配している直轄地なのだから、公爵が東の地に移っても西の町はもうそんなに変化することはないだろうと思ったのだ。
本当の公爵派と呼ぶべきか、それよりはこの機会に運を掴もうと考えた者たちであろうか、公爵に近い貴族たちは早々に公爵と共に東の地に移って行った。
だが私はそうはしなかった。
何故なら、私の領地は西の町というモノがあるから経済的に成り立っている訳で、自分が東の地に行って開発が成功したとしても、今以上に経済的に潤うとは思えなかったのである。
もし仮に公爵の開発が上手くいき、西の町で行われていた様な貴族の社交が行われるとしても、東の地に行った貴族は全体の1/3を越えるかどうかという数だ。
その数では今まで西の町で行われていた社交の様な需要は生まれないだろう。
それにそこに今までの様に有利な条件で関われるとは思わない。
それなら、公爵がいなくなることで減るではあろうけど、今まで通り西の町をあてにして領地経営をする方がリスクが少ないと考えたのだ。
それにこれは私だけでなく、老いた父は特になのだが、先代の陛下に賜ったこの領地を手放したくもなかったのだ。
だが、私の予想はあまりに甘かった。
公爵から西の町を奪い返す形となった現在の陛下は、西の町の社交の場としての価値を全く認めていなかったのだ。
いや、西の町だけではない、陛下は公爵が、というか私たちが行なっていた様な貴族の社交を全く無価値なモノだと判断されていたようだ。
社交の場としての西の町は寂れてしまった。
西の町だけでなく、王都においても公爵がいなくなれば、直接に陛下の考えが場を変えていき、今まで社交の場となっていた店などは寂れていった。
そして、西の町からも王都からも、その様な店は姿を消して行き、新しい公爵の作っている町、通称公都にその店を移転して行った。
私の治める領の経営は、あっという間に傾いてしまい、どうして良いか分からない状態になってしまった。
「何をしているのだ。 お前がグズグズしているからこんなことになるのだ。
何故素早く公爵に付いて行かなかったのだ」
老父は自分がこの地を離れるのを嫌がったことなど、あっさりと忘却の彼方に押しやり、私に決断力がないからだと責めてきた。
理不尽だと思ったが、領地の経営は全て領主の責任、つまり現在の当主である私の責任なのだから、それを訴えても始まらない。
私の領内は、家族、家臣、そして領民たちも含めて、私の決断力のなさ、判断の遅さを責める雰囲気が蔓延してしまい、今のままこの領地でどうにか工夫して現在の苦境を脱しようという方向は全くなく、とにかく一刻でも早く公爵のいる東の地に向えという考えだった。
その圧力にはとても抗せるものではなかった。
私はその決断が、これからどんな結末を生むか考える余裕もなく、公爵の元に向かった。
現実は本当に甘くない。
遅れて公爵の元に向かった私は、公爵派の中では爵位も高く、それまでは公爵からかなりの優遇を受けてきたと思うのだが、もう以前の席はなかった。
公爵から私が新たに開発を依頼された領地は、公爵が住む町、通称公都からは離れていた。
そのことが全てに不利に働くのは、私には自明のことだった。 何しろ今まで西の町に隣接する領地である利点をたっぷりと満喫していたのだから。
しかし、そのことで公爵に不平を言うことは出来ない。
最初から公爵に従って東の地にやって来た者から、領地を分け与えていたのだから、後から来た自分たちが、より遠くに配置されるのは仕方のないことであるからだ。 既に分け与えられている領地を安易に配置転換することなど出来る訳が無い。
正直、この距離の遠さだけで私は暗澹たる気持ちになり、元の領地に帰りたい気分になってしまった。
私は新しい領地の開発を精一杯頑張った。
東の地の開発が難しいことは、貴族である私の知識には当然としてあった。
その開発を成功したブレイズ伯の開発法を、驚いたことに公爵の官僚たちは熟知していた。
何故かブレイズ伯はその開発法を秘匿しなかったばかりか、公爵の官僚たちに積極的に教えたというのだ。 私には訳の分からない態度だ。
私はそのブレイズ伯の開発法を詳しく、その官僚たちから聞き出して、忠実にそれを守って開発を進めた。
私は生まれて初めて、直接領民に接する様なことまでして、開発を急いで進めようとした。
私がブレイズ伯の開発法を考えてみるに、その成功の理由はとにかく風を遮ったことだと思ったのだ。
その風を遮る方法は二つ、塀を作ることと、木を植えることだ。
