泥蓮
ツイッター上の折本企画で書いた作品です。テーマは「大切な人」です。
「春日井君はさ、友達……作らないの?」
突然投げかけられた質問の意味がわからず、僕は首をかしげた。
「必要ないものをわざわざ作らないでしょ」
問うた本人はそっか、とだけ言って僕の目の前から去る。
こんなことがひと月近く続いていた。
彼女の名は蓮水。小中高と同じ学校に通っているが、特に仲が良かった記憶はない。いや、そもそも僕の記憶には誰かと仲が良かった時間なんて存在しない。
なのに、彼女は最近やたらと僕に構ってくる。ぼっち、根暗、気味が悪い、何考えてるかわからない、そう思われている僕にだ。
何読んでるの? 何聴いてるの? お昼一人? そんななんの意味もないような質問を、毎日一度は聞いてくる。
正直、こっちの方が気味が悪いと思ってしまう。
親切には裏がある。笑顔の裏には欺瞞が、賞賛の裏には打算が。
……ずっと同じ教室にいた彼女が、それを解っていないはずがないだろう。
「掃除終わった? 一緒に帰ろ、春日井君」
放課後、蓮水が話しかけてくる。
普段なら断るところだが、僕は少し考えて
「……いいよ」
そう、返事をした。
僕は自分の幸せには無頓着だ。だが、他人の幸せまでそう思っているわけではない。彼女の送る人生が幸せなものであればいいと思っている。
その一歩として僕との関係は断つべきだ。彼女も独りでいることが多いようだが、僕ほどではない。友人がいるならその時間を大切にするべきだ。
そのために必要なことなら、一度の下校くらい安いものだ。
「なあ、もう僕に構わないでくれるか」
「どうしてそんなこと言うの」
僕の言葉が予想通りのものだったのだろう、彼女はすぐさまそう返してくる。
「どうして一人でいようとするの? どうして誰かと分かち合おうとしないの……」
どうして……?
「僕を見てきた君が、それを聞くのか」
その言葉に、彼女の表情が変わる。
わかるはずなんだ。僕を見てきたのなら、いまの僕を形作っているのがなんなのか。
「……そうだね」
そう言って彼女は足を止める。
つられて足を止め、ついさっきまで並んで歩いていた少女を見た。
「私はずっと、見てるだけだったもんね」
彼女が表情を変えた理由は、僕が思っていたものとは少し違った。
ーーそれを気にしているわけじゃない。そう言うことは簡単だった。でも、
「わかったなら、もういいだろ」
僕の口から出た言葉はそれを否定しなかった。
都合がいい。そう思っている自分がいて、
あぁ、自分もやはり人間なんだと、そう思ってしまった。
◇
翌日のこと。
「今日は蓮水は欠席だ」
……一日学校を休むことくらい、なんでもないだろう。
担任の言葉にそんなことを思う。今までは、誰が休もうが気に止めることもなかったのに。いや、休んだのが彼女でなければ僕はいつもの通り、なんの興味も示さないどころか、誰が休んだのかも知らないままで一日を消化していっただろう。
昨日の今日だ。欠席の理由に昨日のことが含まれていてもなんら不思議はない。
当事者の僕が、彼女の名前に普段より過剰な反応をするのは当然のことじゃないか。まあ……、
「構うなと言ったって、姿も見せないのはどうかと思うけどな……」
どこか言い訳がましくなった思考を振り払うよう、小さく声を出す。けれど、その言葉もまた彼女への罪悪感が滲んでいるようで、軽く、しかし確かに唇を噛んだ。
気になることが常に頭の中にあるというのは、鬱陶しい。自分の思考を他人に割くというのも、独りを至上としている僕には苦痛でしかない。
明日、機会を見て彼女と話をしよう。
そう思っていたのに、蓮水は翌日も、さらにその翌日も学校を休んだ。
僕とのことがだけが欠席の理由ではない。そう考えた僕は担任へ彼女のことを聞きに行くことにした。
