出会い、そして物語は動き出す
――――もう! もう! どうしてこうなるんですか!?
ノーラ・アウルは薄暗い路地を全速力で走り抜けながら、そう心の中で思った。
「待てよ、嬢ちゃん! 俺達ゃ今イライラしてんだ! そう面倒に逃げ回られると、取っ捕まえた時何しでかすか分からねぇぜ!?」
後方から下卑た笑い声や数人の足音と共にそんな声が聞こえてくる。
彼女を追い掛ける男達は小さいナイフなどでみみっちく武装している。
そんな格好の男達に、「おいおい俺達の慰み物にならねぇか?」なんて言われたら誰だって逃げ出すに決まっている。
もちろんノーラもすぐに駆け出した。
今だって自分が経験したことの無いほどの早さで走っている。
だが何れ追い付かれる。
少女と大の男の走力では比べ物になるまい。
体感ではもう何十分も逃げ回っているつもりだが、実際はまだ五分も経っていない。
捕まる前に撒かないと!
そうすぐに思案してノーラは脇道に方向転換、そして彼女の命運は尽きた。
「へへへ、自分から行き止まりに向かうとはな。もしかしてこういう展開を望んでたのかぁ?」
追い付いた男達の一人が薄気味悪い笑顔を浮かべながら言った。
「マジかよ! こんなべっぴんでスタイルも良い嬢ちゃんのくせに物好きだなぁオイ!」
そんなわけないだろう。
ノーラは男達を睨み付けながら思った。
「下がりなさい。この身にその汚い手を少しでも近付けるのだったら、私は容赦しませんよ!」
そう言い彼女は片方の掌を突き出した。
「そこから一歩でも動けば火球があなた達を燃やします! 只では済みませんよ!」
「チッ、こいつ魔術士か」
ノーラの言葉に男達は踏み止まる。
「いや、ハッタリだな。混沌区画なんぞに魔術士はいねぇ。ここにゃあ魔術を使えねぇ裏の仕事しか出来ねぇ奴らしかいねぇだろ」
「・・・・・・それもそうか。なんせ俺達がそのパンピーなんだからな、へへへ」
そう言って男の一人が一歩踏み出した。
「っ、来ないでと言ったでしょ! 火球!!」
「何! ・・・・・・・・・・・・は?」
呪文と共にノーラの掌から火花が散り、しかしそれだけだった。
男にはその火花すら掠らず、本当にそれだけのことしか起きなかったのだ。
「ぎゃは、ぎゃはははははははは!! なんだそりゃなんだそりゃ!! おい嬢ちゃん、それが魔術ってやつなのか!? くはははは! それならマッチのほうがまだマシだぜオイ!」
「っ!」
――――やっぱり、ダメなの・・・・・・!?
ノーラは打ちひしがれながら自分の手を見て、首を振った。
違う、まだ終わりじゃない。
「私は諦めません、絶対にあなた達なんかに負けません!」
「はっ、虚勢だ虚勢。最後の一手だって結局役立たず。いいから素直に襲われろ!」
「いやです! 絶対打ち負かしてやります! 打ち負かすの!」
じりじりと間を詰める男たちに向かってノーラが叫んだその時。
「だが手詰まりなんだろ? どうすることも出来ないんだろ? 馬鹿が、さっさと俺の手を握れ」
「え?」
後ろの壁の縁方からそんな声が飛んできた。
見るとそこには琥珀色の瞳を輝かせる青年らしき人影があった。
「ボケっとすんな。ほら、届くだろ」
「え? あ、はい・・・・・・ってきゃあ!」
訳も分からないまま差し出された手を握ると、グンと身体を持ってかれ、壁の縁に立たされていた。
「大丈夫だな、よしそこでじっとしてろ。あれは俺の仕事だ、邪魔するなよ」
「はい!?」
ノーラにそう乱暴に言い捨てると、青年は壁から降り立ち、男たちに対峙した。
――――助けたい
レン・ガルムはただそう思い、それと同時に勝手に身体が動いていた。
依頼の窃盗集団八人の内、五人を叩きのめしたのは良かったが、残りの三人を取り逃した。
レンは内心舌打ちをしながらも逃げた男たちを追いかけにでたのだが、彼らはこの区画を知り尽くしているのか中々に見つけられなかった。
いっそ建物の上るかと跳び乗った時、下品な笑い声がレンの耳に飛び込んできた。
「あそこか」
彼らの居場所を特定したレンはそこに向かった。
そこは薄暗い路地を脇に入った行き止まり。
三人の男を見つけたが、その視線の先の少女にレンは目を奪われた。
レンと同年代くらいの少女の顔は、まだ少女が女になり切れていないがそれでも美しいと素直に思えるものだった。
ツァオが芸術家の作った素晴らしい彫刻のような美しさだとしたら、少女のそれは腕の立つ職人が作った人形のような愛らしさをも含んだものだった。
その瞳は翠玉のように碧く煌めいて、長い髪も熟れた小麦のように金に輝いていた。
質素なワンピースを着たその肢体もしなやかで、出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるという見事にバランスのとれたものであった。
しかしレンが視線を奪われたのは、そのような容姿の為ではなかった。
それはレン自身にもよく分からなかったが、強いて言えば直感が囁いたのだ。
『あの娘、あの人間は己にとって得難い程に良い奴だ』と。
万策尽きたと分かっていても尚諦めずに戦おうとするその高潔さ。
手段も無いのに目の前の脅威に立ち向かわんとするその愚直さ。