ブレイズ伯の開発法には、その塀の高さと区切る土地の大きさの指定まであった。 もっとも効率の良い方法の追求が既にされていたのだ。
その通りにことを進めようとしたが、問題がすぐに出た。
私の領内には塀を作る土の魔技師が全く足りていなかったのだ。
新たな地の開発には、土の魔技師の力がとても必要になる。
土の魔技師が作るのは塀だけではない。 我々も含めた領民全体の住まい、道の整備、ちょっとした日常品の作成まで、みんな土の魔技師の仕事なのだ。
何しろこの砂漠の地では、土の魔技師が固めた土地やブロックの上に物を置かねば、全てが砂漠ミミズの餌となってしまうのだ。
もう一つの風の遮り方が、木を植えることだ。 しかし、これは塀を作る以上に難しい。
木は植えたからといって、すぐに大きくなる訳ではない、大きくなるにはいくらお薦めの成長の早い木とはいっても時間はかかる。
そして苗木がなかなか手に入らず、自分のところで作るにも、その元になる木の成長を待たねばならないのだ。
なかなか木を増やす事業は進まなかった。
木のほとんどない砂漠の気候は辛い。
公爵の暮らす公都に行くと、過去にブレイズ伯が作った森が風を遮るだけでなく、公爵のその力を示す大きな池に水が湛えられているからだろうか、体がとても楽に感じるのだが、池は当然のこととして、木もほとんどない自分の領地は風は常に強く、昼夜の寒暖の差も激しい。
王都の地が選ばれた地であることを、つくづく実感させられた。
それでも頑張って、出来る限りの苗木を集めて植えて、少し時が経ち、植えた苗木が大きくなり、その剪定した枝から苗木を作ることが出来る様になった。
大丈夫だ、これでやっと少しは息が継げると思ったのだ、その時には。
しかし、そこで資金が尽きた。
当たり前のことだが、砂漠の気候の中で、木を育てたり農業をするには、膨大な水が必要となる。
公爵は当然のことだが多数の水の魔技師を帯同していて、水の魔石の供給を滞らす様なことはなかった。
しかしその魔石は当たり前のことだが只ではない、魔石を買うには資金が要るのである。
でも、その資金が尽きたのである。
領民たちは今現在は自分たちの生活を維持する魔石を買うだけで、手一杯も良いところ。
現実的には、この地での生活を早々に諦め、我が領地から逃げて王都に戻る者が後を絶たない。
この国の法には、それを遮るモノはない。
領民に逃げられる領主が悪いのだ。
領民だって、捨ててきた元の自分の土地に戻れる訳ではない、そこはもう他人の手に渡っているのだから。
戻った者は、またゼロから生活を立て直さなくてはならないのだ。
それでも、この新しい領地の将来を悲観して、戻ろうという決意をしたのだ。
戻ろうとする領民たちの、こんなはずではなかったという、私に対する恨みがましい気持ちをひしひしと感じざるえなかった。
そんな状態なのだ、領内から税収が上がる訳がない。
木を植えねば開発は進まず、木を植えれば水の魔道具、水の魔石が必要となる。
木が増えるほど交換する魔石も増えて、どうにも経費がかかり過ぎて、税収による回収ではとてもじゃないが賄いきれないのだ。
そうして今まで、過去の領地で貯めた資金は、あっという間に無くなった。
資金繰りを公爵に願い出ようと思ったが、私以外のどこも、この東の地に来た者は皆、似たり寄ったりの状態で、実行に移す前に無理だと悟った。
あたふたしているうちに、ほとんどの領民は逃げてしまい、私は恥を忍んで、新領地を放棄し、開発の失敗を認めて、王都に帰還する道しか選べる方法がなくなってしまった。
私は王都に帰還し、2段階の降格を1段階で済ませていただけるという陛下の温情を、とてもありがたいと思ったのだが断って、2段階の降格を受け入れた。
一つには、陛下に対してなんの貢献もしていない自分が、温情だけ受けるのはあまりに申し訳ないと思ったからだ。
そしてもう一つ、こちらの方が主なのだが、1段階の降格では、その地位を守るのに四苦八苦していた祖父と同じ地位なのだ。
私はそして父は、その時々の時流に乗ることだけを考えて、本当の意味で何をすれば貴族として正しく、地位を保つに値するかを考えることがなかったので、この様な失敗の結果があるのだと考えたから、その私が祖父とそれでも同じ地位にあってはならないと思ったのだ。
この件に関しても我が父は、なんというもったいないことをするのかと、不満を私にぶつけてきたが、もう私には父の言葉は、なんの重みもないモノになっていた。




