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やりがいさえあればお金なんていらないよね?

作者: 村崎羯諦

「どうしたんだ、浮かない顔して」


 煙草の煙を吐きながら、隣に座っていた柴田が浜岡にそう切り出した。浜岡は右手に持っていたビールをぐいっと一飲みし、それを荒々しくテーブルへと叩き置く。口についた泡を右手でぬぐいながら、不機嫌そうにうめき声をあげた。


「仕事のせいだよ」

「まあ、そんなことだろうと思ったわ」


 居酒屋の店員がよく通る声で注文内容を繰り返し、それに伴って厨房が慌ただしさを増す。浜岡は右ひじをつきながらだらしなく背中を丸め、大げさなため息をついてみせた。


「なんというか、今の仕事ってすげぇ退屈なんだよね。人間関係で苦労してるってわけでもないし、金が稼げないってわけでもないんだけどさ……。ぶっちゃけ、『やりがい』がないんだよ」

「転職でもすんの?」

「結構、本気で考えてる」


 へえと柴田は相槌をうつ。そして、おもむろに鞄からタブレットを取り出すと、ネットで何かを探し始める。ぼんやりとした目で浜岡がその様子を眺めていると、柴田が「あった」と小さく声をあげ、タブレットを浜岡の方へ差し出した。


「知り合いが最近ベンチャーを立ち上げたんだけどさ、なかなか人が集まんなくて困ってるらしいんだよ。同業種だしさ、それにやりがいだってある。ほら、給与のところを見てみろよ」


 浜岡は画面をスワイプさせ、画面上に表示された求人サイトの項目を確認する。そこには


 給与:やりがい(出来高制)


 と書かれてあった。浜岡は自分の目をこすり、もう一度そこに書かれてある表記を見てみる。しかし、目を凝らして見ても、そこには同じ言葉が記載されていた。浜岡が柴田の方へ顔をあげると、柴田はいつになく真剣な表情を浮かべていた。


「いい会社だということは俺が保証する。どうだ、やってみるか?」


 目を閉じ、自分の今現在働いている仕事内容に思い浮かべてみた。会社からの命令に従うだけで思考停止に陥った職場の仲間、代わり映えの無い仕事内容。それに対して、求人サイトで紹介されていたHPにかかれている内容、そして報酬として明記されていたやりがいという文字。それらは今の浜岡にとって実体以上に素敵なもののように思えた。


 一分ほどの熟考ののち、浜岡はゆっくりと目を開けた。そして、心配そうに浜岡の顔をのぞく柴田に対し、力強く頷いてみせた。 


***


「それじゃ、浜岡くん。明日からよろしくね」


 六本木にあるオフィスビルのワンフロアで、浜岡と若き経営者は堅い握手を交わした。空色の麻製シャツにブラウンのジーンズという若々しい恰好からは、彼が浜岡の十歳上だとは到底信じられなかった。オフィスは前の職場よりもずっと狭かったが、設備や壁は真新しく、オフィス特有の圧迫感や閉塞感を感じさせない。見学の中で会話を交わした他の社員たちも、誰もが若く、そして内に秘めた情熱を抱いていた。


「で、最後に何か質問はある?」


 新しい雇い主からの問いかけに浜岡は前々から一つだけ気にかかっていたことを口に出した。


「求人サイトの給与面に書かれていたことなんですが……」

「あ、そうだね。申し訳ない。大事な話を忘れてたよ」


 社長はほがらかに顔を崩した。


「うちはお金はあまりないけど。やりがいだけは余るほどにあるからね。安心してください。毎月20日、そっちが指定した銀行口座にきちんと振り込みますから」

「ああ、そうですか。それを聞いて安心しました」


 浜岡がほっと胸をなでおろすと社長は声に出して笑った。社長のよく通る笑い声につられて、浜岡、そしてそばで作業をしていた他の社員も笑い出す。


「うちは年功序列とかは一切ないですから。働いたら働いた分だけのやりがいを振り込みます。浜岡さんの働き、期待してますよ」


 浜岡は元気よく返事をすると同時に、自分の決断が間違っていなかったことを改めて認識した。


***


 それからの浜岡は、まさに水を得た魚のように生き生きと働いた。仕事は楽しいことばかりではなかったし、労働時間だって、前職と比べたら桁違いに増えた。それでも浜岡の目は少年のように輝いていた。実力も熱意もある仕事仲間と大きなプロジェクトをやり遂げる充実感。自分の裁量の広さ。自分の意志、意見を尊重してくれる環境。そしてなにより、働けば働くほど増えていく、銀行口座のやりがい残高。浜岡は毎月20日になると、スマートフォンで今月振り込まれたやりがいを確認しては、人目もはばからずにほくそ笑んだ。


 浜岡はまさに人生の最高潮にいた。会社の業績も右肩上がりで伸びていき、初期メンバーの一員として、浜岡は周囲からも尊敬と畏敬のまなざしで見られていた。それらは麻薬よりも劇的な快感だった。そしてその快感が浜岡を仕事へと掻き立てる。さらなるやりがい、快楽を求め、浜岡の仕事量は指数関数的に増加していった。そしてその結果として、身体的な限界を突破し、過労で緊急入院するまでにそれほど時間はかからなかった。


***

 

「思ってたよりは元気そうじゃん」


 見舞いにやってきた浜岡に柴田が開口一番そう言った。浜岡は読んでいた経済雑誌から目を上げ、弱弱しく微笑み返した。柴田はベッドの横の丸椅子に腰かけ、「入院中くらいはやめとけよ」と浜岡の手から強引に雑誌を取り上げた。


「やりがいは大事だけどさ。身体を壊したら元も子もねえだろ」


 柴田の真剣な口調に浜岡は何も言い返せなかった。実際、入院前も柴田は会うたびに自分の働きすぎを注意してくれていた。浜岡は柴田の忠告をないがしろにしてきたことに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そのことを詫びると、柴田は浜岡を励ますかのように明るい笑い声をあげる。


「まあ、いい勉強にはなっただろ」

「ああ」


 浜岡は大げさに肩をすくませながら返事をした。


「お金とかやりがいも大事だけどさ、やっぱり自分の健康あっての話だよ」


 柴田は浜岡とたわいもない雑談をしたのち、「また来るわ」と言い残して去っていった。浜岡は柴田をベッドの上から見送った後、ふと窓の外へと視線を移す。突き抜けるような青空に、綿あめのような雲。吹き抜ける風に小刻みに揺れる木々の葉。心が表れるような風景がそこにはあった。もし過労で死んでしまっていたら、このような美しい景色を眺めることはなかったのだろう。浜岡は自分のこれまでの過ちを悔い、これからの生き方を改める決意をした。


 浜岡はデスクの上に置いてあった経済雑誌をごみ箱に放り投げ、タブレットを引き出しから取り出す。そして、ためらうことなく求人情報サイトへとアクセスし、給与が『健康』払いの仕事を探し始めるのだった。


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