遠慮無用のコンセントレーション?
私の幼い時分には、日々の暮らしに既視感のような物を、毎日の様に覚えておりました。あれ、これ前にも一度あったような、なんて例の感覚です。
それもその筈。私が8歳の誕生日を迎える頃には既に、私が生まれる前の出来事を、いわゆる前世の記憶というものを自覚できるぐらいに"思い出して"いたのですから。
両親には、私を産む以前より既に二人の娘がおりました。その経験を活かして肩の力を抜かれながら適当に育てられ、年相応になれば必要十分な躾を適宜施されてきました。すると私は言われた事をすぐに覚えていき、大人と遜色ない振る舞いも、あっという間に実行出来るようになっていったそうです。
たぶん新しい事を覚える毎、無意識のうちに過去の出来事を付随して思い出していたのでしょうね。
末娘の私は、物覚えが良い子供として両親の手間をかけるまでも無く、すくすくと成長していったそうです。
だから、そんな私を見た親が、末娘を神童として持て囃すのも当然だったのでしょう。
しかし、私はずっと疑問だったのです。例えばあるパズルのピースはどの様に組み合わせばよいのか、そもそもパズルとはどの様に使う物なのかが、一目見れば一発で頭の中に降って湧いて出てくるのですから。
蛇口を開ければ水が出ることも、沸騰したお湯に触れたら火傷することも、紅茶は熱いお湯で淹れないと葉っぱが充分に開ききらないことも、なので一度急須にお湯を入れて器を温めておくことも。
私は、それらの動作を行なっている両親の様子を、一度見ただけで何をしているか"思い出し"、物事の因果関係を正確に理解してしまう人なのです。それはリンゴが木から落ちる程度に、私にとって当たり前の認識でした。
私はずっと疑問だったのです。理解とは、思い出すことと同義なのに。それなのに、どうして周りの人は知らないのか。否、思い出さないのか。
しかし、幼い私の疑問に答えられる者は、周囲に誰一人としておりませんでした。私にあまり良い顔をしていなかった姉二人も、他の子供達も当然のこと、ましてや年上の大人達でさえ、生まれる以前の記憶など持ち合わせている者はいなかったから。
私が前世の記憶について確信を得たのは、今から数年前——確か8歳と数ヶ月を迎えたある日の出来事です。
このぐらいの年頃になれば、学園の初等部は学童達に魔法教育を行いはじめるようになります。魔法教育——それは前世の記憶には間違い無く存在しない、御伽噺の産物でした。
その存在を知った瞬間、私はこの世界で生まれて初めて未知との遭遇を果たした気分になりました。その衝撃は15歳になった今でも忘れられません。
適性検査の結果、私はランバルディア家の誇る鉱石魔法の素質を殆ど持たぬことが分かりました。それを聞いたウチの両親が、三女とはいえあの子ならもしや? という一方的な期待に落胆したそうです。
しかし私は、この世界で未だ知らぬ初めてを遂に見つけた嬉しさで頭がいっぱいになっておりましたから、たとえその後、姉から馬鹿にされようとも、両親から手のひらを返すように蔑まれようとも、全く気にせず魔法というものにのめり込んでいきました。
きっと、だからでしょう。
あの日を境に、家族のご機嫌を伺う為だけに得体の知れない前世の記憶とやらに縋るのをやめ、自由に生きる決心をしました。
どこのどなたか存じ上げませんが、あなたと同じ様な人生など歩みたくありません。たとえ私がどれだけ頑張っても、その先でひょっこりと出てきて、あっそれもう知ってるんだ、などと興醒めな気分にさせる記憶なんて思い出させませんから!
ですが、そんな私の思いを踏みにじるかの様に、突然アレはやって来るのですよね……。
そう、忘れもしない。去年の冬、14歳の誕生日を迎えたある朝の出来事ッ……!!