どうしてこんなにも彼女のことが気にかかるのか。
一緒にいた時間は長いが、付き合いと呼べる過ごし方はしていない。最近は接する機会もあったが、僕は邪魔としか思っていなかった。あの日吐いた嘘に罪悪感はあれど、あれも一つの事実だ。僕が気にすることではない。
じゃあ、どうして。
「春日井か。そういえば、お前と蓮水は幼馴染みだったな」
馴染んではいない。
答えが出ない思考の中でも反射的に反論の言葉が生まれる。が、外に出る前に飲み込んだ。
それにしても、知られているものだな。僕と彼女の共通点など誰も知らないと思っていたのに。いや、当然か。僕のような「問題を起こさない問題児」のことは大人から見ても扱いにくいだろうから。
「お前になら、教えといてもいいだろう」
「は?」
担任の口から伝えられたのは、蓮水が引っ越すということだった。そのための準備で一週間ほど学校を休むと、ご両親からの連絡があったらしい。
そうか、なら僕が気にすることなど何もない。
彼女は真っ当な理由があって学校を休んだのだ。そこに僕とのことが介入する余地なんてない。我ながらおかしい勘違いもしたものだ。
ただ、僕の中に彼女への罪悪感があることも確かだ。他人に全く興味のない僕が行動を起こしたというのが何よりの証。どうせ近いうちにクラスメイトへの別れの挨拶が催されるだろう。謝るのならその時で十分だ。
担任の言った通り、蓮水はそれから先土日を含め四日間学校を休んだ。
その間、僕は誰にも邪魔されない独りきりの時間を謳歌した、というわけではなかった。
本を読んでいる間にも、音楽を聴いている間にも、何をしている時でも彼女が話しかけてくるような気がして ろくに集中できなかった。
話しかけられることが一ヶ月も続いたせいだ。
この場にいなくても僕の邪魔をするんだな、あんたは。
僕の心境の変化が影響していないとは言わない。彼女への罪悪感、一言謝りたい気持ちが、いもしない彼女の来訪を待っているのだろう。
迷惑な話だ。
彼女に悪気なんて無い。むしろ僕に問題があることだというのもわかっている。
それでも、僕にとって彼女は迷惑で、面倒で、煩わしい。
独りきりの僕に入ってくるな。
ここは僕だけの場所だ。僕だけのために使うと、そう決めているんだ。
◇
翌日。
今日、蓮水は登校してくるはずだ。見つけ次第話しかけて、この不毛な感情を捨てる。
僕は早めに学校に来ていた。できるだけ早く彼女に会いたかった。それに、彼女と二人でいるところをなるべく誰にも見られたくなかった。
僕のような人間が転校間近の生徒と一緒にいるなんて、悪目立ちもいいところだ。
そんなことを考えながら読書に励む。当然ながら、内容なんてこれっぽっちも頭の中に入ってこない。教室に誰かが入ってくるたびに目線をそちらに向ける。普段僕が目が向けるなんてないせいだろう、目が合った生徒はすぐに目を逸らした。
だんだんと教室が埋まっていく。
蓮水が姿を見せないまま鐘はなり、教室に担任が入ってくる。ドアの方をずっと見つめていた僕と当然のように目が合った。そしてその目は、今までの生徒と同じようにすぐに逸らされた。
担任の表情は普段と変わりはない。だがその行動に疑問が残る。担任が合った目をすぐ逸らすというのはおかしくないだろうか?
そう思って再び担任の方を見ると、またすぐに目が合い、そして逸らされた。……? また合った……。
「……っ!」
それが目配せだということに気づいた瞬間、僕は思い切り立ち上がっていた。教室中から奇異の視線を向けられるがそんなものはどうでもいい。
「早退します!」
大声でそう言い、僕は教室から飛び出した。
教室で声を出したのなんて授業中を除けば蓮水に声をかけられて以来で、久しぶりだった。
何故気付かなかったのか。
僕が転校するとしたら、一体どんな別れ方をする?
