奏者不在のラプソディ?
昼食を終え一息ついたので歯を磨こうと思い化粧室目指して廊下を歩いておりました。クリーム色した綺麗な廊下の上に何かがポツンと落ちていたので、近くまで行き確認してみるのです。
落し物は白い洋封筒でした。手に取って眺めてみると丸っこい文字で宛名書きがされ、裏に返せばハートを模った粋な感じの封蝋が。こ、これは……!
「これは……ヒットマンからの殺害予告ですね」
物静かな廊下でひとりごち、封蝋が意味する重要なメッセージを理解しようと反芻してみました。おそらく「お前の心臓を抉り出してやるぞ!!」という宣告でしょう。なんの警戒も無しに心臓を模った封蝋を剥がすような素人さんは、爆弾のスイッチだか仕込んだ毒針とかで速攻でお陀仏って寸法だったんでしょうが残念でした!この私を陥れるには少し偽装が不十分だったみたいですね。詰めが甘いんだから。いやでも今回はいい線行ってたと思いますよ。危なかったー。
もちろんこれが世間一般で言うところのラブレターなる代物であるということは分かってはいたのです。しかし今日まで実物を間近に拝む機会が無かったものですし、往来のある廊下で人目を憚らずまじまじと恋文を眺めている私が立ち止まっている構図が頭に浮かんでしまったものですから、きっと動揺していたのでしょう。
前方から誰か歩いて来ていることに気がついた私は、その手紙を何食わぬ顔してブレザーのポケットにしまい、その場を後にするのでした。
妙な緊張を抑えながら歩いていた私に後の事を考えている余裕なんてありません。午後の授業が始まった今では、拾ってしまった事に後悔しかしておりません。
「——になったので、この場合はどうするべきか?
……ふむ、ランバルディア君、解答を」
(うーん、もとあった廊下の上にそっと戻しておくべきか。でもその様子を誰かに見られたら……あーもう!いっその事拾得物として届けちゃおうか)
「あー、ごほん。ランバルディア君、次の問いは君の解答の番なんだが、答える気はあるのかね?」
(うーん……でもそうそう見られるものでもありませんし……「やっぱり、少し光に透かして見るぐらいなら問題ないんじゃないかと思います」
「おおそうか、そうか。
ではこの試験管の中身をじっくりと眺めさせてやろう」
「へ? なんですの? 試験管??」
何やらクリップに挟まれた試験管をそのまま手渡されてしまいましたが、そう言えば授業中でしたね。失礼しました。それにしても、これはいったい何なのでしょう?何か嫌な予感がするのですが……。
「ちなみに、この試験管を強い光のもとに晒すと中で急激な反応を引き起こして爆発する。確かに少しくらいなら大丈夫かもしれないが……ひとまず、おめでとうランバルディア。不正解だ」
「え?」
パーンッ!っと、さながら祝杯のシャンパンを開けた時のように軽快な音をたててコルク栓が吹き飛んでいきました。鳩が豆鉄砲食らった顔して立ち尽くす私。危うく心臓が止まるところでしたよ。おかげでクラスの晒し者です、あいつぜったい恨んでやりますから。
あのラブレターは授業が終わったら腹いせに適当なゴミ箱へ見えるよう処分してやろう。とか、その辺のデリカシーの無い教員たちに遠慮なく渡してしまうか?とも思いました。
けどね、流石に書いた人が可哀想だろうなあと思ったので止めておきました。だいたい私が教師に求愛してるみたいにみられたら嫌ですし、勘違いされたら困ります。と言うか本当に扱いに困るので、さっさと元の場所に返してしまいましょうか。
……って、最初はそう思っていたんですよ、本当に。
「ぷぎゅッ?!」
授業が終わって急いで元あった所に返す為に、現場に急行しておりました。そこまでは問題は無かったんです。あとはそのまま周囲に誰も居ない時を見計らって、窓の外から拾った場所の近辺でひらひらりーと落としてやれば平穏無事に終われた筈だったんですよ。
「い、痛たぁ……い?
やだ嘘?!」
あの時、「そう言えば差出人の名前をよく見ていなかったから、せっかくだし。……別に誰から誰に向けた愛なのかぐらいは知られちゃっても構わないよね?」なーんてしょうもない欲を出さなければ……。
「ああ"ーッ?!」
あの時、雑念に囚われずしっかりと目的達成のために前を向いて歩いていたならば、ポケットに手を突っ込んだ拍子に段差で躓いてろくに受け身も取れないまま花壇に突っ込んで泥だらけになる事も無かったでしょうし、中途半端な受け身で突き出した右腕に握られたラブレターを汚してしまう事も——
「や、破れた……」
—ましてや封筒の丁度半分ぐらいから先がズタズタに引き裂かれる事も無かったでしょうに。
ほんの少し前まで真っ白だった封筒は、今では土にまみれてまだら模様でズタボロです。誤魔化すことなど考える余地もないぐらい盛大にやってしまいましたね、あははは……。
幸か不幸か、冷たい季節でしたので花壇には何も植わっておりませんでした。乱れた地べたを雑に慣らして逃げるようにそそくさと現場を退散します。
体に被った土は軽くはたき落とすぐらいしか出来ませんでしたが、何故かクラスメイトの皆さんは誰もその事についての指摘をされませんでした。どうせいつもの事だろう?みたいな顔するのはやめてもらえませんか?グスン。
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てな訳で、ここまで来たら開き直るしかないではありませんか。ぐへへー、大切な中身が丸見えですよ。誘ってやがるんですか?
