伝承刻印1
――――伝承。
それは語り継がれる過去の栄枯盛衰を模した伝説。
伝説とはあくまで創られた『物語』に過ぎない。
しかし、この世界の伝承は紛れもない事実だ。
神代の事象をありのまま語り継ぐ記録。
そこには脚色されたフィクションは存在しない。
英雄は泥臭くも光輝く真の正義で、悪者は役柄などではなく正真正銘の絶対悪。
息づかいや風の薫り、汗や血に至る全てが確かにそこに在った。
だがそこ、世界という現実に生きていたならば、訪れる最期はやはり死だ。
死を迎えればそこに在ったものたちはやがて風化し、そして完全な滅びを迎える。
それはすなわち忘れ去られていく、ということだ。
どのような偉業や悪逆を為そうとも、それを知るものがいなくなれば等しく無になる。
神々は死ではなくその滅びを怖れた。
故に神代に存在した者は遺したのだ。
自らの道程や結末を世界に記録し、語り継がせ、残された者達が同じ道を辿らぬように。
世界が死ねばそこに生きる者達も死ぬ。
そうすれば神々を語り継ぐ者も失せ、やがて滅びを迎える。
それだけは避けねばならない。そのためにはやはり巫女の予言、世界の滅亡が現実になってはならない。
世界は存続するべきだ。たとえこの世界に居なくとも神々が活き続けるために。
そこで北方の主神・オーディンとロキによって発案され、世界に刻まれた神代の記録。
それは今も脈動し、神やその他の事象をいたる所で謳い続けている。
――――そしてまた、一つの伝承が謳われ始める。
ノーラは視界に光が差すのを感じ微睡みから覚めようとしていた。
自分は寝ていたようだ。身体は柔らかいベッドに横たわっている。
だけど何故だろう。これは自分のベッドではない。
彼女の寝床はもう少し固く、冷たい感触があるものだ。
だがこのベッドは自分を包み込むように柔らかく、温かみを感じる。とても安心する。
そう、それは自分が眠る前に感じていた安心感と同じだ。
そういえばこのベッドと枕からも同じ香りがする。
それは木々生い茂る大きな森のようにどこまでも深く、しかし何も怖れる事はないと全てを抱き入れてくれるような、そんな感じ。
どこで嗅いだ香りだったろうか。
確か、襲ってきた男達を容易くいなし、私を救ってくれた男の子の背な、か・・・・・・・・。
「はっ!!!!」
ノーラは顔を真っ赤にしながら飛び起き、周りを見た。
朝日がカーテンを通じて優しく差し込む部屋は、タンスやクローゼットなど必要最低限の家具だけの簡素なものだった。
ベッドから降り、窓から外を見ると背の高い木が見渡す限りを覆っていた。視線が幹より高いのでここは建物の上部なのだろう。
森には霧が広がっているように見えるが、不思議とこちらから見る景色はハッキリとしている。
「この霧、もしかして魔術?」
だとしたらこれをかけた術者はかなり腕が立つようだ。
魔術士はこの館の主だろうか。
「っ」
ノーラは胸が締め付けられるのを感じた。
「悔しい、な」
ロイスにはこんな見事な魔術を行使出来る魔術士がいるのに、自分はそれを羨ましいと見ているだけしか出来ないなんて・・・・・・。
その時、ドアの外から足音が近付き、止まった。
『? 起きたのか? 入るぞ』
そんな男の声がした。
「え、あの」
声の主が入ってくるようだったのでノーラは慌てて服装を確認した。
自分の物ではない少し大きめの黒いシャツを着ている、一応寝間着なのだろう。
ガチャ、という音を立ててドアが開き、一人の青年が簡素な食事を持って部屋に入ってきた。
「起きたようだな、体は大丈夫か?」
「あ、あの・・・・・・はい」
言われるがままノーラは返事をした。
「そうか。なら、食え」
そう言って青年、レンは食事を差し出した。パンと温かそうなスープだ。
「ありがとう、ございます。正直お腹が減っていました」
ノーラは腹の虫が鳴らないかびくびくしながらも、素直に盆を受け取った。