きっと一部の教師にだけ転校のことを伝えて、クラスメイトには転校した後に担任の口から知らせてもらう方法を選ぶだろう。意外性も何もない、ぼっちなんてそんなものだ。
そしてそれは、蓮水も同じだ。
彼女も僕と同じく独りでいることが多かった。
どうして気づくことができなかった……。
当然だ。他人になんて興味を持ってこなかったんだから。
そうさ、他人なんてどうでもいい。
ーーならどうして僕は今汗を流しながら走っている。
頭の中に彼女のことがちらついて鬱陶しいからだ。
ーーどうして彼女のことばかり考える。
謝らなければならないことがある。それだけだ。
ーーどうして、会う必要がある。
どうして……? そんなの、散々人様に迷惑をかけたんだ。
直接会って文句の一つでも言ってやらないと気が済まなくなっただけだ。
蓮水の家は、僕の家と小学校を結ぶ通学路の途中にある。
午前中でまだ周囲は明るい。けれど、どうしようもなく暗く静まり返ったその家の前で、僕はただ突っ立っていた。
間に合わなかった、のか。
「ーーっ春日井君?」
帰ろうと後ろを振り向いた時、同じ方向から声が聞こえる。
「なんだ、間に合ったのか」
驚く表情を見せる彼女の姿を、僕はどこか安心しながら見つめていた。
「すまなかった」
開口一番謝る僕に、彼女は先ほどとは違い戸惑いの表情を浮かべた。
「この間のことだ。僕は別に、見ているだけだった君を非難したかったわけじゃない。それを謝りたかった」
「そっか。……うん、わかった。要件はそれだけ?」
その問いに頷こうとして、僕の体は止まる。
頭の中、彼女のちらつきが治ろうとしない。それどころか学校にいた時よりもずっと酷くなっている。
「それだけならもう、行っていいかな?」
「ーーっ、それは」
「……行って、いいかな?」
彼女の声が震えていることは僕でもわかった。けれどそれが何に対する震えなのか、理由が、感情が、僕にはわからない。わかったとしても、他人を拒絶してきた僕にはどうするべきなのかわからなかった。
「……蓮水」
彼女の名を、僕が初めて口にした。その時だった。
「春日井君。私、誰にも覚えられないまま……誰も知らないところに行っちゃうのかな……」
彼女の目から何かが落ちる。僕はそれをはっきりと見てしまった。
僕は、独りが好きだ。
独りでいる人はみんなそうなのだと、勝手に思っていた。僕のような経験をして、独りを自ら選んだのだと。
彼女は違うんだ。だれにも覚えてもらえないことが不安で、悲しくて、それを隠して、今までを耐えていた。
そんな彼女に僕が、独りを愛する僕が言葉を紡いでいいのだろうか。
「僕は……」
気づけば、勝手に口が開いていた。
「僕は蓮水が、憎い」
突然の言葉に蓮水が俯いていた顔を上げる。その表情は驚きに満ちていた。当然だ。僕も驚いている。
「僕の独りをいつも邪魔して、頭の中にまで入ってきて、ずっと鬱陶しいと思っていた。……でもその感情が、寂しさだったんだって、ようやくわかった……と思う」
だから、僕がずっと覚えているよ。
なんて、そんな気の利いたことを僕が言えるはずもなく、出てきたのは
「だから、僕はずっと君を憎み続ける。君が僕のことを忘れようと、僕は君を憎むのをやめない」
そんな、情緒も何もない言葉。
そんな言葉でも、乾いた涙の跡をなぞるように、新しい雫が溢れ始める。
「いいの? 私、ずっと……春日井君の中にいて、いいの……?」
涙を覆う彼女の両手を、自分の胸で包み込む。できるだけ優しく、壊してしまわないよう。
「あぁ、いつまでも」
君を許さない。
僕の独りを壊してくれた君を、ずっと許さないから。