……朝起きたら、なんかお蒲団の中が真っ赤になってて……じゃなくてッ! いや、でも多分それが切っ掛けだったと思うんですが、貧血のせいか頭痛も酷かったんですよ。
「ゔぅ……ぽんぽん痛い……頭も……目がっ、目がぁぁぁあ——!!」
気だるさと自覚した鈍痛に悶え苦しみながらも、気を紛らわす為に様々な考えが頭をよぎりました。
なんですか、そのどこかの大佐の様な呻き声は。 え、何処かの大佐って誰? そもそも大佐って、何——
それよりも目が、封印が……Schwarzschild X production type ver.IIの封印が解けて……あれ?シュバルツゼウスだっけ——
多分この痛みは私に秘めた第三のチカラ……「 太古の血脈相承」が解放される前振り……って、それ厨二病みたいですから止めてくださいよ——
はて、ちゅーに病とはなんぞや? 病気なの?? ちょっと前世の記憶さんや、私は今もしかして、とんでもない状態になってるので?
うぁぁぁ——ん!お母様、助けてぇぇぇえ!
私、病気! 死んじゃう、死んじゃうのぉ?! いやだ、死ぬの怖いよ〜——
まあ、そのような疾患はありませんでしたけどね。女の子として至って健康体であることが判明しただけでした。でも珍しく、それも両親が嬉しそうに心配するもんだから、実はこのまま本当に死んで厄介払いされるんじゃないかと怯えて過ごす日々が暫く続きましたよ、はい。
本当にあの日は酷かったですね。
熱も出て寝込んでる間に思い出したくもない前世の記憶が次々流れ込んで来たわけですよ。
その中にですね、興味深い記憶の欠片があったのです。
あの時まではチラリとも思い出していなかったんですが、前世の記憶とやらにはなんと、この世界の事まで含まれていたんですよ!
それを知ったあの時の私は本当に死んでしまうんじゃないかと思いましたね、いろんな意味で。
だって、私の頭の中はまるきり物語の台本でした、と言われた様なものだったんですよ。事実そうでしたし。
つまりこの世界は、前世の世界で作られた空想の産物に過ぎなかったという事です。それを思い出してしまえばもう、何か色々と吹っ切れると言いましょうか、諦めの境地に達してしまいましたね。この世の全てが机上の筋書き通りで、私がこうやって苦しんでいることすら最初から仕組まれていた事で、でもそんなの認められるわけないじゃないですか。
……私は生きる意味を奪われたと絶望しましたよ。だから自分から死んでやろうかとも思いましたが、その様な勇気なんて何処にも無いのです。
だから、私は受け入れる事にしたんです、前世の誰かさんを。縋るのをやめたのに突然降って湧いてくるおかしな記憶に悩まされる元の私を見捨てて、新たな自分に生まれ変わる事にしたんです。嗚呼そんな事もあったんだね、でも"私"は関係ないし、と。私の中の"別人"の事を受け入れる事にしたんです。
あの日は記念すべき「完全無欠の第二人格」のお誕生日になりました、略してNPCです。前世の言葉で物語に翻弄される住民として相応しい名前をつけたものだと我ながら感心しております。ついでに邪気眼にも目覚めました。たぶんアオの魔道書とかが使える様になったんじゃないですかね?
ほうほう、私がこの物語の隠しヒロインですって? じょーとーじゃあないですか。そんなの、知ったこっちゃねーです。
確かに私は受け入れると言いましたよ、はい。それでもね、馬鹿正直に物語の筋書きに従ってやる道理は何処にも無いと思うんですよ。
悪いですね、前世の記憶。あなたの思い通りにはさせませんから。
そうして昨年、決意を新たにした訳なんですが……カミサマとやら、ちょっとこの結末は酷すぎませんか?
目が覚めて十数分、開幕早々。上を見上げれば、何やら絶体絶命の危機がやって来ておりました。
それは、何かと言うと——
「骸骨が……て、天井が近づいて来てる!
