仕事の依頼
ふわふわの卵を口に運び、ゆっくりと味わいながらツァオは何の気なしに言った。
「っんく。なぁ、そういえば今朝は少し早起きだったな、お前」
「ん? あぁそうかもしれないな。今朝は森の鳥たちが少し騒がしくてな。眠れないというほどではなかったんだが、時間がそうゆっくりできるものじゃなかったから少し早く起きた。・・・・・・というかツァオこそあの時間に起きていたのか?」
「いやいやまさか、ただ朝食を作っているような香りがしたんでな。何となく起きて何となくお前を驚かしに行ったまでだよ」
まぁ失敗したがね、とどうでもよさそうにツァオは付け加えた。
「あんた、さっきは俺の耳がどうのこうの言っていたが、一階のキッチンからの香りを嗅げるその鼻も何なんだ」
「なに、ワタシの鼻が良いのは飯に限ってだよ。お前の耳のように何でもかんでも嗅ぎ分けられるなんてないさ。お前の耳がおかしいんだよ、ワタシには鳥の鳴き声なんか聞こえなかったしね。節操なしに敏感なのはどうかと思うよ」
「朝から下らんこと言うな」
レンは半目になりながらトーストを齧った。
ツァオはその玲瓏な容姿なぞ関係なしにかなり下品な冗談を吐く。といってもそれはレンのように親しい人物にしか向けられないものなのだが。
「なんだと・・・・・・ワタシのような超絶美人の唇から漏れるあられもない言葉を下らないと? お前、今世の憐れな童貞を何人敵に回したと思っているんだ!!」
何という阿呆なキレかたなのだろうか。
「朝っぱらから下品なこというなと言っているんだ。というか俺だって童貞なんだから敵も何もないだろ」
「何を言っているんだ、レン。ワタシは『憐れな』童貞と言ったのだ。お前は私という超々絶美人と一つ屋根の下で寝食を共にしているのだぞ? それに髪さえどうにかすればお前はいつでもそこらの女を食える容姿とスタイルだ。どこをどう取っても憐れではあるまい」
「んなこと力説すんな! 早く飯食っちまえ」
美人の前に超が一つ増えたことはスルーしつつ、レンは食事を促した。
「顔が云々は否定しないんだな、まぁ気にしていないのだろうが」
ぶつぶつ言いつつツァオは食事を進めた。
「そうだ、レン。今日は仕事を頼まれてもらうよ」
食後の紅茶を啜りながらツァオは言った。
「仕事か」
レンは当たり前のように相槌を打った。
「あぁ。まぁ本来ならワタシ達が受けるような仕事じゃないがね。このところ帝国との関係もピリピリしているから憲兵も軍も動きにくいんだろ」
今一要領を得ないツァオの言い方に、レンは眉を顰めて先を急かした。
「はいはい。具体的に言えば捕り物さね」
「捕り物。で、俺は一体何を捕まえればいいんだ」
「なんてことは無い、窃盗もどきだよ。少数で動いているらしいんだが少しやり方が強引でね。死傷者も出ている」
「なんだそりゃ。それこそ憲兵たちの仕事じゃないか。首都の警備はどうなっているんだ」
レンは面倒くさそうにぼやいた。
「さっきも言っただろ。帝国との摩擦、というほどでもないんだが最近聖教騎士が多めに出入りしていてね。そちらの対応で憲兵は忙しいんだ」
聖教騎士とは神代が終わってから人間達の間に興隆した『聖教』という宗教の武装部門『聖教騎士団』に属する者達のことだ。
彼らが信仰する聖教は、レン達が暮らすロイス公国の隣国『アイラッド帝国』の国教となっており、これといった宗教的制限が無いロイスにも布教目的で入ってくるのだ。
だが最近は帝国の侵略的な態度も合わさりその布教も強引になってきており、その諍いを収めるためにロイスの首都憲兵も出払わざるをえないのだ。
「なるほど」
レンは納得したように頷いた。
「まぁこちらにお鉢が回ってきたのはそれだけじゃない。窃盗沙汰が起きている場所も場所でね」
「というと混沌区画か」
「察しが良くて助かる」
――――混沌区画
それはロイスの首都・レギンの四分の一を占める区域だ。
ほかの四分の三は何の変哲もない普通の街並みなのだが、殊混沌区画においてはそれは異なる。
薄汚れて薄暗く、そこに住む人間は互いの不干渉を暗黙の了解とし、それに触れないのであればどんな非合法なことでもやる。その名の通り混沌とした場所なのだ。
しかしそのような場所こそ憲兵などの警察機構の手が入りそうなのだが、それが出来ない理由があった。
混沌区画は犯罪者の温床であったが、それと同時にロイスの権力者達が雇う裏の人間達も存在するのだ。
暗殺者や情報屋、愛妾たちもそこで暮らしたり仕事をしたりしており、迂闊に公的機関が手を出せない所になってしまっているのだ。
「そんな場所、さっさと焼き払って一度綺麗にしてしまった方が良いと俺は思うんだが」
レンが物騒なことを言うと、ツァオはそれは困るといったような仕草をした。
「ワタシも情報屋を何人か雇っているからなぁ」
「ああ、ああそうだったな!!」
レンは頭を掻きむしった。
こちらにも後ろめたいことをしている人間がいたのだった。
いや、情報に関してはそこまでマズいものではないのだが。
「そういうこともあってうちに回って来たわけか。つまり裏の事情が絡む所へはそれに絡んでいて、尚且つそこで騒ぎを起こしても誰も何も言えないお前に」
「そういうことだねぇ。いやぁ銀色の魔女の名は伊達ではない、ということだネ!!」
ツァオはそう言い、無い胸を張った。
銀色の魔女とはツァオの二つ名だ。
その由来を語るにはロイス公国と、その成り立ちから始まらなければならない。