それらをレンは直感的に『良い』とったのだ。
――――あれは助けるべきだ。あいつに迫っているのは仕事の対象だが、そんなのどうでもいい。俺はあいつを助けたい
「そうか、ツァオ。お前の助言はこの時のためのものだったか」
だからレンは彼女を助けるべく動いた。
壁の上に移動し、声をかけ、手を掴んで引っ張り上げた。
掴んだその手はとても柔らかく、温かかった。
そして自身は飛び降り、男たちと対峙したのだった。
「て、てめぇはさっきの」
「ようさっきぶりだな」
たじろぐ窃盗人共に、レンは努めて笑顔で手を上げ会釈した。
「お前どうやってここが分かった!? 住人しか知らねえような場所を抜けて、そっからあの嬢ちゃん追いかけて滅茶苦茶に走り回ったのに!」
「バーカ、お前らの気色悪い笑い声が聞こえたんだよ。まる聞こえなんだから場所も分かるに決まってんだろ」
「くそっ、この『戦狼種』が! 化け物が!」
「え!? ・・・・・・戦狼種!?」
「お前・・・・・・」
男の一人の言葉にノーラは驚愕し、レンは怒りを滲ませるように唸った。
『戦狼種』
それは北方の主神・オーディンが遺したものの一つだ。
戦の為に魔術的身体改造を受けた人間。
通常の人間の約五倍の身体能力を発揮する他、視覚と聴覚は野生動物並のものになっている。
彼らは神代が終わっても生き残り続け、千年以上たった今でも末裔は存在する。
代を経るにつれてその能力は三割程度落ちているが、それでも超人的な力を宿しているには変わりない。
そしてレン・ガルムは、戦狼種、その末裔の一人だったのだ。
「俺は人だ。化け物なんかじゃない!!」
「ひっ!」
叫びと共にレンは放たれた矢のように飛び出し、男の一人に襲い掛かる。
「オラァ!!」
「グッ! ・・・・・・ゴハッ!?」
男の顎に強烈なアッパーを見舞うと、その衝撃で空中へと飛ばし、落ちてきたところを回し蹴りで蹴り飛ばした。
ふっ飛ばされた男はピクピクと身体を痙攣させながら横たわっている。
「おい、次はどっちだ。お前らは仕事の対象でもあったんだ、どちらにせよこうなるのがオチだぞ」
レンは倒れ伏す男を見やりながら言った。
「クソ、クソがぁああああ!!」
「うおおおおおおおおおお!!」
共にナイフを振りかざした残りの男二人がレンへと突撃する。
ガギンッ!!
そんな音を立てて、レンは手袋を嵌めた手でナイフを受け止める。
ツァオの硬化魔術が付与されたそれは、安っぽいナイフ程度では傷一つ付くわけがない。
「そら!!」
レンはそのまま二人の腕を掴むと、強く地面へ叩きつけた。
鈍い音を立てながら、二人は声を出すことも出来ずに気絶した。
こうしてレンはいとも簡単に三人の男を片付け、目的を果たしたのだった。
「おい、お前。大丈夫か?」
パンパンと手の埃を掃いながら、レンは壁の上で立ち尽くす少女に声をかけた。
「ノーラ」
「ん?」
「ノーラです! 私の、名前! せっかく助けてもらったのに名を名乗らないのは失礼じゃないですか!」
「ふむ、そういうものなのか。では俺の名も教えよう。俺はレン。レン・ガルムという」
「ガルムさん、ですか」
「レンで良い」
そうレンが言うと、ノーラは頬を紅潮させた。
「いいえ、姓呼びで大丈夫です! 下の名前で呼ぶのは馴れ馴れしいですし」
「ふん? そうなのか、ノーラ?」
「ふひゃあ!!」
ノーラは変な声を上げた。
「な、なななな何でそんな簡単に呼んじゃうんですか!」
「え? 悪いことなのか?」
レンは首を傾げた。
「え、いえ・・・・・・悪くは無いのですが。何というかハシタナイデス」
自信が無いのか最後はカタコトになった。
「・・・・・・というよりも! 何で助けてくれたのですか? 私は頼んでもいないのに」
先の慌てっぷりが嘘のように、ノーラは冷静に、突き放すような声音で問うた。
「助けたかったから助けた。ノーラが頼んできてなくても、あの時俺の手を取った。それだけで助けるには十分な応えだったと思うがな」
しかしレンはそれをさして気にせず答えた。
「あ、う・・・・・・それは、そうかもしれませんが」
「それにお前、あの時俺が助けなかったらどうするつもりだったんだ? 賭けてもいいが助かりっこなかったぞ?」
「そんなことはありません! ・・・・・・私は、アウル家の人間です。であれば、私は、これくらい、自分でどうにかしなくちゃいけなかった、のに・・・・・・くぅ」
「あ、おい!」
そう苦々しく言いながらノーラは倒れた。
恐らく疲れがたたったのだろう。
それに加えてレンとのやり取りが変に緊張を解くものであったので、思わず力が抜けてしまったようだ。
「スー、スー・・・・・・」
「なんだ、寝てるのか」
レンはそう見るやいなや、ノーラを背に担ぎ上げた。
「さて、これからどうすっか。こいつの住んでるとこなんか知らないし。仕方がない。憔悴しているようだし、ツァオのところへ連れていくか」
そう言うとレンはノーラを背負ったまま歩き出した。
――――なんだろう、この匂い・・・・・・。初めてだけど、とても安心する・・・・・・。それに、とても温かい・・・・・・
背負われたノーラはそれに気づかず、薄れ行く意識の中でぼんやりとそう思った。