公爵領の砂漠
公爵領の視察にあたり、僕たちは可能な限りの現地の情報を当然のことながら入手しようとした。 それは単純に王都で売られている地図から始まり、ダイドールやターラントによる公爵家の下級家臣からの情報もある。
しかし、それらの情報は、ほとんどが西の町に隣接する公爵領に限られていて、その背景の砂漠に関してはほとんどない。
公爵領は、僕が領地にしている東の果ての砂漠より狭いとはいっても、とても広大な土地で、この国は公爵領の西の果てが一応西の国境ということになっている。 というよりもそれ以上には、この国の人は行かないので、それが国の果てと認識されているだけだ。
この国の人がその西の果てと目されている場所まで行くのは、そこには岩山があるという理由だけだ。
王都を含むこの国の主要部分は、周りの砂漠から比べると僅かだが、土地が低い場所に作られている。 その僅かだが低いことが、その地がいくらか風が周りよりも弱い理由で、それによって農地としての開発が容易だったのだ。
だがその主要部分から少し離れれば、見えるのはほとんど見渡す限り砂の砂漠だ。 もちろん幾らかの起伏はあるのだが、それも砂が移動して変化しているのか、本来の地形なのかも判らない程度がほとんどだ。 そんな地形の中、確実に違って見えるのが、西の岩山なので、その場所には人が行ってみようとしたのだ。
ちなみにそれ以外の本来の地形での起伏によって、幾らか風が弱まる地が、それぞれの集落となっていて、貴族の領地などになっている。 その一番東の、飛び抜けて周りと離れていたのが、今の僕たちの領地だ。
西の岩山の場所は、西の町から行くのに2日かかる。 だから西の岩山にこの国の人が行くとは言っても、それは余程の物好きや、若い貴族が冒険心に駆られてということでしかない。
過酷な砂漠で最低3泊しなければ行って帰っては出来ないので、準備も大掛かりなモノにならざる得ないからだ。 風が吹いて視界が遮られてしまえば、方向がわかりにくくなることもあり停滞しなければならなくもなる。 なかなかハードルが高いのだ。
それでも西の岩山は、この国ではとても目立つ場所なので、資金的に余裕がある貴族の若者にとっては、格好の冒険心を誘う場所となっている訳で、岩山までの地図はきちんとした正確な物が手に入った。 一方で、岩山に行く時の起点となる西の町や、公爵の領地ではその冒険心に煽られた貴族たちは、とても良い金を落としてくれる客であったのだ。 岩山までの地図がしっかりしているのは、それも理由かも知れない。
僕たちは馬車で、その西の岩山に続く道を走っている。
「西の岩山まで、地図ははっきりしているし、道標もしっかりしていて、迷うことがないのは良いけれど、公爵領は王都に近いのに、砂漠に向かう道はこれしかないのには驚いたな」
「僕でも岩山に向かう道があることは知っていたけど、アークでもそれ以外には道もないことは知らなかったのか」
「カンプ、王都の貴族の家の出だからといって、そんな知識がある訳ないだろう。 ターラント、お前だって知らなかったよな」
「私はカンプ様と一緒ですよ。 岩山に向かう道があるのは知っていたというレベルです。 私なんかが、実際に岩山に行くということを考えることはないですから、それ以上に知ろうとしたことはないですから」
「ま、俺の幼なじみの貴族たちは、学校の卒業の後で記念に行くなんて話をしていたけどな、確かに。 俺やリズには関係のない話だったけど」
あれっ、ちょっとアークの心の傷に触れる話題だったのかな。
ターラントも何だか触れてはいけない話題だったのかと気づいたみたいで、慌てて話を変えた。
「それにしてもなんて言うか、穏やかですねぇ」
そう僕たちが馬車で移動しているこの西の砂漠は、僕らのよく知っている東の砂漠よりずっと気候が、いや正確に言えば風が穏やかなのだ。