槍が、刃物がこちらを向いて近づいて……」
—— ロゼリア・ベルフローレ嬢が上げられた悲鳴の内容の通りにございます。
多分、ここに来た時点ではもっと上の方にあったのでしょう。あの時は確認出来なかった天井が、低くなったお陰か、私の魔法のお陰か、今でははっきりくっきりです。骸骨もおまけでくっついて来た物騒な凶器が、剣の山の如しにギラギラとした存在感を主張しております。
そしてそれは今もなお、徐々に徐々に近づいて来ております。やがて近いうちにでも、私たちをグサリと刺してしまうでしょう。その時はみんなでお陀仏です。
気がついたら私も、腰を抜かしてロゼリア様と一緒にブルブル震えておりました。
目の前に理不尽が分かりやすい姿で登場しているのです。あと2名のご令嬢も、天井の存在にようやく意識が向いたのでしょう。皆んなで仲良く驚きを露わにお尻で餅つき大会ですね。最早一周まわって乾いた笑みさえ浮かんできますよ、あはは……。
「ちょっと……アレはいったい、一体何なのよ!」
アザレア様の怒声が——
「嘘?! 少し動いて……嫌だ、死にたくない!」
誰か様の悲鳴が——
「み、みんな落ち着いて、ドアに!」
ロゼリア様の、震える声が——
私は……ははっ、なんだ。声も出ないです。
だって、まだ第1部すら始まってないのに、最初からクライマックスなんですよ。それってつまり、私を殺しに来てるってもんじゃあないですか。ここで泣きわめく意味すら、もうすぐ露と消えてしまいましょうに。
私以外の令嬢たちは、この部屋唯一の出入り口と思われる重厚な扉の取っ手を掴み、前に押したり後ろに引いたり、上げたり下ろしたりしてみようと足掻いておりましたが、見る限りビクともしてませんでした。
そうしている間にも、凶器を生やした天井がのっそりと近づいて来ております。私の頭上を射し貫き始めるまで、あと25メートル程度と言ったところでしょうかね。幸いなことに他の方々と違って、私は十数センチぐらいの余裕がありそうですから、最後まで生き残った人が勝ちルールなら望みがあるかもしれないですよね。
「ほらっ、何をやってるの!
貴方も早く手伝って」
セシリア様が怒鳴り付けて来ます。このルールですと、真っ先に刺し貫かれるのはあなたですね、ざまぁ見やがれです。と言いたいところでしたが、私に出来たのは乾いた諦めの声を出す事だけでした。
「無理……ですよ」
「そんな、どうしてそんなにすぐ諦めてしまうの?
四人で動かせば、もしかしたら開くかもしれないじゃない! そうでなければ……」
「だって、この場所は!」
なんとなく思い出してきました。
確か、この場所でした。彼女は、私が——
「……貴方、何か知ってるの」
いつの間にかロゼリア様は、開かない扉との格闘を止め、私の側に来ていて、静かな眼差しを向けて私を問い詰めておりました。
こんな状況なのに、とても落ち着いて見える瞳の輝き。
私だけだったら、いま押し寄せてきている恐怖や不安、絶望的な記憶に押し潰されて泣き叫び、発狂していたかもしれません。
涙ぐむ私をロゼリア様は、親が子をあやすように抱きしめてくれました。
逸る鼓動の音が聞こえてきます。なんだ、彼女もやっぱり不安だったんですね。こんな状況でも、だからこそ心臓は強く脈打ち、まるで『生きろ』と応援をするかのように喧しいぐらい響いてくれて……
そうだね、今ここにいるのはあの時と違い、"私だけ"じゃ無いんだよね。
胸を借りて少し泣いているうちに、私の不安はだんだんしぼみました。
「それで、落ち着いたかしら?」
「すびっ……誰に言ってるんですか」
「ふふっ、それぐらいの元気があればもう大丈夫ね」
ぬぬ、なんだか完全に子供扱いされている……私としたことが、この女に弱みを見せてしまうとは、失策です。
「それで、そろそろ知っていることを話して貰えないかしら、セシリア様?」
まあ良いです、無事にここを出られた暁にはこの借りをきっちり返してやるまでですから!
ロゼリア様と、他の2名の令嬢が私の言葉を待っています。私はあの日、私を恐怖のどん底に追いやった忌まわしきこの世界の筋書きの一部を、私達にもうすぐ訪れるかもしれない最低の結末の話を彼女らに聞かせることにしました。
「ここは、聖クレセント魔法学園高等部教育島・機密指定区画・地下迷宮十三階・帰らずの間……早い話が黄泉の入り口ですよ」
—— 私がこれから失意の底で一人死んでいく予定だった、虚しい最期の場所に隠された秘密を