「ああ、そのようだな。さっきノーラが寝ている時に様子を見に来たが、腹がグウと音を鳴らしていたからな」
「~~っ!!」
何でもない事のようそんなことを言うレン。
ノーラは頬が紅潮するのを感じた。
「何でそんなことさらっと言うんですか!? 黙っているのが人情ってものですよね!?」
「ん、そんなものか? 腹を空かすのも鳴らすのも普通の事だろ」
「そ、それはそうですけど! ・・・・・・もう!」
こうして話している間にまた腹の虫に鳴かれても困ると、ノーラは渡された食事に手をつけた。
香りと食感の良いパンと、温かいスープが空腹だった胃に染み渡る。
「・・・・・・おいしい」
そうポツリと呟いた。
「そうか、なら良かった」
レンは(ハッキリとではないが)嬉しそうに言った。
「じゃあそのまま食べていろ。俺はツァオを連れてくる」
「ツァオ?」
ノーラは聞き返したが、レンは答えることなく部屋を後にした。
「ツァオ、ツァオって確か・・・・・・」
ノーラは何かを思い出そうとしたが、身体が食事を急かすので一旦そちらに集中することにした。
簡素だが誰かが作ってくれた温かい食べ物。
そんなものを食べるのはいつぶりだろうか。
そんなことを考えながら、ノーラは黙々と食べ進め、あっという間に食事を終えた。
しかしその久しぶりの温かみに、ノーラのお腹と、心は十分に満たされていた。
「ワタシが! ツァオ・ラーズスヴィズ、である!」
そう勢いよく、レンを連れ立った銀髪の美女・ツァオが入ってきたのは、ノーラが食事を終えて数分後のことであった。
「ツァオ・ラーズスヴィズって、えぇええええええええ!!」
「うむ、実に良いリアクションだな」
「・・・・・・どちらもうるさい」
賑やかな対面に、レンは迷惑そうな顔をした。
「だだだだってツァオ・ラーズスヴィズですよ!? あの『銀色の魔女』が目の前にいるんですよ!? 魔術士だったら誰だってこんな反応になりますよ!!」
「いや~照れる照れる。ってキミ魔術士なのかい? レンはそんなこと言っていなかったが」
「え、いや、その・・・・・・見習い、のようなもの、です」
何故か歯切れが悪くなるノーラ。
「ふむ、ノーラ。キミの姓はなんだい?」
初対面で気安くノーラと名前で呼んだツァオの何気ない問いに、ノーラは答えにくそうに口を開いた。
「ア、アウルです」
「ふむふむ、アウル家の者か、へ~。全く、お前は毎回ワタシんとこに面倒なものを持ち込むな、レン。よりにもよってアウル家の、恐らく彼女は跡取り娘だぞ」
「・・・・・・」
憮然とするツァオに対して、ノーラは気まずそうに俯いてしまった。
そんな二人を見て、文句を言われたレンはやや不服そうな顔でツァオに問うた。
「それはすまなかったなぁ。だが、なぁツァオ。『アウル家』って何者のことなんだ?」
「あぁお前はバカだから知らんだろう。アウル家というのはアイラッド帝国でも有数の魔術士だ。主に結界魔術やそれを応用した建築技法が帝国には重宝がられていてね。帝国にある建築物の半数と帝都の防護結界はアウル家によるものだというね」
「ほう、お前は物知りなんだな。バカは余計だけどな」
レンは青筋を立てながら相槌を打った。
「ここらで魔術に身を置く者なら誰だって知っているっつの。お前だってワタシの助手のような立場なんだから、そこら辺の常識くらい弁えとけ」
「分かった分かった」
「まったく。しかしノーラ、ワタシもキミが寝ている間に少し身体の様子を診させてらったんだがね。あぁ心配するな。レンがキミは倒れて運び込まれたと言っていたからね、本当に診察的な意味でだよ」
「そう言うと逆に怪しいぞ、ツァオ」
レンは冷ややかな視線をツァオに送った。
「ゴホン。まぁその時にだが、アウル家の人間にしてはやや魔力が澱んでいたのに気づいてね。もしかして何か問題でもあってこの国に来たんじゃないのかな?」
その『問題』という単語に、ノーラは身体をビクつかせた。
しかし、意を決したように呟く。
「私、魔術が使えないんです」