今では確かに村の中なら、この移動している西の砂漠よりも風がないが、町へと向かう道は、今では両側に風を遮るのと、木陰を作ることを目的にした木が植わっていても、今現在の何もない西の砂漠より、それでも風が吹き、砂が舞っている気がする。
「そうだなぁ、何だか公爵の『何もない砂漠だぞ』という脅し文句で、俺たちの村の周りの砂漠のようなのかと思っていたんだが、ずっと穏やかだな。 もしかして今日は特別幸運に恵まれたのかな」
アークも首を傾げながら、ターラントに答えたが、僕も本当に幸運に恵まれたのかなと思う。
「いえ、もしかすると、このくらいの風がここでは普通なのかも知れませんよ。
風の吹いてくる風上には岩山がありますから、それによって東の砂漠よりも風が弱いのだと思います」
ターラントは本当に風が弱い可能性を指摘したのだが、ちょっと信じられない気持ちだ。
「ま、どちらにしろ、僕らも西の岩山の近くまでは行ってみるつもりだから、3日間はこの西の砂漠の中に居ることになる。 その間に風が強くならなければ良いのだけど」
僕がそう言うとアークが
「そうだな。
この西の砂漠には俺たちの村に向かう時みたいに途中に泊まれる場所はないから、最悪は俺とターラントで馬車の周りに壁を作って囲んで、狭い馬車の中で寝る必要があるのかと覚悟していたのだけど、この程度ならそこまでの必要はないな。 一応風上側に壁を作ったら、外で伸び伸びと寝られそうだ」
僕たちは水の魔道具、火の魔道具、トイレの魔道具、ライトの魔道具と、野宿に必要な道具はしっかり持ってきたし、予備の魔石も十分に持ってきている。 他にも下に敷いたりするシートや、上に張ったり、風を遮るためのシートなんてのも持ってきている。 体を覆う毛布ももちろんだ。
冒険者用に持ち運びが楽なように小型に作った道具だから、今までの大きな魔道具を持ち歩いた人よりは楽なのだろうけど、それでも食料や、馬の餌はどうにもならない。
まあ、今までの人よりも快適さに欠けていることはないのだけど、食べ物はどうしても携帯性と保存性に優れた物しか持って来れないから、味気ないんだよなぁ。 ま、作るのがターラントだから、難しいことも出来ないだろうし、そこは仕方ない。
それでも珍しい男3人の野宿の旅は、僕たちにとっては、領主として領民たちを迎えるための重要な仕事だと思いはしても、何だかとても楽しいものだった。
「俺もまさか、自分たちの領地として、この土地をどうしようか考えるために、この岩山の麓にまで来ることがあるなんて、想像したこともなかったな」
アークが感慨深そうに、そんなことを言うので、僕はちょっと茶化してしまった。
「そんなこと言ったら、僕はこの岩山に来ることなんて考えたこともなかったし、それ以前に貴族になるなんて考えてもいなかったよ。
エリスの店の店員をやりながら、魔技師の仕事もして、余裕があれば魔道具を考えて、新しい物が出来たら組合で登録する。
それしか考えてなかったよ」
「ま、カンプはそんなもんだよな。
エリスと結婚して、雑貨屋を二人でやって行くことは生まれた時から決まっていたようなものなんだろう」
「うーん、生まれた時からかどうかは知らないけど、物心ついた時から、僕とエリスはそういう風になるんだと二人して思っていたのは確かだな」
「カンプ様、そうなんですか。 そんなお小さい時から、エリス様と結婚することが決まっていたのですか」
「いや、ターラント、そんな正式に決まっていた訳じゃないんだ。
おじさんとおばさんが、そうなれば良いと願っていたというだけで、それを強制されていた訳じゃないんだ」
「あのな、ターラント、カンプの奴はその立場に安住していて、小さい時から身の回りのことの多くをエリスとおじさん・おばさんに頼っていたから、エリスがいないと生活が成り立たないのさ。