封筒は、差出人の名前が書かれていたと思われる部分がビリビリの泥まみれでした。破れたところから見えた中身も3分の一ぐらいもみくちゃで不安が募ります。ですがここまで来たらと意を決し、ペラリパラリと中身を暴いていこうではないですか。
さて、愛を綴った手紙の内容や如何に?
「……これは、ヒットマンからの殺害予告ですね」
それに秘められた思いの丈の、およそ三分の一ぐらいを物理的に引き裂かれた恋文の内容からは、まだ残されている三分の二ほどの愛情が滲みでて……おりませんでした。
読み取れた内容は僅かばかりのものです。
・いつも こっそり 姿を
・遠くから見てい
・この 手 を
・ 失 ってますが、
・ せない 一 。
・婚約者
・ 苦しめ る
・ 気持ち
・ い
・ い
・
・放課後、 物 で ?
・ 返 待ってま 。
もともと、手紙にはそれ程多くの言葉がしたためられていなかったからでしょうか。半身が奪われた上に泥だらけになった事で殆ど意味を持たない言葉の羅列が出来上がりました。南から来た男も勘違いをする訳です。そして、中の手紙も差出人が書いてあったであろう近辺が当然のようにビリビリ。がっかり、がっかりなのですよ。
分かったことは王子が手紙の差出人に相当の恨みを買っていることでしょうか。
手を失っている、許せない?……お前の婚約者を攫って苦しめるのはさぞ気持ちが良いのだろうな。と申し上げているのですかね?やはりこれは犯罪予告でしたか。嗚呼なんて恐ろしい話なのでしょう。
な訳ねーでしょうが、何れにしても肝心な手紙を途中で落っことしまってはいけませんね。それにあの人が呼ばれて来るようなタマとは思えません。俺様系王子ですし。
「そもそも……わざわざ現場まで戻らずとも、最初に差出人を見て直接本人に返せば良かったのでは?」
あっ、そっかー。その手があったよね〜。あははー何を悩む必要があったんでしょう。それでは早速……って、今更もう遅いわ!!
気がついた時には既に後の祭りじゃ無いですか!どうするんですか、コレ。
ま、まだ何か手が残されていますって。残された文面の筆跡を真似てそれらしく偽装してしまうとか。あの王子宛の恋文までは分かってるんでしょう?心当たりがある人を徹底的に突き当たっていけば、って心当たり多すぎるー。
だって王子だもん。お財布的な意味での懐の大きさはこの国で右に並ぶ者がいませんが、それと同じぐらい枕元のスペースにも余裕がありそうなあの王子ですよ?将来の王様ですよ?そりゃあ100人ぐらい玉の輿を狙う無謀な輩が取り敢えずくじを引くぐらいの軽い気持ちで気のある振りをしているでしょうから、今まで貰った艶文面には枚挙に暇が無いこと間違い無しです。
あーあ、そう考えるとなんだか急にテンションが下がってきちゃいましたよ。あの探偵気取りへ向けられる熱視線なんてアイドルへのそれと大して変わったものじゃ無いでしょうに。書いた本人もファンレター程度の軽い気持ちだったに違いありませんし、よしんば本気で恋をしていてそれを伝えられたとしても相手には既に婚約者がいるわけですし。今更どうとなる話とも思えないんですよね。
実らぬ恋に私は何を熱くなっていたのでしょうと馬鹿馬鹿しく思う気持ちが込み上げて来ます。私は冷たい女なのでしょうか?いえ、婚約者がいるというのに恋文が届いたりすれば差出人から水を差されたと良くない印象を抱かれていたかも知れませんし、結果的にはこれで良かった筈ですよ。
書いた本人にもきっと分かって貰えると思います。まあ半分以上は私の自業自得なんでしょうけどね。あそこで転ばなかったら今頃は無事に手紙を元の廊下に落として……その結末がどうなるかに頭を悩ませることになっていたかもしれませんが、もはや手遅れです。
手紙の主には申し訳ないことをしてしまったと言う気持ちもありますが、まあそれも水に流してもらえませんかね?こうやって千切ってお手洗いに流れて消えていく所を見ていると、全ては時間が解決してくれる。そう思えてきたのですよ。
さようなら、恋する手紙の主。あなたが手紙を書いていたことしか知ら無いけど、知らぬところで結ばれる事を願っていますね。探偵もどきの王様が無事に次の王様に世襲すれば側室ぐらいにはなれるかもしれません。諦めない気持ちって大事。その時は願わくばあの呪われた王子の手綱を握っていて欲しい。行く先々で事件に遭遇する危険極まりない人物は野外に放されませんように宜しくお願い申し上げます。
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よーし。気持ちを切り替えて晴れやかに放課後を満喫しよう!
