兄妹対話 その1
「お早うございます。」
一時的でも、事務所を離れているのもあって、社員口から入るのが気まずく、あえて正面口から入ったが、むしろ気まずかった。
まず、兄の事務所について。そう、兄は個人事務所を持っている。というか、彼が所長となり、部下がいる。弁護士は総勢8名。その他にパラリーガル15名。他にも受付など。警備もいるが、さすがにそこは委託している。まぁ、そこそこの事務所だと思う。基本、人数はこれ以上にもこれ以下にもならない。独立していく人もいるし、入ってくる人もいるが、兄の性格を熟知し、納得した上で入所しないと長続きしないのだ。なんせ、奴は鬼だから。
で、冒頭に戻る。実に1か月ぶりとなる事務所。まずは、入り口にいる警備の八代さんが、驚いた顔をした。だが、にこやかに中に入れてくれる。そして、いつも笑顔が素敵なさゆりさんと、クールビューティな茜さんが私をみたとたんに笑顔のまま固まった。すごい、笑顔で固まってるよ。そして、挨拶したとたんに、茜さんは電話を、さゆりさんは受付ブースに私を案内というか、連行した。
ブースの扉を閉めたと同時に、さゆりさんは抱きついて、この1週間どれだけ大変だったかを語りはじめた。兄の発言に何人かの弁護士が反発。今ちょっとした冷戦状態だという。早く戻ってきてといわれるが、契約は契約。今回は都合上事務所に顔を見せたが、次回からは事務所に来る予定もない。もし、弁護士事務所に出入りしていたら変に思われるかもしれない。どこで誰が繋がっているかわからないのだから。曖昧な笑顔で、話を聞き流していると、兄の右腕、竜崎弁護士がこられた。わざわざ竜崎さんが?とも思ったが、兄の冷戦相手らしい。
兄が、今他のクライアントと話をしているらしく、その間に話がしたいとの事だった。
私は意外とこの事務所で慕われている。理由は兄だ。性格以外完璧な兄はたまに人と衝突する。私とはほぼ毎日する。でも、私はなんとかやっていけている。その事を尊敬したり、真似したいという人が多いのだ。みんな何だかんだで、兄が好きだから。私は違うけどね。
「で?今回はなんなんですか?」
「いや、本人にいうのもどうかとは思ったんだが、君の契約書の事なんだよ。」
「と、言いますと?まさか!!あの一年有給休暇の契約書ですか?!」
「そう。それをなんとか上手く改ざん出来ないかと、勝がね。」
「あのくそ鬼め!」
「で、しっかり吟味して作った契約書だし、穴がないってことになってさ。」
「もちろんですよ!所属の弁護士さん皆に確認してもらったんですもん。」
「そしたら、勝が逆ギレ。「取り組む前に諦めんのか?」ってね。」
「アホか。提示してきたときに、自分が作ったから落ち度はないって宣言してたくせに。」
「うん、アホだね。まぁ、勝がそうなるのは要ちゃんがいなくて寂しいんだと思ってはいるんだけどね?ただ、流石に許せないと思う奴が多発してさ。」
「寂しい云々は、別として。わかりました。雰囲気良くなるように仕向けます。」
「ごめんね?環境変わって大変なのに。」
「いいですよ。その代わり、」
「わかってる、この前出張したときに仕入れた地ワインあげるよ。」
「ありがとー!がんばってきます!」
本来なら関わりたくないが、酒があるなら別だ。これは仕事と割りきって取り組もう。
クライアントとは、会議室で話しているようなので、兄のデスク前で待つ。ここ部屋の作りは、よく海外ドラマでみるような形だ。ワンフロアに机がランダムに並べられ、各々が作業し、兄がクリアガラスで仕切られたブースにいる。基本そこの扉は開かれているが、どうしても直ぐに個別対応しなくてはいけないときに、スモークがかかり、扉が閉められる。今回主が不在なので、開いている扉に寄りかかり、本日出勤している皆に手を振ってたり、雑談しながら待っていた。
ちょうど、飽きてきて眼鏡を拭いているとき、ピリッと空気が変わったのがわかった。兄の登場だ。
「調査書持ってきました。」
「確認する。少しだけ待っててくれ。今の話を仕上げてくる。」
ご機嫌悪いらしい。後ろからついてきたパラリーガルの大野が、苦笑いしていることから、ここの部屋に入って顔を変えたらしい。仕事は順調なようで安心だ。
5分ほどたち、再度呼ばれ、部屋にはいる。扉は開いていていいとのことから、先に場の雰囲気を直しにかかるらしい。ならば、早速話をふる。
「ところで、私の契約書になにか不都合でもございましたか?」
「竜崎か。」
ニヤリと笑ったとこからも、この話題で正解なのがわかる。兄の思惑に乗るのはシャクだが、ワインのためだ。
「で、不備はありましたか?確か、ご自身自慢の契約書でしたよね?」
「まあな。だが、どんな偉人が作ろうが、不備があるかもしれない。どんなに完璧に見えても目線が変われば見方が変わるだろ?」
「はぁ。つまりは、先入観にとらわれず取り組めっていいたかったんですか?」
「俺なら、すぐ見つけるけどな。」
「ですって。竜崎さん。そういうことだそうです。たぶん、笠さんの案件じゃないですか?さっき出掛けちゃいましたけど、煮詰まってるっていってましたし。」
「笠弁護士の案件?」
「兄はもう何しら、気づいてるようです。きっと直接相談に来ないから、嫌がらせしたんだと思います。そのとばっちりが皆さんにもいったってことですかね?」
「了解。笠に伝えとく。」
「おい。とばっちりじゃない、連帯責任だ。」
「どっちでも同じだ、アホ兄貴。しかも、1週間後に私が来ることわかっててアクションかけたでしょ?遠回しじゃなく直接言えばいいじゃん。」
「すぐ手を出したら、育たんだろ。奴は独立組だ。」
「わかった。独立を期待できるくらい有望に思っているということだって、笠には伝えるわ。要ちゃんありがとな。」
「よかったな。ワインもらえて。」
ニヤニヤしてる兄をみて、竜崎にもはめられたことに気がつく。そうだ。このくらい竜崎が気づかないはずがない。あえて雰囲気を悪くして、先入観の危うさと、相談の大切さを他所員にも植え付けたんだ。そして、落としどころとして、1週間に定め、その役割を私に押し付けた。きっと、地ワインも普通にお土産として貰えるものだったのだ。まじやられた。この腹黒弁護士どもめ!
「ということで、本題にはいるか。」
「ソウデスネ。その通りですね。では、こちらになります。」
USBと紙を渡す。中身は同じだが、念のためだ。2つを受けとると、ガラスはクリアなままだが、扉を閉めた。
やっと調査の内容にはいれるらしい。