学生時代におじいさんを亡くして、おばあさんだけになったら、その傾向が強くなったのだけど、卒業と共におばあさんも亡くなって、身寄りが本当にいなくなってしまってからは、もう完全にエリスがいなければ生きていけない状況だったのさ。
一人で生きていけない、情けない男なのさ、こいつは」
「アークだって、似たようなものじゃないか。
あのお前の汚い部屋は、今でも夢に出てきてうなされるぞ」
「俺はそれでも一人で生きていたぞ」
本気ではない、軽い戯れの喧嘩だが、ターラントは止めに入った。
「本当にお二人も昔から仲が良かったのですね」
「アークは伯爵の息子なのに、僕のような庶民と気にせずに付き合ってくれたからね。
そんなアークのおかげだよ」
「いや、逆だろ。
俺やリズみたいな貴族の落ちこぼれでも、全くそんなことはお構いなしに、お前が普通に付き合ってくれたからだろ。
そういえば、お前とダイドールはどうなんだ?」
「私たちは、家名からも分かる通り同じ一族ですから」
「いや、それだけじゃないだろう」
僕たちはそんな現在のこととは関係のない話をしながら、今は公爵領で、もうすぐ僕たちの領地となる西の砂漠を少し見て回っていた。
単純に西の岩山までの往復なら、3泊4日で済む旅なのだが、僕たちは新たに作る村の場所を決めるためなので、もう少し付近の探索もしたので、5泊6日の旅となった。 増えた2泊分は最初に泊まった場所を起点にして、岩山と並行に北と南に向かってみたのだ。
結果としては、北に向かっても南に向かっても、そのくらいの距離ではほとんど変化が無かった。 つまりどこでも同じことだ。
特筆するべきなのは、やはり風だ。
風は僕たちが旅している間、ほとんど強さが変わらなかった。 東の砂漠の中の村に暮らしていた僕たちにとっては、穏やかと言って良いくらいの強さの風だ。 それだからだろう、砂の移動も東の砂漠の様に激しくはない感じだった。
「私、思うのですけど。 この風でしたら、村でやっていた様に、風除けを作らなくても、植林ができるのではないでしょうか。 そこは最終的にはお父上様に判断していただかないとならないと思うのですが。
それに、畑作りももしかしたら塀がいらないかも知れないですね。 区画分けのための道に、しっかりと街路樹を植えれば、それだけで大丈夫ではないかと感じました」
ターラントがそんなことを言った。
「そうだな、俺もそんな感じがするよ。
また風上側には植林をして、森を作るだろ。 最初はちょっと心配だけど、森が出来てより一層風を遮れば、畑に塀はいらないと俺も思うな。
畑の塀や、植林のための風除けを作らなくて済むなら、今度の開発は今までよりもとっても速く進むぞ。 何しろ、今使っている植林用などの水の魔道具は全て回収して持って行くことになるのだからな。
問題は植林用の苗木だけだな。 村に戻ったら、とにかく苗木の栽培をどんどん進めよう。 今の村でももちろんだが、新しく作る村でも一番最初に作る施設は、苗木の栽培施設だな」
アークもターラントの意見に賛成し、もうすでに具体的に新しい村作りのプランを考え始めたようだ。
「二人とも先走らないで、まずは村に戻ってみんなで何処に新しい村を作るかを決めて、それから具体的なプランを考えよう。
それに、いつから僕たちの方で村作りを進めて良いのかも、公爵様の家臣たちと打ち合わせしなければならない」
村に戻ってから、僕たちは自分たちが見てきた公爵領のことを話し、まずは新しい村を何処に作るかを決定した。
新しい村は、西の町から1日で行ける、最初に1泊した場所に作ることにした。
その理由の第一は、僕たちが見て回った西の砂漠は、何処も条件に大きな違いがないので、それならば今までの道標で分かりやすい場所が良いのではないかということ。