ラブレター?残念ながら生まれてこの方一度もお目にかかった事が無いんですよ。怪文書なら読んだことありますが……そんな事よりも見てくださいよ、私のポタジェ。
「水つめたーい、土かたーい。
うわっ?!何これカブみたーい」
この学園はいくつか生徒のコミュニティと言うか、前世で言うところの部活動のような集まりがあるです。学園に在籍する生徒の殆どが何らかの会に所属していて、授業終わりに各々が所属している会で様々な活動に精を出しています。
私もいつものように植物研究会で課外活動中。
私が所属しているのは植物研究会なのですが、この寄り合いはぶっちゃけあまり人がいません。
活動内容が地味そうで何より暇そうな印象。そんな不純かつ適当なイメージを持ったままで入会したところ、これがまぁ予想通りチョロそうな集まりでして。
「今晩はこの大根で煮込みにしようかな?
って、あれ?また誰か来てる……」
研究会とは銘打ってありますが、実際のところは園芸部と大差ありません。毎年決まった作物を庭園や菜園に植えて水を蒔き、時期が来たら植え替えや収穫をするのですが、研究会の作付面積がそれ程でも無い上に学園側も授業材料や献立に並べる作物を沢山育てているので、私たちが手入れを忘れていてもついでに面倒を見てもらえます。
そんな訳なので、名前だけの幽霊会員が多数在籍しているのが現状なのです。ここはいつも決まったメンバーが東屋で茶でも点てて駄弁ってるか、私みたいに園芸だか農芸だかに目覚めた極一部の物好きしかいません。ごくたまに思い出したかのようにやって来る会員や見物人も姿を現しますが、少々の時間眺めたら飽きて直ぐに消えていきます。彼らは作物の成長に比べたらあっという間に居なくなる人達なので視界にあったことすら覚えていない事が多いのですが、ここ一ヶ月ぐらい見かけない顔を遠くに毎日拝むので、さすがの私も気になりました。
「……まあ別に眺めるぐらい構いませんが、物好きな人もいたものです」
そもそも今は冬場なので見て楽しめるような作物は何も植わってないんですよね。私も大根を収穫したので暫く土を休めるついでに高等部に入る準備をしなくてはいけないんですよ。学園はエスカレーター式なので特に何かやっておかなければならないことは無いんですが……。強いて言うなら来年から本格的に始まるかも知れない不幸の数々を未然に防ぐために外堀を埋めておくぐらいでしょうかね。
「もうこの庭園ともお別れですね」
私が巧妙に隠し育てた可愛い野菜達がそこらかしこに植わっていたので、私的に庭園と言うよりは農園のつもりだったんですが。……菜園のエリアに植えた野菜は色々ありましてダメになっちゃいましたから、誰にも邪魔されず自分だけでのびのびと生育させて見たかったんですよ。周囲の景観をいかに壊さずして食べられる物を植えられるか。これこそが植物研究の醍醐味!!……え、なんか違う?
ですが、高等部からは教島が変わってしまうので、この庭園も今日で見納めです。私も明日から幽霊部員。高等部には植物研究会が無いと聞きますが、いまさら園芸をやめるつもりなんてありません。また新しい土地で隠し育ててやるですよ、おほほ。
「すみません、少しお聞きしても良いですか?」
「ひッ?! 誰で——ぅ!!?」
突然、背後から声をかけられて驚きのあまり悲鳴とともに飛び上がりそうになる私。しかし、それよりも早く背後の何者かから布切れで口元を塞がれてしまいました。
おそらく、睡眠薬か何かを仕込まれていたのでしょう。悲鳴と出そうと息を大きく吸い込む瞬間に口元を抑えられた私は、何の抵抗をする間も無く布越しの空気を吸ってしまい、それから急激な眠気が襲ってきました。
意識が途切れる直前、耳元に聞こえた穏やかな囁き声。
あるいはそれは悪魔の笑い声だったかもしれません。
確かな事は、その言葉が私に良くない未来を告知するものであるということと——
「貴方が咽び、泣き叫ぶ声をね」
— 私がこの世界で生まれるよりも前に、この言葉を聞いているということ。声の主も、言葉の意味も知っていたということ。
この一連の流れで想起されられる物語の結末の一つを、私は……………