第二に、ちょうど岩山まで行く時の真ん中になるので、そこに村があれば今までよりずっと楽に岩山まで行けることになるので、岩山を観光資源にできるようになるのではないかと考えたからだ。 僕たちはアトラクションの成功で、観光という形で来てくれる人が、どれだけ金銭を村に落としてくれるかを実感したから、何かしら観光資源が欲しいと思っていたのだ。
「とにかく、一番特筆すべき点は、西の砂漠はこちらと比べると、ずっと風が弱いのです。
これは私とアーク様の見立てなのですが、西の砂漠では、植林をするのに風除けを付ける必要はないのではないかと思いますし、畑も塀で囲わなくても大丈夫じゃないかと思うのです。
畑に関しては、植林してここと同じように森ができるまでは、少し風の被害が出るかも知れませんが、畑を区画するための道に街路樹を植えれば、きっとほとんど被害は出ないのではないかと考えます。
お父上様に最終的には判断していただかなければならないとは思いますが、私とアーク様の二人はそのように感じました」
ターラントがそう報告すると、おじさんがそれに応えた。
「植林は私が中心になって進めてはいたけど、そんな判断が出来るほど詳しいと自分では思っていないよ。
二人の判断は分かったが、カンプはどう思ったんだい?」
「おじさん、僕も二人の判断で正しいのではと思いました。
この東の砂漠と違って、西の砂漠に1週間近く居たのですけど、砂がここの周りの砂漠みたいに動いている感じが全然しなかったんですよ。 だから大丈夫じゃないかな、と」
「そうかい。 それならやってみることにしよう。
一番最初に試してみて、ダメなら、今までと同じにすれば良いだけだからね。
試して大丈夫なら、今度の村作りはとても速くどんどん進むだろう」
「おじさん、そうなんですよ。
僕は今度の村作りは、こことは桁違いに速く進むと思うのですよ。 何しろリネの作った水の魔道具は全部回収して行きますから、それをそのまま使えますから。
そこで、一番の問題は苗木だと思うのです。 ですからまずはここでも今から苗木作りを一番重要な仕事として、どんどんと苗木を作り、新しい村にも一番最初に苗木の栽培場を作ろうと思うんです」
アークが自分の考えていたプランの説明を始めてしまった。
この後決まったのは、まず一番最初に、新しく作る村までの西の町からの道に、街路樹を植えることだ。 そして土の魔技師たちに、その道の路盤を固めてもらう。
これから次々と移住して行くのだから、その交通に支障がないようにする為だ。
土の魔技師たちにはその仕事と、新しい村に建物を建てることに集中してもらう。
今は時間がないので、後から増改築することを前提にして、ある程度同じ形の住居を次々と建ててもらうことにする。 さすがにその方が速いからだ。
村の基本的な区画その他の計画は大急ぎでダイドールとターラントに立ててもらうことにした。 ダイドールには公爵家との打ち合わせも任せたのだが、村作りにはすぐにでも取り掛かって良いという了解を得てきた。
その代わり、公爵家の家臣や職人もこの村に早々にやって来ることになったのだが、それはこちらも望むところだ。
公爵家の家臣が来て、回収する水の魔道具の代わりの魔道具を用意してくれないと、植林した木などの水の魔道具がいつまでたっても回収できないからだ。
僕が思っていたよりも、早い時期に、領地を交換するための具体的な作業が始まった。
そうそう、一つとても大きなことが決まった。
村人たちは、最初移住するかこのまま残るかを迷っていたのだが、公爵がカンプ魔道具店とエリス雑貨店を置いておくことを認めなかったことが知れると、一気に全員が移住することになってしまった。
先祖伝来の土地という意識も、現実的な今の生活の維持という問題の前には、諦めざるを得なかったらしい。
僕は自分の責任ではないことだけど、村人たちにちょっと済まなかったなという気分がどうしてもしてしまった。
そして、辞任すると言っていた村長だが、他の村人の総意でそのまま留任が決まった。




